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ソ連の雪山で男女9人が不可解な死を遂げた事件の原因は…

ドニー・アイカー(著) 安原和見(訳)(2018)『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』河出書房新社

澄んだ青灰色の目をひたと私に向けて、彼は言った。「あなたの国には、未解決の謎はひとつもないのですか」。(本書 p.102)

その日、私服姿の数人の男が、葬儀ではなく参列者を注意深く観察していたのを見たと彼は言っている。「まちがいなくKGBだった。あの日の葬儀を監視するために配置冴えていたんだよ」。(本書 p.234)

  • ソ連の冬山で
  • 氷点下30度の中
  • 大学生男女9人のトレッキングチーム全員が死亡
  • 一部は裸足、一部は薄着
  • 争った形跡無し
  • ソ連当局は「未知の附加香料」が原因と結論

これだけ条件が揃えば、いろいろと詮索したくなるのは仕方ありません。西側の人間にとって、ソ連は未だにロマンの詰まった国です。雪崩、殺人、脱獄囚の襲撃、熊、隕石による大爆発。さまざまな推測が出たものの、真相は闇の中…。

著者はアメリカ人ドキュメンタリー映像作家です。2010年ごろ、たまたま別の仕事をしていて耳にした話が、このディアトロフ峠事件でした。それ以来、彼はこの事件が気になって仕方なくなりました。オンラインで読める資料はあらかた読み尽くし、真相を知りたいという欲望が芽生えます。

調べたところ、ディアトロフ財団という組織に行き当たりました。この事件を風化させないための組織です。早速連絡を取り、理事長と話をします。

「この事件の真相を知りたいなら、ロシアにいらっしゃらなくてはならないでしょう」

そのメールを受けて、彼はロシアに行くことになります。ロシア語はほぼできません。簡単な会話集だけを携えて、彼は単身ロシアに向かいます。現地で資料を読み込み、トレッキングチームのリーダーであったディアトロフの妹や、途中でトレッキングから抜けたユーリ・ユーディン(2013年没)など、事件の関係者にインタビューをしてディアトロフたち9人の足取りを明らかにしていきます。本書に掲載されたトレッキングチームの写真を見るにつけ、彼らがどこにでもいそうな明るい大学生であり、まさかこの数日後に全員死亡という悲劇に見舞われるとは思えません。おそらく家族にとっては、「不可抗力」という原因も含めて、とてもつらかったことでしょう。

ロシアで調べた結果、資料からも証言からもディアトロフたちは熟練したトレッキングチームであったこと、装備も十分であったことから、技術的な問題は見受けられませんでした。それなのに、明らかに命の危険があることはわかっていながら、なぜ全員が薄着で、あるものは裸足でテントからマイナス30度の雪山に出て行ったのか。誰かが彼らを銃で脅しながら外に出したという説もあります。しかし、熟練したトレッキングチームが挑む山にそんな犯罪者がいる確率も低く、また、テントの中からナイフで切り裂かれた痕があることも説明が付きません。

最後に著者は一つの仮説を導きます。おそらく、現段階ではもっとも説得力のあると思われる仮説です。確かに説得力があり、まさに「不可抗力」ともいえます。ただ、その仮説を実証してはいません。おそらく実証するには被験者が必要で、おそらくまた被害が出るでしょう。おそらくは最も可能性が高いと思いつつも、現段階では実証できない仮説を提示したままです。本事件はいまも読者に謎を投げかけ続けています。

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パリ万博の壮観を再体験

鹿島茂(1992)『絶景、パリ万国博覧会-サン=シモンの鉄の夢』河出書房新社

万博博覧会というイベントは、たしかに国家の主導による「公」の行事であるが、その目的が、個人や私企業の発明・開発した優れた「商品」を一か所に集めて展示し、、生産者・流通業者・消費者それぞれに刺激を与えて、各々の利潤追求の欲望を加速することであるという点では、これほど資本主義的な制度もほかにない。共産圏ではオリンピックは開かれても万国博覧会はついに一度も開かれなかったのは、ある意味では当然すぎるほど当然のことなのである。(本書 p.110)

