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サントリー学芸賞 レビュー

アラブ、ペルシャ、スンニ、シーアを包み込むイスラム

小杉泰(1995)『現代中東とイスラーム政治』昭和堂

身体刑が主となっているのは、自由および共同体帰属を奪わざるべき基本的権利として、禁固等の自由刑を嫌うためであるし、その対象となる犯罪も、財産の不可侵性や社会の基礎単位としての家族といった基本的価値を犯すと考えられる犯罪である。その点を見るならば、イスラーム法の論理としては整合性を持っている(中略)しかしこのような身体刑の実施は非イスラーム世界では共感を呼ばないし、すでに「近代化」の進んだエジプトでは、こうした刑法をア・プリオリに非文明的で残酷であると見なす人々が存在する。(本書 p.247)

本書は今から見たら古い点もあるが、それでもなお、イスラーム諸国の現状について理解する手掛かりを与えてくれる。僕の中東体験はイランだけだけど、その時に感じた不思議が氷解した。それは「なぜイランには大統領がいるのに、ハメネイ師の写真の方が街中に多く飾ってあるのか」というもの。イスラームではコーランに書いてある規律が最重要視される。それを解釈して規則を創り出すのが一番偉い人で、イスラームの規律を世界に広めていくのが信者の役割となっている。だから、国家の運営者はあくまでもその解釈のもとに、現実世界で適用できるルールを作成し、運営していくのが仕事となる。だからアフマディネジャド大統領よりもハメネイ師の写真の方が圧倒的に多かったんだ。

イスラームには衰退する時期と復興する時期の大きな波があって、その波の一つとして現れたスンナ派のリダーというオピニオンリーダーが新たな解釈を切り開いて行ったダイナミックな時代のうねりを紹介するなど、本書は抑えるべきイスラーム社会の政治的、思想的に重要な史実を紹介してくれる。

一番面白かったのは第13章「現代中東諸国の国家類型」だった。それぞれを西洋化・近代化、民族主義、イスラーム復興という三つのベクトルを指標に類型化を図っている。今では無くなった南北イエメンやフセイン政権下のイラク、ムバーラク政権下のエジプトなど、少し古い点もあるが、たいへん参考になる。アラブ首長国連邦はいずれの独立したアラブ地域も連邦に入ることを妨げないと宣言していたり、実は選挙のあるイランの方が、選挙のないサウジアラビアよりもバリバリのイスラーム的主権論(成立した法律がイスラーム法に反しないかどうかを判断する機構まで備えている)だったりするなんて、知らなかった。

また、第15章で書かれている通り、イスラーム国家は周辺に波及する影響まで考慮して政治を行っているらしい。イラクがクウェートに侵攻してきたときはみんなさらっとサウジアラビアに逃げ込んだし、また、クウェートでは女性参政権を要求する声が強かったのに認めなかったのも、サウジアラビアに影響を及ぼすことが考慮されたとも言われているらしい。イスラム諸国では内政干渉と言われるようなことを平気でやりあっているらしく、西洋の枠組みにとらわれない国家のありかたがあることを思い知らされる。

本書のあちこちで書かれているが、イスラーム復興運動で王制を倒し、イスラーム国家を樹立したイラン革命ははやり当時としてはかなりのインパクトがあったようだ。上記のように、周辺諸国に影響を及ぼしやすい中東の政変は、世界から注目されただろう。しかし、著者の見方は異なる。

イランにおけるイスラーム革命は「二十世紀において宗教による革命が起きた」ことが尋常でないゆえに注目に値するというよりも、むしろ特筆すべきことは、イスラーム法が正当性を否定すると国家が存立基盤を掘り崩されるというこのモデルが、歴史的な有効性を超えて、現代でもなお機能することを示した点なのである。そして、イラン革命を領導したホメイニー理論の重要性は、このモデルを現代に再生させた点にある。(本書 p.21)

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サントリー学芸賞 レビュー

したたかな中国人の間でよりしたたかに生きるムスリム

中西竜也(2013)『中華と対話するイスラーム 17-19世紀中国ムスリムの思想的営為』京都大学学術出版会

中国と言うイスラーム世界の辺境において、イスラーム世界の中核から比較的孤立した状況のもとで、自らの進行を実践せねばならない苦労を背負いこむこととなった。(本書 p.3)

明の中頃まではペルシア語もアラビア語に劣らぬ尊厳を保持していたが、明末あたりから再イスラーム化の動きに合わせ、アラビア語の威信が著しく高まったことで、アラビア語とペルシア語の間に大きな格の違いが生じたのである。(本書 p.352)

中にコラムや写真、イスラームのお祈り方法までパラパラ漫画で書いてあって、面白い体裁をとる本書は中国のイスラームの思想や彼らと漢民族をはじめとするマジョリティとの関わりについて焦点を当てたもので、15世紀後半から19世紀を対象としている。中国に入ったイスラームは、婚姻を繰り返すことで、見た目による違いはほとんどなくなっていった。そして周りは儒教や道教、仏教などが主で、イスラームはマイノリティのままだった。本場のイスラームにはありえないような圧倒的マイノリティという逆境の中で、イスラームは生き残るべくしなやかに生きた。あるときはスーフィズム(神秘主義)を朱子学のアナロジーとして本を書いたり、またある時は漢訳版は簡略版にするといった配慮だ。マジョリティから攻撃を受けそうな箇所はあえてあいまいに訳してお茶を濁し、ムスリムの間で読まれるものについてのみ、本来のいいたいことを書いた。その中では中国のことを「戦争の家」とまで言っている。

