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選挙協力で権力を狙うしたたかな共産党


「知の巨人」が暴く 世界の常識はウソばかり 単行本(ソフトカバー)

佐藤 地方には、地道に土建屋をやっていたけれどお、土建屋はもうダメだから、介護施設でもカラオケバーでもパン屋でもなんでもやろう、というコングロマリットがたくさん生まれています。そういう経営をしている人は、船井総研のファンです。

本書 pp.37-38

副島 ダボス会議への日本人の招待状は、竹中平蔵が許可を出していると言われている。日本の首相にすら竹中平蔵が許可を出す。だから竹中平蔵が日本国の代表です。いつも民間人有識者として動き回っています。公人になったら逮捕される恐れがあるからです。

本書 p.172

佐藤優と副島隆彦の対談本第5弾だそう。世界情勢を見ていろいろと話していますが、話題の中心の一つは日本共産党です。

人新世の資本論』で話題となった斎藤幸平にも、佐藤優は「旗」(しんぶん赤旗のこと)には気をつけろ、といったようです。現在、佐藤優は佐高信と名誉棄損で裁判をしているほか、共産党への批判も多く書いているようです。

前者は電事連の広告に出たら1000万円のギャラをもらっているはずだ、という荒唐無稽な話を本の中でされたからだそうで、実際にもらった額は100万円よりもっと少なかったそう。

後者は佐藤は共産党はいまだに「敵の出方論」を堅持していて、暴力革命の可能性があること、立憲民主党などと選挙協力を通じてもしかしたら権力が転がりこむかもしれないこと、そうすると共産党にすり寄る官僚が出てきて、スターリン主義の官僚になることを恐れています。

考えたくもない恐ろしい未来ですが、自民党はもしかしたら野党になるかもしれません。しかし共産党は与党側になると決して権力を手放さないと佐藤は見ています。確かに「しんぶん赤旗」の取材力も、党としての組織力もほかの政党と比べたら強いです。スターリン主義の官僚たちが生まれる未来が来ないことを祈りつつ、選挙に臨むしかありません。

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現代的でもあるファシズム

佐藤 片や、ファシズムは出自や民族、人種は問いません。そこにファシストと民族主義者や人種主義者の違いがあります。

(本書 p.65)

片山 (前略)明治国家体制では、ヒトラーのように天皇は演説もしなければ具体的命令も滅多にしない。ここに同じ束ねる原理でも大きな相違があります。

(本書 p.109)

佐藤優と『未完のファシズム』の著者、片山杜秀の対談本です。二人の対談は『平成史』に続くものです。

ファシズムはイタリアのムッソリーニが第二次大戦中に敷いた体制で、同じ枢軸国だったナチスドイツと同様、独裁体制であったと思われがちです。しかし、両者には決定的な違いがありました。

ヒトラーは人種主義を掲げ、アーリア人種以外は劣っており、ユダヤ人はこの世から抹殺しなければいけない、という排除の思想が働いていました。一方、ムッソリーニが提唱したファシズムはイタリアに協力するものならイタリア人であり、国家のためにみんなで束になって協力していこうという体制でした。排除ではなく、包摂し、束ねていく発想です。

一方の日本はどうだったのでしょう。国内の体制的には行政、司法、立法が独立して存在していました、内閣と同時に枢密院があり、内閣の決定を枢密院が覆すこともできました。内閣には各省庁の調整機能を求められました。そうしたばらばらの状況をまとめたのは、天皇でした。ペリー来航の折、まだ国内は幕府を始めとする各大名が群雄割拠する時代でした。ここでもう一度戦国時代を初めて、大きな将軍を決めても良かったのでしょうが、そんな隙に西洋から入ってこられます。だからたまたま、天皇を使って統治し始めたわけです。しかし、天皇がなにか大きな権力を奮って、それの責任を問わされたり、第二の徳川が現れたりしないよう、天皇は下から上がってきた議題の説明を受け、「あっそう」と返すだけにしていました。こうしたやり方が、日本的な未完のファシズムといえると思います。

ファシズムは危機のときに発生しがちです。ろくに議論せずに勧めていく姿勢がファシズムです。「この道しかない」という発想はファシズム的です。

しかしファシズムは弱者も包摂します。国のために頑張るものが国民なのですから、強いものが弱いものを支え、自分たちの力の限り国を支えるべきだ、という発想です。国民は多いほうが強いですし、排外主義的になると束が細ります。

