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一芸能がまとめあげた日本国民

兵藤裕己(2000)『“声”の国民国家・日本』NHK出版

仁侠・義侠のモラルと法制度とのあつれきを語る物語に、社会の埒外を生きる語り手のすがたを投影する。またそのようなアウトローの物語が、体制内の日常を生きる庶民大衆にカタルシスを与えてゆく。(本書 p.142)

文章語(文字言語)のロジックがメロディアスな声のなかで解体されるとでもいえようか。声によってひきおこされる聴衆の親和的な一体感や高揚感が、社会秩序や法制度のロジックにたいする合理的な感覚を麻痺させる。(本書 p.207)

大衆の知的前衛から大衆との心情的連帯へ、そうした路線転換がそのまま社会ファシスト化を意味したというところに、日本近代の大衆運動のアポリアが露呈していた。(本書 p.235)

とても面白い。今の時代、浪花節を聞いたことがある人はどれぐらいいるだろう。落語や漫才と同じく、声の芸能であった浪花節は、戦前は国が警戒し、いっぽうで国民国家の形成にまでいたったほどの力を持っていた。いまの落語や漫才が国民を統合する機能を担えるとは到底思えない。しかし、浪花節はその大役を担ったのだ。本書では浪花節がどのように誕生し、受容され、国民国家を形成するにまでいたったかを描いている。

近代日本が国家として成立したのは明治維新以降である。国家は領土と国民があってこそ存立する。国家が誕生した明治期に、どのように国民がまとまっていったのか。「声」すなわち浪花節という切り口からその過程が明らかになってくる。

昭和七年の調査では浪花節は民謡や落語、講談を抑えてリスナーの聴きたい番組一位を得ている。なぜ、そしてどのように人々は浪花節に熱狂したのか。

浪花節の誕生は江戸時代後期の江戸は芝新網町に求められる。明治になっても明治三大貧民窟だった新網町には、アウトローや芸者、浪人などの人々が暮らしていた。その中に願人坊主もいた。願人坊主とは、声音や浄瑠璃、弁舌などを往来で披露してお金をもらっていた人たちのこと。彼らが旅をして、全国各地に浪花節の源流となるチョボクレやチョンガレといった声の芸能が生まれる。彼らの取りまとめ役として、各地にやくざも生まれた。

誕生したての浪花節は人々の人気を得るも、すでに「伝統芸能」となっていた歌舞伎や落語からは下に見られ、同じ舞台に立たせてもらえなかった。だから彼らは辻や場末の演芸場で細々と歌っていたが、逆境にもかかわらず、人々は大いに浪花節を聞きに足を運んだ。それに警戒したのが警察だった。反国家的なことを言わないようにと、お目付け役の警官が浪花節の会場を監視するようになる。明治の初頭で、国にとっても無視できないほどの吸引力を、浪花節はすでに持っていた。

流れを決定づけたのが桃中軒雲右衛門と宮崎滔天だ。東京の浪花節組合と折り合いの悪かった雲右衛門たちは名古屋、大阪と西に移動し、最終的には九州に行く。日露戦争前後で兵隊の集まっていた九州では、彼らの浪花節は大いに受けた。それこそ、日本中が気になるほどに。そしていよいよ東京屈指の大劇場本郷座で公演するにいたった。

国民は彼らの声に熱狂し、語られる物語に陶酔した。

彼らの語る物語は、あだ討ちなどの法制度からは禁じられているが、義理人情の側面からは応援したくなるような物語である。聴衆は制度の中で蓄積された日ごろの鬱憤を、制度の埒外の物語に没入することによって晴らした。

それに目をつけたのが社会主義活動家だったが、彼らの声は大衆には届かなかった。大衆は心理的に連帯し、義理や人情で結び付けられる家族のアナロジー(類推)として、天皇陛下を頂点にいただく大きな家族としての国家に気持ちを向けていった。そうして天皇を「親」とし、国民をみな平等な「家族」と認識することによって異分子を排除する、日本的ファシストが生まれたのだった。そこに危うさを感じた柳田國男は、あえて民俗学の中に浪花節を入れなかったのではないかー筆者はそこまで想像する。

