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中国国家主席の通訳が見た日中外交

ある日の夜九時頃、日本政府の赤坂迎賓館に泊まっていた彼(著者註:華国鋒 国家主席)は、入浴後に着替えた日本式の浴衣姿で建物の後ろの庭園に散歩に行きたいと外へ出ていった。私はびっくりして彼をとめた。この迎賓館のいたるところに警備員や新聞記者が数多くいるので、もし主席の浴衣姿の写真が誰かに撮られ、明日の新聞やテレビで報道され、おまけに冷やかすような説明を加えられたりしたら、きっとお茶の時間や食後の話題になり、大きなセンセーションを巻き起こすかもしれない、と述べた。

本書 p.170

南昌空港当局が言うには、広州の天候が荒れていて、終日飛行機の着陸を受け入れていない。日本の客人(筆者註:日本作家代表団)はこれを知るとあわてた。
(中略)夕方、(著者の上司の)廖から電話があった。周(恩来)総理に指示を仰ぐと、これは自分が引き起こしたことで、自分に責任があると言って大いにあわて、民航総局と空軍司令部に非常措置をとらせ、時間通りに広州に送り届けるように指示した。

本書 p.298

中国の国家主席の通訳を務めた筆者が間近に見た日中外交の様子を描いた本です。国家主席や総理等、中国のトップの姿を描いたため、共産党から出版の許可はもらったものの中国大陸では発行されず、香港で発行されました。

著者は1934年江蘇省生まれ、高校卒業時に学校の党支部から北京大学の外国語学部に入るよう通知を受けます。憎い日本人の言語を学ぶことに抵抗はありましたが、日本と向き合う人材が必要であると説得を受け、日本語を学び始めます。しかし翌年、学業を休止して共産党員として活動するように命じられます。本人は政治生活が肌に合わなかったらしく、日本語学習野道に戻してもらうよう掛け合い、日本と日本語の専門家になっていきます。

本書で初めて明かされるのは、日中国交正常化交渉時の大平正芳外相と姫鵬飛外相による一対一の車中会談です。田中角栄総理が訪中し、周恩来総理との日中首脳会談を行いますが、二回目で暗礁に乗り上げます。日本と台湾の平和条約であった日台条約の取り扱いを巡って食い違いが起こりました。そんな中、中国側がセッティングした万里の長城への視察の道中、急遽大平外相が「姫外相と二人で話をしたい」と言い出し、同乗者を替えて車中会談を行います。車内は両外相の他、運転手と通訳である著者のみでした。そこで二人は落とし所を見つけます。日中国交正常化への情熱が伝わる貴重なエピソードです。

ほかにも文化大革命のさなか、情勢への対応に忙殺される周恩来の様子や、大平首相の招きで訪日した一ヶ月後に大平首相が亡くなり、弔問のために再来日した華国鋒は国家の情勢から大平家の返礼を受けられなかったこと、大平外相は田中角栄首相に送られた書が論語であるとすぐ分かった知識人だったことなど、国家の首脳を間近で見ていた著者ならではの話が披露されます。ピンポン外交が米中のみならず、日中関係にも大きな影響を与えたことは本書で初めて知りました。

中国では外交官が人民日報で働いたり、国家の規律上言えないこともあったなど、中国の内情が垣間見える話も出てきます。中国での出版が許可されなかったのも、このあたりに原因があるのかもしれません。

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沖縄をつい語りたくなる人のための本

沖縄独特のものを、外からのイメージやラベリングに還元するのでもなく、あるいはまた、植民地主義的に理想化して熱く語るのでもなく、ただ淡々と、事実としてそこにあるもの、歴史的に、社会的に、経済的に、そして「世俗的に」沖縄の独自性について語ることは、どうしたら可能になるだろか。

本書 p.78

この映画 (筆者註:映画「戦場ぬ止み」)にも、抗議船に乗る漁師と海上保安庁のゴムボートの職員が和やかに会話し、基地賛成派の漁師が抗議活動のテントに豪華な刺し身を差し入れするシーンが出てくる。(中略)三上智恵が言いたいことは、結局のところ、ここには人びとが暮らし、そこで生活をしている、ということなのだと思った。

本書 p.228

本書は沖縄を知るための入門書ではありません。著者の岸政彦が沖縄をフィールドに社会学の研究をしていくときにぶつかった壁について考えた文章です。沖縄を知り、沖縄に近づくためには、ナイチャー(内地の人間)はナイチャーであることを意識せざるを得ません。ナイチャーと意識してこそ、沖縄に近づけます。だけどそれだといつまでも、極めて近づいても、結局は外側にいることになります。

私たちは沖縄について語るとき、政治的立場を表明せずには語れません。基地賛成派、基地反対派、あるいは無関心とするか語りについて考え、当事者としての立場から距離を置くか。
「日本は沖縄にばかり基地の負担をさせている」
という語りの反論として
「沖縄には基地賛成派もいる。多様性を認めなければならない」
という意見も出てきます。それぞれ間違いではありません。沖縄を語るとき、私達は難しい局面に立たされます。沖縄は、日本の内部にある外部だからです。

本書は沖縄と本土の関係を考えながら、沖縄の歴史と変化と多様性を考えることの難しさを教えてくれます。また、それを通してマジョリティがマイノリティについて語る難しさをも痛感させてくれます。著者が書くように、昨今の学問ではマジョリティとマイノリティなどといった境界を乗り越えることに主眼が置かれていましたが、著者はあえて境界を意識することに主眼を置きます。長年、沖縄でフィールドワークをして実感した境界があるからかもしれません。

本書は沖縄の知識を身につけるための本ではありません。しかし、沖縄をもっと知ろうとする人たちが意識しておくべきこと、知っておくべきことが書かれています。著者の二十年以上に及ぶフィールドワークから得た「感覚」を、こうした形でまとめて読めるのはありがたいことだと思います。沖縄を知ろうとする人たちには、ぜひ手にとってもらいたい一冊です。