本書でファシズムへの理解が深まることは間違いありません。

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「一億総滑落社会」を変えるために政治家と語る

井手英策、佐藤優、前原誠司(2016)『分断社会ニッポン』東洋経済新報社

前原 まあちょっと愚痴になりますけれども、議員年金が2006年からなくなったんです。(中略)そうすると私は国民年金だけなんです。(中略)議員生活を終えても退職金はない。いったいどうやって生きていくかというのは、私にとっては切実な問題なんですよ。
佐藤 金持ちしか政治家になれないということになっちゃいますよね、逆に。(本書 p.107)

井手 (中略)誰ということはないですけど、明らかに金持ちのボンボンが「格差是正」と言ったらみんなシラッとしますよね。
佐藤 そう。「シャッター街をなくしましょう」って、お前のおやじが創った大会社が商店街を潰したんじゃないかというような話になったらダメなんですね。(本書 p.166)

 井手英策 慶應義塾大学教授、前原誠司 衆議院議員、佐藤優による、日本の現状をいかに良くしていくかをテーマにした鼎談本です。井手は各地を調べて、例えば富山県では女性が働きに出る率が高いが、それは三世代同居に支えられているからだといった、全国に活かせそうな地方の特色を述べています。ただ、三世代同居は今後永続的に維持が可能な制度ではないこと、正社員の配偶者は配偶者控除を受けられるのに派遣社員の夫婦は配偶者控除を受けられないなど、現状の問題点も鋭く指摘します。

 三人とも、減税一辺倒ではなくて、有効活用するのだというアピールをして税をもらえば納税者も納得するのではないか、という議論を多くしています。今後の人口減を前にして、経済成長が見込みづらいとなれば、教育無償化等で充実させ、地域や共同体で助け合って暮らしていく。そうした社会にしていくのが政治の役割であると具体例を出して語っています。前原誠司という政治家が入っているからこそ、議論に真剣味も現実味も増しています。少しは政治を信じていいのかも、と思える本です。

 前原議員は八ッ場ダムの中止から再開で批判されましたが、ダム全体の見直しをして無駄を減らしたことなど、実績はあるのに有権者からは厳しい批判を浴びたなど、政治の厳しさを覗かせる発言をしています。一方で

「国民、特に政治に翻弄され続けてきた長野含め地元の皆さんには、心からお詫びを申し上げたい」(本書 p.197、太字は筆者)

と、県と書くべきところを誤変換している。電子書籍ならしれっと訂正されるのだろうけど、ちゃんと証拠が残るのは紙のいいところですね。

 前原誠司は京大法学部時代、高坂正堯(こうさかまさたか)ゼミに所属していました。弟(*1)の高坂節三 日本漢字能力検定協会理事長・代表理事は同協会の汚職事件(刑事・民事でそれぞれ裁判になった)があったとき非常勤理事でしたが、責任を取るどころか、いつの間にかトップに就任しています。そんな同氏は東京都教育委員在任中にまえはら誠司東京後援会の代表を勤めており、これは地方教育行政法違反であることが指摘されています(罰則規定はない)(*3)。

 清濁併せ呑むのが政治、私達有権者がしっかり見て、意見を言い、判断しなくてはいけません。

 冒頭の引用の「おやじが創った大会社」は某イ○ンのことを言っているのかなと思いました。

*1 【解答乱麻】日本漢字能力検定協会代表理事・高坂節三(産経新聞)
http://www.sankei.com/life/news/140823/lif1408230011-n1.html
*2 財団法人日本漢字能力検定協会について(池坊保子ブログ)
http://yasukoikenobo.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-8d56.html
*3 第177回国会 文部科学委員会 第11号(平成23年5月20日(金曜日))
http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009617720110520011.htm

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国家に寄生する官僚の暴走を防ぐ方法

佐藤優(2015)『官僚階級論 霞が関といかに闘うか』株式会社にんげん出版

危機となれば官僚階級の意思が前面におしだされます。主権者が人民でなく、じつは国家であることが露呈するわけです。リーマン・ショックの金融危機での国家介入はまさにその最たるものですし、そうした国家の介入が歓迎されます。国家の介入が歓迎されるムードが昂じれば、人民によってえらばれているのではない官僚階級の支配がせりだしてくることになります。(本書 p.267)

