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オーケストラの流れを引く北朝鮮ポップス

高英起、カルロス矢吹(2015)『北朝鮮ポップスの世界』花伝社

私の場合、メディアバッシング、逮捕、投獄、裁判、失職などのどん底の経験がある。どん底からどうすれば這い上がることができるかについて、それなりの経験もある。私の経験を少しでも読者が抱えている悩みを解決するために用いてほしいと思い、私はこの連載に全力で取り組んでいる。(本書 p.5)


平壌で収録されたミラクルコリアという番組での「フィパラム」(口笛)

音楽ライターのカルロス矢吹とデイリーNK東京支局長の高英起による北朝鮮のポップスがテーマの対談本です。カルロス矢吹は音楽畑から北朝鮮ポップスに興味をもった人、高英起は朝鮮学校に学んで昔から朝鮮歌謡(北朝鮮ポップスは朝鮮語で조선가요(朝鮮歌謡)といいます)に親しんできた人。音楽と朝鮮の二人が交わって出来上がったのが本書です。

代表的な北朝鮮ポップスとしては、一番上に掲載した휘파람(口笛)でしょう。片思いの人の家の前を通りすぎては、口笛を吹いて呼び出すという北朝鮮での恋愛を歌った歌です。いじらしいではありませんか!(下の方にMVがあります。)

この動画は記念すべき、ミラクルコリアという番組の平壌収録時の映像です。韓国ではたまにこんな南北共同制作番組が作られ、放送されているようです。一方、大学紛争世代~安保闘争世代に懐かしいのは臨津江という歌でしょう。日本ではザ・フォーク・クルセダーズが歌いましたが、北では림진강として親しまれています。

政治的メッセージを持った歌として近年注目されがのは2009年に存在が明らかにあった발걸음(足取り)です。金正恩第一書記を讃える歌として注目されました。

だけど、私自身もそう思います。単なる楽観論ではなく、おそらくは事実ではないかと。落ち込まずに取り組む人は魅力的だし、その様子を世間の誰かは見ているのでいずれ良い結果に恵まれます。世の中、まじめにコツコツと続けるのは意外と難しいので、半年も続けていたらそれなりの結果が出るはずです。継続は力なり、です。

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中国朝鮮ウォッチ 北朝鮮

平壌地図

朝鮮労働党本部庁舎

金日成総合大学

平壌外国語大学

金正日政治軍事大学

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北朝鮮大使館ナンバー2の給料は月1000ドル以下

金正日から姜錫柱副相にどんな指示があったのか、数時間もしないうちに局長は再びスウェーデン臨時大使を呼び寄せた。局長が臨時大使に告げた内容だ。
「ノルウェーで拘束されている人物は張成沢に間違いない。(後略)」

(本書 p.84)

私が選定した観光名所の写真と説明文を三階書記室に送ると、今度はイギリスの有名なレストランを推薦してくれという指示が下った。月給が1000ドルにも満たない私が、そんな場所を知るわけがない。

(本書 p.340)

2016年に北朝鮮の駐イギリス公使をつとめていた著者が自らの半生をまとめた本です。北朝鮮から亡命した外交官としては最高位の幹部の亡命は当初から話題を呼びました。英米の情報機関が動いたとされ、ドイツにある米軍基地を経由して韓国に亡命しました。

彼は自身を謙遜して「平凡この上ない」人生と言っているものの、内実は北朝鮮のエリート街道の歩みそのものです。1962年平壌市で平壌建築建材大学教員の父、中学教員の母の間に生まれました。父方の祖父は貧農の出で、農地改革で土地をもらうなど、共産党側についたため、革命に熱心な家庭とみなされました。

母の勧めもあって中学校を出てからは平壌外国語学院に進学します。平壌外国語学院に在籍していた当時、国から海外留学の機会を与えられ、英語を学ぶために北京に派遣されました。一緒に行った留学生には金永南(前最高人民会議常任委員会委員長)の息子キムドンホ(現駐中国北朝鮮大使館参事官)、金日成の責任秘書だった崔英林の娘、崔善姫(現北朝鮮外務省アメリカ局長)などもいました。当時は文化大革命の末期、激動の中国を目撃します。

その後、平壌国際関係大学と進み、政府により外務省への勤務を命じられました。お見合いで金日成政治軍事大学総長の娘と結婚したことにより、革命パルチザン時代に金日成の戦友で政府幹部だった人、軍総参謀長などと姻族になりました。外務省ではデンマーク語担当になり、駐デンマーク北朝鮮大使館、駐スウェーデン北朝鮮大使館の勤務を経て、駐英北朝鮮大使館のナンバー2になると同時に党員としても活躍します。

