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脳のクセと限界を知る

小林朋道(2015)『ヒトの脳にはクセがある 動物行動学的人間論』新潮社

「人間はさまざまな測定機器や、数式を含めた理論を作り上げ、生身では知覚できないような物質の構造や宇宙の歴史などについて理解を深めてきたが、結局のところ、実在(真の外界)に到達できるのか、実在を真に理解できるのか?」
 動物行動学の視点から言えば、無理である。

本書 p.36

「相対性理論」も「量子力学理論」も、われわれの外界の事物・事象という同一の”象”の断片を正しく反映する把握を行っているのである。

本書 p.174

本書は動物行動学者の著者が人間の脳のクセについて書いた本です。人間の脳のクセは興味深く、特定の画像の中からヘビを含む画像を見つけるスピードが顕著に早いのは世界的にみられます。また、現代人にも特定恐怖症といわれる精神症があり、「猛獣」「ヘビ」「クモ」「高所」「水流」「落雷」「閉所」に対する恐怖症が先進国、発展途上国で共通してみられます。

本書ではそうしたクセは狩猟採集時代の名残と言います。しかし、本当にそうなのでしょうか。ヒトの場合、狩猟採集のあとに農耕や漁撈を生業としてきた人々も多くいるはずです。上記の特定恐怖症は何も狩猟採集に限りません。生業が濃厚や漁撈に移っても、それらが生命の危機と直結するものだったことは容易に想像できます。

一方で、現代の主な死因である刃物や拳銃、自動車に対する特定恐怖症が見られないというのは興味深い指摘です。数万年たてばまた数万年間の生き方に適応した特定恐怖症が出てくるのかもしれません。

本書で述べられている、「真の外界」や「意識」などは、オオカミがオーロラを見ても理解できなかったり、月へ到達するロケットを作れないのと同様、人間の脳には理解できないと述べているのはなるほどと納得させられました。

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1ヶ月以上太平洋を漂流した漁師をとりまくノンフィクション

「船では年よりから奴隷のようにこきつかわれ」、「カネなんか一銭も見たことがない」「昭和だったのに明治時代のような生活」だったという。

本書 p.200

突然、はじまった衝撃的な告白に、私は自分の予定調和がこわされたときに特有の当惑を感じた。いったいこの人は何を言い出だすのだ。

本書 p.372

1994年3月17日、フィリピン・ゼネラルサントス市近くの海で漁師が救命筏を発見しました。中には日本人船長とフィリピン人船員、9人の漁師が衰弱した状態で乗っていました。船長だった本村実は沖縄県宮古島市の漁師でした。彼らは太平洋を37日間も漂流していました。

どうしてもその話が気になった著者は、沖縄まで行き、本村のインタビューを試みます。しかし、電話口に出た妻から「十年ほど前から行方不明になっているんです」という衝撃の言葉を聞かされます。 漂流して助けられた本村は8年間船に乗らなかったものの、その後乗った船でまた行方不明になったのです。

この顛末になにか引っかかるものを感じた筆者は、本村の生まれ故郷である宮古島市佐良浜の漁師に話を聞き、実際に向かいます。佐良浜には神殿を彷彿とさせる白亜のコンクリート造りの家が所狭しと並んでいました。これも遠洋漁業の恩恵です。 戦前からカツオ漁業を生業とし、戦後はマグロ漁船に活躍の場を移した佐良浜の人たちにとって、遠洋漁業に出るのは当たり前のことでした。

江戸時代から続いていた沿岸漁業が水中メガネの発明により追込漁に、そして戦前のカツオ漁、戦後のマグロ漁へと続いていきます。教員が1%、役場勤めが1%、残りは漁師、水は海辺の井戸に汲みに行くといった貧しい漁村にとって、選択肢はそれしかありませんでした。そこには私たち陸の民と違う感覚を持ち、ルールで生きる海の民たちの世界がありました。

