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北方領土返還の実現可能な案

佐藤優(2014)『元外務省主任分析官・佐田勇の告白―小説・北方領土交渉』徳間書店

「僕は作家だから、警鐘を鳴らす作品を書く。論文やノンフィクションではなく、小説だ。(後略)」(本書 p.265)

本書は『読楽』に「外務省DT物語」として連載されていた小説を書籍化したもの。中身は暴露話っぽいところもあるが、いたってまじめな動機(を装って)で書かれている。筆者の最終的な目的は、北方領土交渉の前進だ。そのための障害を取り除く地ならしの役割を本書に担わせている。

北方領土の返還はどう行われるのがいいのか。主義主張ではなく、外交の実務経験者として著者が描くのは実現可能性が一番高い案だ。これを読むと、日露双方の外交担当者が真摯に向き合い、あとは政治決断さえあれば北方領土交渉は大いに前進すると思える。

あくまでもフィクションという体裁にしているが、気のせいかよく読めば分かるような偽名を使っている。が、それは気のせいだ。鯉住俊一郎や都築峰男が小泉純一郎や鈴木宗男かと思ってしまうのは、あくまでも読む側の深読みなのである。深読みだけど、本書の目的とはあまり関係のないところで不倫関係(?)を暴露されている外務事務次官がかわいそうな気がした。純愛らしいから、いっか。

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交渉を有利に進めるコツをつかめ

瀧本哲史 (2012) 『武器としての交渉思考』星海社

みんなが自由に生きるためには、必要最低限のルールを合意に基づいて決めて、各自が守っていく。そうすることで「自由を最大化」することができるというわけです。(本書 p.23)

交渉は「話を聞く」ことが大切であると合理的な交渉のところでも述べましたが、相手の大切にしている価値観がどういうものであるかを把握するために、まずは相手に話をさせましょう。(本書 p.248)

武器三部作の最終巻。これまでは若者たちに社会で行きぬくためのノウハウを教えてきた著者が語る交渉のやり方だ。これは新入社員が明日にでも使えるノウハウが詰まっている。社会には合理的な人、理不尽な人、何を考えてるかよく分からない人がいる。仕事をしていると本当にいろんな人と出会うし、合う人も合わない人も当然でてくる。でも仕事なので合わない人ともやらないといけない。ではどうやり過ごすか? 著者は相手を

  1. 価値理解と共感
  2. ラポール
  3. 自律的決定
  4. 重要度
  5. ランク主義者
  6. 動物的な反応

の6類型に分けてそれぞれの対応法を教える。交渉相手が何に重点を置いているかを見極め、それにあわせた対処法を取っていく。その具体例も示されている。たとえば、重要度を重要視する相手との交渉の例として、オリエンタルランドや森ビルの例を挙げる。「板子一枚下地獄」といわれる猟師たちの間に入って、酒を酌み交わし、関係を築いた上で交渉を取りまとめて東京ディズニーランド予定地を買収したオリエンタルランドの担当者、同じように地元の人たちを説得して回った森ビルの担当者。それぞれ世間の人が思っている以上に泥臭い仕事をしているのだ。

この話を聞いて思い出したのが、日中国交正常化交渉のために訪中した田中角栄の話。田中角栄と大平正芳が北京の釣魚台迎賓館に到着したときには、外は猛暑なのに部屋の温度は田中が好む17度に設定され、部屋には大好物の台湾バナナと銀座四丁目の木村屋のアンパンが並べられていた。そうして中国は田中の心をつかんだのだ。(が、田中は一方で警戒したらしい。)

しかし、やっぱりここでも考えながら読まなければならない。著者は竹島問題について、日本がもう一度国際司法裁判所(ICJ)に付託すべきだと述べている。過去の付託は60年代の話であり、当時とは情勢が変わっている。いまの韓国が日本の調停提案を断ったら、諸外国から「何か後ろめたいことがあるのでは」と思われるため、受け入れざるを得ない。もう一度ICJに付託するのが一番いいと書いている(本書 p.174前後)。しかし本書が出た数ヵ月後、日本は竹島問題についてICJに付託したが、韓国はそれに応じなかった。どうしようもない相手だっているのだ。