そんな彼の素行の良さが目に読まったのか、ある日「三階書記室」から特別な指令を誰にも言わずに任務を遂行してほしいと依頼されます。三階書記室は金正恩専用秘書室のようなもので、各政府機関が判断を仰ぐ際に仲介をするところです。内容を上げる判断をするため、絶大な権力を持っているとされています。なお、現在のトップは金英哲が務めています。著者が受けた依頼はエリッククラプトンのロンドン公演のチケットの購入と、それに伴う出張者のホテル、レストランの手配でした。そう、ほかでもない金正日の息子、金正哲の旅行手配です。そのやり取りはパスワードつきのワードファイルで行われていたこと、そして極秘事項であるにもかかわらずイギリス側がビザ申請の段階で訪問者の素性を知ったことなどが明らかにされています。

本手記にはこれまでベールに包まれていた三階書記室の話のほか、死刑にされた張成沢が娘に会いに行き、偽造旅券所持の疑いでノルウェーで拘束されたこと、大使館は運営費を自ら稼ぐように言われていることなど、北朝鮮の厳しい様子がうかがえます。いっぽうで監視社会であるものの、お互い助け合って生きていること、自由市場閉鎖の際には市民が抗議活動をしたことから社会に変化が出ていることなどを明らかにしています。北朝鮮社会の内実を知るのにはいい本です。

なお、最初の方に出てくる黄長ヨプ書記の亡命事件の話で「卑怯者よ、去るならば去れ、私たちは赤旗を守る」とあるのは北朝鮮で歌われている赤旗の歌の一節です。

朝鮮労働党本部庁舎は以下のところです。

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北朝鮮に7年間抑留された日本人船長

腹を決めた。
「命令したのは私だ」
紅粉は切り出した。この一言ですべてが決まった。
「私が機関長に命令した。彼に責任はない。頼むから、ほかの三人と一緒に日本に返してやってくれ。頼む……

(本書 p.41)

「北朝鮮は官僚主義なんです。誰も責任を取りません。私が脱走すれば、軍の上司が責任を取らされます。私が南浦港から密航すれば、警備兵が責任を追及されます。しかし、誰も責任を取らないとなれば、第三者の悪人を仕立て上げる以外に方法がないでしょう。それが富士山丸の船長たちだったんです」

(本書 p.256)

日本と北朝鮮の間にある人権問題として一番に挙げられるのが拉致事件です。戦後から2000年代までを中心に北朝鮮が工作のため日本中から日本人を拉致しました。ある者はスパイ養成の日本語教師に、ある者は戸籍はそのままで北朝鮮から来た人と入れ替わるなど、浸透工作は多岐に及びます。一連の拉致事件の一部を北朝鮮が認めたのは2000年の小泉訪朝でした。ただ、その前に北朝鮮によって不当に拘束された日本人がいました。一人は日本海側で漁をしていたら海難事故(を装って?)で北朝鮮に保護され、そのまま現地に暮らすことになった寺越武志さん、もう二人が本書で出てくる紅粉勇船長と栗浦好雄機関長です。1983年から1990年まで7年間、北朝鮮で抑留されていました。釈放の条件として北朝鮮を悪く言わないこと、言うと家族が交通事故にあうかもしれないなどと脅されましたが、船長が阪神・淡路大震災を経験し、死んだら残らないのだから死ぬ前に記録を残そうとした結果、書かれたのが本書です。

1983年当時、日本と北朝鮮の間に国交はなくても、貿易はありました。その一つ、はまぐりを始めとする魚介類の輸出入を行っていた船が、紅粉船長や栗浦機関長の乗る富士汽船の第十八富士山丸です。

1983年11月3日、北朝鮮の南浦からはまぐりを積んで帰国する途中、密航者を発見します。李英男と名乗るその男は山口県で入管に引き渡されました。入管の考えは当初、四日市ではまぐりをおろした富士山丸に密航者を送り返してもらう予定でした。そのため、富士山丸は当初予定になかった北朝鮮への渡航のため、新たな貿易契約をします。しかし取り調べが長引いたことから、密航者なしで北朝鮮に行くことになりました。その事情は朝鮮総連関係者にも一筆書いてもらい、最善を期しました。しかし北朝鮮につくと北朝鮮の公民を不法に日本に連れて行ったかどで逮捕、勾留されます。同じく捕まった一等航海士、機関士、コック長は船長が罪をかぶったので釈放されました。船長と機関長だけが7年間抑留されます。罪状認否すらない裁判で二人は労働教化刑15年に処せられ、強制収容所に入れられました。持病を持つ二人でしたが、幸いに強制労働はさせられず、強制収容所では仲良くなった看守からアヒルの卵をもらったり、畑を耕して暮らします。

