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ソ連の崩壊を見た後輩とナチスの崩壊を見た先輩の対談

佐藤優(2014)『私が最も尊敬する外交官 ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六』講談社

沖縄密約問題の本質は、外務官僚が職業的良心に基づいて「やむをえない」と考え、行った確信犯的行為であるというところにある。従って、密約を結んだが、「そのようなものはない」と当時国民に対して嘘をついたことについて、外務官僚に良心の呵責はないのである。
 しかし、問題はその後だ。吉野は、密約を結んだということがわかる書類を公文書の形で、後世、吉野を含む外務官僚が、国民に対して嘘をついたことがわかるように残した。小賢しい外務官僚ならば、嘘をついた痕跡を消すことができる。しかし、吉野はそれをしなかった。(本書 p.277)

佐藤優による吉野文六氏(外務省アメリカ局長)への聞き取りで構成されたオーラルヒストリーだ。

本書のうち、多くは佐藤の文章と書籍からの引用になり、ピンポイントで吉野のオーラルヒストリーが入る。少ないながらもその口ぶりからは、偉ぶらない、真面目、正直といったエリート官僚とは思えない(?)吉野の人柄が伝わってくる。それは自らの実力に裏打ちされた自信があるからこそ持てる態度だ。

御年94歳の吉野の若い時の経験は、まさに近代史を地で行く。松本高校から東京帝国大学に入り、法律を学ぶ。その時、ノモンハンから帰ってきた友人から戦場の悲惨さを聞き、戦争には行きたくないと思う。だから高等文官試験(いまの国家公務員試験総合職)に受かってから、採用試験にも受かった裁判官、大蔵省、外務省のうち、3年間の兵役免除を受けながら語学が学べる外務省を選んだ。

しかし、それが運命の数奇なところ。日本から戦争をしているドイツに行くには、米国経由しかなかった。だから海路ハワイ経由でサンフランシスコに行き、アメリカ大陸を横断してワシントン、リスボンについてからドイツ領を避けるようにスイスからベルリンに入った。ドイツで3年間勉強してから大使館勤務になったが、その頃には戦況は悪化、ベルリンの日本大使館勤務の時にヒトラーは自殺し、リッペントロップ外相は逃亡、大島大使もドイツ南方の温泉地に疎開してしまった。

そんな中、ベルリンの大空襲で大使館も爆撃される。防空壕で一命を取り留めた大使館員たちは、直後にやってきたソ連兵に軟禁されながらも、日ソ中立条約があったために丁重に扱われ、劣悪な環境ながらも列車でモスクワ経由、シベリア鉄道で満州まで送り届けられた。

読んでるだけでもそのスケールの大きさに酔いしれる。当時、満州で室の高い諜報活動を行っていた領事や敵前逃亡のようなことをした大島大使など、本当の危機の時にその人の人間性がよく現れている。

当時、日本とドイツは手紙も届かず、電話も最後は通じなくなった。そんな環境下でつらかったはずなのに、そうしたことは言わないところにもまた、吉野の強さを感じる。

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人生で得をするため、楽に生きるための1300円

佐藤優(2014)『いま生きる「資本論」』新潮社

この講座では、人生で得をするために、あるいは人生を楽にするために『資本論』を読みます。(本書 p.72)

この講座で『資本論』を読んでいくことでわれわれが具体的に何を学ぼうとしているかというと、もうお気づきの方はいるでしょうが、今の価値観からの脱出です。(本書 p.187)

佐藤優が行った資本論に関する講義を書籍化したもの。素人向けの講義なので分かりやすい上に、本になっているから更に分かりやすい。

著者の資本論読みは独特だ。学者が一般的に貨幣の仕組みとか経済活動の本質などを探るために資本論を読んでいるが、佐藤はもっと実用的な読み方へ一般の人を誘っている。

我々はどう生きるか、という問題に対する導きの書としているのだ。

『資本論』は確かに古い。江戸時代に書かれた書物だ。だけどみんな名前は知っている。100年以上生き延びて、今後もさらに100年以上生き延びるだろう本なので、普遍的な魅力と力がある。現にこの薄い本で、著者はアベノミクスからビットコイン、佐村河内問題まで分析している。どんな経済の流れも、『資本論』さえ知っていれば冷静に見つめられる。