どうしようもない相手がいること、話のまったく通じない相手を前にしたら逃げるのも必要なこと。この2点が本書には抜けている。本書では反社会勢力や原理主義者との交渉にも言及されているが、自分の能力を超えた人がいることも分かっておかないといけない。そのためには、やっぱり本書で書いてある以下の原則を守ることだ。

自分のことではなく「相手を分析する」ことが、合理的・非合理的な交渉を問わず、きわめて重要です。(本書 p.287)

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必要な喧嘩には必ず勝て

佐高信, 佐藤優(2014)『喧嘩の勝ち方―喧嘩に負けないための五つのルール』光文社

佐高 佐藤さんね、これは私もびっくりしたけども、経済界では社長になっても満足しない人が、結構いるんですよね。昔取材したある企業トップが本音として言ってたけども、社長になったら次は会長、会長になったら、またなんとか鉄鋼連盟みたいな業界団体の会長とかになりたいって言うんだよね。
佐藤 最終的には経団連会長。
佐高 そう、それと勲章ね。
(本書 pp.36-37)

佐高 (前略)やっぱりある種喧嘩っていうのは、自分が勝者だと思っている人に対して売るわけですよね。
佐藤 そうです。喧嘩は強い者に対してぐんと出るんです。弱い者に対するのは喧嘩って言わないでイジメって言います。
(本書 p.207)

評論家の佐高信と佐藤優の対談。喧嘩とは何か、何のためにするかに始まる。でも勝てる喧嘩しかしてはいけない。となるとどうすれば喧嘩に勝てるのか。実例を元に本書でも喧嘩を繰り広げていく。

喧嘩をするにも作法がいる。一つは同じ価値基準を持っていること。話が通じ合わない相手とは喧嘩ができない。そういう人にからまれたら逃げるしかない。話の通じる相手で、ほうっておいたら影響が大きすぎる場合、これは喧嘩をすべきである。だから本書では猪瀬直樹(当時は東京都知事)や曾野綾子に喧嘩を売っている。そのときも、引用の通り相手の研究を行って、作法にのっとるのが肝要だ。その喧嘩は周りも見ているから。

かつて文章で喧嘩を売ったのに上から圧力をかけてきた政治家、アンフェアなことをした政治家などは実名を挙げて断罪されている。政治家の発言を「喧嘩」という切り口でアプローチしていくと、戦争を起こすかもしれない喧嘩を無意識的にやっている猪瀬直樹、猪瀬と同じ反知性主義だけど戦争を起こすまでにいたってない橋下徹、喧嘩してるフリの石原慎太郎など、それぞれのスタンスが見えてくる。

喧嘩はしてはならないものではない。言論の自由がある以上は自分と違う意見の人が出てきたら大きな声で質せるのが「風通しのいい社会」だ。同調圧力で「喧嘩のないのがいい社会」といった反喧嘩主義的平和は息苦しい社会なのだ。闊達な対話を通してよりよい社会にしていくために喧嘩のできる社会にすることが必要なのだ。

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苦手な人とも上手に付き合うコツがある。

佐藤優(2013)『人に強くなる極意』青春出版社

僕の感覚では、ビジネス上のそのような飾らない関係は、通常の業務なら40歳前後のベテランになれば社内外に20人~30人くらいはできると思います。(本書 p.93)

外国から証人を呼ぶための経費や弁護士費用などで、ざっと2000万円はかかりました。この費用は税控除にならないので、実質的には4000万円以上捻出しなければならない。同志社大学時代の旧友たちのカンパもあり大いに助かりましたが、かなりの額を塀から出た後の著作活動d捻出しなければならなかったのです。(本書 p.186)

いわずと知れた佐藤優が連載したものをまとめた本。外務省でソ連・ロシアとの外交交渉を行ったほか、東京地検に起訴されて検察官との交渉まで行ったという貴重な経験を持つ筆者のノウハウが詰まった本。筆者は人生でなかなか経験できないことは小説を読むことで疑似体験することを勧める。ソ連崩壊という百年に一度ぐらいの歴史的事件に立ち会い、特捜に狙い撃ちされた筆者の経験に基づくエッセンスが詰まった本書も、それと同じぐらい有用だ。880円で手に入るノウハウは、それ以上の価値を持つ。

