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琉球の言葉は彩り豊か

日本語と琉球語が祖語からいつごろ分岐したのかは明らかになっていないが、西暦500年ごろだという研究者もいる。現在存在する多種多様な琉球諸語・方言は言語学的な特徴に基づき分析すると、奄美語、国頭語、沖縄語、宮古語、八重山語、与那国語の6つの言語に分類できる。

本書 p.53

日本語以外に琉球語と同系統である言語はあるのだろうか。これまでの研究によると、琉球語と直接的な同系統関係にある言語は日本語だけである。

本書 p.191

本書は北は奄美諸島から南は南西諸島まで、琉球弧を描く島々の言葉を横断的に見て、そこから祖語を再構築するための入門書です。

本書では琉球語を北琉球語と南琉球語に分け、前者に奄美語、国頭語、沖縄語を、後者に宮古語、八重山語、与那国語を設定します。前半では沖縄語を例にして、日本語との違いを示します。たとえば「っ」や「ん」(っんじゃん(行った))で始まる語があるなど、代表的な違いを概説します。

中盤以降、琉球祖語の再構をしていきます。これらはすべて同じ言語だから内的再構(あるいは内的再建)と言っていいのか、それとも違う言語として扱うべきなのか、私にはよくわかりません。しかし与那国語と奄美語では相互理解不可能でしょうから、内的でない再構と言ったほうが適切かもしれません。

「ありがとう」を表す語も奄美語では「おぼこりょーた」、沖縄語の今帰仁方言では「かふーし」、与那国語では「ふがらさ」と、一般的に沖縄語学習者が学ぶ那覇方言(あるいは首里方言)の「にふぇーでーびる」とは大きな違いがあります。琉球弧の言語は多様です。

祖語の再構はまず小さな単位から始めます。例えば「鏡」という語を例にとり、名瀬ではkagan、湾ではkagami、伊仙ではkagamiということから、*kagamiと再構するなど、奄美祖語や国頭祖語を再構し、最後にそれぞれの祖語を比較して琉球祖語を再構します。

丹念な手続きに則って再構するのは比較言語学の鉄則です。琉球語の概観を知るほか、比較言語学の入門書としても本書は良書ではないかと思います。

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沖縄の多層な共同体を垣間見る

岸政彦・打越正行・上原健太郎・上間陽子(2020)『地元を生きる 沖縄的共同性の社会学』ナカニシヤ出版


地元を生きる―沖縄的共同性の社会学

多くの語り手から、沖縄普賢を使えないこと、家族や親せきにつながりは思われているほど強くはないこと、「三線を持ち出しカチャーシーをする」ような親族の集まりを経験したことがないこと、高校で進学校に進んだあとは、小中学校の地元の友だちとのつながりが徐々に断ち切られていくこと、模合に参加しているといっても単なる飲み会の口実のような「親睦模合」で、そこから生活資金や生業資金を調達することはないこと、沖縄社会に対するよくあるイメージのような生活を自分が送っていないということ、大学に入ってはじめて沖縄文化に目覚め、「習い事」として野村流などの古典的な沖縄芸能を意識的に習得することが語られた。

本書 p.67

監督はその場にいた島袋という沖組の従業員に「玉掛け技能講習」の修了者がいるかの確認をとった。島袋が講習を受講していないこと、そして現場監督に聞かれたので、本日の現場には有資格者がいないことを、彼は正直に答えた。(中略)島袋の班のしーじゃ(著者註:兄貴分)のよしきは作業が止まったことで激高し、島袋を呼び出し、釘の刺さったままの算木で彼の左腕をぶん殴った。島袋の腕からは血が流れていた。

本書 p.288

本書は本格的な社会学の専門書である。まず第一章で沖縄の失業率や平均給与等から見た、沖縄の経済状況と県内の不平等性について概観します。沖縄は資産の不平等性を表すジニ係数が高く、一部の者が多くの富を持っていること、経済としては製造業が極めて少なく、多くは第三次産業に偏っていることなどが紹介されます。

その後、第二章から沖縄の安定層(公務員、一流企業等のサラリーマン)、中間層(地元で居酒屋を経営する若者)、不安定層(建設業に従事する男性、性産業に従事する女性)の語りが語られます。

