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京都大学草創期の蹉跌


君は予が試験の為めに何頁の講義筆記を暗記せざるやを知るや。実に五千頁なり

本書 p.113

京都の教授たちは、こうした期待を受けて、京都の土地に「二番目の帝国大学」ではなく、一番目の帝大に対抗する新たな大学を作り上げようと試みた。

本書 p.210

現在の京都大学の前身である京都帝国大学は、日本で二番目の国立大学として産声を上げました。東京大学が官僚養成の大学として設立され、詰込み型の教育をしていました。一方、京都大学では学生に研究の自由を与えました。その内情と改革の結果を、京都大学法学部(当時京都帝国大学法科大学)の実例を引きながら本書は明治の帝国大学の改革競争を紐解きます。

東京帝国大学での法律の授業は熾烈なものでした。 学生が受ける授業は一週間に27.5時間にも及びました。予習復習の時間を入れると40時間、現在のサラリーマンの勤務時間程度にはなったでしょう。授業中、学生たちはまるで速記機のように教師の言う言葉をノートに書きとり、上の引用でも書いた通り、1年間で筆記講義五千頁にも及ぶ量を記憶し、1年に1度の進級試験に臨みました。中には授業中に言ったダジャレを答案に書かせる教員までいたそうですから、筆記も気が抜けません。

一方の京都帝国大学は東京のような詰め込み式教育では法典条項の中身を覚えさせるより、法的修練を身に着けるほうが大事だと考えます。どうやって身に着けるか? そこでドイツ帰りの教員たちが当地で見たゼミナールを模倣します。ゼミナールを模倣して論文を必修とする一方、必修科目を減らして選択科目を多くした結果、最短3年で卒業することができる制度に変えました。

結果、京都帝国大学は負けました。当初は期待をもって受け入れられたものの、卒業生を輩出しだし、その高文試験(現在の国家公務員総合職試験)合格者の数が少ないことが新聞はおろか、帝国議会でも問題にされました。「碌な卒業生がいない」「文部省の信任問題だ」などと批判されます。

しかし、負けたとはいえ高文試験の合格者数だけの話です。当時の高文試験の出題委員は多くの東京帝大教授、一部の京都帝大教授で占められていました。外交官試験等、ほかの試験も同様です。そうすれば東京帝国大学の教授が行う授業を受けるほうが有利に働きます。その教師たちこそが出題者であり、採点者なのですから。かなりの大差をつけられたとはいえ、東大方式の教育方法に真っ向から反対した京都帝国大学は、国家公務員になる人こそ少ないものの(この傾向はいまでもある)、学会や民間でそれなりの実績を残しているとも考えられます。

ただ公務員試験だけで成功・失敗を測るのではなく、より多面的な方向で価値判断する余地の残る議論だと思いました。少なくとも東大方式、京大方式の二つがライバルとなる形で試行されたのは学生にとっても、大学にとっても、ひいては社会にとっても良いことだったと思います。


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高校生に教える本物の知恵


琉球語はビッグデータがないから、琉球語の電子翻訳はできない。そういう意味において、機械が自分で考えることはできないんです。

本書 p.91

でもお金持ちになるのは、そう簡単ではありません。他方で、自分の名誉と尊厳を持って、きちんと生活していけるだけのお金を稼ぐことは、実はそれほど難しくない。

本書 p.106

本書は佐藤優が2018年6月2~3日にかけて沖縄県の久米島高校で行った講演録です。佐藤は母の母校である久米島高校の生徒たちに、これからの世の中を生き抜いていく方法を教えます。

佐藤の母は自らの戦争体験から自分で考える力の重要性を知っていました。だから息子にもちゃんとした教育を受けさせました。戦時中、佐藤の母は沖縄本島で軍属として日本軍の身の回りの世話をしていました。そのとき会った軍人には「(アメリカ軍は)女と子どもは殺さない」「戦争に負けても日本が滅びることはない」と国際法や世界情勢から見た自分の考えを伝えてくれる人がいました。偏差値教育ではない、「自分の頭で考える」教育はこういうところで真の力を発揮します。

