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暴力の根源をさぐる

ソレル, ジョルジュ著/ 今村仁司・塚原史 訳(2007)『暴力論』(上下巻)岩波書店

知事たちは、蜂起派の暴力(ヴィオランス)に対して合法的武力(フォルス)を発動せざるを得なくなることを恐れて、雇用者側に譲歩を強いるよう圧力をかける。(中略)知事は労使双方を脅して、巧みに合意へと導くために、警察力の行使を調整するのである。(本書上巻 p.118)

強制力(フォルス)は、少数派によって統治される、ある社会秩序の組織を強制することを目的とするが、他方、暴力(ヴィオランス)はこの秩序の破壊をめざすものだといえるだろう。ブルジョワジーは、近代初頭以来、強制力(フォルス)を行使してきたが、プロレタリアートは、今や、ブルジョワジーに対して、そして国家に対して暴力(ヴィオランス)で反撃している。(本書下巻 pp.53-54)

労働に比例してただちに手に入る個人的報酬がなくても、おのずから現れてくる最良のものへの努力は、絶えざる進歩を世の中に保証するひそかな美徳である。(本書下巻 p.196)

すぐれた生物学的記述を得るために、人間の諸集団が提供する豊富な資料を利用した後で、人間たちについての観察を利用して組み立てられたが、博物学の必要に合わせようとする過程で明らかに変更を加えられた定式を、社会学者の流儀にならって、再び社会哲学に導入する権利など存在するだろうか。そうした定式は有機的生命体には適切に応用できるとしても、われわれの本性中、もっとも高貴な特権だと万人が認めるものを消去することで、人間活動の概念を奇妙なまでに歪曲してしまった。(本書下巻 pp.208-209)

晦渋な文章である。

今村仁司の『暴力のオントロギー』を読んで以来、ずっと気になっていたソレルの『暴力論』。やっと読むことができた。このあとはベンヤミンの『暴力論批判』か、あるいはサン・シモン主義を勉強すればいいのかしら。

訳者の塚原があとがきで書いている通り

今村さんは、以前から「暴力、労働、ユートピア」を研究の主要な柱としており、『暴力のオントロギー』や『排除の構造』などの仕事で、彼自身の暴力論の構築を試みていたから(以下略)
(本書下巻 p.308)

ということで、本書を今村の仕事との類似性を求めて読むと、毛色の違いに驚く。

本書はマルクスの理想を現実にするための手段を探ったものと言える。彼はそのための唯一にして最も効果的な手段がゼネストであると述べる。これが上下巻ともに一貫した主張なのであるが、如何せん当時の欧州の事情を踏まえつつ、晦渋な文章と格闘しないといけないので、読みづらい書となっている。これは訳が悪いのではなく、原文もそもそもからして晦渋らしく、それを忠実に訳したらしい。まさに誠実な醜女。

ソレルのいう暴力(ヴィオランス)とは、ゼネストのような下から上へ向かう力のことであって、上から下へ向かう抑圧のために使われる力である強制力(フォルス)と区別した。そしの上で今やその暴力(ヴィオランス)を抑え込むほどの力(フォルス)のない支配層を、こちらの立ちまわり方次第で追い出し、よりよい社会を作ろうと呼び掛ける。

少数の支配層が自分たちのために政治を行っている現状をゼネストにより打破し、労働者の組合(革命的サンディカリスト)が国家を運営する。彼らは少数の支配層よりも多くの人民の利益を代表するから、よりよい大衆のための社会ができるはずだ。マルクスのドイツイデオロギーに書かれていた話を思い出させる、ここに論理的破綻はない。

上部の命令によるのではなく、末端の兵士は自らの栄達のために戦闘をする。それと同じく理想の社会のため、革命闘争に参加せよと呼び掛けるソレルのやり方は、おそらく最も効果的なものだろう。語られた理想論をより現実に適用しやすいよう調整していく努力は、とくに上記引用の最後の部分(「付論1 統一性と多様性」より)に書いてある通り、単に統一を目指せばいいのではなく、現実を見てそれに合うように理論構築をしていこうとする姿勢は、現代性を失わない。

