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人生で得をするため、楽に生きるための1300円

佐藤優(2014)『いま生きる「資本論」』新潮社

この講座では、人生で得をするために、あるいは人生を楽にするために『資本論』を読みます。(本書 p.72)

この講座で『資本論』を読んでいくことでわれわれが具体的に何を学ぼうとしているかというと、もうお気づきの方はいるでしょうが、今の価値観からの脱出です。(本書 p.187)

佐藤優が行った資本論に関する講義を書籍化したもの。素人向けの講義なので分かりやすい上に、本になっているから更に分かりやすい。

著者の資本論読みは独特だ。学者が一般的に貨幣の仕組みとか経済活動の本質などを探るために資本論を読んでいるが、佐藤はもっと実用的な読み方へ一般の人を誘っている。

我々はどう生きるか、という問題に対する導きの書としているのだ。

『資本論』は確かに古い。江戸時代に書かれた書物だ。だけどみんな名前は知っている。100年以上生き延びて、今後もさらに100年以上生き延びるだろう本なので、普遍的な魅力と力がある。現にこの薄い本で、著者はアベノミクスからビットコイン、佐村河内問題まで分析している。どんな経済の流れも、『資本論』さえ知っていれば冷静に見つめられる。

本書の目的は、人生でより得をするために、より楽な人生を送るためのエッセンスを伝えることだ。それは『資本論』を通じて経済を知り、お金持ちになるということではない。資本主義経済の本質と限界を知り、自分たちの置かれた状況を一歩引いて見ることで、労働、貨幣、資本主義とは何かを知り、それらと関わらざるをえない人生をより良くしていく力をつけることだ。

確かに今の世の中は生きづらい。頑張っても大金持ちになれるわけでもないのに、頑張らないと暮らしていくことすら大変だ。『資本論』で培った人生を楽に生きる方法は、『資本論』と同様に100年前でも、現在でも、そしておそらく100年後も通じる知恵と言える。そんな本書の1300円を安いと感じるのも、また、資本主義の価値観に籠絡されている。

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レビュー 講談社ノンフィクション賞

無実の罪をかぶったまま満州に散った甘粕正彦

佐野眞一(2010)『甘粕正彦 乱心の曠野』新潮社

甘粕が「青年たちの娯楽は何ですか」と尋ねると、加藤完治の代理の者が「角力や柔道や剣道です」と答えた。すると甘粕はこれを否定して言下に言った。
「昼間農業をやって疲れた若者が、角力や柔道や剣道をやって何が娯楽になりますか。苦しい労働をした者には、楽しい遊びが娯楽になり、気分転換になるのです。だから世間では、碁や将棋や音楽、映画、演芸を娯楽というのです。人間の生活には楽しいものや美しいものがなければ長続きしません」(本書 pp.489-490)

大杉事件の真相は八十年以上秘匿された。それを思うとき、人を威圧して沈黙させる帝国の猛々しさと、事実を風化させ忘却させる歴史の残酷さを感じないわけにはいかない。(本書 pp.591)

甘粕正彦の生涯を追ったノンフィクションで、大杉事件の真相を解明したとして講談社ノンフィクション賞を受賞した。

大杉事件とは、アナーキストの大杉栄と内縁の妻伊藤野枝、甥の橘宗一(6歳)が関東大震災後の戒厳令が出ているさなかの東京で憲兵に連行され、そのまま殺された事件のことをいう。

当時、東京憲兵隊渋谷分隊長兼麹町分隊長であった甘粕正彦憲兵大尉が東京憲兵隊本部付(特高課)森慶次郎憲兵曹長と共謀して殺害したとされた。しかし、上官の命令でなければ聞かない軍隊のこと。なぜ直属の上司でない甘粕からの命令に森が従ったのかは謎だった。

更に謎は残る。3年弱の刑期を終えて出てきた甘粕を出迎えたのは憲兵2人。そのまま家に帰るでもなく、軍の金で山形の温泉地に行き保養している。それだけではない。その後は軍から美術・音楽等の研究のためという名目で、2年間のフランス行きを許された。甘粕を出国させるため、東京憲兵隊特高課の少佐が係争中の日本郵船に早く船を出すよう直談判までしている。軍はまるで甘粕を厄介払いさせるように、性急に国外に追い立てた。

著者は周辺の者の証言などをたどって、甘粕が大杉事件の犯人でなく、軍の上層部が指揮した可能性が極めて高いこと、甘粕はそれを分かっていながらスケープゴートになったことを探り当てる。まさにノンフィクションの真髄だ。