近代は、官僚階級が、事実上の王権の位置にいるといってもいいでしょう。(本書 p.293)

モナド新書 官僚階級論 (モナド新書010)

元官僚だった佐藤優が官僚たちに立ち向かう方法を考える方法を伝えます。

出版社の紹介ページでは構想7年と書かれてありますので、月刊佐藤優と言われるほどのペースを誇る著者にあっては、かなり練りこんで書かれた本だといえます。

丁寧ですが、読みづらいのも確かです。官僚は国家に寄生する階級だから、まずは国家の成り立ちから性質を分析します。そして国家に寄生する官僚の性質を解明し、最後にこれからの社会をより良くしていくためにはどうすればいいかを考察します。その際にマルクスやハーバマス、柄谷行人の論を参考にしています。どれも一級の知識人の書いたものを参考にしていることから、解説する形で難易度を落としているとはいえ、やはり難しいです。

現代の多くの国家は民主主義で成り立っています。民主主義は投票で国民を代表する政治家が選ばれます。これがたてまえです。実際はマルクスの言うとおり、ある階層の人々は自らを代表できず、誰かに代表してもらうしかありません。だから今の貧困層を真に代表する政治家が現れず、結局は限られた選択肢の中から選ぶしかありません。民主主義は投票でもそうですが、個人の事情を考えません。誰の一票も平等に扱われます。政治家ですら個々の事情を反映せず、本当に国民の代表にはなっていないのが現状です。国は官僚が回しているものです。政治家を選ぶのは、国民が国を動かしているように見せかけるための手続きです。

国を動かすことは、公権力を持つことです。公権力には暴力性が含まれます。小さな政府として、政府の機能を必要最小限にすると警察、軍隊、外務省しか残らなくなり、かなり暴力性が高くなります。暴力性の高い国家が国民を幸せに出来るとは思えません。暴力性を低くすることが官僚の暴走を防ぐことになります。300ページほどの本書では込み入った話をまとまりよく書いています。しかし、今の新自由主義に乗って暴力性を追求している国家(官僚)の様子を見ていると、この問題を解決するにはそうとうの時間と根気が必要になのが分かります。

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AKB、村上春樹、宮﨑駿から見える世相

佐藤優、斎藤環(2015)『反知性主義とファシズム』金曜日

佐藤 だから、沖縄の中で『風立ちぬ』がどういう感じなのかっていうことは面白いと思うんです。
斎藤 普通に感動できなくはないでしょう。まあ、カタルシスはないですけれども。
佐藤 教養の水準が低ければ感動しますよ。
斎藤 私は感動したくちですが(笑)。
佐藤 歴史知識がなければ感動します。(後略)(本書 p.177)

斎藤 韓国では、ITはけっこう選挙への影響力はありますね。アメリカでもオバマは、ネットの力で大統領になりましたから。日本だけが違います。
佐藤 だから、日本では、ハフィントンポストが今ひとつ力を持たないですよね。
斎藤 オーマイニュースもダメでしたし。ああいうのが全然流行らないです。リアルとバーチャルをつなぐ意思がないというか。
佐藤 じゃあ、やっぱりAKBみあいなのがいいわけですね。
斎藤 せいぜい握手がリアルですよ(笑)。
佐藤 抱きつくことはできないけど、握手まではできる。
斎藤 古いセリフですが「抱けないけど、抱きしめられる」ってやつです(笑)。(本書 p.239)

みんな大好きAKB48、村上春樹、宮﨑駿を題材に、現代の知性である二人が世相を読んでいきます。彼らが流行る理由はなぜなのか、そこからどんな世相が読み取れるのか。

まず最初に、二人の基本認識に大きな違いがあることを知っておかねばなりません。佐藤優は日本でもファシズムが起こりうると考えています。一方で斎藤環は日本でファシズムは起こりえないと考えています。佐藤優の考えの基礎は中世に端を発する神学で、斎藤環はラカンを中心としたポストモダンの現代思想です。

土台の違う二人の対談が噛み合わないかというとそれが意外に噛み合います。おそらく、お互いが違うことを理解しながらも、分かり合おうと真摯に向き合っているからでしょう。