漂流をした本村の親戚縁者はもとより、出身の沖縄や仲間由紀恵の祖父(彼女の父はマグロ漁師だったそうです)を含む池間島の漁業に詳しい人たち、さらには本村の乗っていた船会社の社長、本村と一緒に漂流をしていたフィリピン人漁師のほか、救助した側のフィリピンの漁師にまで話を聞きます。冒頭の引用で示したとおり、著者はある種の面白いストーリーを組み立てて話を進めがちなきらいはありますが、軌道修正しつつ、ぐいぐいと事件の姿に迫っていきます。少しずつ明らかになる海の民たちの感覚には驚かされました。

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レビュー 谷崎潤一郎賞

二つの世界が交わっていく: 世界の終りとハードボイルドワンダーランド

村上春樹(2010)『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』新潮社

いずれにせよ、老人が指摘したように、この街にとって僕は弱く不安定な存在なのだ・どれだけ注意してもしすぎるということはない。(本書上巻 p.298)

私はこの世界から消え去りたくはなかった。目を閉じると私は自分の心の揺らぎをはっきりと感じとることができた。それは哀しみや孤独感を超えた、私自身の存在を根底から揺り動かすような深く大きなうねりだった。(本書下巻 p.393)

物語は二つの話が別々に進んでいきます。ある数字をある数字に変換する計算士という仕事をしている私が、ライバルである記号士による謀略、抗争に巻き込まれていく話が一つ、もう一つは城壁で囲まれたふしぎな街に連れてこられ、影を切り離されて夢読みという動物の頭蓋骨からそれが持っている記憶を読んでいく仕事をする私の話です。これら二つの話が、やがて一つの世界に交わっていき…。

本書では村上春樹の独特の世界観、知らず知らずのうちに不思議な世界に巻き込まれていくという筋書きが成立しています。計算士の私はあるクライアントの仕事を請けおって以来、記号士との抗争に巻き込まれてしまい、自らの力では抗しがたい運命に巻き込まれて行きます。

ふしぎな街に入って影を切り離された私はなぜここに来たかわかりませんが、夢読みという仕事を任され、街の人々と交流を広げていき、街独特のルールに従って生きていきます。こちらもまた、自らでは抗しがたい運命の中で生きていきます。

しかし、どちらの世界の主人公も運命に流されるままでは終わりません。どうにかして自らの希望が持てるほうに持って行こうともがきます。もがく中で、どちらも自分にとって大切なものが何か分かっていきます。それぞれの世界(あるいは宇宙)において、自分にとって大切なものが何かを改めて考えさせる物語、と言っていいかもしれません。

本書、私の高校の国語教師がお勧めしていました。また、職場の同僚の村上主義者も一番好きなのは本書と言っていました。しかし、私はダンス・ダンス・ダンスの方が好きです。



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二人とも、ただものではあらない。

村上春樹、川上未映子(2017)『みみずくは黄昏に飛びたつ』新潮社

僕はただそれを「イデア」と名づけただけで、本当のイデアというか、プラトンのイデアとは無関係です。ただイデアという言葉を借りただけ。言葉の響きが好きだったから。だいたい騎士団長が「あたしはイデアだ」と自ら名乗っただけのことですよね。彼が本物のイデアかどうか、そんなことは誰にもわからない。(本書 p.155)

-やっぱりわたしなんかも文体でしたよね。『乳と卵』という小説にかんしても文体のことしか言われないぐらいの感じだった。
村上 あれ、文体のことしか言うことないよ。(本書 p.229)

 前回、村上春樹『騎士団長殺し』について私もレビューを書きました。長々と、イデアとメタファーの説明をつけて。

 だけどどうしたことでしょう、本書で筆者から、本当はイデアもメタファーも響きがいいだけで、通常使われている意味とは全く関係ないといわれるではありませんか! 私はてっきり巷で使われている意味で使われているのだと受け止めました。そして対談相手の川上も。村上の答えを聞いて「イデアっていったら、イデアでしょう。わたし、おさらいしてきたのに……」と嘆いています。その気持ち、よくわかります。