本書の目的は、人生でより得をするために、より楽な人生を送るためのエッセンスを伝えることだ。それは『資本論』を通じて経済を知り、お金持ちになるということではない。資本主義経済の本質と限界を知り、自分たちの置かれた状況を一歩引いて見ることで、労働、貨幣、資本主義とは何かを知り、それらと関わらざるをえない人生をより良くしていく力をつけることだ。

確かに今の世の中は生きづらい。頑張っても大金持ちになれるわけでもないのに、頑張らないと暮らしていくことすら大変だ。『資本論』で培った人生を楽に生きる方法は、『資本論』と同様に100年前でも、現在でも、そしておそらく100年後も通じる知恵と言える。そんな本書の1300円を安いと感じるのも、また、資本主義の価値観に籠絡されている。

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真の教養は紙の本でこそ身につく

佐藤優(2014)『「知」の読書術』集英社

つまり、教養とは「知識に裏打ちされた知恵」なのです。(本書 p.117)

「電子書籍の外側」にある紙の本が、まだしばらくは基礎教養を身につけるベーシックな手段であり続けるのです。(本書 p.133)

これまでの濃い読書術とは打って変わって、軽めの読書術の指南本だ。

佐藤優のこれまでの読書術は導きの書をいくつか紹介していく『功利主義者の読書術 (新潮文庫)』、知の巨人同士の対談である『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)』(佐高信)、『ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)』(立花隆)などがあるが、本書は断然初心者向きだ。

前半の危機の時代に生き残る方法を書いているのはこれまでもあった。本書の白眉は教養を身に付けるための電子書籍の使い方を伝授している点にある。

インターネットから出た電子書籍派と旧来の紙の本派は折り合いが悪い。両者を橋渡しする階層が日本にはいないからだ。電子書籍派は本をコンテンツとみなすいっぽう、紙の本派は本への愛がある。この温度差はいかんともしがたい。じゃあ紙の本派が愛をこめて電子化すればいいと思うのだが、佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』で明らかな通り、日本の出版社が行った電子書籍化計画はいまいちパッとしない。

著者も紙の本派だから電子書籍に重きを置かない。基礎教養は紙の本でしか身につかないと断言する。しかし電子書籍にも利点がある。それは一度に数百冊でも持ち歩けること、電子版限定の良いコンテンツもあることだ。だから紙の本の補完的なデバイスとして電子書籍の利用を薦めている。

これまでの著者はどんな本でも役に立たせられる、という立場からさほど注目されてない本でもその有用性を紹介してきた。電子書籍を薦めるのも、そのスタンスの延長だ。さほど広まっていない電子書籍でも、上手に使えば教養が身につけられる。紙の本派から電子書籍の有用性を冷静に言語化した端緒といえる。

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オールマイティーなリーダーになるための導きの書

佐藤優(2014)『「知的野蛮人」になるための本棚』PHP研究所

私から見て、一番の「本読み」は、松岡正剛氏です。それから、斎藤美奈子、鹿島茂、立花隆、佐高信の各氏。こうした「本読み」の書いた読書についての本をきちんと読んだほうがいい。(本書 p.8)

図書館は使わないほうがいいと思います。お金はかかりますが、本は本屋で買うことです。(本書 p.15)

出世したかったら『読書の技法』、楽しい会社員生活を送りたければ『人に強くなる極意』を読めばいい。すると本書は?
『読書の技法』に近いですね。(本書 p.334)

『野蛮人の図書室』の改題、再編集。前後に対談が加わっているので、本書の位置がわかりやすくなった。

婚活、労働、そば、ビールからロシア情勢まで、様々の身近なテーマを理解するための導きの手として2冊の本を紹介していく。

本書の目的は「出世したかったら読むべし」と書いてあるとおり様々な出来事に対応できる力の付け方を教えることだ。それにはまず、本書に書いてある出来事を検証できる力をつけたらよい。

冒頭に書いてある本読みを見習うことについては賛成だが、初心者には少し雑だ。松岡正剛、立花隆、佐高信、斎藤美奈子、鹿島茂の5人は確かに本読みだが読み方が違う。読書量や出世のためだったら松岡や立花を読めばいいと思うが、本を読む楽しみを追求するなら鹿島や斎藤がおすすめだ。松岡や立花はすごいし圧倒されるけど冷静に読める。鹿島と斎藤はその熱意に引き込まれて面白そうな世界をもっと見たいと近寄ってしまう。そんな差がある。こうした説明をどこかで少ししておいたら親切に思う。