論理的にも整合性がとれ、現実に合うように理論を構築していった社会主義者たちがいたなかで、なぜソ連は崩壊したのか。理想や理論よりも強力な、人を想定外の方向に動かす何かが、現実には存在したのだろう。

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パースを知るための第一歩

有馬道子(2001)『パースの思想』岩波書店

このようにソシュールの記号論が「コードとメッセージの記号論」として、歴史的、社会的体系の中の価値としての恣意的な記号をあつかうものであるのに対して、パースの記号論は無現の「意味作用の記号論」として、身体的経験的に自然とつながりつつ社会的論理と場(コンテクスト)に開かれた対象を指し示す記号をあつかうものとなっており、新陳代謝的にたえず更新される「場の記号論」「解釈の記号論」となっている。(本書 p.60-61)

ある私の友人は、高熱の後、聴力をすっかり失ってしまった。この不幸な出来事の起こる前、彼はとても音楽が好きであった。(中略)その後でもよい演奏者が弾くときには、彼はいつでもピアノのそばにいることを好んだのであった。そこで私は彼に言った。結局のところ、すこしは聴こえるんだね、と。すると彼は、ぜんぜん聞こえないさ-でも全身で音楽を感じることができるんだ、と答えた。私は驚いて叫んだ。(中略)同様に、死んで肉体の意識がなくなると、私たちはそれまで違った何かと混同していた生き生きとした霊的意識(spiritual consciousness)をそれまでもずっともっていたことにすぐ気づくことになるだろう。(CP. 7. 577)(本書 p.103)

この段階におけるアラヤ識を井筒俊彦(1983年)は「言語アラヤ識」と呼んでいる(こうした見方を、パースの「シネキズム」およびデリダの「差延」や「痕跡」と比較してみるのも興味深い。これらの間に本質的な相違はみられないからである)。(本書 p.191)

パースの話をするときには今でも本書が引用されることが多いので、避けて通れない本となっている。パースの思想を知るにはまとまりもよく、分量も短く、読みやすい本だと思う。パースの思想のみならず、その西洋思想(おもに言語学)上の位置づけを素描し、ソシュールとの関係はもちろん、チョムスキーやヤコブソン、ボアズやサピア、ウォーフにつながる系譜まで紹介しているあたりは、小山亘の『記号の系譜』の簡略版ともいえ、非常に見通しがいい。また後半になると井筒俊彦の『意識と本質』を引いており、補論には老荘の思想について書いているあたり、東洋思想との比較まで試みた、大変意欲的な書である。

パースの記号論は言語学のみならず、人間世界のすべてに適用できる視野の広い思想である。その点はソシュールよりも断然応用が利く。ソシュールがアナグラムに走って世界を変えようとしていたが、パースは自身の苦しい生活の中で得た神秘体験を通して、世界を解釈した。そして、それを説明し得るようなモデル(アブダクション)を作り上げたのだった。その点、同じ慧眼を持った学者とは言え、言語の能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)に着目したソシュールと比べると根性が違う。

上記の系譜に連なるボアズ、サピア、ウォーフがパースと共通している点は、言語に出てくるものと、そこに直接的には出てこないが、出る過程に影響を与える文化的な形があったという点だ。これについて著者は精神的中間体を仮定したフンボルトや、語りえぬものについては沈黙せざるを得ないという形で言語の限界を示したヴィトゲンシュタインにも言及している。

