ハニートラップから透視、盗聴まで、各国の諜報を垣間見る


植田樹(2015)『諜報の現代史 政治行動としての情報戦争』彩流社

警視庁公安部はこの男はKGBとSVRの諜報部員であり、三〇年以上にわたって日本人になりすましてスパイ活動を続けていたと推定しているが、本名も詳しい素性も分からずじまいだった。(中略)また、名前を騙られた黒羽一郎さんの消息不明の事情や彼とスパイとの接点なども分からなかった。(本書 p.258)

東西冷戦下で核戦争の悪夢に苛まれる米ソの首脳の間で、彼(筆者注:赤いユダヤ人商人ことアーマンド・ハマー)は相手の真意を非公式に伝えることで互いの疑心暗鬼を払うホットラインのような役割を演じていたとも言える。(本書 p.298)

主にロシアの諜報活動に焦点を当てた本です。筆者は1940年生、東京外大ロシア科を出てNHK入局、モスクワ、ニューデリー、ワルシャワ、テヘラン特派員として勤務しました。モスクワでは「ソ連の遠隔透視の研究情報を入手しようとした」(本書 p.274)として追放された「ロスアンゼルス・タイムズ」特派員と同じアパートに住んでいました。そのため、ロシアの諜報活動の話が多いです。

ロシアのスパイといえばアメリカで逮捕されたあと「美人すぎるスパイ」として有名になり、ロシアに送還されたアンナ・チャップマンが有名です。彼女は美人すぎるというほどではありませんでした。スパイにとっては目立ちすぎると活動に支障をきたすからです。

ロシアがソ連時代からアメリカを始めとする西側諸国で軍事、科学技術情報を盗んでばかりいるという印象を持っていましたが、それに負けないぐらい西側諸国もソ連時代から東側で活動していました。中にはド・ゴール大統領の友人でも会った在ロシアフランス大使館のデジャン大使がハニートラップに引っかかり、大統領に親ロシア的な政策を助言するなど、現実世界にも大きな影響を及ぼしました。結局、このハニートラップ作戦に関わったKGB幹部、ユーリー・コロトコフがイギリスの情報機関に寝返って本件を暴露するまで、フランス側は気づきませんでした。

そのほか、ウィリー・ブラント西ベルリン市長にも、KGBは手を伸ばしました。第二次大戦中に自分をかくまってくれた老医師が東ベルリンから電話をかけ、「自分の息子を助けてほしい」と頼んできました。ブラントは息子と名乗る男と妻を助け、自らが所属するドイツ社会民主党の党員として仕事を斡旋しました。彼らは有能な活動家として頭角を現し、ブラントが西ドイツの首相に就任するとすべての機密書類を見る権限を持ちました。そうした書類はマイクロフィルムに写され、タバコに入れて西ベルリン市内のタバコ屋の親父(KGBの連絡部員)からロシアに渡っていました。この事件では西ドイツのみならず、同盟国の欧米各国の対ソ連政策が筒抜けになりました。東ドイツの別の諜報部員が捕まって、芋づる式に検挙されたものの、最高機密まですべて筒抜けだったのは西側の失態でした。

現代においてはこれほどわかりやすい諜報は少なく、インターネットや電波傍受などを中心とする情報戦になってきています。しかし筆者は「どこの国や組織でも、極めて重要な機密はコンピューターや電話、無線、Eメールなどでは記録あるいは伝達しない。当事者が口頭か、メモだけで直接、伝達する守秘の伝統は残っている」(本書 p.381)と改めて警告します。



同時通訳はソビエト生まれ


米原万里(2003)『ガセネッタ&シモネッタ』文藝春秋

「あーら、米原さんて、最近はもっぱら通訳業の産業廃棄物をチョコチョコッとリサイクルして出版部門へ流し、甘い汁を吸っているっていう評判だわよ」
とシモネッタとガセネッタに言われてしまった。(本書 p.107)

