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史的言語学を担保する厳密性

メイエ, アントワヌ著 泉井久之助訳(1979[1977])『史的言語学における比較の方法』みすず書房

言語地理学は各々の語、各々の形のもつ歴史が、それぞれ特異性をもつことを特に明らかにした点において功績があった。これらの特異性はそれぞれの言語の体系的な全体のなかにその位置をもつものである。この全体のなかにそれらを置くことを忘れて、単に孤立的にのみ見る人は、反対に全体ばかり眼を注ぐのみであって、併せてこれらの全体を構成する特殊事実の各々を十分に正確な批判を持って研究することを知らない言語研究者にもまさって、大きい誤謬をおかすことになるであろう。(本書 p.123)

要するに、守旧の力に乏しく、変化に向う勢力が強い。今日以降、英語は英国と合衆国とで、それぞれ異なる進展の道を辿るであろうことは極めて自然である。
世界における英語の運命をあとづけるのは、ことに教えられるところが多いことと思われる。(本書 p.193)

本書は比較言語学の泰斗であったフランス人言語学者、アントワヌ・メイエの主著である。主に扱われているのは史的言語学(=歴史言語学・比較言語学)において、どのような方法論を持って厳密に祖語を再建(Reconstruction、再構とも)してゆくかについてである。

言語地理学でジリエロンの方言周圏論という成果があるフランスでも、同市年情な広がりを持たない部分もある。それはやはり交通手段によるもので、実は同心円的な分布ではないものの、周圏論の枠組みで語ることができるのだ、というあたり、当時のフランス人にとっては眼から鱗だったはずだ。

「ただひとりの言主では、その地方弁全体を代表する上に、田w賞とも不適当なところがあるのを免れない。手続きは粗大であり、およそにとどまるといわなければならない。しかし唯一可能な方法としては、これしかないのである」(本書 p.110)

と正直に吐露しているあたり、著者への信頼が置ける。この点をどう克服するかと言うと、そこは信頼できる調査者があちこちに行って言主を選ぶしかないのである。これでぎりぎり「雑多な調査者の個性による歪みを考慮する必要がない」(本書 p.111)のだ。

また、よく見落としがちな借用についても

「一個の与えられた言語の形態法の体系が、相異なる二つの言語の形態体系の混合に由来すると考えかねればならないような場合に、われわれはいまだ遭遇したことがない。」(本書 pp.139-140)

と述べている。借用語という意識がある限り、違う言語だという意識が生き続けるからである。

著者が一貫して述べているのは、個別言語・方言へのミクロな探求と同時に、全体の中での位置づけを慎重に行うためのマクロな目配りである。現在の日本での言語学の趨勢を見る限り、比較言語学や類型論のような、細部をみつつ全体の位置づけを考える学問は下火である。しかし英語や中国語といった大言語だけが言語ではなく、そしてそれらの大言語も誕生から今まで、そして未来永劫大言語であるとは限らない。言語とは何か、言語と人とはどうかかわるか。この言語学のテーマを改めて顧みることができる点で、本書の持つ意義は大きい。