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オーケストラの流れを引く北朝鮮ポップス

高英起、カルロス矢吹(2015)『北朝鮮ポップスの世界』花伝社

私の場合、メディアバッシング、逮捕、投獄、裁判、失職などのどん底の経験がある。どん底からどうすれば這い上がることができるかについて、それなりの経験もある。私の経験を少しでも読者が抱えている悩みを解決するために用いてほしいと思い、私はこの連載に全力で取り組んでいる。(本書 p.5)


平壌で収録されたミラクルコリアという番組での「フィパラム」(口笛)

音楽ライターのカルロス矢吹とデイリーNK東京支局長の高英起による北朝鮮のポップスがテーマの対談本です。カルロス矢吹は音楽畑から北朝鮮ポップスに興味をもった人、高英起は朝鮮学校に学んで昔から朝鮮歌謡(北朝鮮ポップスは朝鮮語で조선가요(朝鮮歌謡)といいます)に親しんできた人。音楽と朝鮮の二人が交わって出来上がったのが本書です。

代表的な北朝鮮ポップスとしては、一番上に掲載した휘파람(口笛)でしょう。片思いの人の家の前を通りすぎては、口笛を吹いて呼び出すという北朝鮮での恋愛を歌った歌です。いじらしいではありませんか!(下の方にMVがあります。)

この動画は記念すべき、ミラクルコリアという番組の平壌収録時の映像です。韓国ではたまにこんな南北共同制作番組が作られ、放送されているようです。一方、大学紛争世代~安保闘争世代に懐かしいのは臨津江という歌でしょう。日本ではザ・フォーク・クルセダーズが歌いましたが、北では림진강として親しまれています。

政治的メッセージを持った歌として近年注目されがのは2009年に存在が明らかにあった발걸음(足取り)です。金正恩第一書記を讃える歌として注目されました。

だけど、私自身もそう思います。単なる楽観論ではなく、おそらくは事実ではないかと。落ち込まずに取り組む人は魅力的だし、その様子を世間の誰かは見ているのでいずれ良い結果に恵まれます。世の中、まじめにコツコツと続けるのは意外と難しいので、半年も続けていたらそれなりの結果が出るはずです。継続は力なり、です。

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「下品力」と向き合うために

「明日できることは今日しない」というのがポイントです。明日できる仕事は明日に回し、どうしても今日しなければならない仕事を優先する。

本書 p.135

努力を続けない人間は劣った人間であり、排除されても自己責任だという論理は、諦めを知らない野暮な人間たちからしか生まれてきません。

本書 p.220

本書は作家の佐藤優が講演会や勉強会、読者からの手紙でメンタルの相談を受けることが多々あったことから、そうした人たちのために心が折れないような考え方をまとめた本です。

いまの日本では少子高齢化で働き手は少なくなる一方、規制は撤廃されて競争はどんどん激しくなります。数少ない勝ち組と多くの負け組が生まれる社会はまさに弱肉強食で、ずうずうしい人、すなわち下品な人が生き残る社会になっていきます。しかしそんな下品な人はごく一部、私たちの多くはそこまで下品になれない人、繊細な人ではないでしょうか。

働き方改革や懐かしのプレミアムフライデーといった活動も、政府が労働者の負担減を狙ってやっているものではありません。経済規模が大きくならない日本で、限られた労働を若者から高齢者、これまで働いてこなかった主婦層まで、多くの人に仕事を割り振るための施策です。こんな状況下で普通の人は勝ち組になれません。逆に副業を行うなど、一つの方法だけに絞らない「複線的」な生き方が必要だと著者は説きます。

副業ができるスキルのある人はいいですが、そうじゃない人はどうするか? 著者はコミュニティやアソシエーションの大切さを説きます。前者は趣味などで知り合った人たちの集まり、後者はボランティアや地域活動といったある目的のために集まった人たちのことです。そうした集まりで気の合う仲間を作り、将来は一緒の老人ホームに住んだり、ある程度の食べ物や仕事、住居をシェアする。そうした人とのつながりの大切さを説きます。

納得すると同時に、私みたいに人づきあいが苦手な人はどうすればいいのだろう、と思わされました。

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知らないスラヴ諸語のはなし

チェコ語字幕つきでチェコ映画を観ていたとき、わたしは思わずつぶやいてしまった。

そうか、伯爵はひなどりなのか。

さすがのカミさんも訝しげにこちらを窺う。

本書 p.90

両数のある言語なんて、一部の文法マニアくらいしか惹きつけないのかもしれない。

両数があると何かいいことあるのかな?

