不安定な時代だからこそ読もう:村上春樹『ノルウェイの森』


村上春樹(2004)『ノルウェイの森』講談社

「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ」(本書上巻 p.155)

「だって私これまでいろんな人に英語の仮定法は何の役に立つのって質問したけれど、誰もそんな風にきちんと説明してくれなかったわ。英語の先生でさえよ。みんな私がそういう質問すると混乱するか、怒るか、馬鹿にするか、そのどれかだったわ。」(本書下巻 p.65)

僕は大学生が出てくる小説が好きだ。

彼らは未熟で、将来に対するぼんやりとした不安があって、人間関係に悩み、答えの出ない問いをめぐってぐるぐるしている。未熟ながらも一所懸命にもがいている。そんな大学生の出てくる小説が好きだ。

本作も間違いなく、そんなまじめな大学生の出てくる小説です。主人公の大学一年生、ワタナベは直子と緑という二人の女の子を目の前にして悩みます。緑とならすぐ付き合えるのですが、ワタナベが愛しているのは直子で、直子との間には複雑な事情があって簡単には解決できません。

そうやって一人で解決できないことをめぐって、いろんな人に話を聞き、いろんな人を巻き込んでぐるぐると悩み、もがきます。そんな中、すっと手を差し伸べてくれるのが同じ寮に住んでいる先輩(おそらく東大法学部から外務省キャリアという設定)の永沢さんです。

「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」

永沢さんは同情せずに、自分の力を100%出し切って、それでダメだったらそのとき考えればよいといいます。彼には多くの問題の原因と対応策が見えているのでしょう。それが見えないワタナベがもどかしく、だけどどこか他人に対して冷めているワタナベに親近感を持ちます。

一方、ワタナベはそんな永沢さんの良さを理解しているものの、心を許しているとは言えません。私がワタナベに惹かれるのも、永沢さんよりはワタナベに近いからでしょう。世の中の多くの人は永沢さんほど頭脳明晰でもなければ、自らの力に自信があるわけでもありません。

だから、不安定な足場の上で必死にバランスを取ろうとしてもがいているワタナベに共感するのです。不安定であるからこそ、よく考え、行動する大切さを彼は教えてくれます。これは先行きの見えない現代にも通じる部分といえます。私はとても共感を覚えました。

ちなみに本作品で有名になった新宿にあるジャズバー、DUGが出てくる箇所は下巻のp.47「紀伊國屋の裏手の地下にあるDUGに入ってウォッカ・トニックを二杯ずつ飲んだ」とp.150「DUGに着いたとき、緑はすでにカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた」の2か所です。

都電の駅から寮まで徒歩で帰る描写がありますが、早稲田の駅から和敬塾までは遠いなあ、と思いました。




現代史の最重要人物:トウ小平


エズラ.F・ヴォーゲル著、橋爪大三郎(聞き手)(2015)『トウ小平』講談社

指導者が、なるべく多くの人びとの意見を聞いて、決めるわけです。意見が正しいと思えば、そのようにやる。そうじゃないと、自分の判断で方向を決める。(本書 p.196)

全国の秩序を守るために、ときどきひとを犠牲にしなくちゃならない。というロジックの犠牲者が、天安門の学生である。そういう考えだと、私は思う。(本書 p.207)

 エズラ・ヴォーゲルが大著を記しました。それが『現代中国の父 トウ小平(上)』『現代中国の父 トウ小平(下)』です。今回はその大著を紹介する対談です。

対談が豪華です。エズラ・ヴォーゲルの相手は『はじめての構造主義 (講談社現代新書)』でも知られている橋爪大三郎です。

鄧小平は第二世代の指導者といわれます。第一世代が建国の父、毛沢東。第二世代が鄧小平です。そして第三世代から江沢民、胡錦濤、習近平と続いて行きます。ただ、中国の国家主席は毛沢東と江沢民の間に劉少奇、李先念、楊尚昆がいます。また、中国共産党中央委員会主席も毛沢東、華国鋒、胡耀邦の3人がいます。鄧小平はどちらにも就いていません。

ではなぜ鄧小平が第二世代と呼ばれるのでしょう?