安定層は会社や役所勤めをしてから地元の友人たちとは距離ができ、沖縄らしい共同体に参加していません。南大東島から那覇に来た男性に至ってはよそ者はいつまでたってもよそ者だと、疎外感を感じています。その点は生まれ育った場所から就職等で違う地域に引っ越した内地の人間と変わらないのかもしれません。安定層については、沖縄でも内地でも大差ないのかもしれないように思いました。

その点、中間層は共同体を大事にします。調査者の上原の同級生が地元で居酒屋を立ち上げるに際してフィールドワークを行い、書き上げた章ですが、同級生たちはリアルの付き合いを優先させ、上原のLINEや電話などの連絡を後回しにします。それもそのはず、彼らは昼前から仕込みを始め、午前1~3時ごろに店を終え、そのあと飲みに行ったり同業者のお店に顔を出す、といったとてもハードな暮らしをしているのです。しかしそうやってハードながらも同業者という共同体の中で暮らすことで持ちつ持たれつの関係ができ、彼らは自らの居場所を作り上げていきます。

不安定層の暮らしはとても厳しいものがあります。建設現場に行くまでしてフィールドワークを行った打越が、泊まらせてもらっていた同僚のしーじゃ(兄貴分)からの深夜のお迎え(いうなればつかいっぱしり)の連絡に音を上げて共同研究者の上間の自宅に一泊させてもらうほど、大変な環境でした。この辺りは詳しくは『ヤンキーと地元』に詳しいですが、彼らは沖組という建設会社の中でお互いの収入や残金などを把握しつつ賭け事をしたり暴力を振るうなどして、うっとぅ(弟分)を搾取します。これまでは新しい不良たちが入ってくることで新しいうっとぅ(弟分)ができ、何年か我慢すれば自分がしーじゃ(兄貴分)になることもできました。しかし近年では新しい不良たちが少ないこと、沖組に入ってもうっとぅ(弟分)の取り合いが起きたり、若手がすぐ辞めてしまったりすることなどから、30代になっても深夜に使いっ走りをさせられるなど、理不尽な目にあい続けます。そんな境遇から抜け出そうと内地にキセツ(出稼ぎ)に行こうとしますが、しーじゃに説得させられて止められるなど、負の連鎖のような共同体から抜け出せません。

また、上間が描いた少女の語りは、複雑な家庭に育った少女が逃げ場所として年上の彼氏を作り、そこに居場所を見つけますが、別れてしまって自分の同級生と一緒に売春行為をして暮らします。打ち子(手配師)である同級生の男性と付き合いますがここでもまた別れ、最後は継母のところに帰っていきます。おそらくは家出をしてどういう暮らしをしていたか、ある程度見通しの立っている継母やキセツ(出稼ぎ)で内地に行っている父は彼女を受け入れます。

本書で描かれている安定層以外の暮らしは、沖縄が「ゆいまーる」(共同体)を作って相互扶助の関係で助け合っている島だという印象を覆すものです。不安定層の男性は暴力事件で警察のお世話になるなどして、地元の青年団からは距離を置かれ、用心棒としてしか声がかかりません。不安定層の女性は親族も公的扶助にも頼ることなく、同級生と暮らします。その関係が破綻したら、彼女たちは行き場がありません。

これは沖縄の一部の個人の特殊事情と見て取ることも、もちろん可能です。しかし沖縄が置かれた状況が、本土の同じような人たちよりも厳しい環境を作り出しています。ジニ係数が高い(貧富の差が激しい)こと、製造業が育たず、第三次産業の占める割合が大きいこと、建設業は結局は本土や米軍基地の下請けにならざるを得ないことなど、本土の人間として考えさえられます。

本書をどう咀嚼していいか、私はまだわかっていません。エピローグに岸が書いている「沖縄について書くときはナイチャーのくせに何が書けるんだろうといつも思います。」(本書 p.438)という言葉はその通りだと痛感します。私も沖縄について読むとき、ナイチャーとして何ができるんだろう、どう読めばいいんだろうと常に悩んでいます。