これからの日本では経済成長はあまり見込めず、非正規雇用の増加などで不安定な立場の人たちも増えていきます。そういう社会を生き抜いていくには、偏差値教育ではなく、相手の立場を考えられる力が重要だと説きます。幸いにも久米島高校には離島留学の生徒がいて、いろんな立場の子どもたちが交流できる環境にあります。その点はとても羨ましく思いました。

高校生向けだからか語り口はとてもわかり易く、しかし中身はしっかりしています。大人でも十分勉強になる本です。


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現代沖縄の裏社会


こうした猥雑な空気をはらんだ街に引き込まれたのは、私が地方都市の場末の歓楽街で生まれ育ったせいもあっただろう。そしてもう一つ、それまで」自分の中で醸成してきた沖縄のイメージが揺らぎ始めたことによる、静かで深い衝撃も大きかったと思う。

(本書 p.13)

戦争未亡人たちが、生活を維持するために米兵相手に売春をしてドルを稼ぐという現実は、当時の沖縄の人々なら誰しもが認識していることで、さきの新聞にあるような「頽落」やら「風紀の乱れ」ではないことは、警察もメディアもわかりきっていたはずだ。

(本書 p.217)

沖縄で「恥部」とまで言われた売春地帯を記録したノンフィクションです。沖縄ではそうした地帯は特殊飲食店街、通称「特飲街」と呼ばれてきました。昭和33年に売春禁止法が施行されましたが、沖縄は復帰前だったため、本土と足並みは合いませんでした。

沖縄にあった特飲街は吉原、真栄原新町、そしてアギムヤーと呼ばれる松島でした。特に松島特飲街はネット上に情報がほとんどありません。米軍基地ホワイトビーチの近くらしいのですが、現在では住宅街となっているそうです。ネットではわからない情報が載っている、貴重なルポでもあります。

沖縄では第二次大戦中、県民の4人に1人は犠牲になったといわれる沖縄戦ですべてを失った人たちのうち、家族のため、自らの身体を売って稼ぐしか道のなかった女性もいました。当時、戦争未亡人に対する補償はないに等しかったためです。米軍に攻め入られ、占領された島々の経済は米軍によって支えられたのです。

米軍内部での風紀が厳しくなると、沖縄や本土の観光客を相手にするようになりました。そして沖縄だけでなく、遠くは北海道の女性まで流れてくるようになります。本書はそうした変化や女性の流れてくるルートの解明に、警察や歓楽街の人たちはもちろん、裏社会の人にまでアプローチして迫っています。

しかし、時代は売春を許さなくなってきました。2010年代に入ってから人権意識等の高まりを受け、特飲街は「浄化:されていきます。その先頭にたったのが、警察と婦人団体でした。女性の生業を女性が浄化していったのです。

幻の映画「モトシンカカランヌー」(元金かからない者=売春婦)で「十九の春」を歌っている女性、アケミを探し歩く章は推理小説を読むような展開です。沖縄復帰前に撮られた映画に出てきた女性を探すため、細いつながりを何本も使って筆者は撮影地や撮影者、アケミを知っている人たちを訪ね歩きます。


モトシンカカランヌー(一部)

本書のタイトルで『東京アンダーグラウンド』を思い出す人も多いと思う。あちらはプロレスから裏社会、テキヤなどを政治経済に絡ませていたが、本書のメインは売春だ。それ以上は個人単位でかかわっているから深く把握しがたいらしい。本当に表に出てこない「アンダーグラウンド」の世界に肉薄した本です。米軍と女性といった一枚岩では解決できない問題を提示され、考えさせられてしまいます。おそらく答えは出ないのでしょう。現実を前に、考え続けるしかありません。


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ローマ法王に米を食べさせたスーパー公務員の町おこし


「本当においしい物、いい物を直売所で売りましょうよ。まずい物はJAさんに渡してください」

本書 p.157

それをあなたたちは、紙切れ1枚とまんじゅうだけ持ってきて1000万円出せと。総会屋でもしないことを自分たちがやっているのが、おわかりになりますか?

