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世界を生き抜くための知識

佐藤優、岡部伸(2021)『賢慮の世界史 国民の知力が国を守る』PHP研究所

岡部 (中略)ルームサービスでボルシチを食べていたら、いつの間にか靴と服を着たまま寝てしまった。翌朝、目覚めてから驚き、パスポートは残っているのに、財布を調べるとドル札だけが抜かれている。ドアにはチェーンロックをかけていたはずで、何が起きたのかと思い、佐藤さんがモスクワに来られた折に相談しました。

本書 p.16

佐藤 (中略)あの人たちも仕事ですから、無駄なことはしない。物取りを装うわかりやすいかたちで警告を与えたのは、おそらく「会ってはいけない人間に会っている」「とってはいけない情報を入手した」「立ち入り禁止の場所に入った」という三つのいずれかに抵触したからでしょう。

本書 p.15

本書は作家で元外交官の佐藤優と産経新聞のモスクワとロンドンの支局長を務めた岡部伸の対談風共著です。対談風と書いたのは決して対談ではなく、直前の論考を受け継ぐ形でもう一方が論考をつなげているからです。

二人の話はまずは世界情勢の生々しさを伝えるところから始まります。上記の岡部のエピソードなどはまさにその典型例で、佐藤優もあまり詳細には書いていませんが、身体がしびれる薬を飲まされた経験があるようです。外交官や新聞記者といった情報戦の真っただ中にいる精鋭には常に身の危険が伴います。

また、岡部がロンドンに駐在していたことから、英国のEU脱退や諜報活動についても話が及びます。岡部は以下のように述べます。

大陸では事前に広範囲に規制をかけるのが原則であり、英米では原則を共有したうえで規制を限りなく少なくする。両者は水と油で、いずれイギリスはEUから抜け出す運命にあると以前から見ていました。

本書 p.101

あとからでは何とでもいえますが、それでも岡部の見方は慧眼です。そして団結を示すはずのEUがコロナ禍で見せたのは、いずれの国も自国ファーストであるという生々しい現実でした。医療崩壊が起きていたイタリアを救ったのは、一帯一路で良好な関係にある中国でした。

中国、ロシアといった帝国主義的な国家が大きな存在感を示す一方、トランプ政権の誕生で混乱をきたしてしまったアメリカの存在感は相対的に小さくなりました。日本は日米同盟がある以上、アメリカとの関係を強化するのが与件です。

将来的にこれからも日本が世界の中で生き抜いていくためには、現在の教育レベルを維持し、底上げしていくしかありません。岡部は自らの息子が通っていた英国のパブリックスクールを礼賛しますが、それが成り立つのは階級社会であるからだと佐藤は指摘します。そしてぱぷりっくスクールをまねた日本の中高一貫校に入るのも、比較的裕福な家の子息たちであることも指摘します。日本は階級社会ではありませんが、徐々に階級の固定化が進んでいるのは、残念でもあります。

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うつ病は脳の病

※筆者は医者ではありません。いくつかの本を読んだ結果で書いています。診療が必要な方は難しいですが自分と合う医者を見つけてください。

うつ病は心の風邪?

うつ病では自殺の危険性が高まりますし、心筋梗塞などの一般身体疾患にかかりやすくなったり、その予後が悪化したりする可能性があります。高齢者の場合、うつ病にかかると、死亡率が1.8倍になるという報告もあります。

本書 p.14

1990年代以降、製薬会社はうつ病は心の風邪と銘打って大々的なキャンペーンを行いました。その結果、日本国内におけるうつ病患者は右肩上がりに増えました。

これは気軽に心療内科を訪れる人が増えたことと、ちょっとした気分の落ち込みもうつ病と診断する医者が増えたこと、どちらに原因があるかはわかりません。おそらくどちらもあるのでしょう。

しかし、うつ病は心の風邪というほど単純なものではありません。佐藤優などは心のこむら返り、あるいは心の骨折と言っています。気合で治るものではなく、適切な治療を施さないと治らない病です。それに慢性化する危険もあります。

うつ病の原因

現代の医学では、うつ病は心、すなわち脳の病気とされています。それとともに身体的な不定愁訴が出てきますが、その主な原因は脳です。

脳内ではいくつもの物質がやり取りされています。そのうち、うつ病に関係があるとされるのはセロトニンノルアドレナリンです。

セロトニンは精神を安定させ、ノルアドレナリンはやる気をおこさせます。セロトニンやノルアドレナリンが上手に行き渡らなくなり、気分が落ち込んだ状態が続くのがうつ病とされています。