本書で語るAKB、村上春樹、宮﨑駿の話は前フリにすぎません。メインテーマはタイトルにあるとおり、ファシズムです。日本でファシズムが起こりうるかどうかという問いについて、斎藤は萌芽は見られるけれども成熟しないと言います。日本のファシズム制は天皇独裁しかありえませんが、しかし天皇は国民を映し出す形での統治しか許されていないから、ファシズムは成熟しないという立場です。一方、佐藤は能力は低いがやる気のある官僚が反知性主義的な政治家を悪用するとファシズムは起こりうるとしています。

いずれにせよ、今は生きづらい世の中です。もっと生きづらい世の中にしないためには、学びながら小さな声を上げ続けるしかありません。

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資本主義で搾取され続ける我々の上手な生き方とは

佐藤優(2015)『いまを生きる階級論』新潮社

賃金というのは天井が意外と低いところにあるんですね。だから、これまた何度もいうように、残業を300時間して、死ぬまで働くってやったところで、そこで入ってくる賃金は本質的にはほぼ変わらない。

本書 p.271

やっぱり、直接的人間関係にもう一回戻って、できる範囲のところで、何がわれわれはできるのか、特に子どものために何ができるのか。そういうことを考えていくあたりから、少しずつでも始めるしかないんじゃなかなと思っています。

本書 p.299

佐藤優による資本論を解説する講座の第2シリーズです。今回も6回の講義がまとまって入っています。前回の『いま生きる「資本論」』の続きです。前回よりも話し言葉が多く入っていて、講義っぽさが出ています。

資本主義社会の仕組みを明らかにして、その中でどう生きていくかを考えていく連続シリーズで、このあとは宗教の説明に入っていくそうです。

資本主義は偶然に誕生しました。イギリスでたまたま寒波が襲い、その時に余っていた農民を羊毛生産のために雇用したのが始まりです。それ以来、何故か世界のほとんどを席巻し、次第に人々を消耗していっています。

資本主義には基本的には二つの階級しかありません。労働者と資本家です。地主もいますが、不労所得で利潤を得る時点で資本家とみなしても構いません。資本家は自らの資本を最大化させることを目的としています。そのために、労働者には毎日仕事が出来るだけの衣食住、たまにリフレッシュするためのレジャー、そして技術革新についていけるだけの教育の費用を盛り込んだ額を給料として渡します。それ以上のべらぼうな額は渡しません。

結局、年収5千万円を得ることはないのです。ましてや100円ローソンでだいたいが揃う世の中、月15万円あれば東京でも一人で暮らしていけます。そうすると、資本家は賃金を下げようとしてきます。そこで現政権みたいに、政府が企業に給料を上げろというわけですが、それは国家の統制ですから、健全な資本主義とは言えません。そんな国ではまともな企業活動を起こす気になれませんし、長期的に見て経済力が衰退します。それを見通して手を打つのが、政治の役割のはずです。

では、そんな中で私達は何ができるか。資本主義の性質を理解し、市場主義経済の外にある友人や家族の人間関係を大事にする。そしていつか来る資本主義の次の制度に期待して、準備をすることが、唯一の対策です。そのために資本論を読み、資本主義の限界を知ることが必要になってきます。

本シリーズは非常に良く出来ていて、資本論が分かりやすく解説されています。買って損はない2冊です。


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大きな国々の隙間を生きる小さな国の人々

佐藤優(2015)『プラハの憂鬱』新潮社

その夜は将校宿舎の自室に戻ってからも、なかなか寝付くことができなかった。いま、ベーコンズフィールドの陸軍語学学校でロシア語を勉強している自分が、なにか大きな過ちを犯しているような気がしてきた。(本書 p.161)

しかし外務省での将来について、今から考えても意味がない。とりあえず、与えられた環境を活用して、英語とロシア語を修得することに全力を尽くす。(本書 p.247)

プラハの憂鬱

佐藤優の自伝のうち、英国での後半を描いたもので、『紳士協定―私のイギリス物語』の続き、『自壊する帝国』の前にあたります。

英国でのホームステイを終えて陸軍語学学校でロシア語の語学研修を受けながら、自らの専門であるチェコ神学研究への足がかりを築いていくお話です。

当時はまだまだ冷戦のさなか。だから現代の私達の皮膚感覚では分からないことも多く書かれています。たとえば、モスクワで勤務する外交官は社会主義体制にとって有害な人物ではないからチェコにも入りやすいとか、モスクワに送る荷物には禁書があってもばれないだろうといった話が出てきます。社会主義陣営と民主主義陣営の対立の隙間をぬって、佐藤氏は研究を進めていきます。