カミさん「魚座がはっきりする」

本書 p.217

本書は著者の東欧諸語にまつわる話をつらつらと書いたエッセイ集です。しかしただのエッセイ集ではありません。話題はポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語、スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、ブルガリア語、マケドニア語といった多くの言語に及びます。

筆者は上智大学ロシア語学科、東京大学大学院を出て、東京工業大学や明治大学で教鞭をとったあと、今は文筆業で生計を立てています。専門はロシア語をはじめとするスラヴ言語で、ニューエクスプレスプラス ロシア語羊皮紙に眠る文字たち―スラヴ言語文化入門をはじめとする本を出しています。

また、言語だけではなく実際にそれらの土地に行った思い出も書いています。言葉が話せるからか、往々にして東欧の人たちの優しさ(おせっかいさ?)が垣間見えるやり取りがほほえましく読めます。出てくるお酒の話もおいしそうだし、なぜか内陸で食べたイカフライまでおいしそうに感じます。

一方でライフワーク(?)でもある映画のDVDを買う話など、大変興味深い一方、少し古さを感じさせる記述もあります。おそらく2000年代前半の話かと思うので仕方ないかと思いますが、現在では多くがオンラインに移行しているのではないでしょうか。DVDと違って多言語での字幕は出ませんが…。

映画のDVDを見ているとき、著者は上の引用で上げたように伯爵とひなどりの共通点に気づきます。それはチェコ語で14ある格変化の型が、kure(ひなどり)とhrabe(伯爵)は同じだったのです。どうもこの変化型はかなり限られているようで、映画を観ていて感嘆してしまったそうです。

また、もう一つの引用で上げたのはスロヴェニア語にはある両数(あるいは双数)という概念についてです。英語では単数、複数と区別しますが、スロヴェニア語ではさらに2つの場合には両数というカテゴリを作ります。たとえば目や耳などペアのもの、「私たち2人」という場合に使うそうです。また魚座も魚が2匹描かれているため両数となるそうです。これは知りませんでした。もちろん双子座も両数だそうですが、天秤座は単数だそうです。中国語で魚座は双鱼座というので、こちらでもまた魚座がはっきりします。

著者の奥さんが『スロヴェニア語入門』を出している金指久美子さんだったとは初めて知りました。本書にスロヴェニア語の記述が細かく出てくるのも納得しました。

もし1985年にスコピエを訪れていたら、わたしの人生は違ったものになっていたかもしれない。セルビア語からマケドニア語、さらにはアルバニア語やトルコ語をつぎつぎと勉強し、バルカン言語連合研究していた可能性もある。

本書 p.329

私にもこうした可能性が少しあったのかな、と思いました。スコピエに興味が出ました。

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45歳からは得意分野を伸ばす生き方を

佐藤 (中略)重要なのは長所を伸ばすことです。何でもかんでもやろうとすると、失敗しますから。

本書 p.34

池上 (中略)相手のほうに多くを与えて、やっと向こうは対等だなと思う。

本書 p.215

本書では60歳になる作家で元外交官の佐藤優と70歳になる作家で元NHK職員の池上彰が、定年後や老いに入っていく中で、どのような生き方をしていけばよいか対談しています。

二人は人生のセカンドハーフである45歳こそ、今後の人生の方針を見極める重要な年齢だと強調します。45歳からサラリーマンであれば65歳まで約20年残っていますが、多くの企業では50歳代の役職定年の後、65歳までは再雇用という形で雇われます。45歳からだと実質的な定年までは十数年あればいいほうです。そのため45歳からの人生では新たなチャレンジはせず、これまで行ってきたことの棚卸をして自分の得意分野(できること)を伸ばしていくほうが良いと勧めます。

