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知れば「おそロシア」も怖くない?

池上 「おそロシア」という言葉がありますよね。よくわからなかったり、怖かったりというのが、日本人のロシアに対する一般的なイメージだと思います。
(中略)
佐藤 (東京大学名誉教授の和田春樹先生が仰っています。日本人にとってのロシアには、常に二つの顔があると。一つ目の顔は「先生としてのロシア」。(中略)そしてもう一つ、同時にある顔が「軍事的な驚異としてのロシア」。

(本書 pp.64-65)

佐藤 (中略)今、「反知性主義」という言葉をよく聞きますが、ソ連共産党書記長には凡庸な人物が選ばれるのが常でした。日本的に言うと偏差値五〇前後の人しかならないようにしていたんです。

(本書 p.149)

ふしぎな国、ロシアについて外務省ロシアスクールに属していたエキスパートである佐藤優とジャーナリストの池上彰が対談形式で読者にわかりやすく謎解きをしていきます。

崩壊して住みづらかったと思われがちなソ連ですが、世界に良い影響ももたらしました。冷戦当時は資本主義国にとって共産主義国は脅威だったため、共産革命が起きないように社会保障が充実しました。また、特に宇宙開発では世界をリードし続けています。人工衛星も有人宇宙飛行もソ連が世界初でしたし、未だに宇宙ステーションに定期的にロケットを打ち上げているのはソユーズだけです。また、ポリオの生ワクチンもソ連が開発しました。その他、五カ年計画といった複数年で国家政策を作る方式も効果を発揮したため、多くの国で取り入れられました。

いっぽう、共産主義国特有の罪もありました。一つが労働時間です。国民は就職先を選べず、国によって就職先を割り当てられる「強制労働」をさせられていました。一方、実質的な労働時間は3時間だったそうです。中央官庁や党中央委員会の官僚は長時間勤務をしていましたが、特に給料が高いわけでもありませんでした。ただ、腐っていない卵が買えるといった特権はありました。お金による格差がない分、行列に並ぶ時間の格差がありました。

北方領土交渉やトランプのロシア疑惑など、ロシアは国際政治でも一筋縄で行かない相手です。専門家の佐藤をしてもわからないのが、ポロニウムを使ったスパイ暗殺事件です。なぜ核物質を使ってまでスパイを使ったのかも、イギリスが騒ぎ立てた理由も不明だといいます。そういう点が「おそロシア」という印象を強めているのかもしれません。

つくづくふしぎな国ですが、佐藤も池上も70年台の東側の暮らしは豊かだったといいます。実際に東欧諸国を回った佐藤も、70年台の東ドイツの暮らしを再現した博物館に行った池上も、同じ意見を述べています。本だけでなく、実際に行く大切さが伝わるエピソードです。

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北朝鮮に7年間抑留された日本人船長

腹を決めた。
「命令したのは私だ」
紅粉は切り出した。この一言ですべてが決まった。
「私が機関長に命令した。彼に責任はない。頼むから、ほかの三人と一緒に日本に返してやってくれ。頼む……

(本書 p.41)

「北朝鮮は官僚主義なんです。誰も責任を取りません。私が脱走すれば、軍の上司が責任を取らされます。私が南浦港から密航すれば、警備兵が責任を追及されます。しかし、誰も責任を取らないとなれば、第三者の悪人を仕立て上げる以外に方法がないでしょう。それが富士山丸の船長たちだったんです」

(本書 p.256)

日本と北朝鮮の間にある人権問題として一番に挙げられるのが拉致事件です。戦後から2000年代までを中心に北朝鮮が工作のため日本中から日本人を拉致しました。ある者はスパイ養成の日本語教師に、ある者は戸籍はそのままで北朝鮮から来た人と入れ替わるなど、浸透工作は多岐に及びます。一連の拉致事件の一部を北朝鮮が認めたのは2000年の小泉訪朝でした。ただ、その前に北朝鮮によって不当に拘束された日本人がいました。一人は日本海側で漁をしていたら海難事故(を装って?)で北朝鮮に保護され、そのまま現地に暮らすことになった寺越武志さん、もう二人が本書で出てくる紅粉勇船長と栗浦好雄機関長です。1983年から1990年まで7年間、北朝鮮で抑留されていました。釈放の条件として北朝鮮を悪く言わないこと、言うと家族が交通事故にあうかもしれないなどと脅されましたが、船長が阪神・淡路大震災を経験し、死んだら残らないのだから死ぬ前に記録を残そうとした結果、書かれたのが本書です。