まず、中国では共産党がすべてを支配します。まず国があり、いずれかの党が運営するのではなく、まず党があり、党が国を運営します。そのため、党が何よりも優先され、党のトップ(総書記)が国のトップ(国務院総理)を指導します。

当時、党主席だった華国鋒は鄧小平によって権限を剥奪されてました。そして中央書記処総書記の職を設置します。中央委員会主席が党の最高指導者、中央書記処総書記が党の日常業務の最高責任者という運営にしました。そして鄧小平の信頼厚い胡耀邦が就任、再び党首と党の日常業務の最高責任者が分離する体制となります。

追い詰められた華国鋒は党書記を辞任、代わりに胡耀邦が党主席に就任、鄧小平は党中央軍事委員会主席に就任して人民解放軍(これまた国ではなく党の軍隊)のトップに就きます。一方で国の方には鄧小平の信頼厚い趙紫陽が国務院総理(首相)に就任していました。こうして鄧小平体制を確立しました。

現在は党総書記、国家主席、軍事委員会主席の三つの役職を担うと中国の名実ともにトップになったといわれます。





会社で生き延びるに意外と使える旧日本軍のマニュアル


佐藤優(2017)『牙を研げ 会社を生き抜くための教養』講談社

読みたくないのに読ませてもだめです。そういう人は出世しませんから時間の無駄です。だから、やる気のない人を相手にしない方がいい。人生は短いですから。(本書 pp.277-278)

いま、日本の内外にはさまざまな危機が取り巻いています。このクライシスを乗り越えるためにも、着実に力をつけることが求められているのです。(本書 p.282)

 会社は教養で生き抜けます。逆に言うと、教養を使わないと生きづらい社会が会社だということです。よほどの零細企業や個人事業主出ない限り、会社には仲間がいます。その中では比較的波長の合う人、合わない人が出てきます。自分が教養をつけてしなやかになる(思考の柔軟性を持つ)とともに、波長の合う人と上手に付き合っていくのが生き抜くコツです。

 本書で佐藤は独断専行、宗教、論理学、地政学、資本主義、日本史、数学がビジネスパーソンが生き抜くにあたって必要な牙だとしています。具体的には以下の見出しをつけて身につけるべき教養をあげています。

  1. 旧日本陸軍マニュアルに学ぶ仕事術
  2. 世界のエリートの思考法を理解するための宗教入門
  3. 論理の崩れを見抜く力をいかに鍛えるか
  4. 地政学を知ることで、激動する国際情勢がわかる
  5. 資本主義という世の中のカラクリをつかむ
  6. これだけは知っておきたい日本近現代史
  7. エリートの数学力低下という危機
  8. 本をいかに選び、いかに読むか……

興味深いのは一番初めに独断専行の研究として旧日本軍のマニュアルを持ってきたことでしょう。負けた軍隊のマニュアルなんて、何の役に立つの? と思われるかもしれません。ここで使われているのは陸軍のエリートに向けて書かれた『統帥綱領』ではなく、兵卒に向けて書かれた『作戦要務令』です。後者では戦況に応じて撤退をすることまでもマニュアル化されていました。一方、「死して虜囚の辱めを受けず」をよしとした戦陣訓を大事にした陸軍のエリートたちは柔軟な思考ができず、撤退の指示ができませんでした。

『作戦要務令』で興味深いのは独断専行を認めていることです。独断専行はある程度、上司の信頼という後ろ盾がないとやりづらい。だけど独断専行という形を取って上司の思いつかないこと、上司が踏ん切りつかないことをするのは、軍隊のような年功序列で硬直した組織が柔軟化するには必要だったのです。

だからといって準備もなしに独断専行をするのは危険です。大体、上司は「うまくやれ」と言って、できた時は「よくやった」と手柄を取り上げ、できなかった時は「なぜ指示通りに動かなかった」とこちらに責任を擦り付ける形で叱責します。そして独断専行をした人はトカゲのしっぽきりにあってしまいます。

そうならないために、うまくいかなかったときはその原因を突き止め、上手に上司に責任を押し付けることが大事だと佐藤は指摘します。結局、仕事をするにあたっては常に冷静な判断をすることが一番大事なようです。

その他の項目は宗教に代表される人々を魅惑する論理、論理学、国際情勢、数学、読書は仕事に役立つとなんとなくわかります。日本史については、過去のパターンを知れば、現代起きている事象のパターンがわかります。佐藤は歴史に二分法を入れて時流に乗った人物として小泉純一郎、田中真紀子、そして小池百合子をあげています。歴史に学ぶと、現代から近未来が見えてきます。