 こんなことが開陳されるインタビュー、最初の方は村上春樹の答えが少なく、川上未映子が話している場面が多いです。芥川賞作家とはいえ、昔から村上ファンの川上さん、空回りしてないかな。ちょっと空気の読めない人なのかな、と心配になるぐらい。だけど回を重ねることに二人が打ち解けていて、会話も滑らかに進みます。周到な準備のおかげでしょう。

 話は『騎士団長殺し』にとどまらず、過去の小説やほかの作品、小説そのものや書き方、女性観、死生観にまで及びます。フェミニストの川上はなぜ村上春樹の作品では女性が性的な役割を担わされているのか、と切り込みます。村上はあまり意識したことがなかった、と答えます。

 村上春樹は小説を一日10枚書く間、ほぼ無意識的に話を内面からすくい上げている印象があります。このシーンが何のメタファーかも考えず、物語の赴くままに。そして何度も校正をして仕上げます。きわめて個人的な作品ですが、それが世界的に支持されるのだから、人としての大事な共通項(川上は「地下二階」と表現しています)を描いているのでしょう。

 ただ、本人は安心していません。いつ本が売れなくなるか分からない。そうなったら青山にジャズバーでも開きたい、と自由に発言しています。それはそれで楽しそう。

 最後はお互い関西弁まで飛び出すほど盛り上がった対談、読んでいても楽しいです。惜しむらくは二人の対談の様子の写真が帯にしかないことです。もっと見たかったと思います。


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騎士団長殺し-イデアとメタファーで世界を描き変える

村上春樹(2017)『騎士団長殺し』新潮社

「(前略)あたしはただのイデアだ。霊というものは基本的に神通自在なものであるが、あたしはそうじゃない。いろんな制限を受けて存在している」(本書第1部 p.352)

「どんなものごとにも明るい側面がある。どんなに暗くて厚い雲も、その裏側は銀色に輝いてる」(本書第2部 p.90)

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編

 いつでも話題作になる村上春樹の最新作です。

 物語は肖像画家である主人公の男性が美大時代の友人から紹介された家で、その家の前の住人で友人の父でもある雨田具彦の絵「騎士団長殺し」を屋根裏で発見したことから始まります。ある日、午前2時、どこからともなく鈴の音が聞こえます。その音は家の敷地内にある祠の裏から聞こえ…。

 あとはいつものパターンです。男は穴に入りたがるし、男女はセックスするし、主人公は理屈では説明できないけどすべきことをしていきます。

 主人公の「私」はイデアとメタファーを手がかりに、目の前に立ちはだかる問題を解決しようと試みます。

 イデアとメタファーってなんでしょう?

 イデアは私たちが認識に使う枠です。プラトンの哲学でよく出てきます。たとえば、私たちはダックスフントを見ても、マルチーズを見ても、柴犬を見ても、彼らを「犬」と認識します。おそらく、ダックスフントとマルチーズと柴犬の間にある共通点を見つけて、彼らを「犬」と認識します。その共通点をイデアといいます。ダックスフントは犬のイデアを持っているから、犬と認識できるのです。一方、アライグマは犬のイデアを持っていないから、犬とは認識されません。犬のイデアは私たちの頭の中にありますし、実際の犬も持っているものでしょうが、犬のイデアそのものが目に見えるわけではありません。

 メタファーは隠喩です。「還暦は人生の夏だ」、「彼は糸の切れた凧だ」のような使い方をします。「○○のような」といい方をせずに表現する比喩です。

 よく考えると、現実のモノゴトはイデアのメタファーといえるかもしれません。マルチーズは犬のイデアのメタファーです。あるいは一連の出来事はいいこと/よくないことのメタファーかもしれません。

 では、主人公の「私」が描いていた肖像画は、イデアなのでしょうか。それともメタファーなのでしょうか。不思議な体験を経て、「私」の描く絵は一層深みを増しますが、また一方で自身への力不足も痛感しています。彼の描く肖像画はイデアでもあり、メタファーでもあるのでしょう。