1983年当時、日本と北朝鮮の間に国交はなくても、貿易はありました。その一つ、はまぐりを始めとする魚介類の輸出入を行っていた船が、紅粉船長や栗浦機関長の乗る富士汽船の第十八富士山丸です。

1983年11月3日、北朝鮮の南浦からはまぐりを積んで帰国する途中、密航者を発見します。李英男と名乗るその男は山口県で入管に引き渡されました。入管の考えは当初、四日市ではまぐりをおろした富士山丸に密航者を送り返してもらう予定でした。そのため、富士山丸は当初予定になかった北朝鮮への渡航のため、新たな貿易契約をします。しかし取り調べが長引いたことから、密航者なしで北朝鮮に行くことになりました。その事情は朝鮮総連関係者にも一筆書いてもらい、最善を期しました。しかし北朝鮮につくと北朝鮮の公民を不法に日本に連れて行ったかどで逮捕、勾留されます。同じく捕まった一等航海士、機関士、コック長は船長が罪をかぶったので釈放されました。船長と機関長だけが7年間抑留されます。罪状認否すらない裁判で二人は労働教化刑15年に処せられ、強制収容所に入れられました。持病を持つ二人でしたが、幸いに強制労働はさせられず、強制収容所では仲良くなった看守からアヒルの卵をもらったり、畑を耕して暮らします。

いっぽう、残された人々も奔走します。家族は当時朝鮮労働党と友党関係にあった社会党の代議士に働きかけ、年に何度かあった議員の訪朝団に望みを託します。土井たか子が金日成に会ったとき、事前には断られていた二人の話を持ち出し、政府間対話の緒を掴みます。その頃には署名活動などで世論も大きく動いていたことが功を奏しました。中曽根首相が中国の胡耀邦国家主席に協力を依頼、訪朝団も働きかけるなど大きく動きました。また国際情勢もラングーン事件以来かけていた制裁の解除、米国の対北朝鮮政策の変更、中国、ソ連の韓国への接近などもあり、大きく動きます。結果、二人は最終的に金丸・金日成会談で釈放が決定されました。

7年の間に紅粉船長の父は亡くなり、富士汽船は破産、社長は心労がたたって寝たきりになりました。また、根拠のない噂レベルの話ではありますが、自民党副総裁まで務めた金丸もこのときに北朝鮮に接近しすぎたため米国の信頼を失い、失脚します。その後、失意のうちに亡くなりました。官僚主義国家におけるたった二人の勾留が、多くの人の人生を変えました。一方、特例的な措置で日本に亡命した李英男と名乗っていた閔洪九は窃盗などで前科を重ねつつ結婚、子供を持って日本で暮らし続けます。

本書では北朝鮮との問題が起きた場合のルートとして外務省は5つ考えていたと明らかにされています。当時は通常の外交ルートのほか、議員連盟などを通じた働きかけが可能だったのです。一方、強い制裁を実施している今はそうした交流がありません。交流を狭めてまで制裁するのも、ある程度の交流を残して制裁を緩和するのも、どちらも一長一短です。表の外交ルートで行うのが筋ですが、一筋縄でいかないのが国際政治だと改めて知らされます。

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向坂逸郎訳とされる『資本論』を本当に訳したマルキシストの自伝

われわれの同級会は「大正十三年一高文甲会」と称し、和田貞一という非常にまめな世話役がいるために、最も集まりの良い同級会である。(中略)集まりは良くても、向陵時代の楽しさが味わえるなどと思ったら大間違いで、じじいばかりの集まりなど面白くもなんともない。お互いにまだ生きていることを確認し合うだけのことである。