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やさしい言葉でつづる「本土への果たし状」

上間陽子(2020)『海をあげる』筑摩書房

秋田のひとの反対でイージス・アショアの計画は止まり、東京のひとたちは秋田のひとに頭を下げた。ここから辺野古に基地を移すと東京にいるひとたちは話している。沖縄のひとたちが、何度やめてと頼んでも、青い海に今日も土砂が入れられる。これが差別でなくてなんだろう? 差別をやめる責任は、差別される側ではなく、差別する側のほうにある。

本書 p.240

この本を読んでくださる方に、私は私の絶望を託しました。だからあとに残ったのはただの海、どこまでも広がる青い海です。

本書 p.251

本書で語られるのは、著者の日常です。著者の日常がエッセイとしてつづられ、1冊の本になっています。著者は『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』を書いた沖縄の社会学者で、今回は同書とは違って専門書ではありません。書かれているのはあくまでも著者の体験談であり、日常の一風景です。最初の結婚は数年で終わって離婚した時の顛末、子どもと過ごしている日々の暮らしのようす、調査で会った人々のこと…そうした中で紡がれる言葉が本書を織りなしています。

しかし、単なるエッセイ集ではありません。その日常のところどころに辺野古や米軍の話が出てきて、沖縄への差別が浮き彫りになってきます。著者は沖縄の問題を忘れないため、あえて普天間基地に近いところに住んだそうです。しかし沖縄の人は基地を語ろうとはしません。ある子どもは父親が米軍基地で働いているからであり、ある人はなぜかわからないが語りたがりません。その様子に基地問題の根深さを逆に感じ取ってしまいます。だからこそ上間さんは本書を「本土への果たし状」と書いたのでしょう。

またもう一つ、本書で見えるのは上間さんのやさしさです。調査協力者の家を掃除しに通ったり、ハンガーストライキをしている人のところに通ったり、辺野古の反対座り込みに行ったり、お母さんの面倒を見たり…おそらくお仕事も子育てもあってとても忙しいだろうに、どこにそんな時間があるのだろう? というぐらいいろんな人と関わり、甲斐甲斐しく面倒をみています。だからこそ、人の心のひだの奥に入り、いろんな言葉を聞いてくることができたのではないかと思います。

沖縄への差別、人との接し方、様々なことが学べる一冊です。また読みたくなる一冊です。

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沖縄語、まずはこれから

西岡 敏、仲原 穣『沖縄語の入門(CD付改訂版)』白水社

A:アレー ヌー ヤガ?
(あれは何ですか?)
B:アヌ フシヌ ナーヤ ニヌファブシ ヤサ.
(あの星の名は北極星(子の方星)だよ。)

本書 p.10

人生には沖縄語を学びたくなる時期があります。沖縄語または島くとぅばと呼ばれる言語は日本語と似ているため、非常に学びやすいです。

沖縄語には係り結びがあったり、豚のことをワ(ゐ(猪))というなど、昔の日本語と似ている点があります。現代語で係り結びが使われているなんて、とても興奮しますね。

本書では沖縄語を言語学的、語学的な側面から説明するだけでなく、牧志公設市場は1階で買った魚を2階でさばいて調理してくれるシステムであることや、沖縄での豚やヤギの大切さなど、沖縄の人々の日々の暮らしにかかわるあれこれも教えてくれます。

最後のほうには昔話や民謡、おもろそうしまで入っています。沖縄語や沖縄を知るためにはたいへんお得な一冊です。

近年でも方言ニュースは更新されており、この本を終えたら方言ニュースを聞くと少しずつ分かり始めてきます。

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沖縄をつい語りたくなる人のための本

沖縄独特のものを、外からのイメージやラベリングに還元するのでもなく、あるいはまた、植民地主義的に理想化して熱く語るのでもなく、ただ淡々と、事実としてそこにあるもの、歴史的に、社会的に、経済的に、そして「世俗的に」沖縄の独自性について語ることは、どうしたら可能になるだろか。

