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苦手な人とも上手に付き合うコツがある。

佐藤優(2013)『人に強くなる極意』青春出版社

僕の感覚では、ビジネス上のそのような飾らない関係は、通常の業務なら40歳前後のベテランになれば社内外に20人~30人くらいはできると思います。(本書 p.93)

外国から証人を呼ぶための経費や弁護士費用などで、ざっと2000万円はかかりました。この費用は税控除にならないので、実質的には4000万円以上捻出しなければならない。同志社大学時代の旧友たちのカンパもあり大いに助かりましたが、かなりの額を塀から出た後の著作活動d捻出しなければならなかったのです。(本書 p.186)

いわずと知れた佐藤優が連載したものをまとめた本。外務省でソ連・ロシアとの外交交渉を行ったほか、東京地検に起訴されて検察官との交渉まで行ったという貴重な経験を持つ筆者のノウハウが詰まった本。筆者は人生でなかなか経験できないことは小説を読むことで疑似体験することを勧める。ソ連崩壊という百年に一度ぐらいの歴史的事件に立ち会い、特捜に狙い撃ちされた筆者の経験に基づくエッセンスが詰まった本書も、それと同じぐらい有用だ。880円で手に入るノウハウは、それ以上の価値を持つ。

人が生きていく上で他者とかかわらざるを得ない。組織で働くにしてもフリーで働くにしても、そこには相手がいる。気の合う相手ばかりならいいが、決してそうではない。友人関係なら気の合わない人と付き合わなくてもすむが、仕事だと気が合わなくても(お互いがそう思っていたとしても)付き合わざるを得ないことがある。合わないんだから仕方ない、では解決にならない。なぜ合わないのか。なぜそう思うのか。相手と自分を分析して合わない理由やその原因が見えてくる。

もう一つ、近年の「断る力」ブームに対して筆者は「断らない力」を勧める。特に若手から中堅のうちは断らずにいろいろと試してみたほうがいい、それは上司や周りが見ているから、と。そこから人間関係が広がり、世界が広がり、ダイナミックな人生に漕ぎ出すことができるのだ、と筆者は説く。

本書の根幹はここなのだ。合わない、無理と思考停止に陥らないで、どんな状況でも落ち着いて距離を置いて自分とその周りを見渡す。そこで自分にとって、自分の将来にとっていい方向になるように舵取りをする。合わない人ともなぜ合わないか考える。多くの仕事も断らずに、分量や難易度を考える。実際に仕事に追われていると大変難しいし、ぼく自身もそれはできているとは言いがたい。

忙しいときに本書を読もう。なぜ忙しいのか、忙しさには意味があるのか。本書は周りを冷静に見つめなおし、自分の仕事を考えるきっかけになる。

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異様な知性が生まれた理由

佐藤優(2014)『先生と私』幻冬舎

2日後、団地の集会場で行われた告別式には、数百人が集まった。(中略)僕は、心の片隅で「ライバルがいなくなってほっとした」と思った。「何てことを思っているんだ」と僕はその気持ちをすぐに心の底に押し込んだ。そして、この気持ちは僕の心の底で、澱になった。(本書 p.201)

「(前略)大人の社会は利用、被利用が基本だ。利用価値がない人間は切り捨てられえるか、ぞんざいな取り扱いを受ける。お父さんが優君に技術者になってほしいと思ったのは、手に職があれば、他人から軽く見られずに給料を稼ぐことができるからだ」(本書 p.232)

本書は外務省を偽計業務妨害で追われた佐藤優の少年期~青年前半期の自伝で、次に出る『十五の夏』の前編という位置づけだ。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』以来、国家や民族、マルクス主義や歴史について異様ともいえる知性を披瀝し続けてきた佐藤優がライフワーク的に書き続けている自伝の一部だ。

優少年は電気技師の父と、沖縄県久米島出身で看護学校で学んだ母の間に生まれる。本書のカバーはその母との久米島でのツーショットだ。両親は高等教育を受けていないし、戦争があって事情が許さなかった。だから優少年にはいろいろと学んでほしいと思っている。だけど教育熱心という感じではない。むしろ優少年の好奇心を伸ばす形でサポートをする。アマチュア無線がほしいといえば無線の講習会に送り、機械も買ってあげる。自分たちの手に余る質問をしてくるようになったら、清水の舞台から飛び降りる気持ちで百科事典を買う。いろんな世界を見せるために返還前の沖縄や尼崎にいる社会党の市会議員をやっている叔父の家に送ったりする。