本書 p.195

辞令を受けたんです。この時まで5年半、私はずっと臨時職員だったのです。35歳でようやく公務員になれた。認めてもらえたんです。うれしかった!

本書 p.203

ローマ法王に米を食べさせた男、石川県羽咋市職員の高野誠鮮さんのしごとの話です。一時期、羽咋市はUFOで有名になりましたが、それを仕込んだのがこの高野さんです。市の古文書でUFOらしき記述を見つけ、国に事業を申請、認めてもらったらしがらみがあってハコモノを作ることにはなったけど、展示品はNASAから100年間無償で借り、宇宙飛行士の講演会も行いました。結果、羽咋市には2000万円の黒字が残りました。その功績が認められ、正規の市役所職員になります。もちろん、行動するけど失敗もします。UFOで町おこしをするからU. F. O.を作っている日清食品に行き、協賛金のお願いを申し出たところ、「総会屋でもそんなことしない」とけんもほろろに断られました。

どうやってこんな公務員が生まれたか? 高野さんはその名前から分かる通り、お坊さんです。日蓮宗のお寺の子でしたが、地元の高校を出たあと、大正大学で僧侶になる勉強をしながらマスコミ業界で仕事をし始めました。しかし、お兄さんが家を継がないことになりました。日蓮宗ではお寺は宗派のもので個人のものでないため、お父さんがお坊さんをやめると露頭に迷います。しかも500年も続くお寺です。後を継ぐため、羽咋市に帰ってきました。だけど檀家は100件、そんなお寺にお坊さんは2人もいらないということで、何かの仕事を探し、見つけたのが市役所の臨時職員の仕事でした。

公務員になってから、上司と対立して農業関係の部署に左遷されます。しかしそこで左遷ととらえず、一所懸命農業振興を考えます。幸いなことに、羽咋市には良質のお米がありました。しかし地元の人達はPR方法も知りません。年収70万円で後継者もおらず、ただ限界集落担っているのを黙ってみているだけでした。

そこで各地に米をPRしたほか、メディアにも定期的に発信し、さらには若い人や大学生を呼ぶ取り組みも行いました。周りを巻き込んでなにかやろう、という雰囲気を作っていきます。もちろん、小さな集落だから閉鎖的な人もいます。仏壇があるのに大学生を呼べない、失敗したら誰が責任を取るんだなどなど。とことん話し合い、やってみるか…と潮目が変わった頃合いを見て動き出すのは人と向き合う仕事である僧侶をされてきただけあります。その他、対立してしまうJAとは事前に話を通しておくなど、細やかな配慮も忘れません。

市長には「明日東京に行っていただくことになりました」と言って翌日の予定をすべてキャンセルさせ、副市長には「県庁ではこんなやり方通用しない」と注意されるなど、手続きと前例踏襲を重んじる役所では破天荒ではありますが、フットワーク軽く仕事をしていきます。これも当初から、今の過疎化は役所のこれまでのやり方が間違っていたせいだ、これまでのやり方を踏襲していてはいいことができない、と旧知の市長に伝え、事後承諾を了承させていた結果です。

結果、ローマ法王に羽咋市神子原地区のお米を献上したり、自身の手がけた農産物をフランスのミシュランに載ったレストランや東京の有名デパートが扱うに至ります。破天荒な仕事のやり方が影響してか、役所ではあまり出世しなかったようです。ここまで地域振興をし、地域の人々の信頼を得て、いくつかの大学の客員教授やメディアにも取り上げられたのにもかかわらず。このあたりが役所の限界なのかな、と思わされます。