(本書 p.38)

保谷村閑居のころからよく家事の世話をしてくれ、そのころ東京の洋裁学校の教師をしていた篠田クニに、入籍手続きをして大連にくるようにと手紙を出した。翌十五年四月、彼女はやってきた。埠頭に出迎えた私の第一声は、金はいくら持ってきたか、だったと彼女はいまでもそう言っている。そんなさもしいことを言った覚えはないのだが、彼女が飽くまでそう聞いたと言うからにはそう言ったのだろう。これが今日まで四十年余り苦楽を共にしてきた妻である。

(本書 p.148)

碁盤が二つ置いてあって、私は出勤するとその前に腰を下ろした。とっかえひっかえ相手がやってきて、昼食抜きで例の賭け碁を戦わせた。退勤時刻になると、正業に就いているだれかから電話がかかってきて、一緒に出かけた。あるとき幹部の一人に、部付とはなんという社費の無駄使いか、とあからさまに言ったら、遊んでいるように見えていてもいざというときに役に立つのだ、という答えが返ってきた。平時でさえ役に立たないから部付になっているような者が、いざ一大事というときに果たして役立つものかどうか甚だ疑問に思った(後略)。

(本書 p.150)

最初の申し合わせの前半の「交替訳」というのはいつしか自然消滅して、「下訳」という名の「全訳」を私がやり、向坂はその原稿かまたは校正刷に目を通すだけ、ということになってしまった。そして「印税二等分」という最初の約束の後半だけが厳然として残った。

(本書 p.194)

数日後に私は今年十月限りで印税受領権を放棄する旨の手紙を出した。向坂からは、それでけっこう、という簡単な返事がきた。そして、その年十月初めのある朝、大新聞朝刊の二面の下五段ぶち抜きで、マルクス『資本論』百年記念、向坂逸郎訳z『資本論』全四冊、という巨大な活字が私の目に飛び込んだ。

(本書 p.302)

佐藤優がどこかでこの本が面白いと褒めていました。確かにおもしろい。賢い人の自伝は細かいところまで覚えていてさすがだなあと感心します。最後の腕力での喧嘩まで覚えているなんて。

80歳の著者が実名でいいことも悪いことも飄々と書いた交遊録です。なぜ実名で書けたか? おそらくこれが著者の遺言だったらからでしょう。本書を出版後、著者は家を引き払って妻とともに全国放浪の旅に出ます。大阪のホテルに泊まったのを最後に、足取りは途絶えました。未だに消息はわかっていません。本書には「鳴門の渦潮に飛び込むなどはどうだろうか、などと考えていたら、往年の友人対馬忠行に先を越されてしまった」(本書 p371)と書いてあるので、あるいは実行したのかも知れません。

能力ある自由人の生き方を体現した筆者は、独学で一高、東大を出て満鉄調査部に勤め、戦後は九大や法政大の教授を勤めただけあって、頭がいい。頭のいい人の回顧録はよくここまでの記憶力があるなあ、と嘆息します。本人の飄々とした性格もあるのか、ユーモアのある文体で語られていて、飽きません。エリート校に入っただけあって、知り合いも後の大物が出てきます。一学年上には手塚富雄(ドイツ文学者、東大教授)や当時から学力や知識がずば抜けていた石田英一郎(文化人類学者、病気で休学したので卒業は同年)などがいます。

著者の岡崎次郎は明治37(1904)年6月に北海道庁職員の次男として生まれます(当然、長男の名前は太郎、三男は三郎)。父は板垣退助に払い下げた国有地を3年間開拓しなかったから規則通り没収し、職を追われます。その後、東京市役所に職を得ました。その後、転勤で名古屋に移り、著者は読書は好きだけど無味乾燥な教科書を読むのは嫌いだったので進学せずに済む方法はないかと考え、南洋拓殖少年団(ミクロネシアの農園で働く青少年)に応募しようと考えました。しかし家族の猛反対にあい、親に「学校に行くなら一番良い学校に行け」と言われ、第一高等学校に進学します。