日本語の場合を例に取るならば、万葉集から源氏、大宝律令にいたるまで翻訳してしまっていたのだから、その奥行きたるや目も眩むほどで、イデオロギーの流布やKGBによる盗聴などというプラグマチズム(?)をはるかに超えていた。(本書 p.115)

ロシア語の同時通訳者にして作家であった米原万里のエッセイ集だ。

ガセネッタ&シモネッタという題名から、ガセネタとシモネタばかり書かれているのかと思ったらそうではない。女性にプレゼントできるぐらい上品な(知的な?)内容のエッセイがメインである。

同時通訳の誕生がソ連にあったことは、本書を読んで初めて知った。同時通訳の装置の開発は1926年、IBMによるものだった。当時の国際機関は国際連盟とコミンテルンしかなく、前者は英語と仏語がメインだったのに対し、後者は万国の労働者に団結を呼びかけていただけあって、マルチリンガルな組織だった。東京裁判にやってきた同時通訳陣にもソ連チームが入っていた。コミンテルン解散後のソ連でもその遺伝子は脈々と受け継がれ、BBCが56言語、NHKが22言語で放送されていたのにモスクワ放送は最盛期に85言語で放送していた。これは利益度外視の計画経済によるものか、ソ連の多民族に対する興味によるものかは定かではないが、同時通訳者の育成と少数言語の研究には大いに役だったことは確実だ。

本書で一つの山場となっているのはフィネガンズ・ウェイクを訳した英文学者、柳瀬尚紀との対談だ。二人とも市場経済に流れないことの大切さを共通認識としてもっている。市場経済を意識しすぎていたらフィネガンズ・ウェイクなんて訳せないし、テレビのようにバカになるものばかりが流通する(易きに流れる)。その点、ソ連は計画経済だった分、我々とは才能に対する考え方が違った。音楽でもバレエでも、才能があったらそれを金儲けに利用しようとはしない。才能がある子はただその才能を美的な高みへと登らせるために磨かせるのだ。

世界第3位の経済大国の日本ですら、市場経済を無視した才能の育成はかなり厳しい。となると、社会主義で計画経済(のはず)で世界第二位の経済大国である中国は人口も多いし、条件は揃っている。しかし現状は市場経済に振り回されている。世界はいま、才能の貧しい時代に陥っているのかもしれない。


北方領土返還の実現可能な案


佐藤優(2014)『元外務省主任分析官・佐田勇の告白―小説・北方領土交渉』徳間書店

「僕は作家だから、警鐘を鳴らす作品を書く。論文やノンフィクションではなく、小説だ。(後略)」(本書 p.265)

本書は『読楽』に「外務省DT物語」として連載されていた小説を書籍化したもの。中身は暴露話っぽいところもあるが、いたってまじめな動機(を装って)で書かれている。筆者の最終的な目的は、北方領土交渉の前進だ。そのための障害を取り除く地ならしの役割を本書に担わせている。

北方領土の返還はどう行われるのがいいのか。主義主張ではなく、外交の実務経験者として著者が描くのは実現可能性が一番高い案だ。これを読むと、日露双方の外交担当者が真摯に向き合い、あとは政治決断さえあれば北方領土交渉は大いに前進すると思える。

あくまでもフィクションという体裁にしているが、気のせいかよく読めば分かるような偽名を使っている。が、それは気のせいだ。鯉住俊一郎や都築峰男が小泉純一郎や鈴木宗男かと思ってしまうのは、あくまでも読む側の深読みなのである。深読みだけど、本書の目的とはあまり関係のないところで不倫関係(?)を暴露されている外務事務次官がかわいそうな気がした。純愛らしいから、いっか。


インテリジェンス(諜報)を実生活で役立てる


佐藤優(2009)『野蛮人のテーブルマナー 「諜報的生活」の技術』講談社

ここでは6ヵ月後くらいに話題になりそうなテーマの本を積極的に集め、読むことにしている。(本書 p.20)

実は、何かを始めるときに、まず「終わり」について、決めておくことはとても重要なのである。(本書 p.91)