本書 p.78

この映画 (筆者註:映画「戦場ぬ止み」)にも、抗議船に乗る漁師と海上保安庁のゴムボートの職員が和やかに会話し、基地賛成派の漁師が抗議活動のテントに豪華な刺し身を差し入れするシーンが出てくる。(中略)三上智恵が言いたいことは、結局のところ、ここには人びとが暮らし、そこで生活をしている、ということなのだと思った。

本書 p.228

本書は沖縄を知るための入門書ではありません。著者の岸政彦が沖縄をフィールドに社会学の研究をしていくときにぶつかった壁について考えた文章です。沖縄を知り、沖縄に近づくためには、ナイチャー(内地の人間)はナイチャーであることを意識せざるを得ません。ナイチャーと意識してこそ、沖縄に近づけます。だけどそれだといつまでも、極めて近づいても、結局は外側にいることになります。

私たちは沖縄について語るとき、政治的立場を表明せずには語れません。基地賛成派、基地反対派、あるいは無関心とするか語りについて考え、当事者としての立場から距離を置くか。
「日本は沖縄にばかり基地の負担をさせている」
という語りの反論として
「沖縄には基地賛成派もいる。多様性を認めなければならない」
という意見も出てきます。それぞれ間違いではありません。沖縄を語るとき、私達は難しい局面に立たされます。沖縄は、日本の内部にある外部だからです。

本書は沖縄と本土の関係を考えながら、沖縄の歴史と変化と多様性を考えることの難しさを教えてくれます。また、それを通してマジョリティがマイノリティについて語る難しさをも痛感させてくれます。著者が書くように、昨今の学問ではマジョリティとマイノリティなどといった境界を乗り越えることに主眼が置かれていましたが、著者はあえて境界を意識することに主眼を置きます。長年、沖縄でフィールドワークをして実感した境界があるからかもしれません。

本書は沖縄の知識を身につけるための本ではありません。しかし、沖縄をもっと知ろうとする人たちが意識しておくべきこと、知っておくべきことが書かれています。著者の二十年以上に及ぶフィールドワークから得た「感覚」を、こうした形でまとめて読めるのはありがたいことだと思います。沖縄を知ろうとする人たちには、ぜひ手にとってもらいたい一冊です。

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琉球を探検した西洋人

この人々の態度はきわめて温和で、ひかえめであった。注意ぶかく、好奇心がないわけではないが、われわれがくり返してすすめたあとでなければ、決して近づいて見ようとはしなかった。好奇心にかられて我を忘れるような行動ははしたないことだ、という上品な自己抑制を身に着けているためと思われる。

(本書 p.109)

とはいえ、琉球は貿易船の航路とは外れた位置にあり、その物産には何の価値もない。(中略)近い将来にこの島をふたたび訪れる者があろうとは思えないのだが。

(本書 p.287)

1816年にアルセスト号、ライラ号という2隻の船で琉球を訪れたイギリス人航海士たちの記録です。西欧に琉球の具体的な姿を初めて伝えた記録といえます(本書解説より)。シルクロードや朝貢貿易がありながら、琉球と西欧の直接的な接触は19世紀までなかったのが驚きです。

マクスウェル艦長たちは北京で皇帝に謁見をしようとしましたができずに終わり、広東から中国人通訳を一人連れて、朝鮮半島と琉球を経て、マラッカ海峡からヨーロッパに帰ります。結局、現在のインドネシアあたりで船は沈没し、別の船に助けられて帰ることになりました。その際に琉球で採った貴重な標本等も失われてしまいました。この航海記が残ったのは僥倖と言えます。

朝鮮半島では現地の人から冷たい対応を受けますが、琉球では一転、心のこもった扱いを受けて、一同は感激します。釣り糸を垂らすと先に魚を結わえてくれる漁民たち、船に乗り込むも、礼節を持って対応する人々、様々な階層の人たちとの交流がリアルに描かれています。

当初はなぜ琉球に来たのか、何をしに来たのか、と訝しがられますが、船の修理と補給のためと言って納得させ、地図や海図の作成を行うあたりは、さすが船乗りと思います。現代人の感覚からするとあまりにもズケズケと入って行きます。しかし琉球も外交上手で、丁寧に献上品を持って扱うし、病人には医者をよこしたりします。