本書は浪花節が隆盛を極めたところで終わっている。なぜ戦後になってどんどん廃れていったのか。その過程は明らかにされていない。おそらくはテレビの普及とそれに伴う劇場の減少がかかわっているのだろう。行者必衰は世の定めだが、『キングの時代』で行われていたような退潮の分析もしてほしかった。

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グアムを通して日本人を知る試み

山口誠(2007)『グアムと日本人-戦争を埋立てた楽園』岩波書店

帰国後の横井氏をめぐる報道が過熱していくと、「生きていた英霊」横井氏は、時が経つにつれて説明不要な有名人「ヨコイさん」という固有名を獲得し、奇妙な言行で知られるキャラクターとして扱われるようになった。(本書 p.36)

ここで問題なのは、「日本人の楽園」とGuamの間のズレではない。ガイドブックとその轍が複数存在すれば、必ずズレは発生するだろう。ズレを橋渡しする回路がないまま、お互いに無関係な「グアム」とGuamが並存している現状が問題なのだ。(本書 p.155)

グアムに行く日本人は年間100万人に及ぶ。そんな身近なグアムと日本人の「関わり方の歴史」を書いたのが本書だ。戦時中は大宮島と呼ばれ、ほんの短い間だけ日本の統治下にあったグアムは、今はリゾート地として「消費」されるだけだ。それは近年始まった現象ではない。戦後二十数年しか経っていなかった1970年代には、すでに始まっていた。横井さんがジャングルの中、一人で戦争を継続していた同じ時期に、数十キロ先では日本人の新婚カップルが続々とハネムーンにやってきていた。

グアムにはスペイン統治時代を経て、アメリカ、日本、アメリカと宗主国が変わった歴史とともに、先住民族チャモロの人たちの暮らしなど、複雑な歴史を持つ。そんな中、なぜ日本人は歴史を見ずに、ショッピングとビーチのリゾートである「グアム」だけしか見なくなったのか。英語圏のガイドブックには歴史について書いてあるにもかかわらず。本書はそこに、グアムの観光開発の歴史(西のハワイ、新婚旅行のメッカ宮崎の延長)を見る。

本書ではグアムが政治的にまとまらない理由についても考察している。アメリカ人であるグアムの人々には連邦法により納税の義務等を課せられている。しかし大統領をはじめとする国政選挙権はない。それを要求する勢いも、逆に分離独立する勢いも、今のグアムは持っていない。それは周辺の島々(ロタ、テニアン、サイパンとミクロネシア連邦か?)やフィリピンから来た低賃金で過酷な仕事に従事する人々と、軍施設などで公務員として仕事をしているチャモロ人との間の軋轢があるため、団結する力より離反する力のほうが強いからだと説く。アメリカに差別的待遇を受けているグアムが周囲の島々を差別する。この構図は本土と沖縄と奄美と似ている。

本書はグアムについてもっと知りたい人には良い導きの手になる。日本語でここまで書かれた本は数少ない。ショッピングとビーチの楽しいリゾートという側面しか知らなかった人にとっては衝撃を与えるだろう。道路修復を優先されて再開されない博物館、グアムの中にすら存在する格差、誰も死なない(死ねない?)島。小さな本の中に、グアムの「暗部」とも言える根深い問題が見えてくる。

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メディアから逃れられない我々

寄川条路編・大塚直ほか(2007)『メディア論-現代ドイツにおける知のパラダイム・シフト』御茶の水書房

学問の根本問題は言語だという時代に、言語学が成立した。(中略)かつて意識という現象が占めていた地位を言語が覆したが、今度はそれを媒介が覆して、言語から媒介へと重点が移ろうとしている。つまりこれが、言語からメディアへの転回である。(本書 p.8)