小学校のときに肝機能の低下で半年ほど学校を休んだ優少年は、学校の勉強に遅れてしまうのではと心配する。だからみんなに追いつくために塾に入る。入った塾で教え方のうまい国語の先生と算数の先生に会ってから興味の幅が劇的に広がる。小説の読み方や少し背伸びをして哲学書を読むことも覚えた。塾の先生に質問をすると、先生たちは学び方の手ほどきをしてくれる。読むべき本や非ユークリッド幾何学の数学の世界、学生紛争や社会主義について、優少年の質問に一生懸命答える形で答える。優少年はさらに興味を伸ばす。

好奇心の強い少年とその一歩先を照らす先生や両親との化学反応で佐藤優という知性が形作られたのがよく分かる。物怖じしない知的好奇心が旺盛な少年の周りに、実力を伸ばす力のある大人が集まったのか。そんな環境だから彼の実力が伸びたのか。鶏と卵の関係だ。

学問の世界を面白く伝える教師、キリスト教の考え方を教えてくれる牧師、いろんな世界を見せようと北海道旅行やソ連・東欧の旅行へと送り出してくれる両親。優少年の興味の一歩先を照らすと同時に、いろんな選択肢を見せてさらに自分たちのオススメを示す。こう書くとamazonみたいだけど、決定的に違うのはオススメする側が自分たちの経験や考え方を元に、その理由を優少年に分かる形で伝える努力をしている。大人たちは主に以下のようなことを伝える。

  • 自分の実力から見て難しいことに挑戦しないと実力は伸びない
  • いろんな可能性を残す形で進路を決めたほうがいい
  • 本は順序だてて読まないといけない

もう少し若いときに知っておきたかった。今からでも使えるところは使いたい。

筆者はもう40年近く前のことなのに、当時の会話や食べたものまでよく覚えている。記憶力のよさは生まれつきだ。加えて中学生当時から4時間ほどの睡眠で満足できていたのだから舌を巻く。時間の使い方のうまさも、もって生まれたものも大きく影響していると感じた。

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幸せになるには資本の呪縛から逃げよ

鎌倉孝夫, 佐藤優(2013)『はじめてのマルクス』金曜日

佐藤 ですから、自己実現なんていうのは、労働力が商品化されている体制の下ではないんですよね。あえて言うならば、資本家の自己実現はある。しかし、労働者の自己実現は絶対にないんですよ。(本書 p.73)
鎌倉 ぼくも資本主義の終焉期ととらえてよいと思うが、それをどう終わりにするかは現実的に難しい。(本書 pp.101-102)

鎌倉孝夫 埼玉大学名誉教授と佐藤優 元外務省主任分析官の、マルクスにまつわる対談。話は主に『資本論』を軸に語られる。はじめてのマルクス、と銘打っているが『資本論』について多少は知らないと着いていけない。

本書の話のキモは簡単だ。サブプライムローンやワーキングプアなどが増えた現在は、まさに資本主義の終焉期に入っている。では、これからどうやって資本主義とは違う社会を作っていくか。一つは社会主義なんだけど、もはや現実的ではない。資本の暴力性を乗り越えるためには、どういう可能性があるのか。二人の碩学が意見を交わし、現実的な解答を導き出そうとする。

焼き鳥屋で飲み食いしたのに、原価20円ぐらいの紙きれでそれが払えると考えるのはイデオロギーだ、株でお金が増えると考えるのもイデオロギーだ。イデオロギーとは一種の政治的見解だ。必ずしも真実ではない。資本の呪縛から逃れられないために、人は紙幣をありがたがり、法律を学び、お金で関係を築こうとする。

原点に立ち返ろう。貨幣の誕生以前は物々交換が行われていた。そこでは貨幣が存在せず、モノとモノを介した人々のかかわりが構築されていた。しかし、大都市に住んで小さな共同体が崩壊した結果、地縁血縁で結びついていた人々が貨幣や資本を介して人とかかわりを築くようになる。この転倒がすべての不幸の始まりだ。労働者は資本家に搾取され続ける。資本をもたない労働者は資本家に労働と時間を提供し、資本家は労働者が再生産(子孫を産むこと)できるようにお金と余暇を与える。暴力的収奪からは、労働者である限り逃れられない。しかし、ワーキングプアなどで再生産が出来なくなってしまった今は、末期的状態なのだ。

これを解決する方法は一つ。資本を介したかかわりより前のあり方に立ち返るのみ。人と人との、資本を介さない(でもモノは介す)なまのかかわり。ソ連崩壊時の年率2500%のハイパーインフレでも人々が生き残れたのは、資本以外にも人々を結びつける回路があったからだ。

沖縄には模合(もあい、本土の無尽講や頼母子講)が残っているので、そうした回路があるのだろう。日本ではどのような形で人と人との資本を介さないかかわり方が築けるのか。そして今の私たちに出来ることは何か。二人の碩学は対談を通して、考えるきっかけを与えてくれる。