 しかしそれは私たちも同じです。相手の考えていることを、メタファーを通じてイデアに肉薄する。あるいは私たちの考えであるイデアをメタファーを用いて伝えています。そうして人とのかかわり方や世界への向き合い方、あるいは世界そのものを変えていきます。

 なお、雨田具彦のモデルはおそらく、熊谷守一でしょう。「「気が散るから」という理由で文化勲章の受章は断ったが」(本書第1部 p.82)という記述があります。画家で文化勲章を断ったのは熊谷守一しかいません。仙人然とした雰囲気と大きな鼻が、なんとなく雨田具彦を彷彿とさせますね。



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生涯を賭けた美しい生き方

紀田順一郎(1982)『生涯を賭けた一冊』新潮社

諸橋轍次はこの稿執筆現在、満百歳に達し、(中略)時おり寂しくなって川上を呼びつける。つい先日(一九八二・一)にも「すぐ来てくれ」といわれて出かけると、「ぼくはもう仙人の心境に入ろうとしているんだよ。毒気が全部なくなってね」と語ったという。(本書 p.140)

趣味が嵩じての官能的なよろこびと学究精神との幸福な一致-『釣技百科』の魅力は一にかかってこの点にあるといえよう。古今独歩の釣書といわれる所以である。(本書 p.181)

荒俣宏の師匠である紀田順一郎が書いた本です。この本の中には、生涯をかけて一冊の本を書き上げた人たちが取り上げられています。必ずしも一生涯のうちに一冊しか出さなかった人ではありません。ただ、ライフワークとして取り組んだ本のある人達が取り上げられています。

本書で取り上げられた本を以下に紹介します。そのうちの多くは、今となっては顧みられていない本であることが分かります。

  • 一念を貫いたライフワーク―文倉平次郎『幕末軍艦咸臨丸
    咸臨丸に惚れ込み、明治31年に現地の墓地の事務員になってまでアメリカで命を落とした乗組員の墓を見つけ、供養した人の著書。
  • 初期探検家の栄光と挫折―岩本千綱『三国探検実記
    明治29年、新たな貿易相手国を探しにシャムからラオス、ベトナムへと僧侶姿で探検した明治人のお話。現地の人に僧侶と間違われ、流行歌をお経のように歌ってはキニーネなどの西洋薬を渡して米などをもらって旅を続けました。追い剥ぎや大虎に遭遇しつつも、どうにか旅を終えました。その後、ひ孫が足跡を辿った文章を書いています。(大坪治子「『暹羅老撾安南三国探検実記』 岩本千綱の身辺」新人物往来社『歴史研究』,第351号,1990年7月号,62頁)
  • 奈落の底から―山本作兵衛『王国と闇
    炭鉱での凄絶な暮らしを絵で描いた炭鉱夫の本。小学校の頃から一銭で粗末な西洋紙を5枚買い、それを15枚に細く切って絵の練習をしていました。寿命25年と言われる山の暮らしをし、68歳で初めて画用紙を買って絵を描き始めます。出した画集は第36回西日本文化賞(社会文化部門)を受賞し、世間の注目を浴びます。その後も描き続け、福岡県教育文化功労者などを受賞し92歳で死去。山本の絵は現在、世界記憶遺産に認定されています。
  • 書物と人生を語る―田中菊雄『現代読書法
    本好きという共通点を持つ紀田順一郎が惚れ込んだ本。たくあんだけを食べて1年過ごしてまで本にお金をつぎ込んだ著者は列車給仕をしながら英語を勉強し、小学校の代用教員、中学校教師を経て戦後は山形大学教授にまでなりました。
  • 管理機構の中の野人学者―牧野富太郎『牧野日本植物図鑑
    言わずとしてた植物学者、牧野富太郎。在野の、と言われるが、そうではなくて近代学制以前の教育は受けたものの、近代の学制に上手に入れなかっただけだった。彼の残した標本は20年間に300人のアルバイトを雇って整理しました。また、標本を包んでいた古新聞から当時の採集範囲が推定されました。(牧野は覚えていたのでどこで採集したかを書き込んでいなかった。)
  • 三十年の苦闘とその協力者たち―諸橋轍次『大漢和辞典
    中国に留学して一日に7・8時間も本を読んでいたけれど、良い辞書がなくて困ったため、辞書をつくることにしました。大修館書店の創業者である鈴木一平が採算を度外視し、自らの子息に学校を中退させてまでして支援しました。諸橋は五十歳を過ぎる頃から白内障を患い、六十歳頃には失明同様となってしまいました。三十五年の歳月と二十五万八千人の労力、時価九億円を投じて大漢和辞典は完成しました。吉川英治は合計三組、大佛次郎は二組を揃えました。中国も500セットを購入しています。補巻の完成した2000年までには七十五年の歳月がかかりました。
  • ある教育者のバックボーン―玖村敏雄『吉田松陰
    同郷人の吉田松陰に惚れ込んでその一生涯を書き続けた人です。吉田松陰がいつなにを言い、何をしていたかを全て覚えていました。また筆跡も「松陰先生にしてはできすぎている」と評するほどに見抜けました。そうした松陰の思想がバックボーンにあったから、戦後は文部省でGHQと渡り合い、タフネゴシエーターとして対等に議論できました。
  • 趣味の高峰に名著一冊―松崎明治『釣技百科』
    これはamazonにも出ていない本。ヤフオクなどでたまに出ています。九百ページのうち一ページのムダもないと言われた本です。出たのは戦時中の1942年。時代だけに不要不急の本は出せなかった。だからこの本は「銃後の生活に重視されるのは『技術』である」と説いて出版した。しかし中身は釣り好きの愛が詰まった文章で書かれています。
  • 足で書いた庶民の街―山下重民『新撰東京名所図会
    我が国のグラフ雑誌の嚆矢とも言える本です。丸の内がまだススキ野で子どもたちがトンボを追いかけている様子や吉原など江戸の名残のある景色が描かれています。今となっては見ることのできない、当時の写真より迫力のある絵で東京のあちこちが描かれています。