言語を認識の前提としてとらえるように、メディアを言語の前提としてとらえることができる。認識や言語を一つのメディアとして、メディア論へと引き戻すのである。(本書 p.8)

本書はおもにドイツにおいて、言語を含むメディアが思想史的にどのように位置づけられてきたかを論じている、見通しのよくなる本だ。かつて、神の啓示(それは自然の中にあると考えられてきた)をより確実に読み取るために、口伝が文字におこされ、誤字をなくすために印刷技術が発達した。そして現代においては、そうして作られた文書から自然に戻ろうという動きがパンクといった音楽や、前衛的な芸術に見えている。

結局は自然と文化の二元論に縛られ続けているんじゃないか、と見える。結局遺伝子技術によって神に飼育されていた人間は、自らを飼育者の立場へと移した。この現実にぶち当たって、「人間の特権」を前提としてきた人たちは行き場を失った。

これからどういうビジョンを描くのか、或いは小さな物語に逃げ続けるのか。我々はどこへ向かうのか。

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サントリー学芸賞 レビュー

アラブ、ペルシャ、スンニ、シーアを包み込むイスラム

小杉泰(1995)『現代中東とイスラーム政治』昭和堂

身体刑が主となっているのは、自由および共同体帰属を奪わざるべき基本的権利として、禁固等の自由刑を嫌うためであるし、その対象となる犯罪も、財産の不可侵性や社会の基礎単位としての家族といった基本的価値を犯すと考えられる犯罪である。その点を見るならば、イスラーム法の論理としては整合性を持っている(中略)しかしこのような身体刑の実施は非イスラーム世界では共感を呼ばないし、すでに「近代化」の進んだエジプトでは、こうした刑法をア・プリオリに非文明的で残酷であると見なす人々が存在する。(本書 p.247)

本書は今から見たら古い点もあるが、それでもなお、イスラーム諸国の現状について理解する手掛かりを与えてくれる。僕の中東体験はイランだけだけど、その時に感じた不思議が氷解した。それは「なぜイランには大統領がいるのに、ハメネイ師の写真の方が街中に多く飾ってあるのか」というもの。イスラームではコーランに書いてある規律が最重要視される。それを解釈して規則を創り出すのが一番偉い人で、イスラームの規律を世界に広めていくのが信者の役割となっている。だから、国家の運営者はあくまでもその解釈のもとに、現実世界で適用できるルールを作成し、運営していくのが仕事となる。だからアフマディネジャド大統領よりもハメネイ師の写真の方が圧倒的に多かったんだ。

イスラームには衰退する時期と復興する時期の大きな波があって、その波の一つとして現れたスンナ派のリダーというオピニオンリーダーが新たな解釈を切り開いて行ったダイナミックな時代のうねりを紹介するなど、本書は抑えるべきイスラーム社会の政治的、思想的に重要な史実を紹介してくれる。

一番面白かったのは第13章「現代中東諸国の国家類型」だった。それぞれを西洋化・近代化、民族主義、イスラーム復興という三つのベクトルを指標に類型化を図っている。今では無くなった南北イエメンやフセイン政権下のイラク、ムバーラク政権下のエジプトなど、少し古い点もあるが、たいへん参考になる。アラブ首長国連邦はいずれの独立したアラブ地域も連邦に入ることを妨げないと宣言していたり、実は選挙のあるイランの方が、選挙のないサウジアラビアよりもバリバリのイスラーム的主権論(成立した法律がイスラーム法に反しないかどうかを判断する機構まで備えている)だったりするなんて、知らなかった。

また、第15章で書かれている通り、イスラーム国家は周辺に波及する影響まで考慮して政治を行っているらしい。イラクがクウェートに侵攻してきたときはみんなさらっとサウジアラビアに逃げ込んだし、また、クウェートでは女性参政権を要求する声が強かったのに認めなかったのも、サウジアラビアに影響を及ぼすことが考慮されたとも言われているらしい。イスラム諸国では内政干渉と言われるようなことを平気でやりあっているらしく、西洋の枠組みにとらわれない国家のありかたがあることを思い知らされる。