佐藤氏の先生となるのはチェコ人の古書店主です。ロンドンに留学に来たら革命が起きて帰れなくなった店主は、そのままBBCの仕事をし始め、ケンブリッジ大学でチェコ語を教える女性と夫婦になります。英国の体制側に関わった彼らは、もうチェコの土地を踏めないばかりか、迷惑がかかるからと親戚との連絡すら取りません。

そんな中できることは、チェコの思想を西側に伝えることです。チェコでは外貨獲得のためと宗教の自由をアピールするために、ある程度の宗教書が出版されていました。それをチェコ人の古書店主を介して大英博物館や米国の議会図書館に入れ、その代わりに西側の科学技術書や辞書をチェコに提供していました。

ふらりと現れた佐藤氏に、店主はチェコの思想、チェコ人の考え方、今後の見通しについてレクチャーをします。小さな国で生きているから、国家としての生き残りを考えるために長いものに巻かれることもある。そんな小さな国のことを知るためには、不愉快だけども大きな国から見た歴史を知らなければならない。一つ一つの教えを佐藤氏は虚心坦懐に聞いていきます。後の彼の著作を読むと、この頃に得た知識が大きな影響を与えていることが読み取れます。

「(前略)どの国でも知識人は自分の居場所を見つけることが難しい。特にチェコスロバキアのような小国の知識人は、この世界で生きていくことに二重の困難があります」
「二重の困難?」
「そうです。知識人であることからもたらされる困難と小国の国民であることから生じる困難です」。(本書 pp.95-96)

困難があるからこそ、チェコには傑出した知性が生まれたのでしょう。

将来について悩む佐藤氏の姿には、今も当時も若者の生きづらさは変わらないのだと実感できます。それを克服していく過程で、宗教や思想、そして何より人との出会いが重要であるということが、本書を通じで理解できます。


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資本論を知らないピケティ

池上彰、佐藤優(2015)『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』朝日新聞出版

日本も、教育と生涯給与がリンクするアメリカ型のシステムになってきた。これによる社会的なストレスがどうなるかというシミュレーションをきちんとしておかないと、大変なことが起こるかもしれない。(本書 p.44)

『資本論』は、理解するのに1年かかる。それには特定の読み方を押し付けるのではなく、論理的に正しい読み方をすることが必要なんです。(中略)しかしそこで一回その方法を身につけてしまうと、これは華道や茶道、あるいは外国語能力と一緒で、一生使って運用できる。(本書 p.141)

希望の資本論 ― 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか

不安な時代だからこそ『資本論』を読みなおす。

『資本論』はソ連の崩壊で共産圏がなくなった今、無価値になったのではありません。逆に今こそ、共産主義者というレッテルをはられず、虚心坦懐に『資本論』と向き合える時代なのです。

現代社会は全世界的に格差が増えています。賃金が上がり派遣社員が増えているということは、正社員の収入は増える一方、100円均一や吉野家などを使えば派遣社員も安い給料でもどうにか暮らしていける世の中になっているということです。しかし、結婚や子育てとなるとお金がかかります。経済の格差が教育の格差へとつながり、階層が固定化されます。そこでたまった鬱憤は、いつか何らかの形で発散されるはずです。それが、ISだったり新興宗教だったりします。

そんな不幸な時代だからこそ、『資本論』が役に立ちます。

『資本論』を読むと、資本主義経済の限界が見えます。そして自分はその中でどのような位置にいるか、全体の潮流に巻き込まれないためにはどうすればいいのかを判断する力が、『資本論』によって身につきます。生きづらい世の中を少し突き放して見ることで、巻き込まれないようにする。そういう人を少しずつ増やしていって社会を変えていければ、世の中がましになりそうです。

巻末には『21世紀の資本』の著者、ピケティと佐藤優の対談が収録されています。ピケティは『資本論』について「読むのはとても苦痛です」と語るほど、マルクスについては重要視していません。彼は多くのデータを集め、誤りがあったら修正していく形で現代社会の経済を明らかにし、格差是正を政治に求めます。政治で格差が解決できるはず。彼はあくまでも理性を信頼します。