人が生きていく上で他者とかかわらざるを得ない。組織で働くにしてもフリーで働くにしても、そこには相手がいる。気の合う相手ばかりならいいが、決してそうではない。友人関係なら気の合わない人と付き合わなくてもすむが、仕事だと気が合わなくても(お互いがそう思っていたとしても)付き合わざるを得ないことがある。合わないんだから仕方ない、では解決にならない。なぜ合わないのか。なぜそう思うのか。相手と自分を分析して合わない理由やその原因が見えてくる。

もう一つ、近年の「断る力」ブームに対して筆者は「断らない力」を勧める。特に若手から中堅のうちは断らずにいろいろと試してみたほうがいい、それは上司や周りが見ているから、と。そこから人間関係が広がり、世界が広がり、ダイナミックな人生に漕ぎ出すことができるのだ、と筆者は説く。

本書の根幹はここなのだ。合わない、無理と思考停止に陥らないで、どんな状況でも落ち着いて距離を置いて自分とその周りを見渡す。そこで自分にとって、自分の将来にとっていい方向になるように舵取りをする。合わない人ともなぜ合わないか考える。多くの仕事も断らずに、分量や難易度を考える。実際に仕事に追われていると大変難しいし、ぼく自身もそれはできているとは言いがたい。

忙しいときに本書を読もう。なぜ忙しいのか、忙しさには意味があるのか。本書は周りを冷静に見つめなおし、自分の仕事を考えるきっかけになる。

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異様な知性が生まれた理由

佐藤優(2014)『先生と私』幻冬舎

2日後、団地の集会場で行われた告別式には、数百人が集まった。(中略)僕は、心の片隅で「ライバルがいなくなってほっとした」と思った。「何てことを思っているんだ」と僕はその気持ちをすぐに心の底に押し込んだ。そして、この気持ちは僕の心の底で、澱になった。(本書 p.201)

「(前略)大人の社会は利用、被利用が基本だ。利用価値がない人間は切り捨てられえるか、ぞんざいな取り扱いを受ける。お父さんが優君に技術者になってほしいと思ったのは、手に職があれば、他人から軽く見られずに給料を稼ぐことができるからだ」(本書 p.232)

本書は外務省を偽計業務妨害で追われた佐藤優の少年期~青年前半期の自伝で、次に出る『十五の夏』の前編という位置づけだ。『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』以来、国家や民族、マルクス主義や歴史について異様ともいえる知性を披瀝し続けてきた佐藤優がライフワーク的に書き続けている自伝の一部だ。

優少年は電気技師の父と、沖縄県久米島出身で看護学校で学んだ母の間に生まれる。本書のカバーはその母との久米島でのツーショットだ。両親は高等教育を受けていないし、戦争があって事情が許さなかった。だから優少年にはいろいろと学んでほしいと思っている。だけど教育熱心という感じではない。むしろ優少年の好奇心を伸ばす形でサポートをする。アマチュア無線がほしいといえば無線の講習会に送り、機械も買ってあげる。自分たちの手に余る質問をしてくるようになったら、清水の舞台から飛び降りる気持ちで百科事典を買う。いろんな世界を見せるために返還前の沖縄や尼崎にいる社会党の市会議員をやっている叔父の家に送ったりする。

小学校のときに肝機能の低下で半年ほど学校を休んだ優少年は、学校の勉強に遅れてしまうのではと心配する。だからみんなに追いつくために塾に入る。入った塾で教え方のうまい国語の先生と算数の先生に会ってから興味の幅が劇的に広がる。小説の読み方や少し背伸びをして哲学書を読むことも覚えた。塾の先生に質問をすると、先生たちは学び方の手ほどきをしてくれる。読むべき本や非ユークリッド幾何学の数学の世界、学生紛争や社会主義について、優少年の質問に一生懸命答える形で答える。優少年はさらに興味を伸ばす。