雑誌『KING』に連載されていた佐藤優の連載を集めて前半に、後半には鈴木宗雄、筆坂秀世、アントニオ猪木などの著名人との対談が掲載されている。

すべて実生活に役立てることのできるインテリジェンス(諜報)の世界でのコツをわかりやすく披露してくれている。本音を悟られずに情報をとる方法、引き際の美学、そんな陰謀術数の世界にも芽生える数々の友情。読んでいて非常に面白い。

イスラエルのモサドのお偉いさんが北朝鮮に乗り込んだ時、経由地のモスクワでは行動が漏れるのを恐れてトランジットホテルに滞在せずにずっと寒い機内にいて歯をカチカチ鳴らせて寒さに耐えていたとか、たった一人で、しかも公開された情報から北朝鮮に対する正確な分析を行った毎日新聞記者とか、新聞やテレビでは知ることのできない情報がいっぱい載っている。

気軽に読めて、発見がいっぱいというお得な本。


真っ赤な嘘でも真実だ


米原万里(2010)[2004]『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川学芸出版

「牛乳の生産でアメリカに追いつき、追い越そうな!」

走り方が雌牛みたいだと言われたアーニャにこういう声のかけ方をする友情というかセンスはいいな、と思った。

こちらはノンフィクション。一般市民が普通に文通を続けることもままならなかった時代の、遠い国同士の友情の物語。

三十数年ぶりに旧友に会いに行く話が面白くないわけないのだけれど、それがまた国家や世界史に運命を翻弄された方々の話だけに余計に面白い。まさに事実は小説よりも奇なり。

個人的には一本筋を通して自分を崩さないリッツァや、一歩引いたクールな立場のヤスミンカには好感を持てたが、肝心のアーニャには、自分の都合のいいようないいわけで現状を受け入れている感じがあって、いまいち感情移入できなかった。巻末で斉藤美奈子が指摘しているとおり、これがあの国のあの時代の生き方だったのかもしれない。

面白さや感動とともに、いろいろと考えさせられる本だった。

ただ、佐藤優が『国家の罠』で書いているとおり、信念を曲げない生き方が一番幸せだというのは、一理も二理もあると改めて思った。


時間を短く感じるには持ってこいだね


米原万里(2009)[2005]『オリガ・モリソヴナの反語法』集英社

おもしろい!

スターリン時代を挟んだソ連を中心とする共産主義陣営の中で翻弄されたダンサーの物語。著者の体験を糸口として始まるフィクションであるため、よく作りこまれている。共産主義の暗さを感じさせない登場人物の明るさ、感動とすがすがしさ。一気呵成に読み下した。

巻末にある著者と池澤夏樹の対談で、共産主義陣営にあったチェコの学校の方が、資本主義陣営にあった日本の学校より自由があった、という指摘は大変興味深かった。


適切さと美しさの間の悩み


米原万里(2010)[1998]『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社

通訳や言語の話を書いたエッセイ集。語学を生業にする人にとっては、とても面白く読める本。

著者の周りが特別なのかもしれないが、下ネタやダジャレがちりばめてあって楽しく読める。

通訳とは一言一句をすべて訳すのではなく、文意を伝えられればいいのだという点には目からうろこだった。日本の大学・大学院では一言一句もらさずに読むよう訓練されるので、驚きだった。もっとも、欧米ではもっとおおざっぱな読み方をするらしいことが、鈴木孝夫・田中克彦(2008)『対論 言語学が輝いていた時代』に書かれてある。

数年前のこと、耳を疑うような発言をした女性人気アナウンサーがいた。(中略)

「私たちは子供を国際人にしたいから、家では一切日本語をしゃべらないことにします。家ではすべて英語で話すようにする」

と自信満々に云いきったのだった。(中略)

自分の国を持たないで、自分の言語を持たないで、国際などあり得るのか。
(pp.279-280)

自身も帰国子女である著者のこの指摘は、大変興味深かった。