外務省を東京地検特捜部による「国策捜査」により退職した佐藤優と、55歳でフリーランスになった池上彰は二人とも定年より前に勤めていた組織を退職しています。二人は多くの人たちが定年を迎え、ガクッとやる気をなくす「60歳の壁」を経験せずに済んだのはよかったと言います。

定年を見据えて重要なのは、会社以外の同世代(同級生)や違う世代とのつながりを持つことだといいます。一方で結局は健康、介護、孫自慢になりがちなので、池上彰は同窓会でその話をしないというルールを作ったそうです。では何を話すか? いろんな引き出しを持ちつつ、引用で上げた「相手に多く与える(話させる)」ことが対談のコツであると、話し方の作法まで教えてくれます。

一方で二人とも人生が順風満帆だったわけではありません。今は作家として活躍していますが、退職後は大学の公開講座に通うなど、自分の得意分野を見直してフリーランスでやっていけるようになりました。

二人とも丁寧な解説をしてくれれはいますが、佐藤優や池上彰のように向こうから仕事が来るのは、それまである程度有名だったこと、そして東京にいたことが大きな要因ともいえそうです。地方の一般的なサラリーマンがどうやって「60歳の壁」を乗り越えるのか、自分たちで解決するしかありませんが、少しヒントが欲しくなりました。

本書は『新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)』、『新・リーダー論大格差時代のインテリジェンス (文春新書)』、『知らなきゃよかった 予測不能時代の新・情報術 (文春新書)』、『大世界史 現代を生きぬく最強の教科書 (文春新書)』、『僕らが毎日やっている最強の読み方―新聞・雑誌・ネット・書籍から「知識と教養」を身につける70の極意』、『ロシアを知る。』、『教育激変-2020年、大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ (中公新書ラクレ)』に続く対談本です。

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京都大学草創期の蹉跌

君は予が試験の為めに何頁の講義筆記を暗記せざるやを知るや。実に五千頁なり

本書 p.113

京都の教授たちは、こうした期待を受けて、京都の土地に「二番目の帝国大学」ではなく、一番目の帝大に対抗する新たな大学を作り上げようと試みた。

本書 p.210

現在の京都大学の前身である京都帝国大学は、日本で二番目の国立大学として産声を上げました。東京大学が官僚養成の大学として設立され、詰込み型の教育をしていました。一方、京都大学では学生に研究の自由を与えました。その内情と改革の結果を、京都大学法学部(当時京都帝国大学法科大学)の実例を引きながら本書は明治の帝国大学の改革競争を紐解きます。

東京帝国大学での法律の授業は熾烈なものでした。 学生が受ける授業は一週間に27.5時間にも及びました。予習復習の時間を入れると40時間、現在のサラリーマンの勤務時間程度にはなったでしょう。授業中、学生たちはまるで速記機のように教師の言う言葉をノートに書きとり、上の引用でも書いた通り、1年間で筆記講義五千頁にも及ぶ量を記憶し、1年に1度の進級試験に臨みました。中には授業中に言ったダジャレを答案に書かせる教員までいたそうですから、筆記も気が抜けません。

一方の京都帝国大学は東京のような詰め込み式教育では法典条項の中身を覚えさせるより、法的修練を身に着けるほうが大事だと考えます。どうやって身に着けるか? そこでドイツ帰りの教員たちが当地で見たゼミナールを模倣します。ゼミナールを模倣して論文を必修とする一方、必修科目を減らして選択科目を多くした結果、最短3年で卒業することができる制度に変えました。

結果、京都帝国大学は負けました。当初は期待をもって受け入れられたものの、卒業生を輩出しだし、その高文試験(現在の国家公務員総合職試験)合格者の数が少ないことが新聞はおろか、帝国議会でも問題にされました。「碌な卒業生がいない」「文部省の信任問題だ」などと批判されます。