好奇心の強い少年とその一歩先を照らす先生や両親との化学反応で佐藤優という知性が形作られたのがよく分かる。物怖じしない知的好奇心が旺盛な少年の周りに、実力を伸ばす力のある大人が集まったのか。そんな環境だから彼の実力が伸びたのか。鶏と卵の関係だ。

学問の世界を面白く伝える教師、キリスト教の考え方を教えてくれる牧師、いろんな世界を見せようと北海道旅行やソ連・東欧の旅行へと送り出してくれる両親。優少年の興味の一歩先を照らすと同時に、いろんな選択肢を見せてさらに自分たちのオススメを示す。こう書くとamazonみたいだけど、決定的に違うのはオススメする側が自分たちの経験や考え方を元に、その理由を優少年に分かる形で伝える努力をしている。大人たちは主に以下のようなことを伝える。

  • 自分の実力から見て難しいことに挑戦しないと実力は伸びない
  • いろんな可能性を残す形で進路を決めたほうがいい
  • 本は順序だてて読まないといけない

もう少し若いときに知っておきたかった。今からでも使えるところは使いたい。

筆者はもう40年近く前のことなのに、当時の会話や食べたものまでよく覚えている。記憶力のよさは生まれつきだ。加えて中学生当時から4時間ほどの睡眠で満足できていたのだから舌を巻く。時間の使い方のうまさも、もって生まれたものも大きく影響していると感じた。

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幸せになるには資本の呪縛から逃げよ

鎌倉孝夫, 佐藤優(2013)『はじめてのマルクス』金曜日

佐藤 ですから、自己実現なんていうのは、労働力が商品化されている体制の下ではないんですよね。あえて言うならば、資本家の自己実現はある。しかし、労働者の自己実現は絶対にないんですよ。(本書 p.73)
鎌倉 ぼくも資本主義の終焉期ととらえてよいと思うが、それをどう終わりにするかは現実的に難しい。(本書 pp.101-102)

鎌倉孝夫 埼玉大学名誉教授と佐藤優 元外務省主任分析官の、マルクスにまつわる対談。話は主に『資本論』を軸に語られる。はじめてのマルクス、と銘打っているが『資本論』について多少は知らないと着いていけない。

本書の話のキモは簡単だ。サブプライムローンやワーキングプアなどが増えた現在は、まさに資本主義の終焉期に入っている。では、これからどうやって資本主義とは違う社会を作っていくか。一つは社会主義なんだけど、もはや現実的ではない。資本の暴力性を乗り越えるためには、どういう可能性があるのか。二人の碩学が意見を交わし、現実的な解答を導き出そうとする。

焼き鳥屋で飲み食いしたのに、原価20円ぐらいの紙きれでそれが払えると考えるのはイデオロギーだ、株でお金が増えると考えるのもイデオロギーだ。イデオロギーとは一種の政治的見解だ。必ずしも真実ではない。資本の呪縛から逃れられないために、人は紙幣をありがたがり、法律を学び、お金で関係を築こうとする。

原点に立ち返ろう。貨幣の誕生以前は物々交換が行われていた。そこでは貨幣が存在せず、モノとモノを介した人々のかかわりが構築されていた。しかし、大都市に住んで小さな共同体が崩壊した結果、地縁血縁で結びついていた人々が貨幣や資本を介して人とかかわりを築くようになる。この転倒がすべての不幸の始まりだ。労働者は資本家に搾取され続ける。資本をもたない労働者は資本家に労働と時間を提供し、資本家は労働者が再生産(子孫を産むこと)できるようにお金と余暇を与える。暴力的収奪からは、労働者である限り逃れられない。しかし、ワーキングプアなどで再生産が出来なくなってしまった今は、末期的状態なのだ。

これを解決する方法は一つ。資本を介したかかわりより前のあり方に立ち返るのみ。人と人との、資本を介さない(でもモノは介す)なまのかかわり。ソ連崩壊時の年率2500%のハイパーインフレでも人々が生き残れたのは、資本以外にも人々を結びつける回路があったからだ。

沖縄には模合(もあい、本土の無尽講や頼母子講)が残っているので、そうした回路があるのだろう。日本ではどのような形で人と人との資本を介さないかかわり方が築けるのか。そして今の私たちに出来ることは何か。二人の碩学は対談を通して、考えるきっかけを与えてくれる。

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竹林に行くと美女がいる?