満州に行った甘粕の人脈がまたすごい。陸軍士官学校卒業なので軍人には東條英機を始めとした知り合いは多く、加えて政府に勤務したことから役人だった岸信介や石原莞爾とも知り合う。また皇帝溥儀から側近としておきたいと言われるほど人望もあつかった。理事長となった満洲映画協会には李香蘭(山口淑子)、森繁久彌といった俳優の他、赤川次郎の父親の赤川孝一や内田吐夢、そして意外なことにジャーナリストの大宅壮一もいた。こうした人脈が戦後、「紅いコーリャン」などを撮影した中国の張芸謀(チャン・イーモウ)に繋がるというから驚きだ。「東洋のマタハリ」川島芳子も出入りし、皇帝溥儀の通訳を務めていた中島敦の叔父である中島比多吉、檀ふみの父で作家の檀一雄、後に東大総長になる矢内原忠雄も甘粕と縁があった。満洲映画協会はまるで梁山泊の様相を呈していた。

いちばん興味深かったのは甘粕の奥深い人間性だ。すぐに癇癪を起こし、人を怒鳴り散らす一方、アフターケアも忘れない。クビを切った部下の再就職を世話する、関東軍から来た召集令状を突き返すなど、面倒見の良さがあった。公人としては軍隊出身者らしく時に厳しく、テキパキと実務をこなした一方、私人としては子煩悩であり、教養もあった。組織の罪を被り、出獄後も軍の特務機関のような仕事をしていた甘粕には、底光りする魅力があったようだ。憲兵隊という国家主義的な甘粕が、経営難の立て直しのためとはいえ満映という左翼の多くいる組織を率いたのをみても、懐の深さが窺える。

甘粕は会う人間に酔って、その面貌を変化させているわけではない。厄介なことに、試されているのは甘粕を見る側の教養であり見識なのである。(本書 p.485)

この一文が戦争という奥深い歴史の澱を内奥に秘めた甘粕の性質を表している。

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大学教授も気楽じゃない

今野浩(2013)『工学部ヒラノ教授』新潮社

どこでもそうだが、私立大学の場合は、1人の教官が面倒を見る学生数は国立の約3倍、講義負担も2倍以上である。国際水準の研究者を目指す者にとって重要な事は、研究時間が確保されることである。(本書 p.24)

企業に勤める友人に比べると、工学部平教授の給与は少ない。東工大を停年で辞めた時のヒラノ教授の給与は1000万円少々、つまり35歳の駆け出し判事の3分の2、30歳の銀行マンと同じレベルである。(本書 p.218)

筆者は東大卒業後、民間に勤めてから筑波大から東工大を経て中央大と渡り歩いてきた工学系研究者だ。文系教授の大学暮らしを描いた『文学部唯野教授』の向こうを張って理系教授の暮らしを描いたのが本書だ。

工学出身の人の対応を見ていると文科系出身の自分との違いに驚くことがある。彼らは忙しいにもかかわらず、まず仕事を断らない。こちらが勘ぐってしまうぐらい、仲間を褒め称える。本書を読んでその謎が氷解した。「工学部の教え七ヶ条」を読むと納得。七ヶ条にしたがって動く、という行動原理だけではなく、ヒラノ教授は更に一歩進んで、それぞれの条項がなぜあるのか、どういう意味を含んでいるのかをわかりやすく解説してくれる。

工学の人たちが仕事を断らないのは、仕事を任せてくれる時点で信頼されている証であり、チームプレーの多い学問分野なので断らないほうが後々得策だから。仲間を褒め称えるのは、学生の場合はそんな研究をさせた教官が責任を問われるべきだし、研究者でも二流だって食っていける分野だからだ。一方で文科系は食っていくのは厳しいから、研究発表も厳しく見られる。膝を打つ名解答だ。

さらに進んで、現役の研究者にはありがたい(?)研究費申請の内幕や経費の使い方についてまで暴露している。申請書は丁寧な字で書いて最後まで埋めること、すでにやってしまった研究をこれからやるように装うこと、などだ。

ただ、一つ感心できなかったのは、開き直りが見られる点だ。単年度で使いきらないといけない国の予算の使い勝手の悪さを嘆いたり、業者への偽装発注を通した預け金が当時は当たり前だったなど、シャレにならない暴露まで書かれている。法や省令に触れるし、それなりの地位まで出世して学長から文部省(文科省)にまで顔が利くようになった著者なのだから、制度を設計している側に直接言って変える方向で取組めたはずだ。佐藤優のように詫びるでもなく、自らの非は棚に上げ、世間の関心を誘うのはフェアではない。