また、本書で著者は図書室の司書という役割で出ている。図書館は使わない方がいい、と言っておきながら。ここは本屋の店主にでも扮して「ということは…?」「この本も買って読みなさい、ということです」と言ってオチをつけたらよかったのに、と思ってしまった。

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特捜部に逮捕された二人が教える逆境を勝ち抜く方法

佐藤優・石川知裕(2014)『逆境を乗り越える技術』ワニブックス

佐藤
とにかくどこでプライドを捨てるかというと、住居で捨てないといけない。というのも、日本は異常に住居費が高くつくから。(本書 p.142)
佐藤
(前略)年収2000万円以上稼がなかったら、彼ら(東京地検特捜部)は来ません。あるいは政治家にならなきゃ来ません。
石川
本当にそのとおりですね。だいたい捕まる人というのは企業でも決まっていて、中枢のラインにいる人ですよ。これは仕事ができる人間だから捕まるわけで。もしくは目立つ人ですよね。
佐藤
年収300万円から500万円の間で、どこか郊外の小さな住宅から一時間半ぐらいかけて通勤している人間というのは、絶対捕まりませんから。
石川
でも、もし捕まったら、発想の転換をしないといけません。捕まったときは左遷されたりレールから外されたりします。(本書 p.79)
石川
何気ない発言も敏感になっていて、イラッとしたりするときがあるんですよ。それでも心の底では友達からの連絡を待っているものです。大切な友達が逆境に陥ったら、連絡をしてあげたほうがいいですね。(本書 p.240)

東京地検特捜部に逮捕された二人が語る逆境の乗り越え方。普通の人にはできない体験をして見事返り咲いた二人だからこそ、言葉に重みが出る。

東京地検特捜部や国税庁、公安委員会などにやられると、もう二度と前までのペースでは仕事ができなくなる。だけど潰されてはたまらないので、生き残る方法を考えないといけない。佐藤・石川の二人は局地戦で戦い、生き残る方法を編み出した。

石川は聴取のときにこっそり録音をして、調書と取り調べが違うことを明らかにし、無罪を勝ち取った。隠し録音をするというアドバイスは佐藤の入れ知恵によるものらしい。意外なところで二人はつながっていたのだ。

二人の話し合いは決して対岸の火事ではない。我々の身にも起こりうることだ。学校や職場の派閥争いに巻き込まれたり、そうでなくてもうつ病になってしまいそうな環境にさらされることだって、人生に何度か訪れる。そんな時にも冷静に自分の立ち位置を見つめ、どの部分なら勝てるか、どうやって今後生き延びることができるのかを考えるべきだ。

そんなとき友人が一番助けになると意気投合する二人。いざというとき強いのは人と人とのつながりだ。

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修羅場で生き延びる術を身に付ける

佐藤優(2014)『修羅場の極意』中央公論新社

イエスが、剣によって戦わなかったのは、非暴力の戦いの方が、圧倒的に強いということを知っていたからである。弱いのではなく、強いから剣に頼らなかったのだ。(本書 p.40)

西原
佐藤さん、本当に大変な修羅場をくぐり抜けてきましたね。
佐藤
大したことありません。事件の容疑者になって、メディアスクラムで三ヶ月間ホテル暮らしを強いられ、自宅の郵便物を報道陣に荒らされて、逮捕されて足掛け513日間独房に入れられて、公判に4500万円かかって、裁判に8年を要して、外務省をクビになったくらいです。ハムラビ法典の「目には目を」じゃないですが、やられた範囲内での復讐しか考えていませんよ。
西原
ははは。

(本書 p.210)

修羅場の切り抜け方の指南書である。

誰もが経験する修羅場を古今東西の本を軸に、どうやって切り抜けるかを解説する。

マキャベリからは助言者を絞り込む方法を学び、新約聖書からはイエスの喧嘩の上手さを学ぶ。

人間誰しも生きていれば多少の修羅場に巻き込まれる。歴史に名を残した偉人たちは修羅場を上手にくぐり抜けて名を残した。だからこそ、彼らの書物を通して修羅場の対処法を学ぶことには意義がある。明日すぐにでも使える対処法だ。