なお、『作戦要務令』は以下の国会図書館のサイトで画像として読めます。
http://iss.ndl.go.jp/books?ar=4e1f&any=作戦要務令&op_id=1&display=&mediatype=6



稼いでも稼いでも楽にならない現状を変えるには


河上肇、佐藤優(2016)『貧乏物語 現代語訳』講談社

一九八〇年代前半、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)では明石家さんまらが「貧乏」をネタにすることができた。しかし、いま、テレビで「あなた貧乏人?」と突っ込むのは禁句に近い。
(本書 p.9)

機械が最も盛んに利用されている西洋の先進諸国において、-この物語のはじめでお話ししたように-貧乏人が非常にたくさんいるというのは、いかにも不思議なことです。
(本書 p.111)

第一次世界大戦のころに書かれた本のリメイク版です。前後に佐藤優による解説がついています。しかし内容は今の時代に読んでも古さを感じません。

河上はイギリスの例を挙げ、なぜあれほどの先進国で貧乏人が多くいるのかと疑問を投げかけます。貧乏人は一日に必要なカロリーを得ることすらできない、「貧乏線」以下の状況で暮らしています。

河上は金持ちが無駄遣いをやめ、余ったお金で社会の人に役立つお金の使い方をすれば貧乏人は減るといいます。嗜好品を求めるから嗜好品工場ばかり増えるけど、それを減らして生活必需品の工場が増えるようなお金の使い方をしなさいと述べます。ひとえに、金持ちの人間性を頼りにした性善説です。

しかし、現実はそうはうまくいきません。金持ちは貧乏人のためにお金を使うことはほとんどありません。そのため、再分配はやはり国家や自治体などの役割になってきます。100年たっても経済格差も格差の解決が難しいことも、時と場所を超えた真理として響いてきます。

状況が良くなったのは、革命の危険があるから貧乏をなくそうとしていた冷戦時代という特別な時期だけでした。「稼ぐに追いつく貧乏なし」が通じたのは、その時代でした。しかし、今は稼いでも稼いでも我が暮らし楽にならざり、の時代が再来しています。性善説で金持ちの人間性に任せるか、性悪説で政府の再分配機能を強化するか。もはや座視できません。私たちの選択が迫られています。



いまこそ読みなおす:村上春樹『ダンス・ダンス・ダンス』


村上春樹(2004)『ダンス・ダンス・ダンス』講談社文庫

よくいるかホテルの夢を見る。(本書上 p.7)

「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽のつづく限り」(本書上 p.183)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)
ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

これまで敬遠していた村上春樹を読んでいる。友人に勧められた『ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)』、『ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)』。これがめっぽう面白い。

妻と離婚した34歳の男性が主人公のお話です。もちろん、古い小説なので、今の日本と比べると時代錯誤的なところが目につきます。お金の使い方がバブリーだったり、渋谷でそこそこ広そうなアパートを借りて、スバルを持っているとか。もちろん、煙草も吸います。仕事はというと半年間の引きこもりのあと、フリーライターをして糊口をしのいでいます。誰かが書かなくてはいけないけどさりとて価値のあるわけではない記事を書いています。彼はそれを「文化的雪かき」と称しています。それを続けてなんとかなると思えるところが、すごい時代だったんだなあと感じさせられます。

主人公の僕はいるかホテルを夢で見て、行くしかないと考えます。そこはかつて行ったことのあるホテルです。だけど東京から札幌の距離です。理由も何もありません。ただ行くしかないと考えるから行くのです。するとあのとき一緒にいるかホテルに行って、行方不明となった「キキ」の消息をつかもうとします。あとのことは、あとになって考えることにします。すると、人との出会い、頼まれごとであれよあれよと運命の波にさらわれて、あちこち漂流していきます。その中でも「上手く踊る」ことで、僕は幸せをつかもうとしていきます。

本書の内容は確実に時代を越えた力を持っています。おそらく当時の人はバブルの浮かれた時代にある種の不安を感じていたのでしょう。言語化できないけれど、このままじゃダメになるぞ、という感覚。万能感に浸っているけど、ずっとは続かないぞという感覚。そういうものが本作と共鳴して200万部を越える大ヒットとなったのです。

