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教養教育の軽視が日本を弱くした?

作家の佐藤優と教育学者の竹内洋が大学の問題と教養教育の大切さを語った対談本です。

佐藤 (筆者註:千葉雅也の『勉強の哲学 来たるべきバカのために』『メイキング・オブ・勉強の哲学』は)ノリの悪さと良さをハイブリッドで行ったり来たりできるようになるのが、「来たるべきバカ」。だから、勉強の目標はバカになることだと。これは非常に面白いと思った。今の社会の空気を捉えて勉強の意義を説いた21世紀版の教養書ですよ。

本書 p.12

竹内 (中略)要するに、伸び代がないんですよ。それは私も長年、京大で教えていて感じた。
佐藤 京大に入れるところまでは来るんですけどね。
竹内 そう。それで、どうしてあんな難しい入学試験を受けて合格して、こんなつまらない卒業論文を書くのかなと思ってね。

本書 p.144

作家の佐藤優と教育史の専門家である京都大学名誉教授、関西大学名誉教授の竹内洋対談本です。二人の対談は本書で3回目だそうです。現在の教育問題を語る二人の対談はとても興味深いです。

財務省の事務次官がセクハラ疑惑を起こしたり、文科省の事務次官や局長の更迭、逮捕、新潟県知事の女性問題での辞職など、官僚の不祥事が相次いでいます。二人はこうした例を取り上げ、教養教育の軽視が今の状況を生んでいると警鐘を鳴らします。

今の受験生はマークシートで効率よく点を取って偏差値の高い大学に入れるよう努力をします。すべて効率、費用対効果を重視します。予備校などの教育産業も産業である以上、能力のある学生たちをあおり、数学の適性のない者には数学を捨てさせて高偏差値の私立大学を受験させる、本人の適性を見ずに偏差値だけで医学部を受験させるといったようなことが起きます。結果、「受験刑務所」を経た大学生たちは勉強嫌いになり、レジャーランド化した大学生活を満喫します。

大学教員や官僚も同じで、一度安住したポストを得るとそれ以上の勉強をしなくなります。結果、世間の潮流が見えず、セクハラ問題を起こしたり、特にビジョンも持たず、言われたことだけを行う官僚になっていきます。

そうした大人を生まないためにはどうすればいいのでしょうか? 一つは早稲田や同志社が行っているような、東大や京大に落ちた人は入れないような試験をつくり、不本意入学を減らすことで学生全体の学びへのモチベーションを上げることです。また、武蔵高校を例にあげ、中高一貫教育で自らの適性を判断させる時間を与え、進路を考えさせる方法です。

世間の流れについていくには自らの頭で考える力が必要です。検索エンジンや自動翻訳ソフトで結果がでても、その結果が正しいかどうかを判断するには教養が必要です。教育は時間をかけ、幅広い知識と見識を身につける唯一の方法です。偏差値だけが全てではなく、自らの適性と行動の下支えになる幅広い教養があってこそ、社会で活躍できるのだと痛感させられます。