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レビュー

同時通訳はソビエト生まれ

米原万里(2003)『ガセネッタ&シモネッタ』文藝春秋

「あーら、米原さんて、最近はもっぱら通訳業の産業廃棄物をチョコチョコッとリサイクルして出版部門へ流し、甘い汁を吸っているっていう評判だわよ」
とシモネッタとガセネッタに言われてしまった。(本書 p.107)

日本語の場合を例に取るならば、万葉集から源氏、大宝律令にいたるまで翻訳してしまっていたのだから、その奥行きたるや目も眩むほどで、イデオロギーの流布やKGBによる盗聴などというプラグマチズム(?)をはるかに超えていた。(本書 p.115)

ロシア語の同時通訳者にして作家であった米原万里のエッセイ集だ。

ガセネッタ&シモネッタという題名から、ガセネタとシモネタばかり書かれているのかと思ったらそうではない。女性にプレゼントできるぐらい上品な(知的な?)内容のエッセイがメインである。

同時通訳の誕生がソ連にあったことは、本書を読んで初めて知った。同時通訳の装置の開発は1926年、IBMによるものだった。当時の国際機関は国際連盟とコミンテルンしかなく、前者は英語と仏語がメインだったのに対し、後者は万国の労働者に団結を呼びかけていただけあって、マルチリンガルな組織だった。東京裁判にやってきた同時通訳陣にもソ連チームが入っていた。コミンテルン解散後のソ連でもその遺伝子は脈々と受け継がれ、BBCが56言語、NHKが22言語で放送されていたのにモスクワ放送は最盛期に85言語で放送していた。これは利益度外視の計画経済によるものか、ソ連の多民族に対する興味によるものかは定かではないが、同時通訳者の育成と少数言語の研究には大いに役だったことは確実だ。

本書で一つの山場となっているのはフィネガンズ・ウェイクを訳した英文学者、柳瀬尚紀との対談だ。二人とも市場経済に流れないことの大切さを共通認識としてもっている。市場経済を意識しすぎていたらフィネガンズ・ウェイクなんて訳せないし、テレビのようにバカになるものばかりが流通する(易きに流れる)。その点、ソ連は計画経済だった分、我々とは才能に対する考え方が違った。音楽でもバレエでも、才能があったらそれを金儲けに利用しようとはしない。才能がある子はただその才能を美的な高みへと登らせるために磨かせるのだ。

世界第3位の経済大国の日本ですら、市場経済を無視した才能の育成はかなり厳しい。となると、社会主義で計画経済(のはず)で世界第二位の経済大国である中国は人口も多いし、条件は揃っている。しかし現状は市場経済に振り回されている。世界はいま、才能の貧しい時代に陥っているのかもしれない。

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レビュー 大宅壮一ノンフィクション賞

真っ赤な嘘でも真実だ

米原万里(2010)[2004]『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川学芸出版

「牛乳の生産でアメリカに追いつき、追い越そうな!」

走り方が雌牛みたいだと言われたアーニャにこういう声のかけ方をする友情というかセンスはいいな、と思った。

こちらはノンフィクション。一般市民が普通に文通を続けることもままならなかった時代の、遠い国同士の友情の物語。

三十数年ぶりに旧友に会いに行く話が面白くないわけないのだけれど、それがまた国家や世界史に運命を翻弄された方々の話だけに余計に面白い。まさに事実は小説よりも奇なり。

個人的には一本筋を通して自分を崩さないリッツァや、一歩引いたクールな立場のヤスミンカには好感を持てたが、肝心のアーニャには、自分の都合のいいようないいわけで現状を受け入れている感じがあって、いまいち感情移入できなかった。巻末で斉藤美奈子が指摘しているとおり、これがあの国のあの時代の生き方だったのかもしれない。

面白さや感動とともに、いろいろと考えさせられる本だった。

ただ、佐藤優が『国家の罠』で書いているとおり、信念を曲げない生き方が一番幸せだというのは、一理も二理もあると改めて思った。

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Bunkamuraドゥマゴ文学賞 レビュー

時間を短く感じるには持ってこいだね

米原万里(2009)[2005]『オリガ・モリソヴナの反語法』集英社

おもしろい!

スターリン時代を挟んだソ連を中心とする共産主義陣営の中で翻弄されたダンサーの物語。著者の体験を糸口として始まるフィクションであるため、よく作りこまれている。共産主義の暗さを感じさせない登場人物の明るさ、感動とすがすがしさ。一気呵成に読み下した。

巻末にある著者と池澤夏樹の対談で、共産主義陣営にあったチェコの学校の方が、資本主義陣営にあった日本の学校より自由があった、という指摘は大変興味深かった。

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レビュー 読売文学賞

適切さと美しさの間の悩み

米原万里(2010)[1998]『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社

通訳や言語の話を書いたエッセイ集。語学を生業にする人にとっては、とても面白く読める本。

著者の周りが特別なのかもしれないが、下ネタやダジャレがちりばめてあって楽しく読める。

通訳とは一言一句をすべて訳すのではなく、文意を伝えられればいいのだという点には目からうろこだった。日本の大学・大学院では一言一句もらさずに読むよう訓練されるので、驚きだった。もっとも、欧米ではもっとおおざっぱな読み方をするらしいことが、鈴木孝夫・田中克彦(2008)『対論 言語学が輝いていた時代』に書かれてある。

数年前のこと、耳を疑うような発言をした女性人気アナウンサーがいた。(中略)

「私たちは子供を国際人にしたいから、家では一切日本語をしゃべらないことにします。家ではすべて英語で話すようにする」

と自信満々に云いきったのだった。(中略)

自分の国を持たないで、自分の言語を持たないで、国際などあり得るのか。
(pp.279-280)

自身も帰国子女である著者のこの指摘は、大変興味深かった。