言語化できない不安は今の日本にもあります。おそらくは当時より色濃く見える形で。時代錯誤的な箇所はもありますが、それは瑣末な問題です。不安な時代の幸せの見つけ方を、本書は今日も教えてくれます。


580人が東京駅で大乱闘を繰り広げた昭和の左翼運動


立花隆(1975)『中核VS革マル(下)』講談社

あらゆる権力の退廃は、思想・信仰の自由を踏みにじるところからはじまる。そして、権力による思想・信仰の自由の圧殺は、必ず革命思想・革命信仰の自由の圧殺からはじまる。それと同様に、あらゆる革命の退廃は、反革命思想・反革命信仰の自由の圧殺からはじまる。(本書 p.199)

中核VS革マル(下) (講談社文庫)

前回紹介したものの続きである。

大衆運動を大々的に行う中核派、一方で組織づくりをする革マル。中核派は活動家が逮捕されて次第に力を失うとともに、革マルが組織づくりを終えて力をつけていく。次第に革マルが優勢になっていく。角材から鉄パイプ、バールに塩酸と次第に暴力がエスカレートしていった。だかある時期から、また中核派が盛り返す。これは暴力の方法に両者の思想の違いが現れたためだ。

中核派は国家権力への武力対決という発想で軍事組織づくりを行った。「職業軍隊中央武装勢力プラス国民皆兵の発想にたっている」(本書 p.151)一方、革マル派国家権力に武装対決するために作った軍事組織ではない。特殊な党派闘争専用の組織だった。だから終盤において全党をあげて戦った中核派が盛り返してきたのだ。

激しい戦闘中には、もちろん「誤爆」もあった。1974年9月5日、中核派は赤坂見附駅で在日朝鮮人女性(21歳)の顔と頭を狙い撃ちし、二週間以上の重傷を負わせた。当初は知らぬ存ぜぬを通していたが、事件後6日経ってから、機関紙にお詫びの文章を出した。在日団体の猛抗議があったことを伺わせるエピソードだ。

冒頭のお話は1973年12月23日、芝公園で集会をして東京駅までデモをしてきた中核派500人を革マル派武装部隊80人が襲った。結果5名重傷2名重体となった。この他、地方から状況すべく集まった全学連中央委員会メンバーを中核派が名古屋駅で迎え撃つなど、激しい戦闘が行われていた。当時は一般乗客にも影響が出ていたらしい。今となってはすっかり埋もれている史実だ。


過激派が乗った電車を切り離して全員逮捕した静岡県警


立花隆(1975)『中核VS革マル(上)』講談社

ともかく、人間の発明した概念の中で、正義という概念ほど恐ろしいものはない。(本書 p.29)

同一組織内での意見のくいちがいは、議論、説得、妥協によってなんとか調整をはかっていくことができるが、いったん意見のちがう者同士が組織を割ってしまうと、両者の意見の相違は、とめどなく広がっていってしまう。(本書 p.86)

中核VS革マル(上) (講談社文庫)

日本の左翼運動の中で大きな役割を果たしてきた中核と革マルに焦点を当て、両者の抗争の理由を書いたのが本書だ。まだまだ内ゲバ激しい頃に書かれていたため、結論が書かれていないところも生々しい。当時の人たちにとっても、なぜ彼らが(同じ左翼の中で)内ゲバを行い、殺人までするのか知られていなかった。

1956年、日本で左翼運動を行ってきた者にとって衝撃的な事件が起きた。スターリン批判とハンガリー暴動である。労働者の祖国であるソビエトで、世界の共産党を指導する立場にあったソビエト共産党。そこで最高指導者として崇められていたスターリンが批判された。さらに労働者の天国のはずの社会主義国家ハンガリーで暴動がおき、武力で鎮圧されてしまった。加えて日本共産党もこれまでの武装闘争路線から穏健な路線に改めた。これまで信じていたものがガラガラと崩れ去った。