抗うつ剤

脳内ではニューロンがセロトニンやノルアドレナリンといった物質をやり取りしていますが、そのやり取りがうまくいかなくなり、セロトニンやノルアドレナリンがうまくいきわたらなくなった結果、うつ病が発生するとされています。

現代のうつ病治療のうち、薬剤を使った治療ではセロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)やセロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤(SNRI)を使います。ニューロンがセロトニンを放出しても、隣のニューロンに届くとは限らず、そのまま戻ってきて放出元のニューロンに取り込まれる場合があります。ノルアドレナリンも同様です。そうした再取り込みを防ぐ薬がSSRIやSNRIと呼ばれているものです。

うつ病の治療ではSSRIやSNRIを最大限使用します。風邪の時に風邪薬をちゃんと飲むように、うつ病の時にはこうした薬もちゃんと飲まなくてはなりません。

薬以外のうつ病治療法

薬以外のうつ病治療法では著者が得意とする認知行動療法があります。そのうちの一つがコラム法というもので、紙を5分割にし、それぞれに

  1. 状況
  2. 不快な感情
  3. 自動思考
  4. 代わりの考え
  5. 心の変化(結果)

を書いていくというものです。以下の本を使うと認知行動療法を実践することができます。

また、うつ病の主な原因の一つに人間関係があげられます。人づきあいが楽になるヒントとして著者は以下の10個を挙げています。

  1. 自分をもっと認める
  2. 他の人のことをもっと認める
  3. 問題点は何かを具体的に考えてみる
  4. 完璧な人間関係はない
  5. 意見の食い違いを恐れすぎない
  6. 言いづらいこともしっかりと伝える
  7. 言葉に頼りすぎない
  8. 思いこみから自由になる
  9. 思い切って自分流を捨てる
  10. 困ってもよい

特に1と8は難しいのではないかと思います。認知行動療法は患者自身の訓練と根気、時間が必要です。

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死は救いか、無か?

中村 じゃあ、むしろ死は救いだと思いますか?

佐藤 それも思わないですね。死によってフェーズ(段階)が変わるということです。ちょうど子どもから大人に変わるのと同じようにね。その程度の感覚です。

本書 p.23

中村 しかし、生きることのほうが苦しいですよ。今回の死の体験で思ったのは、死は絶対的な「無」なんだなってね。つまり、痛くもないし、なんにも感じないわけですから。無感覚なんですよ。

本書 p.105

死ぬほどつらいけど怖くて死ねない、という人は多いと思います。

作家の中村うさぎは心肺停止で「臨死体験」をしました。目の前が突然真っ暗になり、すべての苦痛から解放されたそうです。以前からマンションにいては飛び降りたいと思ったり、もともと死ぬことに恐怖を感じていなかった彼女は、よりいっそう死ぬのは楽と思うようになりました。佐藤優は自殺することはないし、家族と猫のために生きているけれど、おそらく自身は病気で死ぬだろうと述べています。

イスラム教のジハード、ベトナム戦争中の僧侶の焼身自殺など、自殺を完全に禁止していない宗教は多くあります。しかし、現代の日本では自殺はよくないこととされています。拡大再生産を繰り返す(マーケット規模がだんだん大きくなっていく)社会で、自殺者を抱えるとその目的が達成できなくなるからです。

自殺する人としない人の違いは、何か超越的な(神様のような)ものを信じているか。自身の人生が「天と自分」との関係であるかどうかです。そういう発想を持っていると、自分がやったものごとを整理しようという気になるのでは、と佐藤は指摘します。

前回の投稿で指摘した通り、人間が生きる理由は根源的には「あなたは生きなければならない」というトートロジー(同語反復)になります。しかし自分のやったことにたいして時間をかけてでも責任を取ろう、と発想の転換をすることこそが、少しの希望につながるのかもしれません。

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現代までの哲学の流れを見渡す

哲学の歴史の概略を学ぶための入門書です。本書では大学の講義のように1章につき一人の哲学者の代表的著作と思想を紹介し、15章からなっています。

  • 第1講 アリストテレス『ニコマコス倫理学』
  • 第2講 デカルト『方法序説』
  • 第3講 ロック『人間知性論』
  • 第4講 ルソー『社会契約論』
  • 第5講 カント『純粋理性批判』
  • 第6講 キルケゴール『死に至る病』
  • 第7講 マルクス『経済学・哲学草稿』
  • 第8講 サルトル『実存主義とは何か』
  • 第9講 レヴィナス『全体性と無限』
  • 第10講 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』
  • 第11講 フーコー『監獄の誕生』
  • 第12講 アーレント『人間の条件』
  • 第13講 ロールズ『正義論』
  • 第14講 ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
  • 第15講 サンデル『リベラリズムと正義の限界』