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街の語学者 三上章の一生


今西(筆者註:錦司)は生前「わしに進化論をはじめて教えたのは三上やで」と言っていた。三高時代の今西に進化論の手ほどきをしたのは、古今東西の主要著作に親しみ博覧強記で知られた三上章だった。

本書 p.93

三上はこの論文に相当の自信を持っていた。それで、すくなくとも古語、雑誌『コトバ』に載るすべての論文から「主語」という言葉は消えて無くなるに違いない、と本気で信じていたそうである。-「次の号から、いや印刷に間に合わないということもあろうから(!)次の次の号から」そうなるだろうと。

本書 p.160
「象は鼻が長い」で有名な三上章の一生を描いた本です。丹念に取材をして、三上章の人生を、生まれから死去まで追っています。また、くろしお出版の会長や実妹・茂子など生前の三上章と交遊のあった人たちにも会って話を聞き、エピソードに肉付けをしています。

三上章は1903年1月26日に広島県高田郡甲立村に生まれました。三上家はもともと武家で、三上の生まれた明治の時代は豪農でした。大叔父(母方祖母の弟)の義夫は数学者で和算を世界に紹介した科学史家として有名です。

幼い頃は病弱で病に臥せっていたこともありましたが、広島市内の中学校に入学するとスポーツを通じて健康になりました。小さな頃から読み書きや計算に優れていましたが、数学では気に食わない問題が出ると白紙で提出したり、xyzと書くところをセスンと書くなど、反骨精神のある子だったようです。その調子で主席で入学した山口高校を退学し、数学が得意だった御神は三高理科甲類に入学します。三高では今西錦司と同級生、桑原武夫の1年上にあたります。卒業後は当日の受験拒否騒動などありながらも、叔父義夫の勧めで東大建築学科に進学します。当時は文系では食えず、関東大震災後の東京では建築の仕事はいくらでもありました。

卒業後は台湾総督府で技師として働くもすぐに退職し、内地に帰ります。しかし仕事をせねばなりません。戦前は数学教師として朝鮮に赴任しました。1935年には広島に帰国、1938年からは大阪の高校で教鞭をとります。数学教師をしながら、日本語文法の研究をし続けました。金田一春彦の勧めもあって本を出版し、佐久間鼎の支えもあって東洋大学で文学博士号を取得します。そのおかげで武庫川女子大学、大谷女子大学で教鞭をとることになりました。

私生活では結婚せず、母フサ、妹茂子と3人で暮らします。しばらくは健康に過ごしていたようですが、戦前からすっていたタバコ(一番きついゴールデンバット)のほか睡眠薬ヴェロナールも常用し、また躁うつ病をわずらうなど、順風満帆とは行きませんでした。大谷女子大学では時間に正確なことでも有名で、始業前にドアの外で待って、ベルが鳴ったら入ってくる。またベルが鳴ったら話の途中でも切り上げる。だから「とは言」とだけ言って帰り、次の授業では「えない」から始まる。といった一種異様な有様を呈しました。

才能は恵まれた三上が自らの健康と引き換えにしてささげた文法研究が生前は正当な評価を受けなかったのは残念なことです。しかし生誕100周年の2003年には三上章フェスタが開かれる(余談だが、このフェスタに妹茂子は大阪から駆けつけ、久間鼎の次男均にお礼を伝えた)など、ある程度の地位は持ってきたように思えます。大きな業績の裏側では、三上の私生活を支えた母や妹、そして出版社や一部の学者の力があったことを教えてくれる本です。

惜しむらくはその偉大さを伝え切れていない点です。著者は日本語を教える過程で三上文法のすばらしさに気づいたそうなのですが、そうならば従来の文法(著者があげている橋本文法など)を取り上げ、比較検討して優位性を示してほしかったと思いました。