いっぽう、商品もまた、展示されるというそのことによって、重大な本質的変化を蒙ることになった。すなわち、展示されたその時点から、商品は、役に立つ品物という本来の性質、すなわち使用価値のほかに、プラス・アルファの価値を獲得することになるのである。このプラス・アルファの価値とは、もちろん「視線の弁証法」による欲望の投影で生まれてくるものなのだが、それと同時に、いわば日常レベルとは切り離された、祝祭的、演劇的空間におかれることによって商品に付け加わる価値でもある。ベンヤミンの用語でいう「展示価値」あるいは「交換価値」がこれに相当する。ようするに、商品は、それがどんな商品であれ、「展示される」ことによりアウラを獲得するという原理がここで実証されたのである。(本書 pp.160-161)

本書は万博大好きな鹿島茂の、パリ万国博覧会に関する集大成その1とでもいえる作品である。

以前にロンドンで開催された万博とは趣が異なり、パリで開催された2回の万博は、万物(universelle)のための万博だったのである。それに一役を買ったのがナポレオン3世であり、その庇護下にあったサンシモン主義者たちであった。彼らは世界中のありとあらゆるものを集め、展示し、それらを民衆に見せる(教育もサンシモン主義の大事な要素)というのを目的とし、万博を計画した。

結果、準備不足だった1855年の万博では一部の展示館ができず、ナポレオン3世は開会の挨拶で不満を見せて(ぼそぼそと小声で、極短なスピーチを行なって)帰ってしまう。しかし1867年の第2回万博で彼らは捲土重来を期す。日本からも芸者たちが参加したこの万博において、世界のありとあらゆるものを展示するという計画は結実した。

民衆は大いに沸いた。万博の展示物には関税をかけず、その場で即売することを可としたのも大きかった。当時のパリではモノの売り買いというのは今とは全く違って、正札販売がされておらず、店に入ったが最後、知識の豊富でふっかけようとしてくる店員と、入ったものの手ブラで出る自由のない客との不平等な駆け引きがなされた。しかし万博では正札販売、ウィンドーショッピングも可ということから、大変な人気が出た。まさにパリ万博は、売り買いの変革という点においても、エポックメイキングな出来事だったのだ。

本書の意義としては、上記の引用にあるように、万博の楽しさの淵源(展示されることによってアウラを獲得する)を示し、それが国家による私企業や個人の利潤追求の奨励であることを見抜いた点であろうと思う。ただ、共産圏では万博は開催されたことがない、と当時は書いているが、2010年、上海万博が共産党支配下の中国で開催された。これはどう見たらいいのだろう。

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サントリー学芸賞 レビュー

近代化と誇りの折り合いでできたパリ

北河大次郎(2010)『近代都市パリの誕生-鉄道・メトロ時代の熱狂』河出書房新社

この平和と鉄道という一見奇異な組み合わせについても、サン・シモン主義者は大まじめに考えていた。つまり、鉄道の建設によって、これまで社会に存在していたさまざまな障害(地形、税関、城壁など)が取り除かれ、人、情報、モノの流れが活性化する。この流れが世界の新たな交流を生み出すことで、世界的な協同体をつくりだす気運が高まり、フランス革命以降の戦争と動乱の時代を新たな調和と平和の時代に移行することができる、というわけである。(本書 p.49)

この駅は、プラットフォームに屋根もつけない「桟橋』と呼ばれる簡易な施設であった。ちなみに、当時一般にフランスの鉄道停車場にはこの言葉が使われ、今使われる駅という言葉は舟運の拠点をさしていた。当時の交通上の重要度を反映してか、今とは言葉の使い方が逆だったのである。(本書 pp.82-83)

日本のように大量の人が整然とホーム上を移動することはフランスでは困難と判断され、シャトレ=レ・アール駅では中目黒駅(筆者註:約7m)の二・五倍のホーム幅が採用されている。(本書 p.226)

2010年、サントリー学芸賞を受賞した本なので、面白さはお墨付き。鹿島茂『馬車が買いたい!』と併せて読めば、当時のフランス(とくにパリ)の交通事情がよくわかる。フランス人は自らの国土、特にパリにかなりの誇りを持っていることを、この書を読んで初めて知った。

19世紀は英国と米国が鉄道を持っていた。もちろんフランスの技術者も両国に見学に行くが、そこはフランス人、単なる模倣はしない。彼らは理想的な秩序のためにモノづくりをするのであって、現場での工夫は苦手なのである。アメリカのような貧相な鉄道を持つのではなく、フランスにふさわしいものを目指す。そのため、運河と同じ発想でゆったりした規格の線路を敷いていく。もちろん、歴史的建造物の多いパリ中心部にターミナル駅を持ってくるなんて持ってのほかなのである。多少は不便でも郊外に置く。結果、方面ごとにおかれたターミナル駅のために地方から地方に行くにもパリを経由せねばならず、パリにとっては人が集まってきて便利であったが、一方でその混雑はひどくなるばかり。