人生で一番楽しかった高校生活を過ごた後は、東京帝国大学文学部哲学及び哲学史科に進学、卒業します。しかし、当時は就職難で仕事が見つからなかったため、経済学部に再入学、卒業します。卒業後は翻訳などをして食いつないでいたところ、寮の同室だった橋本乙次の紹介で東亜経済調査局にいる小森新一を紹介されました。それが縁で東亜経済調査局に就職し、調べ物をしたり碁を打ったり盛り場に行ったりと楽しい日々を過ごします。昭和12年~13年には思想弾圧で『マルクス伝』を訳していた著者も逮捕されます。娑婆に復帰してから、調査局は満鉄に復帰しており、大連行きを打診され、そのまま満鉄調査部に異動します。大連でも異動になった北京でもそこでも碁を打つなど楽しい日々を過ごします。終戦を北京で迎え、たまたま会った高校の同級生、石田英一郎と協力して引き上げ準備をドタバタやり、得体の知れない軍人に社屋を明渡したり、いくつかの所持品を憲兵に没収されたりしながら日本に帰国します。

帰国後、九州大学や法政大学の教師をする一方、翻訳も続けました。特に有名なのは『資本論』でしょう。向坂からの依頼で彼のやっていたマルクス『資本論』の訳を手伝うことになります。「下訳」と言われてもほぼ全訳したのに、向坂訳として岩波から出版されています。その後、著者は改めて大月書店から新訳を出そうとしていたところ、向坂に裏切り行為だと指摘され、それまでもらっていた印税をもらわないようにする約束をしました。その途端、岩波がマルクス『資本論』セットを発売します。著者は悔しい思いをしますが、もうどうしようもありません。

大学紛争盛んな頃、暴力を行う学生に警察を介入させず、キャンパスを追い出されて開いた教授会で学生運動の対処について話し合う法政大学に嫌気が差し、職を辞します。このあたりの記述が原因となったようで、本書は法政大学出版社からの出版を拒否されました。その後はまた翻訳をしてお金を稼いでいきます。職を転々としたことと生来の性格から、あまり貯金がなかったようで、晩年まで翻訳等で稼ぎます。そして最後は夫婦で失踪します。こういう人生もあるのか、と驚くばかりです。

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街の語学者 三上章の一生

今西(筆者註:錦司)は生前「わしに進化論をはじめて教えたのは三上やで」と言っていた。三高時代の今西に進化論の手ほどきをしたのは、古今東西の主要著作に親しみ博覧強記で知られた三上章だった。

本書 p.93

三上はこの論文に相当の自信を持っていた。それで、すくなくとも古語、雑誌『コトバ』に載るすべての論文から「主語」という言葉は消えて無くなるに違いない、と本気で信じていたそうである。-「次の号から、いや印刷に間に合わないということもあろうから(!)次の次の号から」そうなるだろうと。

本書 p.160
「象は鼻が長い」で有名な三上章の一生を描いた本です。丹念に取材をして、三上章の人生を、生まれから死去まで追っています。また、くろしお出版の会長や実妹・茂子など生前の三上章と交遊のあった人たちにも会って話を聞き、エピソードに肉付けをしています。

三上章は1903年1月26日に広島県高田郡甲立村に生まれました。三上家はもともと武家で、三上の生まれた明治の時代は豪農でした。大叔父(母方祖母の弟)の義夫は数学者で和算を世界に紹介した科学史家として有名です。

幼い頃は病弱で病に臥せっていたこともありましたが、広島市内の中学校に入学するとスポーツを通じて健康になりました。小さな頃から読み書きや計算に優れていましたが、数学では気に食わない問題が出ると白紙で提出したり、xyzと書くところをセスンと書くなど、反骨精神のある子だったようです。その調子で主席で入学した山口高校を退学し、数学が得意だった御神は三高理科甲類に入学します。三高では今西錦司と同級生、桑原武夫の1年上にあたります。卒業後は当日の受験拒否騒動などありながらも、叔父義夫の勧めで東大建築学科に進学します。当時は文系では食えず、関東大震災後の東京では建築の仕事はいくらでもありました。