そうすると当然言語アラヤ識の話になってくるんだけど、やっぱりこうなると井筒俊彦以外に拠って立つところは無い。早い話が彼の著作を読めばいいのだけど、かなり骨が折れる。えらくざっくり言うとすべての言語表現の発動のきっかけとなる種子(しゅうじ)として、アラヤ識の中に言語アラヤ識というのがあり、その発動過程、発露の仕方は文化に影響されるということを言っているのだけど、唯識ではそもそもアラヤ識にある種子を取り払う修行をしているので、その存在を認めるだけの思想よりも、対応方法まで考えるあたり、(いいのか悪いのかは別にして)一歩進んでいるよなぁ、と思う。

仏教の話が出たついでに言っておくと、本書においてライプニッツの話の中で、過去と現在の2点を仮定したとき、その間に挿入できる点は無限にあることから、過去と現在は連なりであって断絶は無い、という話があったが、同じ無限の点を挿入できるからと言っても、それが連なりであるとは限らず、水は一瞬にして醤油のような他の物質にもなりかねない、と考えているアビダルマも、やっぱり深く考えてるなぁ、と思った。

こうした東洋と西洋の思想の違いに目を向けさせてくれる、非常に示唆に富む本だった。

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なぜ人は南に向かったか

岡谷公二(2007)『南海漂蕩-ミクロネシアに魅せられた土方久功・杉浦佐助・中島敦』冨山房インターナショナル

荒俣宏によると、加藤は、「魚類研究に熱中していた昭和天皇のために、パラオの熱帯性海水魚類十尾を生きたまま水槽にいれて空輸、ついに天皇の許に届けるという快挙(?)を達成した」由である。

本書 p.184

久功は、南洋に居続けた場合の敦のあるべき自分の姿だった。

「……小さなリュックサックを背負って村はずれの道を歩いていくと、芋田に行くらしい母と娘が、椰子の葉で編んだバスケットを抱えて向うからやって来る。たちまち娘が大げさな表情で、パラオ語で話しかけてくる。wそして二言三言冗談を言って別れて行く。すると敦ちゃんが、君、いまのは何と言ったの、ときく。そしては、いいなあ、いいなあ、と言うのだった」(「敦ちゃん」)

と久功は書いている。

本書 p.195

南へ行った日本の画家・文人たちの中で、久功、佐助を含め、日本の社会や文化のありようを激越なまでに批判した者はひとりもいない。たとえば、久功の南洋行の動機は、彼自身日記に記したように、寒さを嫌い、ゴーギャンの影響、考古学や民族学への関心、原始的なものへの好みの四つであって、そこには、表立った日本批判に類するようなものはなにもない。だから彼は、昭和十七年一月、中島敦とのパラオ本当めぐりから久し振りに戻ったコロールの町が兵隊たちで一杯なのを見て、敦とともに帰国することを躊躇なく決意するのであり、そして、自分をはずかしめた、という意識に悩むことなく、三十余年にわたる後半生を、東京郊外の一隅で、心静かに暮らすことができたのである。

本書 pp.27-28

鹿島茂の『馬車が買いたい!』は、小説から当時のフランスの田舎に住んでいる若者たちがどうやってパリに行き、なぜパリに、何の目的で向かったのかを明らかにしている。

これを南洋でできないものか。すなわち、当時南洋を目指した日本人は何を考え、何の目的で向かったのか。土方久功をはじめとする芸術家のほか、最後までどうやらパラオになじめなかった中島敦、パラオ熱帯生物研究所の生物学者や南方の言語に興味を持っていた言語学者の泉井久之助など、何が彼らをして南方に向かわせたのか。それを明らかにしてみるのも面白いのではないかと考えていた。だが、動機が動機である。エピゴーネンにしかならないだろう。そう思っていた。

まさかそのアプローチがすでに、美術史の専門家によってなされているとは思いも知らなかった。何の気はなしに手に取った本に、なぜ土方をはじめとする芸術家が南に向かったか、ゴーギャンをはじめとするヨーロッパの芸術家たちとの違いは何か、彼らは南で何を見たのか。それを様々な資料を縦横無尽に用いて縦糸と横糸から全体像を紡ぎだしている。