いっぽう、残された人々も奔走します。家族は当時朝鮮労働党と友党関係にあった社会党の代議士に働きかけ、年に何度かあった議員の訪朝団に望みを託します。土井たか子が金日成に会ったとき、事前には断られていた二人の話を持ち出し、政府間対話の緒を掴みます。その頃には署名活動などで世論も大きく動いていたことが功を奏しました。中曽根首相が中国の胡耀邦国家主席に協力を依頼、訪朝団も働きかけるなど大きく動きました。また国際情勢もラングーン事件以来かけていた制裁の解除、米国の対北朝鮮政策の変更、中国、ソ連の韓国への接近などもあり、大きく動きます。結果、二人は最終的に金丸・金日成会談で釈放が決定されました。

7年の間に紅粉船長の父は亡くなり、富士汽船は破産、社長は心労がたたって寝たきりになりました。また、根拠のない噂レベルの話ではありますが、自民党副総裁まで務めた金丸もこのときに北朝鮮に接近しすぎたため米国の信頼を失い、失脚します。その後、失意のうちに亡くなりました。官僚主義国家におけるたった二人の勾留が、多くの人の人生を変えました。一方、特例的な措置で日本に亡命した李英男と名乗っていた閔洪九は窃盗などで前科を重ねつつ結婚、子供を持って日本で暮らし続けます。

本書では北朝鮮との問題が起きた場合のルートとして外務省は5つ考えていたと明らかにされています。当時は通常の外交ルートのほか、議員連盟などを通じた働きかけが可能だったのです。一方、強い制裁を実施している今はそうした交流がありません。交流を狭めてまで制裁するのも、ある程度の交流を残して制裁を緩和するのも、どちらも一長一短です。表の外交ルートで行うのが筋ですが、一筋縄でいかないのが国際政治だと改めて知らされます。

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中国朝鮮ウォッチ 北朝鮮

2019年1月の金正恩訪中記念映画解説

2019年1月7日から10日にかけて、北朝鮮の金正恩 国務委員会委員長が中国を訪問、習近平 国家主席と会談しました。その訪中のようすが北朝鮮国営メディアである朝鮮中央放送で流れました。以下ではその詳細を見ていきたいと思います。

1月7日午後

00:04
タイトル「朝鮮労働党委員長であらせられ朝鮮民主主義人民共和国国務委員会委員長であらせられるわが党と国家、軍隊の最高領導者金正恩同志におかれては中華人民共和国を訪問なさった 主体108(2019).1.7-10」
00:39
左に見える赤いビル、広いプラットフォームから、出発駅はおそらく龍城(リョンソン)駅です。
00:47
金永南首相(右端)をはじめとする幹部たちがお出迎えのために待機しています。午後とはいえ、寒い中、大変です。後ろで脚立に乗って望遠レンズを構えているカメラマンが女性です。北朝鮮公式メディアのカメラマンはたいてい男性なので珍しいです。
01:15
金正恩・李雪主夫妻が駅に入ってきて、見送りの幹部たちに挨拶をします。
02:40
幹部たちが深々とお辞儀をする中、専用列車の開け放った扉から手を振る将軍様。照明がすごい。
02:47
手を振る将軍様の右後ろにいるのが妹の金与正という報道もありました。
03:00
最後尾あたりにある車両、妙にゴツゴツしています。通信機器が載っているのでしょうか。今回の訪問には李洙墉、金英哲、朴泰成、李容浩、努光鉄、李一煥(部長)、崔東明(部長)を始めとする人々が同行しました。