疫病やトラブル防止のためか、頑なに上陸を認めない琉球側と病人のために上陸して休息を取りたい、願わくば王に謁見したいと要請するイギリス側の駆け引き、同時に深まっていく友好関係が見どころです。

交流が深まるに連れて、琉球側の役人がブロークンな英語を覚え、イギリス側もうちなーぐちを覚えたため、英琉間の通訳が行われています。当たり前といえば当たり前ですが、その様子に新鮮さを覚えました。

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宮古島の漁師の獲り方、売り方

佐良浜では、魚は漁師と仲買いの固定された取引関係のなかで売買されるため、どの仲買いがどの魚をいくらで買い、小売りにいくらで売ったかという情報は、その日のうちに漁師たちの耳に入る。

本書 p.197

この漁師の語りによると、アナ(筆者註:漁を避ける日)にあたるこの日、漁をしていると大きいコウイカを見つけた。格闘した末に漁獲し、トンヅクと呼ばれる竿に刺した瞬間、目の前からそのコウイカは消えたという。

本書 p.217

前回の『漂流』でも取り上げられた、沖縄県宮古島市の佐良浜に生きる漁師たちの暮らしを人類学的な観点から描いた本です。漁撈(魚のとり方)とそれに伴う民俗知識が地元の社会経済活動とどのような関わりを持つか、主に社会経済活動が漁撈にどのような影響を与えているか、という問題意識をもとに書かれています。

佐良浜の漁師たちは長年の経験から、地形を熟知しています。また、風の変化などから天候を予測し、さらに潮の流れなどを見て、魚やイカなどのいる場所を推定し、魚をとります。彼らの漁の目的は売ることなので、その時の売買価格の高いものを狙うなど、マーケットの動向を見ながら漁をする様子が明らかにされています。

特に佐良浜ではウキジュ関係といった漁師と仲買人の関係があり、漁師は魚をすべて仲買人に独占的に売り、仲買人はどんな魚でもすべて買い上げるという方式を採っている人たちがいます。彼らの関係は平等で、何十年と続いている関係もありますが、信頼関係が損なわれたらどちらからでも関係を断ちます。そうした需給関係の中で、漁が行われます。

また、引用でも示したとおり、漁の禁忌や禁忌を破った場合に起きる不吉なことの具体例も聞き取りをされており、大変興味深いです。本書では資源保護などの観点から解釈がされています。民俗知識と漁撈活動、社会経済活動の関わりを15年以上の歳月をかけて描き出しており、貴重な資料と言えます。

ただ、いくつかの惜しい点もあります。例えばp.66には「一九七八年に宮古空港にジェット機が就航すると、水産物の空輸が可能となった。 一九八三年には滑走路が2000メートルに拡張され、大型ジャンボ機が就航する。 」と、 同様にp.159にも宮古空港にジャンボ機が就航したと書かれています。しかしジャンボ機はボーイング747シリーズを指し、2000メートルの滑走路では十分な離着陸距離とは言えません。現に宮古空港にはボーイング737、767、787シリーズが就航したのみです。その他の箇所で書かれている「ジェット機」という表記で統一すべきかと思います。

またp.97図2-2は「松井(1991)を参考に作成。」と書かれており、おそらく松井健の名著『認識人類学論攷』を指していると思いますが、巻末の参考文献一覧には書かれていません。 『認識人類学論攷』 でも当該図の箇所はBerlin et Keyの“Basic Color Terms: Their Universality and Evolution”をもとにしたものかと思います。本書は博士論文に大幅な加筆を加えたものとのことですから、少なくとも原典にあたるほか、以下の神戸大学のサイトにあるような説明はほしいところです。

そうした不備や理論的な整理に不十分さはあるものの、認識人類学的な調査の行い方や調査結果の図や表への表し方、海洋生物の名称や民俗分類などはしっかりと記述されており、実践的な勉強になります。

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沖縄のヤンキー本がクラウドファンディングで出版

社長にとって自らの会社を守ることは、家族だけでなく、地元の後輩たちの生活を守ることでもあった。そのために彼は、米軍基地との共存も選択肢の一つとしてあげ、地元の人間の生活を軽視する基地反対派、そしてその象徴としての公務員を批判した。