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生物の分類は科学を超えなきゃ成し得ない

池田清彦(1992)『分類という思想』新潮社

分類することは思想を語ることであり、歴史主義的な分類体系は、歴史主義者の思想にすぎない。生物の歴史を探る試みが立派な研究課題であることは認める。しかし、歴史で分類をしなければならないという思想はやはり本質的な意味で倒錯である他はない。(本書 p.144)

私が依拠する立場は極めて単純だ。分類はいずれにせよ、人間が行う営為の一つである、ということだ。すなわち、すべての分類は人為分類である。従って、すべての分類は本来的に恣意的なものである。(本書 p.214)

知的刺激に満ちた本だ。

分類が思想にすぎず、必ずしも我々の認識を反映させているとは限らないことを、生物の分類をもとに明らかにしている。

生物の分類の祖はアリストテレスだ。彼は歴史上初めて、動植物の分類を行った。続いて画期的な成果を上げたのが植物の分類の祖、リンネだ。彼の発明した二名法により、種や属といった階層が設定された。

そうした素朴な分類のうちはまだよかったのだが、生物学の研究が進むにつれて分類方法も複雑化してくる。ある者は形質的な特徴を元に、また別の者は進化の分岐を元に、生物の分類を試みた。

しかし、いずれも完璧な分類ではない。確かにDNAやミトコンドリアの親疎関係から「科学的」に分類をすることはできる。だけど我々の認識と合わない。カエルはイモリよりもドジョウと近い、といった結果が出てしまう。分類は我々の認識(コトバ)に合わせるために行うのに、認識と合わない分類に何の意味があるのか。

著者は我々の認識に合う分類を提案する。生物は動的平衡で時間とともに変化する(オタマジャクシは1ヶ月したらカエルになる)が、科学は変化しないもの(三角形は1か月後も三角形だ)を扱う。時間が作用する進化や分岐という概念を含んだ生物を、本来的に時間を語りえない科学を用いて分類する。不可能な命題に挑む著者が結論を出すところが本書の一番の見どころだ。

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博物館だからこそ出るモノのアウラ

荒俣宏, 養老孟司, 黒田日出男, 西野嘉章(1998)『これは凄い東京大学コレクション』新潮社

西野 美しいものに打たれるっていう、感動がなきゃね。その昔、ウニの液浸標本。のアルコール液を飲んだ豪傑がいたらしいよ。まったりとした琥珀色の液をさ……。(本書 p.60)

実際のところ、東大構内のどこに、どのようあものが、どのようなかたちで、どれだけあるのか、その全体を把握できているわけでは決してない。文京区本郷のキャンパスは、首都東京のど真ん中にあるブラック・ボックスなのだ。(本書 p.118)

東京大学のそれぞれの博物館が持っている学術標本は合計600万点。国内450大学にある標本総数が推定で2500万点だから、そのすごさが分かるだろう。

トップの写真は田中芳男の『スルメ帖(するめじょう)』。その名の通り、魚拓ならぬ全国のスルメ拓を集めたものである。この田中芳男という人は元老院議員や貴族院議員も務めたエライ人なのだが、肩書以上のエラさがある。それは博物学者としてのエラさである。どれぐらいエライかというと、21世紀の我々にすら評価しづらいほどエライ。彼は手元に来たものを集めた。お菓子のラベル、役所の書類、鹿鳴館で開催された宴の招待状。その数なんと98冊。おそらくいまだすべて読破した人はいない、荒俣先生を除いては。

他にもやっぱりな内容としては鳥居龍蔵が妻と7カ月の娘を帯同して中国大陸で撮影した人類学写真コレクションや経済学部の古貨幣コレクション(日本銀行に次いで第2位の規模!)、噂だけは聞いていた医学部の刺青コレクションなんてのも紹介されている(こちらは写真はなし)。

荒俣先生と西野先生の対談は、当時特別展示が行われていた(らしい)安田講堂で行われている。液浸標本のガラス容器にウットリする荒俣先生、250kmのボーリング調査した土を保管した研究者の逸話を披露する西野先生。お二人とも博物学が好きなんだと明言はしてないが、文章からこぼれおちるように伝わってくる。