一番の見どころは、パラオで大工をして生計を立て、のちに土方について独学で彫刻を学び、銀座での展覧会に際しては高村光太郎をして「恐るべき芸術的巨弾」といわしめた杉浦佐助のエピソードである。印刷だけされてほとんど頒布されなかった彼の自伝や地元の人々のエピソード、地元に残る彼の作品等を通しで彼の人生を描き出す過程には、著者の執念と愛を感じる。

南洋に向かった彼らの動機はさまざまで、また感じ方もさまざまであったが、当時のかの地においては土方氏を中心としていろんな人が交わる、サロンのような雰囲気があったのだろう。小さな社会だからこそあり得た話のように思えて、うらやましかった。

それにしても、荒俣さんはいろんなことに詳しいなあ、と感心した。

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建築の面白さが伝わる本

藤森照信(2008)『建築史的モンダイ』筑摩書房

あなたの家が木造だったら、外に出て確かめて欲しい。コンクリートの基礎の上から壁が立ち上るわけだが、壁の部分は基礎より数センチ外側に出ているにちがいない。その出っ張った部分と同じ作りを我が処女作はしてあって、影が生じ、上の建物と下の地面の間の親和性、連続性をそこねたにちがいない。そう考え、すぐスコップを持ってきて、土台の回りに土を寄せ、影をなくし、元の位置に戻って眺めると、実物大の模型は実物と化して、地面の上にスックと立ち上っていた。(p.22)

小川発言に、建築史家藤森センセイの脳味噌はプルプルふるえた。(中略)脳味噌はプルプル。鼻は新しい獲物のニオイを初めて嗅ぎとった猟犬のようにヒクヒク。(p.167)

上記の引用からもわかるとおり、軽いタッチの本である。軽いタッチとは言え、フジモリ先生は現在工学院大学教授で、東大名誉教授。とてもイカツイ肩書きをお持ちなのに、軽いタッチの文章を紡がれる。

本書は雑誌に連載していたものを、いくつかまとめて加筆修正し、本にしたものなので、初心者向けに書いてあり、非常に読みやすい。ヨーロッパの教会建築の話から、日本の建築の話も面白いが、一番興味をひかれたのがコンクリート打ちっぱなし建築の歴史を、日本で活躍した/しているアントニン・レーモンド、ル・コルビュジエ、安藤忠雄などの建築家を軸に振り返るところ。どうして安藤は世界の安藤たりえたかを、初心者にもわかりやすく解説してくれている。

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読むと絵画の見方が変わる

バクサンドール, マイケル[篠塚二三男・石原宏・豊泉尚美・池上公平訳](1989)『ルネサンス絵画の社会史』平凡社

この本(筆者註:ヤコブス・デ・ケッソリス(1493)『チェスの書』)はチェスになぞえらえて社会階層を表した中世的なアレゴリーである。クイーン側のビショップのボーンは、このアレゴリーでは宿屋の主人で表される。そしてこの人物を見わけるための三つの手がかりのひとつが、勧誘の仕草である。「彼は右手を、勧誘する人のように伸ばす」。手のひらを少しあげ、指を扇状にやや下向きに開いている。(本書 pp.120-124)

フイリッポ・リッピの絵は豊富であると同時に多様性を持っているが、クアトロチェントの批評家たちが最も賞賛したのは、諸要素を効率的に使って多様性を持たせる絵画である。(中略)絵画における多様性の価値と、クアトロチェントのほかの文化の領域-すでにみたような天上的経験や文芸批評-との間には、きわめて密接な呼応関係がある。(本書 p.233)

大学院のときにとある教員が授業中に「これは名著です」と言って紹介していた本で、僕はずっと気になっていた。当然すぐに図書館に行って借りたが、やることが多くて読み始める前に返却期限が来てしまい、結局読めずじまい。今ではどうもなかなか手に入らない本っぽくて、買うのもままならないまま、数年が過ぎた。