(本書 p.76)

現在の沖縄の下層の若者の場合、キセツ(出稼ぎ)に行っても、技術を身につける機会も、人脈を培う機会も、ほとんど得られなかった。

(本書 p.237)

クラウドファンディングで出版された社会学の専門書です。沖縄の国道58号線に夜な夜な繰り出していた暴走族と彼らを見物しに来た若者(ヤンキー)たちに取材を重ね、彼ら彼女らの暮らしを描き出した労作です。暴走族の調査の名著『暴走族のエスノグラフィ』を思い出しました。

暴走族のようなヤンキーの集団には厳しい上下関係と掟があります。そして暴走するにもバイクの改造費や罰金など、お金が要ります。本書に出てくる沖縄のヤンキーたちは中学を出るとしーじゃ(先輩)のつてを頼りに建設会社で働きます。

辛い肉体労働に加え、マニュアルもなく、ただ先輩の見様見真似で仕事を学んでいきます。先輩も自らの意を汲んで動いてくれるうっとぅ(後輩)を重宝します。そうしたしーじゃとうっとぅ(先輩と後輩)の関係が、職場だけではなく休日まで続き、一緒にビーチパーティーに行ったりキャバクラに行ったりするなど、関わり合いは何十年も続きます。先輩は後輩を便利に使い、後輩は先輩に守られる。お互い持ちつ持たれつで地元から離れられなくなる様子を描き出します。

一方、そんな地元が嫌になって飛び出る若者もいます。ある者はキャバクラ店を開き、ある者は内地にキセツ(出稼ぎ)に行きます。キャバクラも地元の同業者と警察のガサ入れや覆面パトカーのナンバー、クスリに手を出した女の子の情報までも共有して経営を続けます。内地に行った若者も山奥の工場の前にあるスロット屋でお金を使い果たすなど、経済的に厳しい状況からはなかなか抜け出せません。

建設現場の日給が6~8千円、キャバクラの店長も月収が20~30万円と知り、厳しい世界だと改めて思いました。

そうした彼らの中に入り、建設現場で働き、時にはハンマーや桟木で殴られ、使いっぱしりをしながら話を聞き、共感を示し続けた著者の研究にかける情熱には舌を巻きます。反戦反基地ではない、私達の知らない沖縄の側面が見えてきます。

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1ヶ月以上太平洋を漂流した漁師をとりまくノンフィクション

「船では年よりから奴隷のようにこきつかわれ」、「カネなんか一銭も見たことがない」「昭和だったのに明治時代のような生活」だったという。

本書 p.200

突然、はじまった衝撃的な告白に、私は自分の予定調和がこわされたときに特有の当惑を感じた。いったいこの人は何を言い出だすのだ。

本書 p.372

1994年3月17日、フィリピン・ゼネラルサントス市近くの海で漁師が救命筏を発見しました。中には日本人船長とフィリピン人船員、9人の漁師が衰弱した状態で乗っていました。船長だった本村実は沖縄県宮古島市の漁師でした。彼らは太平洋を37日間も漂流していました。

どうしてもその話が気になった著者は、沖縄まで行き、本村のインタビューを試みます。しかし、電話口に出た妻から「十年ほど前から行方不明になっているんです」という衝撃の言葉を聞かされます。 漂流して助けられた本村は8年間船に乗らなかったものの、その後乗った船でまた行方不明になったのです。

この顛末になにか引っかかるものを感じた筆者は、本村の生まれ故郷である宮古島市佐良浜の漁師に話を聞き、実際に向かいます。佐良浜には神殿を彷彿とさせる白亜のコンクリート造りの家が所狭しと並んでいました。これも遠洋漁業の恩恵です。 戦前からカツオ漁業を生業とし、戦後はマグロ漁船に活躍の場を移した佐良浜の人たちにとって、遠洋漁業に出るのは当たり前のことでした。