森見登美彦(2010)『美女と竹林』光文社

登美彦氏は腕組みをして考えていたが、「何でもいいから書いてみろ。この世にあるもので、やみくもに好きなものを書いてみろ」と自分に言い聞かせた。そして、まるで書き初めをするかのように背を伸ばし、厳粛にボールペンを握って、手帳に大きく書いてみた。

「美女と竹林」
(本書 pp.11-12)

こうして無理から始まった連載は、やみくもに始まっただけあって迷走する。

たまたま職場の同僚の鍵屋さんが持っていた竹林は手付かずで、手入れされるのを待っている。そこに竹林を美女と同じぐらい愛してやまない登美彦氏が現れる。

登美彦氏の夢は遠大だ。竹林から切り出した竹で門松や竹とんぼを売り、たけのこで稼ぐ。将来は竹林が再注目される時代がやってきて、登美彦氏の竹林事業は大成功。弁護士を目指す友人の明石氏に顧問となってもらい、MBC(森見バンブーカンパニー)を設立する。

まずは手始めに手付かずの竹林の手入れから、となるのだが、そこにも困難が立ちはだかる。登美彦氏は勤め人である。土日しか休みがない。加えて作家である。土日は執筆でつぶれる。すべての仕事が計画通りに終われば竹林の手入れも出来るのだが、計画は往々にして遅れる。さらに天気や体力といった副次的要素にも左右される。

本書を読んでいると、登美彦氏の周りにはすばらしい友人がいる。「竹林の手入れをしよう」とメールして「ええよ」とすぐ返信する弁護士を目指している友人の明石氏、竹林を貸してくれた鍵屋さん、連載と竹林への興味のためにやってくる出版社の人々。みんな、力みすぎない登美彦氏のふしぎな魅力に絡めとられて巻き込まれる。つい読み進めてしまう読者もご他聞にもれず。

果たして登美彦氏の野望は達成できるのか。それ以前に本書の結末はうまく結べるのか。二つの意味でハラハラさせられる、少しゆるい作品。疲れた日にはこれを読もう。元気が出たら竹林に行こう。そこには美女がいるかもしれない。美女と竹林、このタイトルの謎は本書で明らかにされる。すると竹林に美女がいるかも、と思えてくる。

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ジブリ映画を超えたジブリ漫画

宮崎駿(2003)『風の谷のナウシカ』徳間書店

「何がおころうとしているのか判らない…… でも何かとてつもないおそろしいことがどこかで始まっている あれはその最初のきざしだわ」(2巻 p.86)

未来の地球では腐海と呼ばれる人の住めない、しかし蟲と呼ばれる生物だけが住める森が増えていく。同時に腐海に領土を取られた人は生存可能な土地をめぐる争いをする。その争いの中でも腐海は増え続け、蟲の王である王蟲に、腐海が増え続けた結末を教えてもらったナウシカは、最悪の事態を避けるために立ち上がる。風の谷の仲間とともに…。

立花隆と佐藤優の対談本で言及されていた中で唯一絶賛されていたアニメ(のオリジナルストーリー)。映画化されたのはごく一部(2巻の前半まで)で、漫画の方が数倍スゴイ。立花が宮崎駿に全てを映画化しないのか、と聞いたところ、あれはできないと言われたのだとか。作者ですらあきらめてしまうほどのスケールが7巻に詰まっている。

ストーリーの展開が割と早く、先へ先へと読ませる。簡潔なのだ。逆に言うと要点しか描かれていない。だからストーリーが進むとともに、読者が細かな事情を考えなければならない。それが7冊続く。まるで濃厚なスープを大鍋で飲んでいるような感覚になる。

映画では人間と腐海をはじめとする自然との対立のようにも読めるが、そうではない。人間が周囲の環境とどう向き合うかというローカルな話を超えて、人間を含んた環境は、さらなる大きな環境とどうかかわるかという話につながっていく。人間対自然の古い対立を超えた近代的な問いこそが、ナウシカが私たちに投げかけるメッセージだ。

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10年後の給料を増やすには?