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ブラック企業に搾取されないために

佐高信, 佐藤優(2013)『世界と闘う「読書術」―思想を鍛える一〇〇〇冊』集英社

あの人(管理人註:長谷川宏)を見ると思うんだけれども、人は本当に好きなことをやっていれば絶対に食っていけるし、その本を出すことはできるし、その分野で認知されるという一つの例ですよね。ただ、中途半端に好きではダメで、本当に好きなことをやっていないといけませんが。(本書 p.182)

佐藤優と佐高信の対談。関心も読んできた本も違うので、対談で違った知性のあり方があぶり出されている。国家、家族、歴史、宗教や文芸批評について語るのはこれまでの対談本にもあったが、時勢を反映してか、ブラック企業をはじめとする「働き方」をテーマにした対談もある。そこでは稲盛や経団連もバッサリと切り捨てられている。あの人たちが講演会や朝礼で述べる「苦労したから報われた」というのは、本当は逆で「報われた人は苦労している」だけにすぎない、とする佐藤の指摘は、当たり前だが新鮮だ。自分の頭で考えて、視点を変える、視野を広げる大事さに気づかされる。

冒頭で引用した箇所で佐藤は長谷川宏訳のヘーゲル『論理学』等について述べている。amazonのレビューなどでは、長谷川訳は読みやすいけど厳密ではないという批判も多い。とりあえずの輪郭さえ分かればいいのであれば長谷川訳を、厳密に知りたかったら別の人のを参照にするのがよいようだ。そうした事情を分かっているのか、章末の必読書リストに挙げられてはいるものの、佐藤セレクションとはなっていない。

このように、誰の作ったか分からないリストを見ながら対談を振り返り、言及された本と佐藤・佐高セレクションを対照させていくのも、また面白い。

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聖書や古典で生き抜く力を身につける

中村うさぎ, 佐藤優(2013)『聖書を語る』文藝春秋

中村 あれ(筆者注:村上春樹『1Q84』)がヨーロッパでなぜウケると思うの?
佐藤 それはヨーロッパ人が抱えている物語不在の状況を、かなり等身大で表現しているからです。そんな成果が、ヨーロッパ的な伝統からうんと離れた日本でなぜ生まれたのか。それは村上春樹さんがヨーロッパの小説・学術文献をよく読んでいて、それが村上さんの思想にしっかりと受肉されているからでしょうね。(本書 p.86)

佐藤 (前略)考えてみれば、我々がタイムマシーンに乗って五百年前に帰ったら、適性とか市場とかいっても「何だ、そりゃ?」っていう感じになるわけですから。
中村 そう、一過性のものなんだ。
佐藤 ですから、五百年以上前の想像力を持つことができるかどうか。その想像力を持つことが出来るのは、文学を通じてしかないんです。(本書 p.163)

佐藤 ただ、人間はモノや概念には結集できないんですよ。やはり池田大作さんでないと創価学会はまとまらないし、大川隆法さんがいないと幸福の科学はまとまらない。(本書 p.186)

佐藤優と中村うさぎの対談。村上春樹から東日本大震災、福島の原発事故まで、世の中の「大事件」について対談している。二人ともキリスト教(プロテスタント)なので、必然的にキリスト教的な神の話題で盛り上がる。

二人からすれば、やはり3.11の東日本大震災は日本人にとって大きな意味を持っていたという。小さな事件の後には大きな、何か終末を予感させる事件が起こるという。チェルノブイリのあとのソビエト崩壊がそうだし、今回は原発事故だという。震災直後、政府が機能しなかったにもかかわらず、人々は互いに助けあい、東電の社員は被曝を覚悟しながら事故処理にあたった。こうした行動は近代経済学が前提とする「合理的」な人間にはあてはまらない。

人は合理性を超えたところで助け合わないと生きていけない。

口には出さないが、日本人はうすうすそのことに気がつき始めたのだ。農村の地縁や血縁でつながっていた前近代から、デカルトが「私」を発見し、拡大家族の核家族化にのような集団から個を重視するほうにシフトした近代、その流れが小さな集団から個人へと究極に小さくなっていき、個が孤になっていった現代。そんな閉塞感を持っていたときに起こった大地震で、人はやはり一人では生きていけないと悟ったのだ。

そこで佐藤は誰か母性的な人の下にみんなが集まることを提唱する。自然の力に勝てないとわかった以上、力で対抗するんじゃなくて状況に応じて柔軟に対応できるような形の生き方を考えるべきだ、と。

集団と個の考え方について、中村うさぎはエヴァンゲリオンの「人類補完計画」と村上春樹の『1Q84』を引き合いに出す。人類補完計画は集団に戻れという前近代的な発想だと思ったけど、それが投げかける問い(人はどのように生きるか)は非常に現代的だ。