一部の人たちが、スターリンに批判されたトロツキーを読もうということで、日本トロツキスト連盟を組織した。これが中核・革マルの源流である。

その後、第四インターナショナルへの加盟の可否や産業別労働者委員会を中心とするか、地区党組織を中心に据えるかといった方針の違いから中核派と革マルに分裂した。

当初、人数で圧倒していた中核派は大衆運動に参加し、運動が高揚するに連れてどんどんと力をつけていった。一方、革マル派は大衆運動に参加するのが目的ではなく、革命を起こして労働者の国を建設するのが目的だという信念から、組織づくりに重点をおき、大きな運動を起こさなかった。そのため、数の上で劣勢に立たされるわ、中核派からは権力(警察)とつるんでいるから逮捕されないのだ、などと言われた。こうして止める者がいないまま少しずつ両者の軋轢が深まり、最初は角材だったものが鉄パイプ、爆弾へと血で血を洗う抗争になっていった。

冒頭の話は1968年6月8日のこと。1万2千人の左翼が結集して伊東警察署などを襲撃した。この闘争に参加するため、中核派が乗っていた電車が車輌ごと切り離されて、全員逮捕された。日本にも、45年前にそんな時代があったのだ。


集団的自衛権の限定的な容認は戦争しない国への第一歩


佐藤優(2014)『佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 戦争の予兆編』講談社

新帝国主義の時代というのは、全面戦争はしない。でも、局地戦ぐらいはある。それでお互いに譲歩しながら力の均衡をつくるんです。(本書 p.168)

佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 戦争の予兆編

ラジオ番組「くにまるジャパン」とメールマガジン「インテリジェンスの教室」で披露している内容をまとめたものだ。こちらは前回紹介した『新帝国主義編』の続編にあたる。

姉妹書で世界が新帝国主義の時代に入ってきたことを指摘し、今後の流れとしては世界大戦は起きないけども、継続的に小さな戦争が続いていくようになるという見立てをする。

姉妹書よりも新しい話だからか、かなり面白く読める。たとえば、集団的自衛権の限定的な容認を閣議決定したのは、戦争ができる国にしたのでは決してない。公明党の動きにより、法律論から見ればこれまでよりも戦争のできない国になったのだ。

これまでの日本政府は国内法では集団的自衛権の行使でないとしながらも、国際法上は同権の行使という形で、いわば国内向けと国外向けに違う方便を使っていた。しかし今後は国内外で違う解釈をしないというルールになったのだ。だから、今後はその方便は使えない。だけど国連等で自衛隊を国外に出す場合も出てくるだろう。その場合、閣議決定に違反して出すことになる。

こんな見方は新聞では教えてくれない。まさに外務省に長年勤め、外交や国会を知り尽くした佐藤だからできる分析だ。

この話意外にも、クリミア編入でならず者だと思われているロシアが実は地域の実情にもっとも根ざした対応をしている。一方、米国はわからずに暴走し、ヨーロッパはその様子を静観している、という見立てもまさに腑に落ちる。しかも佐藤が使っているのは全てオープンソース、誰でもアクセスできるデータである。

世の中の重要な情報の9割以上は公開情報だと言われているが、本シリーズを読むとまさにそうだと実感できる。


現代社会を前近代的思考で攻めるバチカン


佐藤優(2014)『佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 新帝国主義編』講談社

ラッツィンガー(枢機卿)が唱える「対話」路線は、相手を対等の立場であると認めて、新たな真理を追求するために行う真実の対話ではない。最終的に、カトリック教会の普遍性のなかにすべての人類を包摂するという目的を達成するための戦略的対話だ。(本書 p.123)

佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 新帝国主義編

ラジオ番組「くにまるジャパン」とメールマガジン「インテリジェンスの教室」で披露している内容をまとめたものだ。

話題は著者が専門の日露関係沖縄分離独立から総合知なき知識人まで、広範に渡る。

読み応えがあるのは佐藤の専門である日露関係とキリスト教の話だ。

特にキリスト教については一般の読者にその戦略を分かりやすく教えてくれる人が日本にはほとんどいない。佐藤のように自身もクリスチャンで教会史に詳しく、世界情勢と絡めて分析できる人は稀有な存在だ。