本書のあちこちで書かれているが、イスラーム復興運動で王制を倒し、イスラーム国家を樹立したイラン革命ははやり当時としてはかなりのインパクトがあったようだ。上記のように、周辺諸国に影響を及ぼしやすい中東の政変は、世界から注目されただろう。しかし、著者の見方は異なる。

イランにおけるイスラーム革命は「二十世紀において宗教による革命が起きた」ことが尋常でないゆえに注目に値するというよりも、むしろ特筆すべきことは、イスラーム法が正当性を否定すると国家が存立基盤を掘り崩されるというこのモデルが、歴史的な有効性を超えて、現代でもなお機能することを示した点なのである。そして、イラン革命を領導したホメイニー理論の重要性は、このモデルを現代に再生させた点にある。(本書 p.21)

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サントリー学芸賞 レビュー

したたかな中国人の間でよりしたたかに生きるムスリム

中西竜也(2013)『中華と対話するイスラーム 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』京都大学学術出版会

中国と言うイスラーム世界の辺境において、イスラーム世界の中核から比較的孤立した状況のもとで、自らの進行を実践せねばならない苦労を背負いこむこととなった。(本書 p.3)

明の中頃まではペルシア語もアラビア語に劣らぬ尊厳を保持していたが、明末あたりから再イスラーム化の動きに合わせ、アラビア語の威信が著しく高まったことで、アラビア語とペルシア語の間に大きな格の違いが生じたのである。(本書 p.352)

中にコラムや写真、イスラームのお祈り方法までパラパラ漫画で書いてあって、面白い体裁をとる本書は中国のイスラームの思想や彼らと漢民族をはじめとするマジョリティとの関わりについて焦点を当てたもので、15世紀後半から19世紀を対象としている。中国に入ったイスラームは、婚姻を繰り返すことで、見た目による違いはほとんどなくなっていった。そして周りは儒教や道教、仏教などが主で、イスラームはマイノリティのままだった。本場のイスラームにはありえないような圧倒的マイノリティという逆境の中で、イスラームは生き残るべくしなやかに生きた。あるときはスーフィズム(神秘主義)を朱子学のアナロジーとして本を書いたり、またある時は漢訳版は簡略版にするといった配慮だ。マジョリティから攻撃を受けそうな箇所はあえてあいまいに訳してお茶を濁し、ムスリムの間で読まれるものについてのみ、本来のいいたいことを書いた。その中では中国のことを「戦争の家」とまで言っている。

本書は確かに、マイノリティの側から見たヘゲモニーとの応酬と見ることもできるが、中国の多様な一側面の理解に役立つ。軋轢を抱えた中での統治という社会体制がここ最近できたものではないことが分かる。さらに「宗教は人民のアヘン」とまで言ってはばからない社会主義体制になってから、より一層しめつけが厳しくなったことが予想される中国イスラームを取り巻く環境の中において、彼らがどうしたたかに、しなやかに生きているのかが気になった。続編もぜひ読みたい。

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サントリー学芸賞 レビュー

よりよい政治のために首相政治を知る

待鳥聡史(2012)『首相政治の制度分析―現代日本政治の権力基盤形成』千倉書房

安倍以降の自民党政権もまた政策的な成果という意味では極めて不十分であった。五人連続で不成功の短命政権が続くということは、首相個々人の能力や資質では説明できない、より構造的な制約要因が日本の首相政治にはなお存在していると考えるべきではないだろうか。(本書 p.171)

小泉は中選挙区制時代の自民党では決して総裁になれなかったであろうが、一方、佐藤や竹下でさえ小選挙区制の下でどこまで活躍できたかは大いに疑問が残る。(本書 p.184)