本書はその評どおりの名著であった。おもに主眼が置かれるのはクアトロチェント(1400年代)に活躍した画家たちと、彼らの作品への人々のまなざしである。本書はまず絵画取引の話から入る。当時の画家が描いていた条件にアプローチする。すなわち、依頼主がどこに力点を置いて注文し、画家たちがどのようにそれにこたえたか、から始まる。当初は色に細かな注文が出ていたが、時代が下るにつれ、画家の技量に価値が置かれる。何で描くべきか、よりもどう描くべきか、が重視されるのだ。

絵を見る側も、それなりの階級の人たちはそれなりの知識と審美眼を持っており、画家たちはそれに如何に応えるかが腕の見せどころであった。それとともに、宗教画として描かれる場合は宗教画らしさ(ある一定のルール)も求められた。すなわち、聖書の物語から逸脱しないこと、過度な演出をしないことなどなどである。当時の文字が読めない大衆にとっては、宗教画こそキリスト教を理解するもの、聖書に代わるものであった。当然、宗教画への偶像崇拝も現れる。しかし教会側もそれをわかった上で、宗教画の教育上の必要性を理解し、画家たちに依頼し続ける。

聖書の物語が上の引用で引いたような15世紀の人たちの身振りを交えて描かれたのが、当時の絵画なのだ。それを理解するには当時の絵画と画家と依頼主の関係や鑑賞者の目の付けどころといったものを知ってこそ、深みに達することができる。多くの絵が挿入されており、大変読みやすく勉強になる本であった。

孫引きで申し訳ないが、下記の個所だけはあまりにもかわいそうだと思ったので最後に引用しておこう。

以前ナポリに駐在していたシエナの大使がいた。彼はいかにもシエナ人らしく非常に派手だった。一方アルフォンソ王はいつも黒い服を着ており、飾り留め金しかついてない帽子をかぶり、首に黄金の鎖をつけているだけだった。そして綿や絹の服をほとんど着なかった。ところが先の大使は非常に高価な金襴を身につけており、王の引見に出向くときはいつもこれを着こんでいた。(中略)ある日王は、小さく粗末な部屋に対し全員を招集して引見する手筈を整え、さらに家臣数人と相談し、ひしめきあいのなかで皆がシエナ大使を押し分けて進み、着ている錦をこするように示し合わせた。さてその当日になって、シエナ大使の錦の服はほかの大使たちばかりでなく王にまでこづかれ、こすられた。皆、部屋を出て錦の様子をみると笑い転げた。毛はまったくつぶれ、錦は深紅色になり、金がはげ落ちて黄色い絹が残るだけの見るも無残なぼろぎれになってしまったのである。シエナ大使が、すっかり台なしになった錦を着て部屋から出て行ったのを見とどけると、王も笑いを止めることができなかった。・・・
(本書 pp.34-35; この箇所はVespasiano da Bisticci, Vite di uomini illustri『名士列伝』, ed P.d’Ancona and E. Aeschlimann, Milano, 1951, p.60の引用とのこと)

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サントリー学芸賞 レビュー

近代化と誇りの折り合いでできたパリ

北河大次郎(2010)『近代都市パリの誕生-鉄道・メトロ時代の熱狂』河出書房新社

この平和と鉄道という一見奇異な組み合わせについても、サン・シモン主義者は大まじめに考えていた。つまり、鉄道の建設によって、これまで社会に存在していたさまざまな障害(地形、税関、城壁など)が取り除かれ、人、情報、モノの流れが活性化する。この流れが世界の新たな交流を生み出すことで、世界的な協同体をつくりだす気運が高まり、フランス革命以降の戦争と動乱の時代を新たな調和と平和の時代に移行することができる、というわけである。(本書 p.49)

この駅は、プラットフォームに屋根もつけない「桟橋』と呼ばれる簡易な施設であった。ちなみに、当時一般にフランスの鉄道停車場にはこの言葉が使われ、今使われる駅という言葉は舟運の拠点をさしていた。当時の交通上の重要度を反映してか、今とは言葉の使い方が逆だったのである。(本書 pp.82-83)