しかし、負けたとはいえ高文試験の合格者数だけの話です。当時の高文試験の出題委員は多くの東京帝大教授、一部の京都帝大教授で占められていました。外交官試験等、ほかの試験も同様です。そうすれば東京帝国大学の教授が行う授業を受けるほうが有利に働きます。その教師たちこそが出題者であり、採点者なのですから。かなりの大差をつけられたとはいえ、東大方式の教育方法に真っ向から反対した京都帝国大学は、国家公務員になる人こそ少ないものの(この傾向はいまでもある)、学会や民間でそれなりの実績を残しているとも考えられます。

ただ公務員試験だけで成功・失敗を測るのではなく、より多面的な方向で価値判断する余地の残る議論だと思いました。少なくとも東大方式、京大方式の二つがライバルとなる形で試行されたのは学生にとっても、大学にとっても、ひいては社会にとっても良いことだったと思います。

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50代は戦略的に働こう

人生の選択は人それぞれなので一概にはいえませんが、いまのような時代、50代のビジネスパーソンであれば、早期退職ではなく定年まで会社に居続けることを優先すべきだと考えます。

本書 p.40

50代以降の人生で意外に重要になってくるのが友人とのつき合い。学生時代からの友人とは、利害関係を超えてつき合うことができます。

本書 p.128

 本書は60歳を迎えようとする佐藤優が自身の経験から50代の生き方を提案する本です。『40代でシフトする働き方の極意』の続きと位置づけられます。

 50代になると体力もなくなり、会社の出世でも先が見えてきます。役職定年や片道出向で給料も下がる場合もあります。若者からは突き上げられ、上司からは絞られる。いっそ早期退職や転職を視野に入れてしまうかもしれません。

 しかし、50代で転職して成功する人はごく一部です。もちろん、心身に影響が出るなど耐えられない場合はやむをえませんが、損得勘定を考えた場合、定年までの数年から10年の間は耐えて忍んで目立たぬように過ごすのが一番、 会社でも出世の限界が見えてるなら、大きなプロジェクトで目立つようなリスクを避けるべきだと著者は説きます。早期退職も同様です。会社員のいいところは決まった時間は仕事をしているため、お金を使わないことです。早期退職で時間ができると、人はついお金を使ってしまいます。損得勘定で考えた場合、転職や退職はしないほうが有利です。

 また、50代にもなると定年後の暮らしを見据えるほか、親の介護や子どもの自立など、これまでとは違った人生の局面が出てきます。そうしたときに頼りになる人間関係は会社の利害関係ではなく、学生時代からの友人関係です。利害関係もなく仲良くなれ、思春期を共に過ごした人たちとはまた仲良く過ごせます。また、いろんな業界に就職した人、すでに親の介護などを経験した人がいることから、さまざまなアドバイスを受けることができます。

 定年後を見据え、仕事中心の人生から自分や大切な人を中心とした人生へとかじを切り始めるのが50代です。備えあれば憂いなし、若いうちから読むに越したことのない本です。

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国際情勢を俯瞰して日韓関係を見直す

佐藤 (中略)日本は人口が多いので、GDPの総額ではまだ韓国の二・五倍くらいの力があります。ただし、一九六五年時点では、GDPはざっくり言って三十倍近く離れていたんですよ。三十倍が 二・五倍まで近づいてきたときに、三十倍離れていた当時の均衡戦は、成立しないのです。

本書 p.54

手嶋 (中略)「このままでは、会談は板門店に決まってしまう。安倍首相からぜひ巻き返しをしてもらいたい」、と、直接、日本側の高官に連絡してきたわけです。安倍首相も、米朝の余りに性急な接近には危惧の念を持っていたため、トランプ大統領を説き伏せ、結果的にシンガポールに決まったという経緯があります。

本書 p.171

 本書は『独裁の宴 世界の歪みを読み解く』『米中衝突-危機の日米同盟と朝鮮半島』に続く手嶋龍一と佐藤優によるインテリジェンスをテーマにした対談本です。インテリジェンスとはインフォメーションとは違い、情報を精査して絞り込まれたエッセンスを言います。外務省や軍、情報機関が取ってきたうち、政策判断に使われるような情報を言います。