サントリー学芸賞の選評で五百旗頭真が述べている通り、本書はアメリカ政治研究が専門の著者が、これまでの比較政治と言う武器を手に日本の首相制度を論じた本だ。著者の疑問はシンプルだ。日本の首相制度はどこからやってきて、どういうもので、どこへ向かおうとしているのか。

その違いを見るため、国内では「大統領型」といわれた二人の政治家、中曽根康弘と小泉純一郎を例に出し、国外ではアメリカの大統領制を比較の俎上に載せる。

日本の首相はアメリカの大統領と違って、政治任用スタッフをあまりおいていない。だから首相は派閥の推薦で閣僚を決め、閣僚が官僚とともに制度をつくる。小泉以降は政治任用の幅が増えたものの、逆に首相が上手にふるまわないと政治が回らなくなり、失脚してしまうもろ刃の剣になった。

与党と内閣の関係も「ウェストミンスター型」と「大陸ヨーロッパ型」に分けて検討をする。ウェストミンスター型は与党と内閣の一体性が強く、与党一般議員が執政中枢部の意思に反した行動をとりにくく、大陸ヨーロッパ型は比例代表制で連立政権が常態であるから内閣と与党の一体性は確保されにくく、与党一般議員が内閣提出法案を議会で修正しやすい(本書 p.167)。

首相制度は単独政権か連立政権かで大きく型が違って来る。これは選挙制度の問題だ。得票率は20%程度でいいため、接戦になりやすく、また同一政党でも一選挙区から数人の候補者・当選者を立てられた中選挙区と、より多くの得票率を必要とし、一選挙区一候補しか当選できない小選挙区。前者では政党の後ろ盾より個人として戦うため、当選後も党の影響力を与えづらい・後者は政党の看板で選挙戦を戦うため、当選後は党が影響力を与えられる。単独政権が生まれやすい中選挙区では与党は議員への影響が及ぼしづらく、与党が議員への影響を及ぼしやすい小選挙区だと、連立政権になりやすい。ああ二律背反、世の中よくできている。

著者にすれば、日本の民主主義は「未完のプロジェクト」だという。それは参議院の存在だ。参議院の特徴は三つある。「内閣との信任関係をもたない」、「衆議院とほぼ対等な関係」、「特異な選挙制度」だ。このうち1番目と2番目、3番目が整合性を欠く。衆議院の優越があるのは「民意の反映」が前提になっているからで、その制度が存在する限り、参議院は衆議院と差別化されないといけない。しかし現行制度では参議院に当選する議員の性格をあいまいにしている。ここをクリアにしないと、二院制の意味がない。

本書全般を通して言えるのだが、文章でグイグイ引っ張っていく筆致の力強さはない。クールと言えばそうだけど、なぜここまで日本の戦後政治を解明する必要があったのか。筆者をして数百日分の首相動静を調べさせる動機はどこにあったのか。それをもっと情熱的に語ってほしかった。

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2800円で学べる人類5000年の歴史

マクニール,ウィリアム・H. 著/増田義郎/佐々木昭夫 訳(2008)『世界史〈上・下〉』中央公論新社

十九世紀のなかば、イスラム文明の継承者たちが直面したジレンマは、きわめて単純であった。要するに、イスラム教徒足らずしてイスラム教徒的であるにはどうしたらいいのかということだったのである。(中略)この難問にたいして、現在(1978年)までかなりの支持を受けてきた唯一の対応策は、近代的世俗国家を作り上げる基盤として、言語による民族性という西欧の概念を使うことであった。(下巻 p.247)

二十世紀までの西欧社会の住民の圧倒的多数は、世界の他の地域の場合と同じく農民であり、当然その生活は伝統的な季節ごとのリズムによって規制されていた。労働や家族関係、そして外部の世界に対する基本的姿勢は、いずれも日々の農作業習慣に基づいていた。この基準は二十世紀の工業化社会からは急速に姿を消している。(下巻 pp.339-340)