ローマ教皇が600年ぶりに生前退位をしたのは、カトリック教会にとって現代は600年前と同じぐらいの危機的状況だと見なしている。バチカンの枢機卿はローマ教皇とほぼ同じ保守派の人たちで占められている。だからラッツィンガー枢機卿が訴えかける「対話」はカトリック教会がこの危機的状況を乗り切るための戦略だと佐藤は分析する。引用でも書いたとおり、イスラム過激派や中国など、バチカンと相容れない巨大勢力の中に対話できる人を探し、彼らの中で分裂を起こす。そしてこちらになびいた側をカトリック教会側に引き入れて生き残りをかけようとしているのだ。

カトリック教会はプレモダン(前近代)的な考え方をする集団だからこそ、モダンやポストモダンの考えに縛られずに危機を突破する方法を考えることができる。限界にぶちあたっているモダンやポストモダンの考え方で対応しがちな近代国家の人々よりもその点、強い。歴史の蓄積とはこういうことをいうのだろう。

その他、外交官の裏話として森喜朗元首相とプーチン大統領が仲良くなった経緯も紹介されている。おもしろい。九州・沖縄サミットの前に北朝鮮に寄って遅れてきたプーチンの顔を立て、プーチンの国際デビューを助けたのが森喜朗だったという裏話が紹介されている。だから森は、いまでも首相特使として行っただけでクレムリンまで案内され、国家元首並みの時間をとって会談できるぐらいのパイプをもっているのだ。

いざというときに重要なのは、やはり人と人とのつながり、信頼であることを示すエピソードだ。


ソ連の崩壊を見た後輩とナチスの崩壊を見た先輩の対談


佐藤優(2014)『私が最も尊敬する外交官 ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六』講談社

沖縄密約問題の本質は、外務官僚が職業的良心に基づいて「やむをえない」と考え、行った確信犯的行為であるというところにある。従って、密約を結んだが、「そのようなものはない」と当時国民に対して嘘をついたことについて、外務官僚に良心の呵責はないのである。
 しかし、問題はその後だ。吉野は、密約を結んだということがわかる書類を公文書の形で、後世、吉野を含む外務官僚が、国民に対して嘘をついたことがわかるように残した。小賢しい外務官僚ならば、嘘をついた痕跡を消すことができる。しかし、吉野はそれをしなかった。(本書 p.277)

佐藤優による吉野文六氏(外務省アメリカ局長)への聞き取りで構成されたオーラルヒストリーだ。

本書のうち、多くは佐藤の文章と書籍からの引用になり、ピンポイントで吉野のオーラルヒストリーが入る。少ないながらもその口ぶりからは、偉ぶらない、真面目、正直といったエリート官僚とは思えない(?)吉野の人柄が伝わってくる。それは自らの実力に裏打ちされた自信があるからこそ持てる態度だ。

御年94歳の吉野の若い時の経験は、まさに近代史を地で行く。松本高校から東京帝国大学に入り、法律を学ぶ。その時、ノモンハンから帰ってきた友人から戦場の悲惨さを聞き、戦争には行きたくないと思う。だから高等文官試験(いまの国家公務員試験総合職)に受かってから、採用試験にも受かった裁判官、大蔵省、外務省のうち、3年間の兵役免除を受けながら語学が学べる外務省を選んだ。

しかし、それが運命の数奇なところ。日本から戦争をしているドイツに行くには、米国経由しかなかった。だから海路ハワイ経由でサンフランシスコに行き、アメリカ大陸を横断してワシントン、リスボンについてからドイツ領を避けるようにスイスからベルリンに入った。ドイツで3年間勉強してから大使館勤務になったが、その頃には戦況は悪化、ベルリンの日本大使館勤務の時にヒトラーは自殺し、リッペントロップ外相は逃亡、大島大使もドイツ南方の温泉地に疎開してしまった。

そんな中、ベルリンの大空襲で大使館も爆撃される。防空壕で一命を取り留めた大使館員たちは、直後にやってきたソ連兵に軟禁されながらも、日ソ中立条約があったために丁重に扱われ、劣悪な環境ながらも列車でモスクワ経由、シベリア鉄道で満州まで送り届けられた。

読んでるだけでもそのスケールの大きさに酔いしれる。当時、満州で室の高い諜報活動を行っていた領事や敵前逃亡のようなことをした大島大使など、本当の危機の時にその人の人間性がよく現れている。

当時、日本とドイツは手紙も届かず、電話も最後は通じなくなった。そんな環境下でつらかったはずなのに、そうしたことは言わないところにもまた、吉野の強さを感じる。