1月8日

04:13
丹東駅に到着、宋濤 中国共産党対外連絡部長の出迎えを受けます。左端の花束を金正恩から受け取るために待機している金与正も見えます。
04:43
列車内で会談をします。いわく「和気あいあいとした雰囲気」で行われたそうです。
06:23
現地時間1月8日午前10時半、北京に到着しました。映像では午前11時頃到着したようです。
06:40
北京駅で王滬寧 中国共産党中央政治局委員と蔡奇 北京市党委員会書記が出迎えます。その後、天安門の前にある長安街を通って釣魚台迎賓館に移動します。
09:10
宿泊先となる釣魚台迎賓館で王滬寧 中国共産党中央政治局委員と蔡奇 北京市党委員会書記、宋濤 中国共産党対外連絡部長が出迎えます。前二者は北京駅で、宋濤は未明に丹東駅で出迎えています。どうやって先回りしたんでしょう? 丹東からは高速鉄道や飛行機を使えば先回りできますが。
10:27
8日午後5時半、習近平・彭麗媛が人民大会堂にて金正恩・李雪主夫妻を出迎えます。
12:17
金正恩と習近平がそれぞれの政権幹部たちに挨拶をします。習近平は他の幹部とは片手で握手しましたが、金与正とだけは両手で握手をしています。重要人物であることが伺えます。
13:46
儀仗隊の閲兵式が人民大会堂の中で行われました。冒頭に国旗に一礼した習近平、金正恩の両国指導者。
15:42
首脳会談の様子です。北朝鮮側は金正恩、李洙墉、金英哲、李容浩が、中国側は習近平、王滬寧、丁薛祥、楊潔チ、王毅、宋濤が参加しました。
23:28
習近平の主催で歓迎式典が開催されました。場所は人民大会堂です。
34:25
習近平、金正恩が挨拶のスピーチを行い、出し物がありました。宴も酣のうちに終了しました。最後に金正恩は習近平に一礼します。礼儀正しいですね。

1月9日

35:22
午前、漢方薬製造企業である北京同仁堂のため、宿舎である釣魚台迎賓館を出発します。お出迎えに来たのは王滬寧と宋濤。
36:28
漢方薬製造企業である北京同仁堂を見学します。製造方法や経営状況についての説明を受けたようです。
38:11
満足して帰ります。帽子をとって挨拶をします。出口には目隠しのテントが張ってあります。
39:00
一度、宿舎である釣魚台迎賓館に戻ります。スタッフに挨拶をして、再度出発します。
39:40
北京飯店に行き、習近平と最後の首脳会談を行います。首脳会談のあとは午茶(アフタヌーンティー)を楽しみました。「家庭的な雰囲気」の中、行われたそうです。
43:09
午後3時、北京駅から帰途に就きます。お見送りには王滬寧 中国共産党中央政治局委員と蔡奇 北京市党委員会書記、宋濤 中国共産党対外連絡部長が来ました。将軍様の隣で顔を出す存在感のある女性は通訳(おそらく)です。

1月10日

43:36
深夜、丹東駅に到着し、列車内で宋濤 中国共産党対外連絡部長や鉄道部幹部と会談を行います。車内で習近平に宛てた親書を宋濤に渡します。北京から丹東まで高速鉄道でも6時間ほどかかるので、客車ならもっと夜遅くになったでしょう。北京駅で見送ったのにさらに国境まで見送りに来た宋濤は大変だったと思います。
44:33
お互い抱き合ってお別れです。また会うことを約束します。感動的なシーンです。金正恩の右奥には金与正の姿も見えます。6号車が専用車である可能性が一番高いですね。
45:29
行きとは違い、帰りは平壌駅に到着します。駅には「敬愛する最高領導者金正恩同志万歳!」というスローガンがかかっています。
48:00
午後3時、列車が到着します。金永南を始めとする幹部たちの出迎えを受けます。老人は口が臭いから手で覆うように、という指導を守る幹部も散見されます。
48:30
専用車で平壌駅を出発します。これにて、一連の中国訪問は終わりました。

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人民を扇動する北朝鮮文学の内情

金柱聖(2018)『跳べない蛙 北朝鮮「洗脳文学」の実体』双葉社

美人娘たちが手に持っていた大学ノートを差し出してきた。なんと、そこには『人間の証明』がびっしりと書き写されていた。(本書 p.229)

私はもうこれ以上、あの国に住む気にはなれなかった。一度見てしまった外の世界の誘惑に、勝てるはずなどない。(本書 p.260)

在日朝鮮人として生まれ、総連幹部の祖父を持つ著者が「故郷」である朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)に帰国し、文学者になった顛末とその裏事情を書いた本です。

北朝鮮への帰国船でついた人たちは、まず招待所で教育を受けます。一定期間の教育(と順応)を経て、各都市に割り振られます。みんな平壌を希望しますが、現実はそう甘くはありません。しかし総連幹部を祖父に持つ著者は幸いなことに平壌に住むことができました。しかし総連幹部は在日、日本の資本主義の影響を受けた、潜在的スパイとみなされ、割を食う場面も多くあります。