 本書のテーマは大きく分けて日韓関係と中東問題にあります。2018年の年末に発生した韓国海軍の軍艦による自衛隊機へのレーダー照射問題、徴用工への補償問題など、日韓関係は悪化の一途をたどっています。特に前者のレーダー照射問題は当初軍部がミスだと公表しかけたものを政府が止めたことが本書で明らかにされています。ただ、問題はそうした手続きの話ではありません。日韓基本条約締結時と比べて両国の国力に差がなくなってきたため、当時の基準で解決済みと言っても納得しない韓国側の心情を理解すべきだと対談で両者は説きます。

 なぜここまで日韓関係を重視するのか? それはアメリカの同盟国であるという一点につきます。韓国は歴史的、地理的な経緯から中国と接近しやすい素地にあります。朝鮮戦争は現在も休戦状態ですが、トランプ政権下でアメリカが終結を試みた場合、在韓米軍は撤退します。中国は北朝鮮と韓国を引き寄せ、日本がアメリカと中国の経済、防衛圏の前線になります。

 これは荒唐無稽は妄想ではありません。今やアメリカも世界の警察官ではなくなり、二方面作戦をする体力はありません。中東か東アジアであれば間違いなく中東を取ります。トランプ大統領の娘婿がユダヤ人であり、大統領にとって有力な支持層であるからです。中東情勢が悪化すると東アジアのバランスが崩れ、日本も経済や防衛の面で負担が大きくなります。

 本書では安倍首相のイラン訪問でアメリカとイランの対立激化が緩和されたエピソードも明らかにされています。日本や東アジア、中東、世界の平和が微妙なところで成り立っていることを教えてくれる一冊です。

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中国朝鮮ウォッチ 北朝鮮

平壌地図

朝鮮労働党本部庁舎

金日成総合大学

平壌外国語大学

金正日政治軍事大学

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中国国家主席の通訳が見た日中外交

ある日の夜九時頃、日本政府の赤坂迎賓館に泊まっていた彼(著者註:華国鋒 国家主席)は、入浴後に着替えた日本式の浴衣姿で建物の後ろの庭園に散歩に行きたいと外へ出ていった。私はびっくりして彼をとめた。この迎賓館のいたるところに警備員や新聞記者が数多くいるので、もし主席の浴衣姿の写真が誰かに撮られ、明日の新聞やテレビで報道され、おまけに冷やかすような説明を加えられたりしたら、きっとお茶の時間や食後の話題になり、大きなセンセーションを巻き起こすかもしれない、と述べた。

本書 p.170

南昌空港当局が言うには、広州の天候が荒れていて、終日飛行機の着陸を受け入れていない。日本の客人(筆者註:日本作家代表団)はこれを知るとあわてた。
(中略)夕方、(著者の上司の)廖から電話があった。周(恩来)総理に指示を仰ぐと、これは自分が引き起こしたことで、自分に責任があると言って大いにあわて、民航総局と空軍司令部に非常措置をとらせ、時間通りに広州に送り届けるように指示した。

本書 p.298

中国の国家主席の通訳を務めた筆者が間近に見た日中外交の様子を描いた本です。国家主席や総理等、中国のトップの姿を描いたため、共産党から出版の許可はもらったものの中国大陸では発行されず、香港で発行されました。

著者は1934年江蘇省生まれ、高校卒業時に学校の党支部から北京大学の外国語学部に入るよう通知を受けます。憎い日本人の言語を学ぶことに抵抗はありましたが、日本と向き合う人材が必要であると説得を受け、日本語を学び始めます。しかし翌年、学業を休止して共産党員として活動するように命じられます。本人は政治生活が肌に合わなかったらしく、日本語学習野道に戻してもらうよう掛け合い、日本と日本語の専門家になっていきます。

