「船では年よりから奴隷のようにこきつかわれ」、「カネなんか一銭も見たことがない」「昭和だったのに明治時代のような生活」だったという。
本書 p.200
突然、はじまった衝撃的な告白に、私は自分の予定調和がこわされたときに特有の当惑を感じた。いったいこの人は何を言い出だすのだ。
本書 p.372
1994年3月17日、フィリピン・ゼネラルサントス市近くの海で漁師が救命筏を発見しました。中には日本人船長とフィリピン人船員、9人の漁師が衰弱した状態で乗っていました。船長だった本村実は沖縄県宮古島市の漁師でした。彼らは太平洋を37日間も漂流していました。
どうしてもその話が気になった著者は、沖縄まで行き、本村のインタビューを試みます。しかし、電話口に出た妻から「十年ほど前から行方不明になっているんです」という衝撃の言葉を聞かされます。 漂流して助けられた本村は8年間船に乗らなかったものの、その後乗った船でまた行方不明になったのです。
この顛末になにか引っかかるものを感じた筆者は、本村の生まれ故郷である宮古島市佐良浜の漁師に話を聞き、実際に向かいます。佐良浜には神殿を彷彿とさせる白亜のコンクリート造りの家が所狭しと並んでいました。これも遠洋漁業の恩恵です。 戦前からカツオ漁業を生業とし、戦後はマグロ漁船に活躍の場を移した佐良浜の人たちにとって、遠洋漁業に出るのは当たり前のことでした。
江戸時代から続いていた沿岸漁業が水中メガネの発明により追込漁に、そして戦前のカツオ漁、戦後のマグロ漁へと続いていきます。教員が1%、役場勤めが1%、残りは漁師、水は海辺の井戸に汲みに行くといった貧しい漁村にとって、選択肢はそれしかありませんでした。そこには私たち陸の民と違う感覚を持ち、ルールで生きる海の民たちの世界がありました。
漂流をした本村の親戚縁者はもとより、出身の沖縄や仲間由紀恵の祖父(彼女の父はマグロ漁師だったそうです)を含む池間島の漁業に詳しい人たち、さらには本村の乗っていた船会社の社長、本村と一緒に漂流をしていたフィリピン人漁師のほか、救助した側のフィリピンの漁師にまで話を聞きます。冒頭の引用で示したとおり、著者はある種の面白いストーリーを組み立てて話を進めがちなきらいはありますが、軌道修正しつつ、ぐいぐいと事件の姿に迫っていきます。少しずつ明らかになる海の民たちの感覚には驚かされました。