日本のように大量の人が整然とホーム上を移動することはフランスでは困難と判断され、シャトレ=レ・アール駅では中目黒駅(筆者註:約7m)の二・五倍のホーム幅が採用されている。(本書 p.226)

2010年、サントリー学芸賞を受賞した本なので、面白さはお墨付き。鹿島茂『馬車が買いたい!』と併せて読めば、当時のフランス(とくにパリ)の交通事情がよくわかる。フランス人は自らの国土、特にパリにかなりの誇りを持っていることを、この書を読んで初めて知った。

19世紀は英国と米国が鉄道を持っていた。もちろんフランスの技術者も両国に見学に行くが、そこはフランス人、単なる模倣はしない。彼らは理想的な秩序のためにモノづくりをするのであって、現場での工夫は苦手なのである。アメリカのような貧相な鉄道を持つのではなく、フランスにふさわしいものを目指す。そのため、運河と同じ発想でゆったりした規格の線路を敷いていく。もちろん、歴史的建造物の多いパリ中心部にターミナル駅を持ってくるなんて持ってのほかなのである。多少は不便でも郊外に置く。結果、方面ごとにおかれたターミナル駅のために地方から地方に行くにもパリを経由せねばならず、パリにとっては人が集まってきて便利であったが、一方でその混雑はひどくなるばかり。

結果、環状線を作ってすべてのターミナル駅に行けるようにしたけども、それは貨物中心でやっぱり人の流れは変わらない。そこで業を煮やしたパリ市がメトロ計画を立ち上げる。が、そこはやっぱりパリジャン、パリジェンヌ。一筋縄で賛成するわけではなく、侃侃諤諤と議論が交わされる。路線で既存の船会社や地元に利益誘導をしたがる議員との攻防があり、加えて高架か地下かでも一悶着起こる。結果的には今みてもわかるとおり、ほとんどが地下になったのだけど、その地下駅への入り口についてもパリらしさが求められた。難問山積の中、どうしても万博開催までには開通を目指したいパリ市。時間がない中、どこで折り合いをつけて、解決策を見出すのか。手に汗握る時間との戦いが行われる。

面白かったのが、芸術家の多いパリならではか、メトロ建設に際して出た様々な案である。鉄骨の高架にしようとか、上下3段にして上2段を旅客、下1段を貨物にしようとか、レールを使わない案としてタイヤ付の柱を並べて、その上の客車を押し出していく方法とか、いろいろと進歩的な案が出されるとともに、地下への抵抗から唯一許せるのは下水道に蒸気船を走らせて、何なら下水管の壁にフレスコ画まで描いたらいい、といった案まで。

パリの鉄道建設の紆余曲折を通して現れるのは、近代文明の便利さをただ受容するのではなく、歴史や誇りとの折り合いを探る歴史だった。

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デパートという概念を発明した二人

鹿島茂(1991)『デパートを発明した夫婦』講談社

十九世紀前半までのフランスの商店では、入店自由の原則がなかったばかりか、出店自由の原則もなかった。つまり、いったん商店の敷居を跨いだら最後、何も商品を買わずに出てくることは許されなかったのである。(本書p.15)

極端な言い方をするなら、買いたいという欲望がいったん消費者の心に目覚めた以上、買うものはどんなものでもいいのだ。まず消費願望が先にあり、消費はその後にくるという消費資本主義の構造はまさにこの時点で生まれたのである。(本書p.70)

ブシコーが真に偉大だったのは、商業とは「商品による消費者の教育」であると見なしていたことである。(本書p.250)

著者本人がデパート大好きらしいので、その分気合いが入っている。19世紀のパリからどのようにしてデパートが誕生し、発展したのかを追っていった本。まさに題名通りデパートは出るべくして出てきたのではなく、1組の夫婦によって「発明」されたのだ。