結果、環状線を作ってすべてのターミナル駅に行けるようにしたけども、それは貨物中心でやっぱり人の流れは変わらない。そこで業を煮やしたパリ市がメトロ計画を立ち上げる。が、そこはやっぱりパリジャン、パリジェンヌ。一筋縄で賛成するわけではなく、侃侃諤諤と議論が交わされる。路線で既存の船会社や地元に利益誘導をしたがる議員との攻防があり、加えて高架か地下かでも一悶着起こる。結果的には今みてもわかるとおり、ほとんどが地下になったのだけど、その地下駅への入り口についてもパリらしさが求められた。難問山積の中、どうしても万博開催までには開通を目指したいパリ市。時間がない中、どこで折り合いをつけて、解決策を見出すのか。手に汗握る時間との戦いが行われる。

面白かったのが、芸術家の多いパリならではか、メトロ建設に際して出た様々な案である。鉄骨の高架にしようとか、上下3段にして上2段を旅客、下1段を貨物にしようとか、レールを使わない案としてタイヤ付の柱を並べて、その上の客車を押し出していく方法とか、いろいろと進歩的な案が出されるとともに、地下への抵抗から唯一許せるのは下水道に蒸気船を走らせて、何なら下水管の壁にフレスコ画まで描いたらいい、といった案まで。

パリの鉄道建設の紆余曲折を通して現れるのは、近代文明の便利さをただ受容するのではなく、歴史や誇りとの折り合いを探る歴史だった。

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文章で食べていくために

ノア, リュークマン著 池 央耿訳(2001)『プロになるための文章術-なぜ没なのか』河出書房新社

2点の原稿を前に、これから出版の可否を判断する閲読者の立場を想像すればいい。5ページから先を読み進むべき原稿と、そこで擱(お)くしかない原稿である。今日、出版社に持ち込まれる原稿の99パーセントまでが後者に属すると言ってもまず間違いない。何故か。その理由を説き明かすのが本書である。
(本書 p.10)

作品が活字になるか否かは、つまるところ、どこまで自分を賭すかにかかっている。(中略)書いていない時間は文学を繙(ひもと)いて先人の作法を学び、文章論を読み漁って技巧の上達に努めるのである。トーマス・マンは自殺した息子の葬儀にも出ずに書き続けた。
(中略)ポーランド難民のコンラッドは船乗りをしながら、二十歳まで一言も知らなかった英語を独習し、努力一筋で優れた作家になったばかりか、英語を自家薬籠中として名文家の評価を得た。
(本書 pp.222-223)

本書はこれから小説家になろうとしている人のために書かれた指南書である。

  • 第1部 序説
  • 第2部 会話
  • 第3部 作文から作品へ

という構成のうち、第2部以降は明らかに小説を意識した内容だが、第1部は文章を書く人全員に参考になる。特に一番最初に売り込みのノウハウから持ってきているあたり、徹底的にこれから原稿を持ち込む人をターゲットにして書いていることが読み取れる。

要としては以下の通り。

  • 事前調査をして、丁寧な申し込みを以て売り込むこと。
  • 文章は平明であるべし。無駄を刈り込むこと。
  • 響きに気を配ること。
  • 比喩は多用しすぎない。一言ですませずに話を膨らませる努力もすること。

文章にも話し言葉と同様にバラエティ(変種)があることを頭に入れておかないといけない。ただそのバラエティを使い分けて文章を書く人はそうそういないから、ついつい頭から抜け落ちがちなところなんだけども。本書では学者の書いた文章も「いったい、これは何だろう?」(p.72)と批判されているけども、学問の世界では学問の世界の、小説の世界には小説の世界の流儀があるのだということも忘れてはならない。

本書は出版する側の視点から文章をみることができるというのはありがたい。自分の文章を多くの人に読んでもらいたいなら売れる本を書け。本を売りたいならば、売れるような戦術を立てろ。戦術を立てたらあきらめずに攻め続けろ。こうした基本的な考え方は、文章を書く人以外にも大いに参考になる。

ただ、英語で書かれた本であるためか、英語の例文が多い。文体や響きなどはネイティブじゃないとわかりづらかったのが難点ではあった。