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レビュー

知らないスラヴ諸語のはなし

チェコ語字幕つきでチェコ映画を観ていたとき、わたしは思わずつぶやいてしまった。

そうか、伯爵はひなどりなのか。

さすがのカミさんも訝しげにこちらを窺う。

本書 p.90

両数のある言語なんて、一部の文法マニアくらいしか惹きつけないのかもしれない。

両数があると何かいいことあるのかな?

カミさん「魚座がはっきりする」

本書 p.217

本書は著者の東欧諸語にまつわる話をつらつらと書いたエッセイ集です。しかしただのエッセイ集ではありません。話題はポーランド語、チェコ語、スロヴァキア語、スロヴェニア語、クロアチア語、セルビア語、ブルガリア語、マケドニア語といった多くの言語に及びます。

筆者は上智大学ロシア語学科、東京大学大学院を出て、東京工業大学や明治大学で教鞭をとったあと、今は文筆業で生計を立てています。専門はロシア語をはじめとするスラヴ言語で、ニューエクスプレスプラス ロシア語羊皮紙に眠る文字たち―スラヴ言語文化入門をはじめとする本を出しています。

また、言語だけではなく実際にそれらの土地に行った思い出も書いています。言葉が話せるからか、往々にして東欧の人たちの優しさ(おせっかいさ?)が垣間見えるやり取りがほほえましく読めます。出てくるお酒の話もおいしそうだし、なぜか内陸で食べたイカフライまでおいしそうに感じます。

一方でライフワーク(?)でもある映画のDVDを買う話など、大変興味深い一方、少し古さを感じさせる記述もあります。おそらく2000年代前半の話かと思うので仕方ないかと思いますが、現在では多くがオンラインに移行しているのではないでしょうか。DVDと違って多言語での字幕は出ませんが…。

映画のDVDを見ているとき、著者は上の引用で上げたように伯爵とひなどりの共通点に気づきます。それはチェコ語で14ある格変化の型が、kure(ひなどり)とhrabe(伯爵)は同じだったのです。どうもこの変化型はかなり限られているようで、映画を観ていて感嘆してしまったそうです。

また、もう一つの引用で上げたのはスロヴェニア語にはある両数(あるいは双数)という概念についてです。英語では単数、複数と区別しますが、スロヴェニア語ではさらに2つの場合には両数というカテゴリを作ります。たとえば目や耳などペアのもの、「私たち2人」という場合に使うそうです。また魚座も魚が2匹描かれているため両数となるそうです。これは知りませんでした。もちろん双子座も両数だそうですが、天秤座は単数だそうです。中国語で魚座は双鱼座というので、こちらでもまた魚座がはっきりします。

著者の奥さんが『スロヴェニア語入門』を出している金指久美子さんだったとは初めて知りました。本書にスロヴェニア語の記述が細かく出てくるのも納得しました。

もし1985年にスコピエを訪れていたら、わたしの人生は違ったものになっていたかもしれない。セルビア語からマケドニア語、さらにはアルバニア語やトルコ語をつぎつぎと勉強し、バルカン言語連合研究していた可能性もある。

本書 p.329

私にもこうした可能性が少しあったのかな、と思いました。スコピエに興味が出ました。