田舎から出てきて丁稚を経てから独立したアリスティッド・ブシコーとその妻によって発明されたボン・マルシェ百貨店は正札販売、返品可能、宅配など、いまのデパートの販売体制の原型を作り出し、挙句の果てには御用記事まで新聞に掲載させた。

描かれるブシコーの戦略がまさに的を射ていて、次々に客が彼の手の上で踊らされるかのようにふるまう。正札販売、冷やかしOKというのも当時のパリでは画期的だったので人が来る、すると問屋を通さずに直接仕入れて大量購入、直接購入で原価を下げる、薄利多売路線をとる、日にちのたったものは価格を下げて販売する、といった販売戦略のほか、読書室やレストラン、清潔なトイレを設けるといった顧客満足の発想、売り場を担当させてその売り上げによって給与を変動させる、デパートの上に寮を作る、従業員専用楽団を作ってクラッシック音楽という教養を身につけさせるといった従業員教育まで、経営者としての彼の先手の打ち方はまさに顧客の心をつかむものだった。

変動の19~20世紀で似たようなエピゴーネンは出てきたものの、常にボン・マルシェ百貨店がその先陣を切っていられたのはなぜか。それはひとえに彼のスピードや演出まで含めた経営手腕にあったのだった。

これを現代に置き換えると、コストコやIKEAといった大規模な量販店、ショッピングモールに代表される複合商業施設が庶民の我々に「楽しみ」を与えてくれる場所となっている。これらがどこで発生したのか、あるいは誰の発明によるのか。そこにもまた、興味がわいた。

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サントリー学芸賞 レビュー

上流階級の馬車中心主義

鹿島茂(1993)[1990]『19世紀パリ・イマジネール 馬車が買いたい!』白水社

このように、テクノロジーの進歩によって新しい交通手段が登場する際には、意外にその前の時代の交通手段の構造を受け継ぐもののようだ。もし、大型旅客機がフランスで最初に実用化されていたら、あるいはこれもコンパートメント型になっていたかもしれない。(本書 p.38)

我らが主人公たちが出世への野心を燃やすきっかけとなる場面は、不思議なことにどの小説でもほとんど同じである。すなわち、シャン=ゼリゼの大通りで豪華な馬車の行列を見たときに、我らが主人公たちはにわかに上流の生活に憧れをもつようになるのである。(本書 p.187)

おもしろい! サントリー学芸賞を受賞している本なので期待はしていたが、その期待を裏切らない面白さだった。

筆者の疑問は自動車でフランスを旅行していた時に田舎で目にする「パリ通り」という名前の街路から出発する。その名前が付いているのは決まって日本の○○銀座のような繁華街ではなく、町はずれのさびれた街路である。これは田舎からパリにつながる道、逆にいえば青雲の志を持って若者が故郷を出立し、一獲千金を夢見て旅立った際に最後に通った故郷の道である。19世紀の様々な典籍を渉猟し、挿絵を豊富に入れながら、19世紀の小説の主人公がどのような生活を営み、その頃のパリはどんな様子だったか、どうやって上流階級を目指すのかといった、「我らが主人公」のプロトタイプを浮かび上がらせるのが本書の目的である。

彼らの田舎からパリに出る方法、パリでの衣食住を具体的な金額を提示しながら描き、どの時代にどこが流行の発信源であるか、どこに行けば上流階級と知り合いになれるか、上流階級になるためにはどれくらいのお金(現代日本の価値で年間二千万円以上!)が必要かを描いていく。

いくら懐がさびしくても上流階級らしい振る舞いをしなければならない彼らのプライドや衣服が一番換金性の高い財産だったというような、今では考え難い事実など、本書を読むと発見がいっぱいである。

とくに19世紀の小説を読むときには、本書のタイトルにも取られているような馬車のステイタスなどを意識してこそ、その真髄が味わえるのだろう。とくに巻末の「馬車の記号学」は様々なタイプの馬車を簡潔にカテゴライズしてあって、わかりやすい。