やっぱり、東京地検特捜部に逮捕された著者は未だに国家の恐ろしさを強調する。エドワード・スノーデンや安藤美冬を引き合いに出し、彼らの生き方はアナーキズム的でいずれ国家と対立する、国家に勝てる方法はないから危ない、と警鐘を鳴らす。確かにそうなのだけど、一つだけ抜け落ちている観点がある。普通の人なら問題ないのだ。どの社会でも国家を意識せず、ノマド的な生き方で暮らしていける余裕はある。そこに上手に入り込んで、ほそぼそと暮らしていく分には大丈夫。ただし一度目立ち始めるとあぶない。だからこそ、スノーデンや安藤は危険なのだ。

修羅場は起こさないようにがんばっていても巻き込まれる場合がある。どんな人でも対処法を知っていたほうがよい。対処法とは自分を客観的に見るところから始まる。自分は一流じゃないからと作品を三流の出版社に持ち込んだり、歌舞伎町じゃなくて六本木のバーで働くことにした中村うさぎはやっぱり強い。普通の人は、自分の値段をそこまでクールに値付けできない。

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沖縄がもっと力をつけるために

佐藤優(2014)『佐藤優の沖縄評論』光文社

現在、筆者が沖縄について勉強し、語り、書くことは、筆者自身の人生の意味を探求することと、かなり重なっているのである。(本書 p.210)

沖縄に対する構造化された政治的差別を放置しておくと、今後それが社会的、経済的差別に転化する危険がある。(本書 p.286)

佐藤優には沖縄の血が流れている。だからこそ、彼は琉球新報に連載を持ち、沖縄への思いを正直に吐露した。高邁な一般論ではない。新聞に掲載する以上、時勢にあった方法で、具体的にどう動けば沖縄の利益になるかを誠実に訴えている。

沖縄の大学に公務員養成講座を開講し、毎年数人を霞ヶ関に送り込めるような仕組みを作ること、普天間基地の県外移設に取り組もうとした鳩山由紀夫首相への沖縄の声の届け方、国会でなされた沖縄に関する答弁が持つ意味などなど、中央省庁で働いた経験のある筆者の視線から、一般の読者にもわかりやすい表現で現状を分析し、効果的な対応策を訴えている。首相に声を届けるには、年賀状などの手紙がいいなど、今すぐ役立つトリビアだ。

沖縄は左翼の島ではない。かつての琉球王国の時代から連綿と息づいている郷土愛を軸に考えるとわかりやすい。普天間基地移設問題を始めとする一連の日本国政府への異議申立ても、沖縄の人が自らの土地や人々を愛しているからこそ起こる。彼らは基地があるから反対しているのではない。(現実的ではないが)その広大な土地に米国人専用の民間空港や運河があったとしても反対するだろう。自らの土地が不当な形で奪取され、日本国内全体で考えても不釣り合いなまでの負担を強いられている。その現状に異議申立てをしているのだ。

沖縄の民意が反対している米軍基地が未だに移設されていない点に、沖縄には民主主義が適用されていないと見る筆者の指摘は鋭い。

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クリスチャンから仏僧へのメッセージ

佐藤優(2014)『サバイバル宗教論』文藝春秋

我々は仏教に勝つことができない、近未来においても勝てないでしょう。(本書 p.122)

自由と、平等あるいは民主というのは逆のベクトルを向いているんです。(本書 p.270)

本書は佐藤優が相国寺で行った4回の講演会を基にしている。基本的に講演を引き受けない佐藤にしては珍しい。しかも講演をお願いしたのが仏教の相国寺というのだから興味深い。講演会であえて敷地が隣接する同志社出身のバリバリのクリスチャンである佐藤を呼ぼうという発想がでるのもすごいし、それを通してしまう寺の人たちの懐の深さに驚く。仏教の強さをここに見る。

佐藤はまず聴衆である禅僧にも分かるようにキリスト教の考え方を解きほぐす。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教の考え方を伝えて、宗教の強みは慣習化するところにあると伝える。宗教儀式と意識しないところに宗教が入り込んでいる。そこまでの伝統を持った宗教は強い。だから葬式仏教と揶揄されながらも葬式に選ばれる仏教はやはり強い、と述べる。

佐藤は最後に(おそらく一番重要なこととして)「中間団体」としての宗教の強さを強調する。宗教の本当の強みは、人々の救済のよりどころになる点だ。人類史において定住とともに宗教は発生した。身の回りで死が存在するようになったからだ。だから人々が定住する限り、宗教は必要なのだ。