ご覧の通り、古代ギリシャのアリストテレスから始まり、英米独仏とバランスよく哲学者が紹介されています。文章も会話形式になっており、先生が女子高生、サラリーマン、定年後の男性の3人の生徒に教えていく形で紹介されて行きます。これから哲学を学んでいこうとする人が挫折しない程度の分量、難易度になっています。

  • アリストテレス:いかにして人は幸せになるか? -熟慮すべし
  • デカルト:思うことこそ自分の本質 -心身二元論
  • ロック:悟性が単純観念を複雑観念にしていく ーすべては経験から生まれる
  • ルソー:一般意志としてみんなの意見をまとめる ー国民の代表たる政府は国民のもの
  • カント:対象は感性を通して直観になり、直観は悟性に思惟され概念に ー認識の取扱説明書
  • キルケゴール:自己自身から抜け出せないからこそ絶望する -死に至る病
  • マルクス:資本に振り回される労働者を解放し、働きに応じて分配する社会主義、必要に応じて分配を受ける共産主義へ ースミスを乗り越えたマルクス
  • サルトル:実存は本質に先立つ。個人の選択は全人類に対して責任を持つ。 ー一世を風靡した哲学者
  • レヴィナス:他者のおかげでこそ、私は存在する。 ー他者と私の不公平な関係
  • メルロ=ポンティ:身体こそが世界を知覚する。 -デカルトを越えて
  • フーコー:身体的刑罰から精神的刑罰へ ー権力とは何か
  • アーレント:他者を自由な存在として公的空間に迎え入れる ー言論と説得による政治を
  • ロールズ:自由、機会の均等、格差の解消 ー功利主義(最大多数の最大幸福)に代わる正義論
  • ノージック:治安・防衛・司法のみの最小国家を提唱 ーリバタリアンの始祖
  • サンデル:負荷なき自己(ロールズ)から他者の網の目の中にいる自己へ ー市民的共和主義の伝統の掘り起こし

古代ギリシャから現役の哲学者まで、幅広くフォローしているので学びやすいです。一方、哲学者と言って思い浮かべるヘーゲルに対する言及がない、近年のフランス現代思想やドイツ観念論等についての体系的な学習に対するフォローがないなど、これから哲学の様々な流れを理解する方法について言及がなく、その点は惜しく思いました。

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オールマイティーなリーダーになるための導きの書

佐藤優(2014)『「知的野蛮人」になるための本棚』PHP研究所

私から見て、一番の「本読み」は、松岡正剛氏です。それから、斎藤美奈子、鹿島茂、立花隆、佐高信の各氏。こうした「本読み」の書いた読書についての本をきちんと読んだほうがいい。(本書 p.8)

図書館は使わないほうがいいと思います。お金はかかりますが、本は本屋で買うことです。(本書 p.15)

出世したかったら『読書の技法』、楽しい会社員生活を送りたければ『人に強くなる極意』を読めばいい。すると本書は?
『読書の技法』に近いですね。(本書 p.334)

『野蛮人の図書室』の改題、再編集。前後に対談が加わっているので、本書の位置がわかりやすくなった。

婚活、労働、そば、ビールからロシア情勢まで、様々の身近なテーマを理解するための導きの手として2冊の本を紹介していく。

本書の目的は「出世したかったら読むべし」と書いてあるとおり様々な出来事に対応できる力の付け方を教えることだ。それにはまず、本書に書いてある出来事を検証できる力をつけたらよい。

冒頭に書いてある本読みを見習うことについては賛成だが、初心者には少し雑だ。松岡正剛、立花隆、佐高信、斎藤美奈子、鹿島茂の5人は確かに本読みだが読み方が違う。読書量や出世のためだったら松岡や立花を読めばいいと思うが、本を読む楽しみを追求するなら鹿島や斎藤がおすすめだ。松岡や立花はすごいし圧倒されるけど冷静に読める。鹿島と斎藤はその熱意に引き込まれて面白そうな世界をもっと見たいと近寄ってしまう。そんな差がある。こうした説明をどこかで少ししておいたら親切に思う。

また、本書で著者は図書室の司書という役割で出ている。図書館は使わない方がいい、と言っておきながら。ここは本屋の店主にでも扮して「ということは…?」「この本も買って読みなさい、ということです」と言ってオチをつけたらよかったのに、と思ってしまった。