二人の対談を読んでいても、伝統的宗教はやっぱり強いと思う。排他的ではないし、人が生きるということにまじめに向き合っている。宗教が怪しいかどうかを見極めるには、その団体の施設がアポなし訪問を受け入れてるかどうかを見ればいい、と聞いたことがあるが、そういう意味ではキリスト教は非常に間口が広い。

それと同時に、歴史を生き残ってきた分、やっぱり強い。古典の勉強を「何に役立つの?」と聞く人がいるが、それはナンセンスなのだ。いますぐ役立つ知識なんてすぐに役立たなくなる。三百年前はすぐに役立ったであろうわらじの編み方や「早飛脚をもっと早く使う五つの方法」なんていうのは、今となっては役立たない。しかし、何に役立つかわからない仏教や神道といった宗教は、いまだに当時の知識も使われる。人がどう生きるかについて考えるとき、制度や権力によらず、人間として生きるときに本当に重要なのは、すぐに役立たないように見えるが、人間の「変わらない部分」について考える基礎となる知識作りなのだ。

対談ではとりわけ、努力は報われるかどうかという話が面白かった。カルヴァン派(長老派)の佐藤は「神様のノートには生まれる前から選ばれた人の名前が書いてあるから、個人が努力してもしなくても結果は変わらない」という。個人の努力で世界が変えられるなんて、おこがましいと考えるからだ。一方、バプテスト派の中村は「そんなの納得できない!」と質問を浴びせる。佐藤は「納得できないからこそ(理屈を超えてるからこそ)、そこは信じるしかない」という。うまい答えだ。

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国際情勢は穿って見たら面白い

手嶋龍一, 佐藤優(2013)『知の武装―救国のインテリジェンス』新潮社

たとえば「金正日の料理人」として有名な藤本健二さん、実は本名じゃないんですが、彼は北朝鮮の権力者のすぐそばにいた人で、今もなかなかの事情通です。北朝鮮は、この藤本さんに託す形で、現指導部の何人かの映像や金正恩第一書記と婦人の映像を流しています。(本書 p.68)

手嶋龍一と佐藤優の3冊目の対談本。この二人はインテリジェンス(情報を扱う仕事)をやっていただけあって、関心の所在が似ている。

帯にもある通り、本書では東京五輪決定が日本を取り巻く国際情勢にどのような影響を与えたか、スノーデンのCIA諜報活動の暴露や鳩山元首相のイラン訪問、飯島秘書官の訪朝にも切り込んでいる。話はTPPや憲法改正、日本と中国の関わりなど多岐に及んでいて、メディアでは殆ど報じられない見方を呈示してくれる。

引用に示した藤本さんの話もそうだ。彼はサングラスとバンダナで素顔を隠してテレビに出る。金王朝の秘密を知り過ぎたため狙われているから、という理由だけど、映像を流すなど、いまでもつながりがあるし、そもそも素性はバレている。いったい何から隠れているのだろう。

本書で注目したのは明治時代、単身ロシアにわたって写真技師や洗濯屋などに扮しながらシベリア鉄道などの軍事機密や軍人の内部事情などを探った石光清真の話。とても面白い。彼は軍を離れて食べながら、それでいて軍の仕事をしていたのだ。

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インテリジェンス(諜報)を実生活で役立てる

佐藤優(2009)『野蛮人のテーブルマナー 「諜報的生活」の技術』講談社

ここでは6ヵ月後くらいに話題になりそうなテーマの本を積極的に集め、読むことにしている。(本書 p.20)

実は、何かを始めるときに、まず「終わり」について、決めておくことはとても重要なのである。(本書 p.91)

雑誌『KING』に連載されていた佐藤優の連載を集めて前半に、後半には鈴木宗雄、筆坂秀世、アントニオ猪木などの著名人との対談が掲載されている。

すべて実生活に役立てることのできるインテリジェンス(諜報)の世界でのコツをわかりやすく披露してくれている。本音を悟られずに情報をとる方法、引き際の美学、そんな陰謀術数の世界にも芽生える数々の友情。読んでいて非常に面白い。

イスラエルのモサドのお偉いさんが北朝鮮に乗り込んだ時、経由地のモスクワでは行動が漏れるのを恐れてトランジットホテルに滞在せずにずっと寒い機内にいて歯をカチカチ鳴らせて寒さに耐えていたとか、たった一人で、しかも公開された情報から北朝鮮に対する正確な分析を行った毎日新聞記者とか、新聞やテレビでは知ることのできない情報がいっぱい載っている。

気軽に読めて、発見がいっぱいというお得な本。