本書は確かに、マイノリティの側から見たヘゲモニーとの応酬と見ることもできるが、中国の多様な一側面の理解に役立つ。軋轢を抱えた中での統治という社会体制がここ最近できたものではないことが分かる。さらに「宗教は人民のアヘン」とまで言ってはばからない社会主義体制になってから、より一層しめつけが厳しくなったことが予想される中国イスラームを取り巻く環境の中において、彼らがどうしたたかに、しなやかに生きているのかが気になった。続編もぜひ読みたい。

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宗教の栄華と退潮を見る

アーネスト・ゲルナー著/宮治美江子, 堀内正樹, 田中哲也訳(1991)『イスラム社会』紀伊國屋書店

急速な職業移動と技術革新が特殊な諸共同体の平和的共存を困難または不可能とした近代的状況下では、これらの共同体のそれぞれが自分自身の国家を獲得または創設しようと試みる。言い換えれば、民族主義が支配的になる。(常軌を逸した悲劇的なケースであるレバノンにおいてのみ、諸共同体は不安定な力の均衡によってどの共同体にも属していない政治体制の下で共存し続けることを強いられている。(後略))(本書 p.140)

カダフィによるスンナ(筆者註:コーランとは対照的に、法典化された伝承)の停止や削減はウラマーの地位と権威を大いに減少させ、またある意味ではそれはウラマー階級の解職であった。(中略)日々のスンニー主義は、その秩序や冷静さ、それを優先的に受け入れてくれる態度がある時、それを人民のアヘンと呼ぶことはほとんどできない。すなわちそれは市民たちを守る市民憲章に非常に近いものであり、そこではウラマーたちはその法委員会のような存在であった。しかしカダフィの極端な厳格主義は市民からそうした防衛手段を奪った。(本書 p.149)

だからどの部族もムスリムとしての立場を示す必要があるし、いかなる場合にもそれを示したいと望むわけである。ところが彼らはコーランに関する学識でそれを示すことはできない。文盲だから。(本書 p.264)

佐藤優をして「獄中で読んだ学術書の中でそりが合うのはアーネスト・ゲルナーだけだった。(中略)マグレブのムスリム社会をイブン・ハルドゥーン[1332-1406]の交代史観とヒューム[1711-76]の「振り子理論」を用いて見事に分析している。この方法論も極めてユニークで、まさに自分の頭で考えている」(佐藤優(2010)『獄中記』 岩波書店. p.434)と言わしめた。

僕は仕事でムスリムと関わるので読んだ。しかしこれまで行ったことがあるイスラム圏も、仕事で関わりのある国、すなわちマレーシアだけだ。この本の射程は訳者あとがきに書いてあるとおり、オスマントルコには適用しづらいものの、一概にマグレブ(地中海沿岸)じゃないからといって適用できないと決めつけるのは性急らしい。ただ、東南アジアでは合わないのではないか。

基本的な枠組みとしては、マグレブを例にとったイスラム社会においては、都会の定住民と田舎の遊牧民に分けられ、前者は文字を読むことができて聖天に直接アクセスすることができるのに対し、後者は文盲で聖典へのアクセスは仲介者を必要とする。そして前者は聖典の読みを研究するウラマーと遊牧民の攻撃から守ってくれる政府を必要とし、後者は仲介者としてのスーフィーがいて別途クランの長がいればいいだけの組織で、特段政府のようなものを必要としない。

こうした二項対立的な構図は、おそらくは西はマグレブ地方から、東はトライバルエリアのあるパキスタンまでのものだろう。スリランカやインドネシア、マレーシアといった国々では該当しないのではないだろうか。

イブン・ハルドゥーンの社会学とヒュームの振り子理論、それに加えてケインズやエドマンド・リーチといった大家の理論を縦横無尽に使いこなしてイスラム社会を分析するアーネスト・ゲルナーの頭のキレは、まさに快刀乱麻を断つ具合だ。原著書初出年が1981年と30年前、もちろん執筆時に使ったデータはそれ以前のものだから、アラブの春のジャスミン革命でチュニジアは政権交代が行われ、リビアのカダフィは殺害されてしまった。そうした社会情勢の違いはあっても、やはり本書は、まだイスラム社会を理解する上では多くの示唆を与えてくれる。

スーフィズム(神秘主義)については井筒俊彦の本から知っていたが、実際は田舎の部族が頼るもので、土着の信仰とないまぜになったものだ、という見方は知らなかった。大変勉強になった。

上記引用の、文盲だからという箇所についてだけど、イスラム社会は声の文化なのではないか。マレーシアでも決まった時間にはモスクからアザーンが朗々と聞こえてくるし、井筒俊彦の回顧録にもそういう話が出てくる。本書でもp.290にアルジェリアのスーフィー(イスラム神秘主義者)コーランの九割を覚えたというエピソードが出てくる。解釈や伝承を捨象して、原典に忠実な姿勢をしめすには、頭の中にあるコーランを引用すればいいのだけれど、そのあたりの説明がないのがもどかしい。(もっとも、オングの『声の文化と文字の文化』の出版は本書の翌年、1982年だから仕方ないとも言えるのだけど。)

惜しむらくは、原著書の題名がMuslim Societyだったのだが、本書では(出版当時の)日本の事情を考慮して『イスラム社会』と訳出された。今ではムスリム社会でも通じるだろう。ここ十数年でイスラムもずいぶん人口に膾炙した。そのほか、原住民と書いていたり(Aborigineだったらまだしも、Indigenous Peopleは、今は先住民という。中国語では原住民と言うけれど。)、諸刃の剣と諸刃の刃と、両方の書き方が混在していたりと、少し急いだような箇所が見られるところだ。