また、エピソードが足らないからか、ある年代の時代背景を描くのに世界や日本の出来事と「三上はどういう気持ちでいただろう」などの著者の感想がやたら入ります。そのため三上と周りの人のエピソードが散漫になってしまっています。歴史上の出来事や感想はできるだけ控えて書いた方が伝わったのではないかと思います。本人の人となりを伝えるという点では関口存男の周りの人が死後に思い出を語った『関口存男の生涯と業績』や斎藤秀三郎を知っている人に丹念に取材をしてエピソードを集めた『斎藤秀三郎伝―その生涯と業績』の方が人となりが伝わります。本人の学習ノートも見せてもらったほか、「雑談の名手だった」というエピソードも聞いたのですから、研究に対する真摯な姿勢、鬼気迫る様子などもおそらく伝え聞いたのではなかったかと思います。三上がどのような姿勢で研究をしていたのか、ぜひ知りたかったです。


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特高警察以来の伝統技術でロシアのスパイを尾行する


竹内明(2009)『ドキュメント秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの344日』講談社

完全秘匿による徒歩追尾を命じられたスパイハンターたちは、対象の前方に「先行要員」を配置して、同方向に歩かせる。この先行要員はまったく振り向くことなく、対象の呼吸や足音、摩擦音で進行方向を予測して前方を歩き続けなくてはならない。(本書 p.154)

昨日まで身分を秘して闇に溶け込んでスパイを追いかけていた人間が、腰に拳銃をぶら下げて自転車で管内を駆けずり回るのである。当直勤務になると自転車泥棒の職質検挙で署の成績向上のために奮闘することにもなる。(本書 p.280)

2000年9月7日、東京都港区浜松町のダイニングバーで幹部自衛官、森島祐一(仮名)がロシアの情報機関であるロシア連邦軍参謀本部情報部(GRU)のボガチョンコフに書類袋を手渡した直後、15名ほどの合同捜査本部員が二人の身柄を拘束しました。森島はその場で逮捕、ボガチョンコフは外交特権で逮捕されず、任意同行を拒否して2日後にアエロフロート便で成田からモスクワに緊急帰国しました。

本書では警察庁、警視庁と神奈川県警の連係プレーによるロシアのスパイ捜査を取材に基づいて細かく描いています。森島は息子が白血病になり、地上勤務を希望します。治療費と新興宗教へのお布施代、それに実家の自己破産もあって、生活には余裕がありません。食事は2日に1回、千円食べ放題のランチでおなかを満たす日々でした。業務面では防衛大学校で修士課程に在籍し、ロシアの専門家として訓練を積んでいきます。その際に、どうしてもロシア軍に関する資料がほしい。たまたま安全保障関連のフォーラムで知り合ったロシア大使館の駐在武官に、資料の提供を依頼します。一方、ロシア側からは自衛隊の内部資料を依頼されます。結果、森島は内部資料を渡してしまいますが、ロシア側から提供されたのは日本でも手に入る雑誌でした。

本書では裁判で明らかになったもののほかに、森島は実は多くの機密書類を渡していたこと、ロシア側のスパイとの接触、現金の受け渡し方法のほか、それをオモテ(堂々と)とウラ(ばれないように)の2班に分かれて追う警察側の姿も描き出しています。鮮やかな筆致でサスペンス映画のように実際の事件を生々しく描いており、ぐいぐいと引き込まれていきます。

現場では職人技でスパイを尾行するものの、そこはお役所、人事異動もあれば省庁間の利害の対立もあります。職人技を引き継ぐよりはジェネラリストの育成を目指す人事異動、逮捕しようと思っても、日露首脳会談の前にはしこりを作るのを嫌がって待ったをかける警察庁、外務省。どこからか捜査情報が漏れて記者が嗅ぎ回ったり、逮捕前にスパイに帰国される。様々な困難を乗り越えて、特高警察以来の技術に磨きをかけ、秘匿操作は行われます。