昔から名著と名高い世界史。四大文明の頃から冷戦後の現代まで、しかもひとつの地方に偏らず、全世界を俯瞰した歴史5000年が2800円で読めてしまうのは今の時代に生まれてきた者だけが享受できる贅沢だ。

本書の著者はコーネル大学で博士号を取り、長年シカゴ大学で歴史を教えていたアメリカ人であるが、第二次大戦の記述にしても戦勝国側の歴史観ではなく、冷静な筆致でどちらの側も納得できる書き方をしている(日本語訳では)。そういった瑣末なところからも細かな配慮が読み取れる。

上巻を読めばわかるが、人類の歴史はほとんどが血で血を洗う抗争だ。争いを避け、自らの得た土地を平定するために人は宗教を使って結束を高めた。それが後に国家になっていく。

当初、国家の運営は神の代弁者である王が行っていた。しかし悪政をみるにつけ、あの王は本当は神から使わされた者ではなく、正当な者が受ける権利を簒奪したのではないかと疑われる。そうして革命がおき、国民主権という考えが芽生えた。政教分離なんて浅い歴史なのだ。

著者によると、人類はこれまでにないスピードで変化に巻き込まれているという。村落共同体で暮らしていた数千年の伝統を捨て、伝染病がはやりやすい都市にも住めるようになった。そして、マスメディアも交通網も発達し、お互いの意思疎通が容易になった。ここまで変化がおきながら、戦争が起きていないのはまさに驚異的だという。

つい所与のものと思いがちな平和のありがたさをかみ締めて、先人の失敗と成功を振り返り、今後の人類のためにするのが、世界史という学問が我々に投げかける課題だ。

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20世紀の夢は21世紀でもまだ夢か

荒俣宏(2000)『奇想の20世紀』NHK出版

ヘンな本かと思ったらNHK出版である。 荒俣宏である。テイストはちょっと変わってるけど中身はマトモに決まってる。実際マトモだった。奇妙な思想のコレクションという意味ではマリナ・ヤグェーロ(1990)『言語の夢想者』工作舎に軍配が上がる。

思想ではなく奇想なので、生き残らなかったマイナーな思想を取り上げている。メジャーどころとしてはパリ万国博覧会で最大瞬間風速を発揮したサン・シモン主義が挙げられる他、住まうための理想宮を建設しながら住まうところになりえなかった郵便配達夫のシュヴァルなど、独特の思想をもった20世紀の「巨人」たちが描かれている。

中でも丁寧に解説されていたのがデジタルの誕生だ。メディア学の良書と言われる『グラモフォン・フィルム・タイプライター』ではタイプライターがデジタルの端緒となった、あっさり書かれているが、それがどうデジタルにつながったか判然としなかった。本書では自動計算機にジャカード織機のパンチカードから応用したメモリーを搭載させ、チェスで人間を打ち負かせるコンピューターを夢想したプログラム式コンピューターの発明者、チャールズ・バベジの考えと業績が描かれている。荒俣宏がコンピューター関係の部署にいたこともあって、書きぶりは分かりやすく丁寧だ。

もちろんこれは19章からなる本書のほんの一部にすぎない。全体を通して、人々はファッション、自動車、飛行機、万博、新技術にどのように夢を託し、どのような未来を夢見たかが描かれている。

この本が20世紀最後の年に出たのがとても意味ありげだ。20世紀の思想大総括と言える。翻って我々はどんな夢を抱いているだろうか。21世紀版の夢想大総括は誰に、どのように書かれるのだろうか。

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市場戦略としての品種改良

藤原辰史(2012)『稲の大東亜共栄圏 帝国日本の<緑の革命>』吉川弘文館

品種改良という技術は、耕地整理、肥料の普及、農作業の機械化などによって構成される農業技術近代化のパッケージの一部にすぎず、これらの要素と密接に関連しており、それだけで稲作の生産力を上昇させることは当然できない。(本書 p.12)