そこから国家が誕生するには、産業化という発展段階が必要になる。すなわち、定住する人の集団では宗教は必要だけども国家は必要とはいえない。

国家に運命を翻弄された佐藤は、国家が本気を出したら個人の人権なんてのは吹き飛んでしまうのを皮膚感覚で知っている。だからこそ、宗教団体が必要だという。国家が全力で個人の人権を侵害しようとしたとき、全力で国家に抵抗し人々を救済する「中間団体」としての宗教がこれからの帝国主義的な世界においては大事になってくる、と。

国家と個人、迫害と救済を考える人たちにとっては、宗教の枠を超えて参考になる。

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北方領土返還の実現可能な案

佐藤優(2014)『元外務省主任分析官・佐田勇の告白―小説・北方領土交渉』徳間書店

「僕は作家だから、警鐘を鳴らす作品を書く。論文やノンフィクションではなく、小説だ。(後略)」(本書 p.265)

本書は『読楽』に「外務省DT物語」として連載されていた小説を書籍化したもの。中身は暴露話っぽいところもあるが、いたってまじめな動機(を装って)で書かれている。筆者の最終的な目的は、北方領土交渉の前進だ。そのための障害を取り除く地ならしの役割を本書に担わせている。

北方領土の返還はどう行われるのがいいのか。主義主張ではなく、外交の実務経験者として著者が描くのは実現可能性が一番高い案だ。これを読むと、日露双方の外交担当者が真摯に向き合い、あとは政治決断さえあれば北方領土交渉は大いに前進すると思える。

あくまでもフィクションという体裁にしているが、気のせいかよく読めば分かるような偽名を使っている。が、それは気のせいだ。鯉住俊一郎や都築峰男が小泉純一郎や鈴木宗男かと思ってしまうのは、あくまでも読む側の深読みなのである。深読みだけど、本書の目的とはあまり関係のないところで不倫関係(?)を暴露されている外務事務次官がかわいそうな気がした。純愛らしいから、いっか。

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必要な喧嘩には必ず勝て

佐高信, 佐藤優(2014)『喧嘩の勝ち方―喧嘩に負けないための五つのルール』光文社

佐高 佐藤さんね、これは私もびっくりしたけども、経済界では社長になっても満足しない人が、結構いるんですよね。昔取材したある企業トップが本音として言ってたけども、社長になったら次は会長、会長になったら、またなんとか鉄鋼連盟みたいな業界団体の会長とかになりたいって言うんだよね。
佐藤 最終的には経団連会長。
佐高 そう、それと勲章ね。
(本書 pp.36-37)

佐高 (前略)やっぱりある種喧嘩っていうのは、自分が勝者だと思っている人に対して売るわけですよね。
佐藤 そうです。喧嘩は強い者に対してぐんと出るんです。弱い者に対するのは喧嘩って言わないでイジメって言います。
(本書 p.207)

評論家の佐高信と佐藤優の対談。喧嘩とは何か、何のためにするかに始まる。でも勝てる喧嘩しかしてはいけない。となるとどうすれば喧嘩に勝てるのか。実例を元に本書でも喧嘩を繰り広げていく。

喧嘩をするにも作法がいる。一つは同じ価値基準を持っていること。話が通じ合わない相手とは喧嘩ができない。そういう人にからまれたら逃げるしかない。話の通じる相手で、ほうっておいたら影響が大きすぎる場合、これは喧嘩をすべきである。だから本書では猪瀬直樹(当時は東京都知事)や曾野綾子に喧嘩を売っている。そのときも、引用の通り相手の研究を行って、作法にのっとるのが肝要だ。その喧嘩は周りも見ているから。

かつて文章で喧嘩を売ったのに上から圧力をかけてきた政治家、アンフェアなことをした政治家などは実名を挙げて断罪されている。政治家の発言を「喧嘩」という切り口でアプローチしていくと、戦争を起こすかもしれない喧嘩を無意識的にやっている猪瀬直樹、猪瀬と同じ反知性主義だけど戦争を起こすまでにいたってない橋下徹、喧嘩してるフリの石原慎太郎など、それぞれのスタンスが見えてくる。

喧嘩はしてはならないものではない。言論の自由がある以上は自分と違う意見の人が出てきたら大きな声で質せるのが「風通しのいい社会」だ。同調圧力で「喧嘩のないのがいい社会」といった反喧嘩主義的平和は息苦しい社会なのだ。闊達な対話を通してよりよい社会にしていくために喧嘩のできる社会にすることが必要なのだ。