東京大学のコレクションですごいのは、1923年の関東大震災で学内の大半が灰燼に帰したにも関わらず、そこからこれだけの復興をしたところ。各国の大学に寄附を依頼するとともに、研究者も欧米に派遣した。徳川家からは紀州徳川家の蔵書が、イギリス学士院からは48部限定製作の稀覯本『ケルムスコット・チョーサー』まで送られた他、大森貝塚を見つけたマルセル・モースが遺言を書き変えて蔵書をすべて寄贈した。そのほかにもニホンオオカミのはく製や将軍の御用医の薬箱、鹿鳴館の会談から著名人の脳のホルマリン漬け、明治美男子写真集まで、薄い本で層の厚さを見せつける。

なぜこんなものが? これは一体なに? とフシギでヘンテコなものがいっぱいの本。一般人はおいそれと見に行けないものがこの一冊の中にある贅沢。何度も読み返してしまう本だ。

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番地と地番の違い、知ってる?

今尾恵介(2004)『住所と地名の大研究』新潮社

晴れ渡った秋空なのに、役人は外へ出るのではなく机上の地図を前に考える。よーし、この古臭くてわかりにくい町に、整然とした丁目や番地をつけてやろう、と。地図を前にした都市計画担当者は、もう王様の気分である。私はこのマチに秩序を与えるのだ。しかし机上で考えられた番号は、しばしば不便を引き起こす。

本書 p.251

なぜ住所はかくも複雑なのか。なぜ外国の住所はわかりやすいのか。そしてなぜ網走には番外地があるのか。こうした「なぜ」に答えをくれるのが本書だ。著者の住所と地名に対する情熱には恐れ入る。

これまで地名については、北海道のアイヌ語源の地名など言語学の分野で研究されてきた。それは人々がどのような意味をこめて地名を名づけたのかを研究しており、都市や国家といった体制(または権威)の地名の扱い方については扱ってこなかった。いや、言語学の範囲外だから扱えない。

本書はその空白を埋める労作だ。幕藩体制化の地名が明治の地租改正でどのように変えられたか、現代にいたるまでの変遷を明らかにしていく。その中で「欧米の住所表示は分かりやすい」といううわさが本当か試しに欧米に飛んで調査をし、なぜ日本と欧米でそのような違いが生じたのかを検討する。 日本の住所も一筋縄ではいかない。京都の独特の地名表示や同じ碁盤の目の都市である札幌の住所表示、なぜか番地の数が大きい長野県、番地の番号の振り方が独特な青森県十和田市、住居表示が独特な山形県東根市、激烈な町名変更が起きた名古屋市。総務省(旧自治省)は全国で統一的な運用を図ろうとするも、そうは行かないのが現実だ。規則と現実の折り合いをつけた結果、各地で例外が生じた。

その例外に、人間くさいドラマがある。

画一を目指す役人と、愛着と地域のつながりを町名に結びつける住人とのやり取りが、町名の変遷に現れている。最後は著者も自ら住んでいた日野市の字「下田」を残すべく奮闘努力するが、あえなく隣接する字「万願寺」に吸収されてしまう。が、同じく吸収されるはずだった字「石田」は当時のNHK大河ドラマ「新撰組!」で地元出身の土方歳三が注目されるからという高度な政治的判断で一転存続を許されることになる。地名には複雑な力学が絡む。出来る限り古い地名を大事にしよう、という著者の姿勢にはちょっと着いていけないところもあるが(言語学だと言葉が変わるのは当然のことだから)、違う世界が垣間見られて大変勉強になる。

欧米の住所表示をほめつつも、ぼくが知る限り2点の取りこぼしがある。1点は台湾の住所だ。著者も指摘してるとおり、台湾は日本統治時代につけられた日本的な地名を消すために、新たな地名がつけられた。そのため、全国の都市に中山路や中正路が生まれた。民権など、古くからの地名とは関係のない名称がつけられた。これは問題ではないのか。あともう1点は要望。バンコクの住所表示も分かりやすいことで有名なのでぜひ取り上げてほしかった。世界各地の北朝鮮大使館に行くのを趣味としている僕にとって、バンコクほど簡単にいけるところはなかった。タクシーの運転手さんに住所を見せたら迷わず着いた。

さて冒頭の問いの答え。番地と地番はともに土地につけられた番号で、ある一定の区画を区別するときに使う。番地は土地の上にある建物について、どこどこに所在するというときに使う。地番は土地そのものを示すときに使い、特に不動産取引などで使われる。これに加えて日本では住居表示という住まいを示すものもあり、三つのレイヤーがかぶさっている。あと、番外地は実は無番地と呼ばれるもので、民法上持ち主のいない土地(国有地)のことだ。だから刑務所、自衛隊基地や四ッ谷駅(これは江戸城の外堀だったから)なども無番地ってわけなのだ。(関連リンク:東京にある無番地(デイリーポータルZ))

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拉致事件は世界的な作戦の一部だった?