警察庁に待ったをかけた外務省については、以下のような記述もありました。

まもなく、視線の先には秘匿追尾対象の外務省職員が出てくるだろう。外務省の建物から巨体を左右に揺らしながら出てくる男の姿は得体の知れぬ迫力がある。(中略)森島祐一の判決尾翌日、スパイハンターたちは、スミルノフと鈴木宗男、そしてこの巨体の外務省職員が、港区内の高級しゃぶしゃぶ料理店に入っていくのを確認した。(本書 p.282)

外務省職員は追尾されることもあるようで、以下のように書いている人もいます。

佐藤 ときどき、失敗して、尻尾を見せる公安の人たちもいます。寄ってきた公安の人に、「追尾発覚、現場離脱ですね」と私は耳元で囁いたことがあります。(副島隆彦、佐藤優(2017)『世界政治 裏側の真実』日本文芸社 p.170




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不安定な時代だからこそ読もう:村上春樹『ノルウェイの森』


村上春樹(2004)『ノルウェイの森』講談社

「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ」(本書上巻 p.155)

「だって私これまでいろんな人に英語の仮定法は何の役に立つのって質問したけれど、誰もそんな風にきちんと説明してくれなかったわ。英語の先生でさえよ。みんな私がそういう質問すると混乱するか、怒るか、馬鹿にするか、そのどれかだったわ。」(本書下巻 p.65)

僕は大学生が出てくる小説が好きだ。

彼らは未熟で、将来に対するぼんやりとした不安があって、人間関係に悩み、答えの出ない問いをめぐってぐるぐるしている。未熟ながらも一所懸命にもがいている。そんな大学生の出てくる小説が好きだ。

本作も間違いなく、そんなまじめな大学生の出てくる小説です。主人公の大学一年生、ワタナベは直子と緑という二人の女の子を目の前にして悩みます。緑とならすぐ付き合えるのですが、ワタナベが愛しているのは直子で、直子との間には複雑な事情があって簡単には解決できません。

そうやって一人で解決できないことをめぐって、いろんな人に話を聞き、いろんな人を巻き込んでぐるぐると悩み、もがきます。そんな中、すっと手を差し伸べてくれるのが同じ寮に住んでいる先輩(おそらく東大法学部から外務省キャリアという設定)の永沢さんです。

「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

永沢さんは同情せずに、自分の力を100%出し切って、それでダメだったらそのとき考えればよいといいます。彼には多くの問題の原因と対応策が見えているのでしょう。それが見えないワタナベがもどかしく、だけどどこか他人に対して冷めているワタナベに親近感を持ちます。

一方、ワタナベはそんな永沢さんの良さを理解しているものの、心を許しているとは言えません。私がワタナベに惹かれるのも、永沢さんよりはワタナベに近いからでしょう。世の中の多くの人は永沢さんほど頭脳明晰でもなければ、自らの力に自信があるわけでもありません。

だから、不安定な足場の上で必死にバランスを取ろうとしてもがいているワタナベに共感するのです。不安定であるからこそ、よく考え、行動する大切さを彼は教えてくれます。これは先行きの見えない現代にも通じる部分といえます。私はとても共感を覚えました。

ちなみに本作品で有名になった新宿にあるジャズバー、DUGが出てくる箇所は下巻のp.47「紀伊國屋の裏手の地下にあるDUGに入ってウォッカ・トニックを二杯ずつ飲んだ」とp.150「DUGに着いたとき、緑はすでにカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた」の2か所です。

都電の駅から寮まで徒歩で帰る描写がありますが、早稲田の駅から和敬塾までは遠いなあ、と思いました。




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現代史の最重要人物:トウ小平


エズラ.F・ヴォーゲル著、橋爪大三郎(聞き手)(2015)『トウ小平』講談社

指導者が、なるべく多くの人びとの意見を聞いて、決めるわけです。意見が正しいと思えば、そのようにやる。そうじゃないと、自分の判断で方向を決める。(本書 p.196)