今でも比較的よく知られているのは諸橋轍次と牧野富太郎ぐらいでしょうか。

山本作兵衛などの本は古本市場では高値で取引されているので、今でも根強いファンはいるようです。また、朝日新聞朝刊の鷲田清一の連載「折々のことば」でも

「先生もおらん。無学で絵の価値もなか。ばってん、ムガクは六学とも書きましょうが、五つばかり学問が多い、ち。エッヘッヘ」

http://www.asahi.com/articles/ASJ9N41LQJ9NUCVL00W.html

という山本作兵衛の言葉が紹介されています。(2016年10月2日)

生涯をかけて編まれた一冊は濃さが違います。今は顧みられていないかもしれませんが、それは価値が無いのではなく、たまたま忘れられているだけです。こうした本は、世間が忘れている間に読むのがいいのかもしれません。

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資本主義で搾取され続ける我々の上手な生き方とは

佐藤優(2015)『いまを生きる階級論』新潮社

賃金というのは天井が意外と低いところにあるんですね。だから、これまた何度もいうように、残業を300時間して、死ぬまで働くってやったところで、そこで入ってくる賃金は本質的にはほぼ変わらない。

本書 p.271

やっぱり、直接的人間関係にもう一回戻って、できる範囲のところで、何がわれわれはできるのか、特に子どものために何ができるのか。そういうことを考えていくあたりから、少しずつでも始めるしかないんじゃなかなと思っています。

本書 p.299

佐藤優による資本論を解説する講座の第2シリーズです。今回も6回の講義がまとまって入っています。前回の『いま生きる「資本論」』の続きです。前回よりも話し言葉が多く入っていて、講義っぽさが出ています。

資本主義社会の仕組みを明らかにして、その中でどう生きていくかを考えていく連続シリーズで、このあとは宗教の説明に入っていくそうです。

資本主義は偶然に誕生しました。イギリスでたまたま寒波が襲い、その時に余っていた農民を羊毛生産のために雇用したのが始まりです。それ以来、何故か世界のほとんどを席巻し、次第に人々を消耗していっています。