本書で初めて明かされるのは、日中国交正常化交渉時の大平正芳外相と姫鵬飛外相による一対一の車中会談です。田中角栄総理が訪中し、周恩来総理との日中首脳会談を行いますが、二回目で暗礁に乗り上げます。日本と台湾の平和条約であった日台条約の取り扱いを巡って食い違いが起こりました。そんな中、中国側がセッティングした万里の長城への視察の道中、急遽大平外相が「姫外相と二人で話をしたい」と言い出し、同乗者を替えて車中会談を行います。車内は両外相の他、運転手と通訳である著者のみでした。そこで二人は落とし所を見つけます。日中国交正常化への情熱が伝わる貴重なエピソードです。

ほかにも文化大革命のさなか、情勢への対応に忙殺される周恩来の様子や、大平首相の招きで訪日した一ヶ月後に大平首相が亡くなり、弔問のために再来日した華国鋒は国家の情勢から大平家の返礼を受けられなかったこと、大平外相は田中角栄首相に送られた書が論語であるとすぐ分かった知識人だったことなど、国家の首脳を間近で見ていた著者ならではの話が披露されます。ピンポン外交が米中のみならず、日中関係にも大きな影響を与えたことは本書で初めて知りました。

中国では外交官が人民日報で働いたり、国家の規律上言えないこともあったなど、中国の内情が垣間見える話も出てきます。中国での出版が許可されなかったのも、このあたりに原因があるのかもしれません。

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沖縄をつい語りたくなる人のための本

沖縄独特のものを、外からのイメージやラベリングに還元するのでもなく、あるいはまた、植民地主義的に理想化して熱く語るのでもなく、ただ淡々と、事実としてそこにあるもの、歴史的に、社会的に、経済的に、そして「世俗的に」沖縄の独自性について語ることは、どうしたら可能になるだろか。

本書 p.78

この映画 (筆者註:映画「戦場ぬ止み」)にも、抗議船に乗る漁師と海上保安庁のゴムボートの職員が和やかに会話し、基地賛成派の漁師が抗議活動のテントに豪華な刺し身を差し入れするシーンが出てくる。(中略)三上智恵が言いたいことは、結局のところ、ここには人びとが暮らし、そこで生活をしている、ということなのだと思った。

本書 p.228

本書は沖縄を知るための入門書ではありません。著者の岸政彦が沖縄をフィールドに社会学の研究をしていくときにぶつかった壁について考えた文章です。沖縄を知り、沖縄に近づくためには、ナイチャー(内地の人間)はナイチャーであることを意識せざるを得ません。ナイチャーと意識してこそ、沖縄に近づけます。だけどそれだといつまでも、極めて近づいても、結局は外側にいることになります。

私たちは沖縄について語るとき、政治的立場を表明せずには語れません。基地賛成派、基地反対派、あるいは無関心とするか語りについて考え、当事者としての立場から距離を置くか。
「日本は沖縄にばかり基地の負担をさせている」
という語りの反論として
「沖縄には基地賛成派もいる。多様性を認めなければならない」
という意見も出てきます。それぞれ間違いではありません。沖縄を語るとき、私達は難しい局面に立たされます。沖縄は、日本の内部にある外部だからです。

本書は沖縄と本土の関係を考えながら、沖縄の歴史と変化と多様性を考えることの難しさを教えてくれます。また、それを通してマジョリティがマイノリティについて語る難しさをも痛感させてくれます。著者が書くように、昨今の学問ではマジョリティとマイノリティなどといった境界を乗り越えることに主眼が置かれていましたが、著者はあえて境界を意識することに主眼を置きます。長年、沖縄でフィールドワークをして実感した境界があるからかもしれません。

本書は沖縄の知識を身につけるための本ではありません。しかし、沖縄をもっと知ろうとする人たちが意識しておくべきこと、知っておくべきことが書かれています。著者の二十年以上に及ぶフィールドワークから得た「感覚」を、こうした形でまとめて読めるのはありがたいことだと思います。沖縄を知ろうとする人たちには、ぜひ手にとってもらいたい一冊です。