全国の秩序を守るために、ときどきひとを犠牲にしなくちゃならない。というロジックの犠牲者が、天安門の学生である。そういう考えだと、私は思う。(本書 p.207)

 エズラ・ヴォーゲルが大著を記しました。それが『現代中国の父 トウ小平(上)』『現代中国の父 トウ小平(下)』です。今回はその大著を紹介する対談です。

対談が豪華です。エズラ・ヴォーゲルの相手は『はじめての構造主義 (講談社現代新書)』でも知られている橋爪大三郎です。

鄧小平は第二世代の指導者といわれます。第一世代が建国の父、毛沢東。第二世代が鄧小平です。そして第三世代から江沢民、胡錦濤、習近平と続いて行きます。ただ、中国の国家主席は毛沢東と江沢民の間に劉少奇、李先念、楊尚昆がいます。また、中国共産党中央委員会主席も毛沢東、華国鋒、胡耀邦の3人がいます。鄧小平はどちらにも就いていません。

ではなぜ鄧小平が第二世代と呼ばれるのでしょう?

まず、中国では共産党がすべてを支配します。まず国があり、いずれかの党が運営するのではなく、まず党があり、党が国を運営します。そのため、党が何よりも優先され、党のトップ(総書記)が国のトップ(国務院総理)を指導します。

当時、党主席だった華国鋒は鄧小平によって権限を剥奪されてました。そして中央書記処総書記の職を設置します。中央委員会主席が党の最高指導者、中央書記処総書記が党の日常業務の最高責任者という運営にしました。そして鄧小平の信頼厚い胡耀邦が就任、再び党首と党の日常業務の最高責任者が分離する体制となります。

追い詰められた華国鋒は党書記を辞任、代わりに胡耀邦が党主席に就任、鄧小平は党中央軍事委員会主席に就任して人民解放軍(これまた国ではなく党の軍隊)のトップに就きます。一方で国の方には鄧小平の信頼厚い趙紫陽が国務院総理(首相)に就任していました。こうして鄧小平体制を確立しました。

現在は党総書記、国家主席、軍事委員会主席の三つの役職を担うと中国の名実ともにトップになったといわれます。





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会社で生き延びるに意外と使える旧日本軍のマニュアル


佐藤優(2017)『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』講談社

読みたくないのに読ませてもだめです。そういう人は出世しませんから時間の無駄です。だから、やる気のない人を相手にしない方がいい。人生は短いですから。(本書 pp.277-278)

いま、日本の内外にはさまざまな危機が取り巻いています。このクライシスを乗り越えるためにも、着実に力をつけることが求められているのです。(本書 p.282)

 会社は教養で生き抜けます。逆に言うと、教養を使わないと生きづらい社会が会社だということです。よほどの零細企業や個人事業主出ない限り、会社には仲間がいます。その中では比較的波長の合う人、合わない人が出てきます。自分が教養をつけてしなやかになる(思考の柔軟性を持つ)とともに、波長の合う人と上手に付き合っていくのが生き抜くコツです。

 本書で佐藤は独断専行、宗教、論理学、地政学、資本主義、日本史、数学がビジネスパーソンが生き抜くにあたって必要な牙だとしています。具体的には以下の見出しをつけて身につけるべき教養をあげています。

  1. 旧日本陸軍マニュアルに学ぶ仕事術
  2. 世界のエリートの思考法を理解するための宗教入門
  3. 論理の崩れを見抜く力をいかに鍛えるか
  4. 地政学を知ることで、激動する国際情勢がわかる
  5. 資本主義という世の中のカラクリをつかむ
  6. これだけは知っておきたい日本近現代史
  7. エリートの数学力低下という危機
  8. 本をいかに選び、いかに読むか……