北朝鮮の文学には以下のジャンルがあります。

  1. 1号形象物
  2. 抗日パルチザン物
  3. 戦争物
  4. 歴史物
  5. 現実物
  6. 南朝鮮物
  7. 海外物

著者は在日を主人公とした文学、すなわち7番目のジャンルを担当していました。その他のジャンルを書くのは自由でしたが、金一族を題材にした1号形象物だけは限られたエリート作家にしか書くことが許されませんでした。

著者はエリート文学者の登竜門である金亨稷師範大学の作家養成班に入ろうとします。2年半に一度巡ってくるそのチャンスのため、朝鮮労働党員になり、編集者に賄賂を渡して文学雑誌に作品を掲載してもらい、文学賞まで獲得した結果、二度推薦されました。しかし、入学はかないませんでした。そこには在日という見えない天井がありました。

引用部分にある森村誠一『人間の証明』のエピソードは貴重です。100部図書といわれる作家たちだけが参考にできる外国文学の訳本です。それをまわし読みしている人たちがいること、地方の党幹部に貸したらその娘と友達が手書きで大学ノートに書き写していたエピソードが出てきます。

手書きで本を写すという中世の教会や南方熊楠を髣髴とさせる営みを、1990年代に北朝鮮のエスタブリッシュメントに近い上流階級の娘さんが行っていた。貴重な証言です。

もう一つ驚いたのは総連幹部だった祖父ですら、当時の北朝鮮の内情を知らなかったこと。どうせ日本円は使えなくなるからと日本で北朝鮮ウォンに両替するよう、帰国者に言いまわったところ、北朝鮮公式レートで両替するより日本円をそのまま持ち帰って外貨ショップや闇両替で使うほうが経済的だったのでした。

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中国朝鮮ウォッチ 北朝鮮

南北首脳会談 | 注目すべき北朝鮮関連動画

5回目 2018年9月18日

(南)文在寅大統領、(北)金正恩 委員長 於 平壌

남북정상회담 3일 연속 특별 생방송 (1일차) (풀영상) / SBS / 제3차 남북정상회담
(南北頂上会談 3日連続特別生放送(1日目)(副映像)/ SBS / 第3回 南北頂上会談)

서울에서 백두산까지… 남북정상회담을 9분으로 요약해봤습니다/비디오머그
(ソウルから白頭山まで…南北頂上会談を9分で要約してみました。/ビデオモグ)

4回目 2018年5月28日

(南)文在寅大統領、(北)金正恩 委員長 於 板門店・統一閣(北側)

깜짝 2차 남북정상회담, 문재인 대통령과 김정은 위원장 대화 풀버전!
(すぐに2回南北頂上会談、文在寅大統領と金正恩委員長対話フルバージョン!

3回目 2018年4月27日

(南)文在寅大統領、(北)金正恩 委員長 於 板門店・平和の家(南側)

[풀영상] 2018 남북정상회담 (Inter-Korean Summit)
(生中継 2018 南北頂上会談)

2回目 2007年10月2~4日

(南)盧武鉉大統領、(北)金正日国防委員長 於 平壌

Kim Jong Il Greets Roh Moo Hyun

1回目 2000年6月13~15日

(南)金大中大統領、(北)金正日国防委員長 於 平壌

6.15 남북정상회담 – 평양에서의 2박3일`
(6.15 南北頂上会談 – 平壌での2泊3日)

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中国朝鮮ウォッチ 北朝鮮

北朝鮮の指導者官邸と専用駅

指導者官邸

 北朝鮮には各地に指導者の官邸があります。特閣と呼ばれるものだと思います。

名前位置市中心からの距離座標
龍城官邸平壤市龍城区東北12km(7.5mi)39.116377 N, 125.805817 E
江東官邸平壤市江東郡東北30km(19mi)39.201381 N, 126.020683 E
新義州官邸平安北道新義州市東部8.5km(5.3mi)40.081519 N, 124.499307 E
力浦官邸力浦区東南19km(12mi)38.911222 N, 125.922911 E
三石官邸三石区東北21km(13mi)39.102224 N, 125.973830 E
平城官邸平安南道平城市西北11km(6.8mi)39.338774 N, 125.804062 E
元山官邸江原道元山市東北5km(3.1mi)39.188647 N, 127.477718 E
長水院官邸平壤市三石区長水院洞東北15km(9.3mi)39.116069 N, 125.877501 E
南浦官邸平安南道南浦市西北9km(5.6mi)38.777724 N, 125.321217 E
白頭山官邸両江道三池淵郡西北7km(4.3mi)41.857656 N, 128.274726 E
香山官邸平安北道香山郡東南15km(9.3mi)39.971916 N, 126.321648 E
安州官邸平安南道安州市東部13km(8.1mi)39.635202 N, 125.810313 E
昌城官邸平安北道昌城郡西部9km(5.6mi)40.440384 N, 125.118192 E
楽園官邸楽園郡南部5km(3.1mi)39.857744 N, 127.780674 E