資本主義には基本的には二つの階級しかありません。労働者と資本家です。地主もいますが、不労所得で利潤を得る時点で資本家とみなしても構いません。資本家は自らの資本を最大化させることを目的としています。そのために、労働者には毎日仕事が出来るだけの衣食住、たまにリフレッシュするためのレジャー、そして技術革新についていけるだけの教育の費用を盛り込んだ額を給料として渡します。それ以上のべらぼうな額は渡しません。

結局、年収5千万円を得ることはないのです。ましてや100円ローソンでだいたいが揃う世の中、月15万円あれば東京でも一人で暮らしていけます。そうすると、資本家は賃金を下げようとしてきます。そこで現政権みたいに、政府が企業に給料を上げろというわけですが、それは国家の統制ですから、健全な資本主義とは言えません。そんな国ではまともな企業活動を起こす気になれませんし、長期的に見て経済力が衰退します。それを見通して手を打つのが、政治の役割のはずです。

では、そんな中で私達は何ができるか。資本主義の性質を理解し、市場主義経済の外にある友人や家族の人間関係を大事にする。そしていつか来る資本主義の次の制度に期待して、準備をすることが、唯一の対策です。そのために資本論を読み、資本主義の限界を知ることが必要になってきます。

本シリーズは非常に良く出来ていて、資本論が分かりやすく解説されています。買って損はない2冊です。


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大きな国々の隙間を生きる小さな国の人々

佐藤優(2015)『プラハの憂鬱』新潮社

その夜は将校宿舎の自室に戻ってからも、なかなか寝付くことができなかった。いま、ベーコンズフィールドの陸軍語学学校でロシア語を勉強している自分が、なにか大きな過ちを犯しているような気がしてきた。(本書 p.161)

しかし外務省での将来について、今から考えても意味がない。とりあえず、与えられた環境を活用して、英語とロシア語を修得することに全力を尽くす。(本書 p.247)

プラハの憂鬱

佐藤優の自伝のうち、英国での後半を描いたもので、『紳士協定―私のイギリス物語』の続き、『自壊する帝国』の前にあたります。

英国でのホームステイを終えて陸軍語学学校でロシア語の語学研修を受けながら、自らの専門であるチェコ神学研究への足がかりを築いていくお話です。

当時はまだまだ冷戦のさなか。だから現代の私達の皮膚感覚では分からないことも多く書かれています。たとえば、モスクワで勤務する外交官は社会主義体制にとって有害な人物ではないからチェコにも入りやすいとか、モスクワに送る荷物には禁書があってもばれないだろうといった話が出てきます。社会主義陣営と民主主義陣営の対立の隙間をぬって、佐藤氏は研究を進めていきます。

佐藤氏の先生となるのはチェコ人の古書店主です。ロンドンに留学に来たら革命が起きて帰れなくなった店主は、そのままBBCの仕事をし始め、ケンブリッジ大学でチェコ語を教える女性と夫婦になります。英国の体制側に関わった彼らは、もうチェコの土地を踏めないばかりか、迷惑がかかるからと親戚との連絡すら取りません。

そんな中できることは、チェコの思想を西側に伝えることです。チェコでは外貨獲得のためと宗教の自由をアピールするために、ある程度の宗教書が出版されていました。それをチェコ人の古書店主を介して大英博物館や米国の議会図書館に入れ、その代わりに西側の科学技術書や辞書をチェコに提供していました。

ふらりと現れた佐藤氏に、店主はチェコの思想、チェコ人の考え方、今後の見通しについてレクチャーをします。小さな国で生きているから、国家としての生き残りを考えるために長いものに巻かれることもある。そんな小さな国のことを知るためには、不愉快だけども大きな国から見た歴史を知らなければならない。一つ一つの教えを佐藤氏は虚心坦懐に聞いていきます。後の彼の著作を読むと、この頃に得た知識が大きな影響を与えていることが読み取れます。