渡邉正裕(2012)『10年後に食える仕事 食えない仕事』東洋経済新報社

小林研業(新潟県燕市)は、当初、アップル「iPod」のボディ背面の鏡面磨き上げを請け負い、安倍晋三首相(当時)が訪れたことでも有名だ。ところが、ほどなく人海戦術でコスト競争力のある中国にすべて移管されてしまった。他社にはマネできない決定的な技術というわけではなかったのだ。(本書 p.146)

前回紹介した『世界と闘う「読書術」思想を鍛える1000冊』で佐藤優が言及していた本書は、分かりやすくて面白い。「下品だけれども非常に説得力があります」(前掲書 p.235)とほめている。

著者の言ってることは単純で、全職種を4つに分類する。「重力の世界」「無国籍ジャングル」「ジャパンプレミアム」「グローカル」のうち、これから生き延びるには日本人にしかできない「ジャパンプレミアム」(公務員、料理人、旅館の女将、保険外交員など)か「グローカル」(国会議員、弁護士、不動産鑑定士、人事担当者など)になるしかないといいきる。

「重力の世界」はまさに低いところが基準となる世界で、プログラマや電話オペレーターなどの単純労働者が該当し、同じ日本人を1人雇うにしても日本で15万円払うより中国で5万円払うほうが同じクオリティで競争力がケタ違いであることは明らかだ。この逆が「無国籍ジャングル」で大手企業の経営者や投資家、アーティストが該当する。勝てば数十億円の年収も夢ではない青天井だが、翌年には年収1万円になるかもしれない。そんな70億人との「仁義なき戦い」をするよりは、少なくとも数10年は人口1億人が約束される日本で生き延びるほうがいい、と著者は説く。

この手の著者は大体が強者で、弱者に対する視点が抜けるものだけど、本書の著者は違う。雇用の安全保障として、タクシードライバーや介護士などの「重力の世界」の仕事は規制をかけて、最後まで移民にやらせないようにすべきだ、と述べる。弱者への視点をおろそかにしない点が、本書の価値をあげている。

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ブラック企業に搾取されないために

佐高信, 佐藤優(2013)『世界と闘う「読書術」―思想を鍛える一〇〇〇冊』集英社

あの人(管理人註:長谷川宏)を見ると思うんだけれども、人は本当に好きなことをやっていれば絶対に食っていけるし、その本を出すことはできるし、その分野で認知されるという一つの例ですよね。ただ、中途半端に好きではダメで、本当に好きなことをやっていないといけませんが。(本書 p.182)

佐藤優と佐高信の対談。関心も読んできた本も違うので、対談で違った知性のあり方があぶり出されている。国家、家族、歴史、宗教や文芸批評について語るのはこれまでの対談本にもあったが、時勢を反映してか、ブラック企業をはじめとする「働き方」をテーマにした対談もある。そこでは稲盛や経団連もバッサリと切り捨てられている。あの人たちが講演会や朝礼で述べる「苦労したから報われた」というのは、本当は逆で「報われた人は苦労している」だけにすぎない、とする佐藤の指摘は、当たり前だが新鮮だ。自分の頭で考えて、視点を変える、視野を広げる大事さに気づかされる。

冒頭で引用した箇所で佐藤は長谷川宏訳のヘーゲル『論理学』等について述べている。amazonのレビューなどでは、長谷川訳は読みやすいけど厳密ではないという批判も多い。とりあえずの輪郭さえ分かればいいのであれば長谷川訳を、厳密に知りたかったら別の人のを参照にするのがよいようだ。そうした事情を分かっているのか、章末の必読書リストに挙げられてはいるものの、佐藤セレクションとはなっていない。

このように、誰の作ったか分からないリストを見ながら対談を振り返り、言及された本と佐藤・佐高セレクションを対照させていくのも、また面白い。