手嶋龍一(2007)『ウルトラ・ダラー』新潮社

「K・Tさんよ、そこのけじめをつけていただくために、こうして写真をお送りした。(中略)」
「俺の名はクンじゃない、イサオだ。呼ぶならI・Tといいたまえ」
(本書 p.327)

前回紹介した『知の武装』で手嶋龍一本人が産経新聞を引用する形で、瀧澤勲 外務省アジア・大洋州局長のモデルが田中均 元局長とされたと言っている(本人は誰をモデルにもしていない、と述べている)。瀧澤が外交交渉の記録を残していないことと、田中が安倍首相にfacebook上で名指しで「交渉の公式記録を残さなかった」と指摘されたことは偶然にすぎる一致だし、均をキンと呼ぶ人もいた(石原慎太郎など)ことから、K・Tさんと呼ばれていたのも事実じゃないかと思えてくる。

ともあれ、手嶋龍一との対談本でも、本書の解説でも佐藤優が絶賛する通り、本書はインテリジェンス小説(近未来に起こりうる事象を扱った小説)として面白く、読み応えのある出来になっている。

本書を読むと、一部の拉致事件の真相がうっすらと見えてくる。それは北朝鮮を介して、東アジアにおけるアメリカの影響力低下を狙う作戦の一部としての拉致事件という姿だ。国際的な事件は他の事件と結び付けて見ると、真相が見える場合もある。本書はその一つの可能性を示している。

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国際情勢は穿って見たら面白い

手嶋龍一, 佐藤優(2013)『知の武装―救国のインテリジェンス』新潮社

たとえば「金正日の料理人」として有名な藤本健二さん、実は本名じゃないんですが、彼は北朝鮮の権力者のすぐそばにいた人で、今もなかなかの事情通です。北朝鮮は、この藤本さんに託す形で、現指導部の何人かの映像や金正恩第一書記と婦人の映像を流しています。(本書 p.68)

手嶋龍一と佐藤優の3冊目の対談本。この二人はインテリジェンス(情報を扱う仕事)をやっていただけあって、関心の所在が似ている。

帯にもある通り、本書では東京五輪決定が日本を取り巻く国際情勢にどのような影響を与えたか、スノーデンのCIA諜報活動の暴露や鳩山元首相のイラン訪問、飯島秘書官の訪朝にも切り込んでいる。話はTPPや憲法改正、日本と中国の関わりなど多岐に及んでいて、メディアでは殆ど報じられない見方を呈示してくれる。

引用に示した藤本さんの話もそうだ。彼はサングラスとバンダナで素顔を隠してテレビに出る。金王朝の秘密を知り過ぎたため狙われているから、という理由だけど、映像を流すなど、いまでもつながりがあるし、そもそも素性はバレている。いったい何から隠れているのだろう。

本書で注目したのは明治時代、単身ロシアにわたって写真技師や洗濯屋などに扮しながらシベリア鉄道などの軍事機密や軍人の内部事情などを探った石光清真の話。とても面白い。彼は軍を離れて食べながら、それでいて軍の仕事をしていたのだ。

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レビュー 読売文学賞

適切さと美しさの間の悩み

米原万里(2010)[1998]『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社

通訳や言語の話を書いたエッセイ集。語学を生業にする人にとっては、とても面白く読める本。

著者の周りが特別なのかもしれないが、下ネタやダジャレがちりばめてあって楽しく読める。

通訳とは一言一句をすべて訳すのではなく、文意を伝えられればいいのだという点には目からうろこだった。日本の大学・大学院では一言一句もらさずに読むよう訓練されるので、驚きだった。もっとも、欧米ではもっとおおざっぱな読み方をするらしいことが、鈴木孝夫・田中克彦(2008)『対論 言語学が輝いていた時代』に書かれてある。

数年前のこと、耳を疑うような発言をした女性人気アナウンサーがいた。(中略)

「私たちは子供を国際人にしたいから、家では一切日本語をしゃべらないことにします。家ではすべて英語で話すようにする」

と自信満々に云いきったのだった。(中略)

自分の国を持たないで、自分の言語を持たないで、国際などあり得るのか。
(pp.279-280)

自身も帰国子女である著者のこの指摘は、大変興味深かった。