江戸時代から続いていた沿岸漁業が水中メガネの発明により追込漁に、そして戦前のカツオ漁、戦後のマグロ漁へと続いていきます。教員が1%、役場勤めが1%、残りは漁師、水は海辺の井戸に汲みに行くといった貧しい漁村にとって、選択肢はそれしかありませんでした。そこには私たち陸の民と違う感覚を持ち、ルールで生きる海の民たちの世界がありました。

漂流をした本村の親戚縁者はもとより、出身の沖縄や仲間由紀恵の祖父(彼女の父はマグロ漁師だったそうです)を含む池間島の漁業に詳しい人たち、さらには本村の乗っていた船会社の社長、本村と一緒に漂流をしていたフィリピン人漁師のほか、救助した側のフィリピンの漁師にまで話を聞きます。冒頭の引用で示したとおり、著者はある種の面白いストーリーを組み立てて話を進めがちなきらいはありますが、軌道修正しつつ、ぐいぐいと事件の姿に迫っていきます。少しずつ明らかになる海の民たちの感覚には驚かされました。

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現代沖縄の裏社会

こうした猥雑な空気をはらんだ街に引き込まれたのは、私が地方都市の場末の歓楽街で生まれ育ったせいもあっただろう。そしてもう一つ、それまで」自分の中で醸成してきた沖縄のイメージが揺らぎ始めたことによる、静かで深い衝撃も大きかったと思う。

(本書 p.13)

戦争未亡人たちが、生活を維持するために米兵相手に売春をしてドルを稼ぐという現実は、当時の沖縄の人々なら誰しもが認識していることで、さきの新聞にあるような「頽落」やら「風紀の乱れ」ではないことは、警察もメディアもわかりきっていたはずだ。

(本書 p.217)

沖縄で「恥部」とまで言われた売春地帯を記録したノンフィクションです。沖縄ではそうした地帯は特殊飲食店街、通称「特飲街」と呼ばれてきました。昭和33年に売春禁止法が施行されましたが、沖縄は復帰前だったため、本土と足並みは合いませんでした。

沖縄にあった特飲街は吉原、真栄原新町、そしてアギムヤーと呼ばれる松島でした。特に松島特飲街はネット上に情報がほとんどありません。米軍基地ホワイトビーチの近くらしいのですが、現在では住宅街となっているそうです。ネットではわからない情報が載っている、貴重なルポでもあります。

沖縄では第二次大戦中、県民の4人に1人は犠牲になったといわれる沖縄戦ですべてを失った人たちのうち、家族のため、自らの身体を売って稼ぐしか道のなかった女性もいました。当時、戦争未亡人に対する補償はないに等しかったためです。米軍に攻め入られ、占領された島々の経済は米軍によって支えられたのです。

米軍内部での風紀が厳しくなると、沖縄や本土の観光客を相手にするようになりました。そして沖縄だけでなく、遠くは北海道の女性まで流れてくるようになります。本書はそうした変化や女性の流れてくるルートの解明に、警察や歓楽街の人たちはもちろん、裏社会の人にまでアプローチして迫っています。

しかし、時代は売春を許さなくなってきました。2010年代に入ってから人権意識等の高まりを受け、特飲街は「浄化:されていきます。その先頭にたったのが、警察と婦人団体でした。女性の生業を女性が浄化していったのです。

幻の映画「モトシンカカランヌー」(元金かからない者=売春婦)で「十九の春」を歌っている女性、アケミを探し歩く章は推理小説を読むような展開です。沖縄復帰前に撮られた映画に出てきた女性を探すため、細いつながりを何本も使って筆者は撮影地や撮影者、アケミを知っている人たちを訪ね歩きます。


モトシンカカランヌー(一部)

本書のタイトルで『東京アンダーグラウンド』を思い出す人も多いと思う。あちらはプロレスから裏社会、テキヤなどを政治経済に絡ませていたが、本書のメインは売春だ。それ以上は個人単位でかかわっているから深く把握しがたいらしい。本当に表に出てこない「アンダーグラウンド」の世界に肉薄した本です。米軍と女性といった一枚岩では解決できない問題を提示され、考えさせられてしまいます。おそらく答えは出ないのでしょう。現実を前に、考え続けるしかありません。