「(前略)どの国でも知識人は自分の居場所を見つけることが難しい。特にチェコスロバキアのような小国の知識人は、この世界で生きていくことに二重の困難があります」
「二重の困難?」
「そうです。知識人であることからもたらされる困難と小国の国民であることから生じる困難です」。(本書 pp.95-96)

困難があるからこそ、チェコには傑出した知性が生まれたのでしょう。

将来について悩む佐藤氏の姿には、今も当時も若者の生きづらさは変わらないのだと実感できます。それを克服していく過程で、宗教や思想、そして何より人との出会いが重要であるということが、本書を通じで理解できます。


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京都をぐるぐる、案内もぐるぐる

森見登美彦(2014)『森見登美彦の京都ぐるぐる案内』新潮社

登美彦氏は煙草を吸いながら、「進々堂で構想を練っているのだぞ」という顔をした。顔のことばかり気にかかって、考えはまとまらなかった。(本書 p.60)

森見登美彦の京都ぐるぐる案内 (新潮文庫)

聖なる怠け者の冒険』で第二回京都本大賞を受賞した森見登美彦が、自身の小説の舞台を案内する京都案内本。小さなエピソードが散りばめられていて、なぜこの場所が小説に登場したのか、といった裏話も読める。

特に『聖なる怠け者の冒険』は「なぜこんなところを?」と思うぐらい何の変哲もない、小さな通りや喫茶店が出てくる。スマート珈琲店も柳小路も実在するので、暑い夏場にどうしてここが選ばれたのかを考えながら歩くのも一興。帰りに四条烏丸に行くと、祇園祭の喧騒の中で不思議な体験ができるかもしれない。

本書を読んでいると森見氏と一緒に京都をぐるぐる歩いているような、森見氏の小説の中にぐるぐる迷いこんでしまいそうな、ふしぎな陶酔に包まれる。

手頃な値段な上に、いっぱいの使い道がある。素晴らしい文庫本だ。

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自由主義経済の行き着く先を語る

手嶋龍一・佐藤優(2014)『賢者の戦略 生き残るためのインテリジェンス』新潮社

金持ちたちの間には、「このままだと庶民のヤキモチによって叩き潰されてしまう」という危機感が芽生えてきます。そして「自らの富を自発的に分配しない限り生き残れない」という結論に達するわけです。(本書 p.254)

賢者の戦略 (新潮新書)

時流に乗った対談を扱うものの、慧眼から息の長い内容を語ることで有名な佐藤優の対談本だ。今回はNHKワシントン支局長をしていた手嶋龍一との対談、第三弾。

2014年に出ただけあって、当時話題になっていたイスラム国を中心とした中東情勢、それとウクライナを中心としたヨーロッパの情勢が語られる。どちらも佐藤が主戦場とするところだ。

国際情勢を横目に見つつ、一般庶民としてどう生き残るかを知るにはいい本だ。国際情勢はなにもエリートの仕事にだけ影響するものではない。原油価格の乱高下や政府の姿勢など、庶民の暮らしにもジワリジワリと効いてくる。だから先を読んで対策を立てることが大事になる。

そのためには、インテリジェンスの世界では梅の上といった普通の人に近い感覚を持った著者が書いた『CIA諜報員が駆使するテクニックはビジネスに応用できる』がオススメだと佐藤はいう。誰にでも実践できるテクニックが書いてあるからだと。

さて、肝心のタイトルのお話。自由主義経済が行き渡り、金持ちはますます富み、貧者はますます貧しくなる。格差が増えると階級間に軋轢が生じ、金持ちが狙われるようになる。だから金持ちは富を分配して恨みを買わないようにしないと生き残れないと悟る。現にビル・ゲイツが財団を作って奨学金を作ったりしている。歴史を振り返ると日本でも似たような例はある。東大の安田講堂も安田財閥から寄付された。歴史は繰り返す。一時の悲劇を伴いながら。



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