一方、『資本論』はあくまでも労働者を生かさぬように殺さぬようにするのが資本家だと指摘します。理性を信じるかどうか。ここがマルクスとピケティの大きな違いと言えそうです。

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大変な時代だからこそ知の力で生きる

佐藤優(2015)『危機を克服する教養 知の実戦講義「歴史とは何か」』角川書店

アベノミクスも瑞穂の国資本主義も、私は念力主義の現代版だと思っています。現実的にはどう考えても、明らかに圧倒的大多数の国民生活の水準を下げていきます。そうすると子どもに高等教育を与えることが難しくなってくる。その結果、日本全体の知力は、世代交代によって低下するでしょう。社会の力も明らかに落ちていきます。そうしたところに向かっていると思うのです。(本書 p.231)

危機を克服する教養 知の実戦講義「歴史とは何か」

本書は佐藤優が朝日カルチャーセンターで行った連続講義に大幅な加筆を行って上梓したものである。

現代は危機の時代である。これを前提に、危機の時代をどう把握し、どう生きていくかを考える。

アベノミクスによる物価や株価の上昇はぱっと見るといい傾向に思える。だけど株式は所詮擬制資本。単なるデータであり実態ではない。物価上昇も目標は2%となっているが、一方で賃金は2%も上昇しない。名目上の賃金は上がっても、それ以上に物価が上がるのだから可処分所得は減っていき、圧倒的大多数の暮らしはどんどん貧しくなる。

少し考えたら簡単に分かるアベノミクスの限界。だけどそれに気づかないのか気づかないフリをしているのか、政権支持率は高い。そこに佐藤は反知性主義があるという。

反知性主義を「ふわっとした民意」と言い換えて上手に乗ったのが橋下徹だ。今の日本ではそうした傾向があちこちに見られる。

この傾向を推し進めると、日本は貧しくなり知力も下がり、戦争しやすい国、仕掛けられやすい国になっていく。明らかに我々のためにならない政策を行っている政権を我々は支持している。

生きづらい時代だからこそ耐えて知力をつけていくしかない、というのは、悲しいけども唯一の希望だ。

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580人が東京駅で大乱闘を繰り広げた昭和の左翼運動

立花隆(1975)『中核VS革マル(下)』講談社

あらゆる権力の退廃は、思想・信仰の自由を踏みにじるところからはじまる。そして、権力による思想・信仰の自由の圧殺は、必ず革命思想・革命信仰の自由の圧殺からはじまる。それと同様に、あらゆる革命の退廃は、反革命思想・反革命信仰の自由の圧殺からはじまる。(本書 p.199)

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

前回紹介したものの続きである。

大衆運動を大々的に行う中核派、一方で組織づくりをする革マル。中核派は活動家が逮捕されて次第に力を失うとともに、革マルが組織づくりを終えて力をつけていく。次第に革マルが優勢になっていく。角材から鉄パイプ、バールに塩酸と次第に暴力がエスカレートしていった。だかある時期から、また中核派が盛り返す。これは暴力の方法に両者の思想の違いが現れたためだ。

中核派は国家権力への武力対決という発想で軍事組織づくりを行った。「職業軍隊中央武装勢力プラス国民皆兵の発想にたっている」(本書 p.151)一方、革マル派国家権力に武装対決するために作った軍事組織ではない。特殊な党派闘争専用の組織だった。だから終盤において全党をあげて戦った中核派が盛り返してきたのだ。

激しい戦闘中には、もちろん「誤爆」もあった。1974年9月5日、中核派は赤坂見附駅で在日朝鮮人女性(21歳)の顔と頭を狙い撃ちし、二週間以上の重傷を負わせた。当初は知らぬ存ぜぬを通していたが、事件後6日経ってから、機関紙にお詫びの文章を出した。在日団体の猛抗議があったことを伺わせるエピソードだ。

冒頭のお話は1973年12月23日、芝公園で集会をして東京駅までデモをしてきた中核派500人を革マル派武装部隊80人が襲った。結果5名重傷2名重体となった。この他、地方から状況すべく集まった全学連中央委員会メンバーを中核派が名古屋駅で迎え撃つなど、激しい戦闘が行われていた。当時は一般乗客にも影響が出ていたらしい。今となってはすっかり埋もれている史実だ。


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