やはり、導入に成功したという定評のある新技術でさえ、慣習的にも経済的にも生理的にも、どれほど違和感を持って受け入れられたかが明らかであろう。(本書 p.130)

本書は稲の品種改良を通じて、大日本帝国がどのような大東亜共栄圏を描こうとしたかに迫っている。

1934年、東北地方を中心に大飢饉が日本を襲った。腹が減っては戦はできぬ。食糧、なかんずく主食の供給が足りなくなるのは大東亜共栄圏建設を目指す大日本帝国にとってゆゆしき事態だった。

そこで政府はすでに影響下においていた満州のほか、統治下の朝鮮、台湾で米を作り、内地の需要を賄おうとした。

元来、タイやベトナムで食べられていることから分かる通り、コメとは南方の植物である。それを朝鮮や北海道といった寒冷地で育てるためには品種改良が必要だった。結果、冷害や病気に強く、収穫量も多い品種ができた。ただ、化学肥料を多くやらねばならなかった。

たとえば台湾の場合、内省人は甘藷といったイモ類とコメなど、さまざまな就職をもっていた。外省人の場合はインディカ米を食べていた。彼らには彼らの暮らし方があり、その中でコメが作られていた。だから日本のコメはビーフンに不向き、家畜の飼料にならないなどの理由で敬遠された。

ただ、在来種より有利な点があった。在来種より多くの化学肥料を与えると、とたんに多く収穫でき、多くの現金収入が入るのだ。結果、収入を求める農民は多くを肥料に投資し、多くの現金をえて、更に来年、また多くの肥料に投資する…といったサイクルに組み入れられ、これまでの暮らし方も当然変わっていった。

これは単に品種改良をしてよかったね、という話ではない。品種改良は地元の人々の暮らし方を変え、化学肥料企業を中心とした大経済圏に組み入れられることを意味する。こうした流れは終戦とともにいったんの終焉を見るが、農業の品種改良といった聞こえのいい帝国主義は、戦後も生き続け…

品種改良は単に味や収穫量だけで行われるのではない。その裏では企業の熾烈な戦いが繰り広げられている。

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これからのメディアを知るために

佐藤卓己(1998)『現代メディア史』岩波書店

書物は19世紀半ばすでに「旧いメディア」と見なされていた。大衆社会到来の400年前にメディアとして完成した書物が、大衆を前提としていないのは当然であった。(本書 p.43)

労働者文化の伝統があるヨーロッパと違って、アメリカの移民労働者たちは共同体的娯楽から切り離されていた。教養を必要としない映画鑑賞は識字能力の未熟な移民労働者や青少年にとっての格好の「安息の場」となった。(本書 p.102)

書物、ラジオ、テレビといったメディアがどのように発展してきたのかを日米英独の比較を通して描き出している。

ここ数百年、人は書物を古いメディアと言い続けてきたが、いまだに生き残っているし、それが駆逐されそうもない。いつの時代も書物は危機を喧伝されながら生き延びてきた。

注目に値するのは、国家と人々の関わりだろう。かつてのメディアはラジオにしろテレビにしろ、大きな資本力を必要としていた。そのため、国家主導で開発され、イデオロギーを浸透させるために使われた。戴冠式をテレビ中継した英国にせよ、ラジオで戦況を伝えていた日独にせよ、国は異なれどやっていたことは同じだ。

しかし一方、比較的少ない投資額で済んだ雑誌と映画は民間主導だった。それが国民に憩いの場、公共への参加の糸口、娯楽を与えたのだった。

テレビを最後に国家がけん引するメディアは終わった。ネットや携帯を使ったメディアの登場は、いよいよ大衆主導型メディア時代の幕を開けた。これからは国家に導かれるのではなく、大衆の興味や関心が世間を導く。ネットを見てると世間が分かる。かもしれない。


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