個人的には、馬車とその後の交通手段の話が興味深かった。乗合馬車の前方から1等、2等、3等と座席のランクが分かれていたというのは、現代の飛行機にもそのままあてはまるが、そのあたりの関係はどうなんだろうか。(著者は引用の個所の通り、それはアメリカの影響だとしているが)現代の乗り物の淵源がフランスやアメリカの馬車にあるというのが興味深い。我々が毎日乗っているのも、元をたどれば19世紀の欧米に行きつくのだ。

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学校で教わらない中国の姿

厳家祺、高皋著;辻康吾監訳(2002)『文化大革命十年史』岩波書店

著者はアメリカに亡命した中国人なので、反共産党政権の立場である。それを前提にして読まねばいけないが、それを差し引いてもものすごい内容。

題名にある通り、文化大革命の端緒から、四人組が裁判にかけられるまでを3巻にわたって書いている。上中巻の林彪時代と下巻の四人組(江青時代)とおおよそに分けられている。

おおざっぱに言うと文化大革命とは、一部のグループが仕組んだクーデターだった。

江青・林彪派は毛沢東を形骸化したトップにしたてて骨抜きにし、実質的な国家運営の権限を自らの手に持ってこようとしていた。その動きを察知してか、あるいは天性の嗅覚で嗅ぎ取ったのか、毛沢東は文化大革命を推し進める江青・林彪派とより穏健な劉少奇派を上手に使いこなし、2つの派閥の消耗戦という形に持って行って最悪の事態を免れる。現在の金正日もそうだといわれるが、社会主義国家の指導者にみられるこのしたたかさには舌を巻く。

文芸誌に載った京劇『海瑞罷官』の批判が端緒とされる文化大革命は、文芸界の騒動でおさまるとみられていたが、それが全国民を巻き込んだ政治運動へと拡散していく。その様子が克明に描かれていて、数は力なんだということを思い知らされる。

いつの時代も海外のものを取捨選択、換骨奪胎して自分たちのために取り込むのはいいことだと少なくとも僕は思うのだけれど、それを走資派(資本主義者)の動きだとして批判されていくありさまは、正論の通じない集団心理の恐ろしさを見せつけられる。

甚だしくは国家主席の劉少奇や副総理兼国防部長の彭徳懐といった国家に功労のあった人たちまで、あっけなく批判され、不遇の中で粛清されてしまう。

劉少奇は家に押し入った群衆によって自室に監禁されてしまう。窓のすぐ前に煉瓦の塀を建てられて他の部屋の様子も分からない。そんな中、家族もすぐ隣の部屋で監禁されていて、いつか会えると思いつつ亡くなった劉少奇。家族は他の場所に移送され、前日まで自分の家の使用人をしていた者が監視役となって監禁生活を送るなど、まさに不遇の最後だった。彭徳懐も同様に監禁され、持病の治療をされることなく放置されて亡くなってしまう。

中国を理解する一助になる本。

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CIAの失敗から学ぶ

落合浩太郎(2005)『CIA 失敗の研究』文芸春秋

CIAが変わるためには、作戦本部の革命は不可欠である。(中略)官僚主義も打破し、外国文化への理解を深めることも不可欠だ。(本書 pp.220)

CIAも日本の企業や官僚機構と同じように問題を抱えており、決して精鋭の集まった、見事に運営されているエリート集団、というわけではないことが本書を読むとよくわかる。

新たに採用された人も嫌気をさしてすぐに辞めていったり、政治的に利用されていたり、内部やNSA、FBIとの内輪もめや足の引っ張り合いをしていたりなど、どこにでもありそうな問題がCIAにも例外なく存在していることを指摘している。

少し安心するとともに、理想の組織というのはやっぱり存在しないし、くだらないことを抱えていても、それなりに世界は回るんだな、というのがわかる本だった。