興味深いのは一番初めに独断専行の研究として旧日本軍のマニュアルを持ってきたことでしょう。負けた軍隊のマニュアルなんて、何の役に立つの? と思われるかもしれません。ここで使われているのは陸軍のエリートに向けて書かれた『統帥綱領』ではなく、兵卒に向けて書かれた『作戦要務令』です。後者では戦況に応じて撤退をすることまでもマニュアル化されていました。一方、「死して虜囚の辱めを受けず」をよしとした戦陣訓を大事にした陸軍のエリートたちは柔軟な思考ができず、撤退の指示ができませんでした。

『作戦要務令』で興味深いのは独断専行を認めていることです。独断専行はある程度、上司の信頼という後ろ盾がないとやりづらい。だけど独断専行という形を取って上司の思いつかないこと、上司が踏ん切りつかないことをするのは、軍隊のような年功序列で硬直した組織が柔軟化するには必要だったのです。

だからといって準備もなしに独断専行をするのは危険です。大体、上司は「うまくやれ」と言って、できた時は「よくやった」と手柄を取り上げ、できなかった時は「なぜ指示通りに動かなかった」とこちらに責任を擦り付ける形で叱責します。そして独断専行をした人はトカゲのしっぽきりにあってしまいます。

そうならないために、うまくいかなかったときはその原因を突き止め、上手に上司に責任を押し付けることが大事だと佐藤は指摘します。結局、仕事をするにあたっては常に冷静な判断をすることが一番大事なようです。

その他の項目は宗教に代表される人々を魅惑する論理、論理学、国際情勢、数学、読書は仕事に役立つとなんとなくわかります。日本史については、過去のパターンを知れば、現代起きている事象のパターンがわかります。佐藤は歴史に二分法を入れて時流に乗った人物として小泉純一郎、田中真紀子、そして小池百合子をあげています。歴史に学ぶと、現代から近未来が見えてきます。

なお、『作戦要務令』は以下の国会図書館のサイトで画像として読めます。
http://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&any=作戦要務令&op_id=1&display=&mediatype=6



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稼いでも稼いでも楽にならない現状を変えるには


河上肇、佐藤優(2016)『貧乏物語 現代語訳』講談社

一九八〇年代前半、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)では明石家さんまらが「貧乏」をネタにすることができた。しかし、いま、テレビで「あなた貧乏人?」と突っ込むのは禁句に近い。
(本書 p.9)

機械が最も盛んに利用されている西洋の先進諸国において、-この物語のはじめでお話ししたように-貧乏人が非常にたくさんいるというのは、いかにも不思議なことです。
(本書 p.111)

第一次世界大戦のころに書かれた本のリメイク版です。前後に佐藤優による解説がついています。しかし内容は今の時代に読んでも古さを感じません。

河上はイギリスの例を挙げ、なぜあれほどの先進国で貧乏人が多くいるのかと疑問を投げかけます。貧乏人は一日に必要なカロリーを得ることすらできない、「貧乏線」以下の状況で暮らしています。

河上は金持ちが無駄遣いをやめ、余ったお金で社会の人に役立つお金の使い方をすれば貧乏人は減るといいます。嗜好品を求めるから嗜好品工場ばかり増えるけど、それを減らして生活必需品の工場が増えるようなお金の使い方をしなさいと述べます。ひとえに、金持ちの人間性を頼りにした性善説です。

しかし、現実はそうはうまくいきません。金持ちは貧乏人のためにお金を使うことはほとんどありません。そのため、再分配はやはり国家や自治体などの役割になってきます。100年たっても経済格差も格差の解決が難しいことも、時と場所を超えた真理として響いてきます。

状況が良くなったのは、革命の危険があるから貧乏をなくそうとしていた冷戦時代という特別な時期だけでした。「稼ぐに追いつく貧乏なし」が通じたのは、その時代でした。しかし、今は稼いでも稼いでも我が暮らし楽にならざり、の時代が再来しています。性善説で金持ちの人間性に任せるか、性悪説で政府の再分配機能を強化するか。もはや座視できません。私たちの選択が迫られています。