村上春樹(2004)『ノルウェイの森』講談社
「昼飯をごちそうしてもらったくらいで一緒に死ぬわけにはいかないよ。夕食ならともかくさ」(本書上巻 p.155)
「だって私これまでいろんな人に英語の仮定法は何の役に立つのって質問したけれど、誰もそんな風にきちんと説明してくれなかったわ。英語の先生でさえよ。みんな私がそういう質問すると混乱するか、怒るか、馬鹿にするか、そのどれかだったわ。」(本書下巻 p.65)
僕は大学生が出てくる小説が好きだ。
彼らは未熟で、将来に対するぼんやりとした不安があって、人間関係に悩み、答えの出ない問いをめぐってぐるぐるしている。未熟ながらも一所懸命にもがいている。そんな大学生の出てくる小説が好きだ。
本作も間違いなく、そんなまじめな大学生の出てくる小説です。主人公の大学一年生、ワタナベは直子と緑という二人の女の子を目の前にして悩みます。緑とならすぐ付き合えるのですが、ワタナベが愛しているのは直子で、直子との間には複雑な事情があって簡単には解決できません。
そうやって一人で解決できないことをめぐって、いろんな人に話を聞き、いろんな人を巻き込んでぐるぐると悩み、もがきます。そんな中、すっと手を差し伸べてくれるのが同じ寮に住んでいる先輩(おそらく東大法学部から外務省キャリアという設定)の永沢さんです。
「自分に同情するのは下劣な人間のやることだ」
永沢さんは同情せずに、自分の力を100%出し切って、それでダメだったらそのとき考えればよいといいます。彼には多くの問題の原因と対応策が見えているのでしょう。それが見えないワタナベがもどかしく、だけどどこか他人に対して冷めているワタナベに親近感を持ちます。
一方、ワタナベはそんな永沢さんの良さを理解しているものの、心を許しているとは言えません。私がワタナベに惹かれるのも、永沢さんよりはワタナベに近いからでしょう。世の中の多くの人は永沢さんほど頭脳明晰でもなければ、自らの力に自信があるわけでもありません。
だから、不安定な足場の上で必死にバランスを取ろうとしてもがいているワタナベに共感するのです。不安定であるからこそ、よく考え、行動する大切さを彼は教えてくれます。これは先行きの見えない現代にも通じる部分といえます。私はとても共感を覚えました。
ちなみに本作品で有名になった新宿にあるジャズバー、DUGが出てくる箇所は下巻のp.47「紀伊國屋の裏手の地下にあるDUGに入ってウォッカ・トニックを二杯ずつ飲んだ」とp.150「DUGに着いたとき、緑はすでにカウンターのいちばん端に座って酒を飲んでいた」の2か所です。
都電の駅から寮まで徒歩で帰る描写がありますが、早稲田の駅から和敬塾までは遠いなあ、と思いました。