龍城官邸

江東官邸

新義州官邸

力浦官邸

三石官邸

平城官邸

元山官邸

長水院官邸

南浦官邸

白頭山官邸

香山官邸

安州官邸

昌城官邸

楽園官邸

専用駅

北朝鮮の歴代指導者(金日成、金正日、金正恩)は専用列車で移動していることはよく知られています。近年でも金正恩は中国、ロシア、ベトナムを鉄道で訪問しています(シンガポールは中国国際航空のB747-400を借り上げました)。

北朝鮮国内には指導者の専用駅も存在します。ニュース映像で放送されるのは主に一般の駅を利用している姿なので、これらの駅の映像はほとんどありません。

平壌

中国に行くときなどはここからではなく、すぐ北西にある龍城駅から出発しています。

元山

元山の専用駅と特閣については38 Northが2020年4月25日の記事で詳しく解説してくれています。

参考

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北朝鮮のエリート学校、卒業できるのは4分の1

趙明哲 著/ 李愛俐娥 編訳(2012)『さらば愛しのピョンヤン 北朝鮮エリート亡命者の回想』平凡社

南山学校の生徒が軍を訪問すると、現地の司令官や将軍、軍人たちが出迎えてくれます。空軍司令部に行ったときは、有名な空軍司令官でのちに人民軍総参謀長になり、国防委員会副委員長にもなった呉克烈が出てきて、百名ほどの生徒一人ひとり握手してくれました。食事にも招待され、私の正面に金英日、その隣に呉克烈が座って、さあ食べようとしたときです。担任の先生が飛んできて、別に用意していたスプーンと箸を英日に差し出しました。彼らの健康や衛生にそれほど神経を使っていたのです。(本書 pp.33-34)

いつだったか、最高人民会議代議員の資格で地方を訪れたとき、住民たちから「せめてパンツだけでも配給してください」と懇願されたと言って、父は私たち家族の前で泣き崩れました。(本書 p.199)

さらば愛しのピョンヤン―北朝鮮エリート亡命者の回想 (-)

著者は北朝鮮のエリート階層に属していた。父は政務院建設部部長(大臣級)、母は人民経済大学教授で自身も北朝鮮最高峰の大学である金日成総合大学の教授をしていた。そんな彼が中国留学を機に韓国に亡命し、日本や米国を見たあとに、日本にいる研究者に半生を語った。その語り書きが本書のベースになっている。

まず出身の南山学校という幹部の子弟専門の学校の特殊な環境に驚く。幹部以外の人たちとは一切隔離され、最高の設備、教員で揃えられた学校だ。上記引用で出てきた同級生の金英日は金正恩の異母兄弟で、金日成の孫、金正日の息子にあたる。彼らが外車に乗って護衛付きで通学していたなど、いかにも独裁者の子弟というエピソードが出てくる一方、プレッシャーもあって彼らはよく勉強し、いい成績を取っていたらしい。

ここまでは他の国でもあるかもしれない。北朝鮮のすごいところはもう一つある。大半の同級生とは卒業できないことだ。著者の同級生60名中、一緒に卒業できたのは十数名しかいない。他の子たちは親の粛清に伴い、良くて地方か収容所、悪くて悲しい結末になったのだろう。こんな、我々には過酷で無慈悲に見える環境も外部から隔絶された北朝鮮の人たちにとっては普通なのだ。「相手を知る」ことの難しさを知る。

その他にも就職や海外留学の際は四~十親等の職場や思想、過去など入念な調査がされたり、情勢によっては金英日など「傍流」になった人と関係者を責める集会が開かれる。日常的にも思想点検や生活学習が行われるし、職場の人同士で悪い点をあげつらったりもする。生きづらい社会だと思わせられる。一方で冒頭の通り大臣でも庶民の直訴に泣き崩れたり、家族のために沿岸部の宴席で出たカニを持って帰ったり(全部ダメになってしまった)、情の深さを感じるエピソードもある。

北朝鮮という閉鎖国家。厚いベールの下にも多様な人々の暮らしが息づいている。