卒業後は台湾総督府で技師として働くもすぐに退職し、内地に帰ります。しかし仕事をせねばなりません。戦前は数学教師として朝鮮に赴任しました。1935年には広島に帰国、1938年からは大阪の高校で教鞭をとります。数学教師をしながら、日本語文法の研究をし続けました。金田一春彦の勧めもあって本を出版し、佐久間鼎の支えもあって東洋大学で文学博士号を取得します。そのおかげで武庫川女子大学、大谷女子大学で教鞭をとることになりました。

私生活では結婚せず、母フサ、妹茂子と3人で暮らします。しばらくは健康に過ごしていたようですが、戦前からすっていたタバコ(一番きついゴールデンバット)のほか睡眠薬ヴェロナールも常用し、また躁うつ病をわずらうなど、順風満帆とは行きませんでした。大谷女子大学では時間に正確なことでも有名で、始業前にドアの外で待って、ベルが鳴ったら入ってくる。またベルが鳴ったら話の途中でも切り上げる。だから「とは言」とだけ言って帰り、次の授業では「えない」から始まる。といった一種異様な有様を呈しました。

才能は恵まれた三上が自らの健康と引き換えにしてささげた文法研究が生前は正当な評価を受けなかったのは残念なことです。しかし生誕100周年の2003年には三上章フェスタが開かれる(余談だが、このフェスタに妹茂子は大阪から駆けつけ、久間鼎の次男均にお礼を伝えた)など、ある程度の地位は持ってきたように思えます。大きな業績の裏側では、三上の私生活を支えた母や妹、そして出版社や一部の学者の力があったことを教えてくれる本です。

惜しむらくはその偉大さを伝え切れていない点です。著者は日本語を教える過程で三上文法のすばらしさに気づいたそうなのですが、そうならば従来の文法(著者があげている橋本文法など)を取り上げ、比較検討して優位性を示してほしかったと思いました。

また、エピソードが足らないからか、ある年代の時代背景を描くのに世界や日本の出来事と「三上はどういう気持ちでいただろう」などの著者の感想がやたら入ります。そのため三上と周りの人のエピソードが散漫になってしまっています。歴史上の出来事や感想はできるだけ控えて書いた方が伝わったのではないかと思います。本人の人となりを伝えるという点では関口存男の周りの人が死後に思い出を語った『関口存男の生涯と業績』や斎藤秀三郎を知っている人に丹念に取材をしてエピソードを集めた『斎藤秀三郎伝―その生涯と業績』の方が人となりが伝わります。本人の学習ノートも見せてもらったほか、「雑談の名手だった」というエピソードも聞いたのですから、研究に対する真摯な姿勢、鬼気迫る様子などもおそらく伝え聞いたのではなかったかと思います。三上がどのような姿勢で研究をしていたのか、ぜひ知りたかったです。

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ナマコの半分 ウナギの3割は密漁品

鈴木智彦(2018)『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』小学館

ヤクザたちのほうが真面目だった。漁師に漁場を聞きながら最終的にはカタギより水揚げした

本書 p.232

「漁師は最高。ずっとこの仕事をしたい」
 先進国の中、たった一国だけ衰退を続ける日本の漁業関係者からは聞けない台詞だ。

本書 p.301

日本で流通する海産物の密漁の実態を追った本です。筆者は裏社会を中心に雑誌で取材をしてきたジャーナリストです。福島第一原子力発電所に作業員として潜り込み、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』を書いた人でもあります。それだけに裏社会への取材方法をわかった上でアプローチしており、読み応えがあります。

最も読み応えがあったのはウナギの話です。本書で出てきた密漁のうち、ウナギだけが正規ルートより裏ルートの方が高い単価で取引されます。ウナギが特別であることが伺えます。 ウナギは完全養殖が確立していないので、稚魚(シラス)を捕まえて育てる必要があります。日本でのシラス漁はほとんど何の規制もない状態で行われています。そのため、密漁が跋扈しています。

シラス流通の透明化にいち早く動き、成果を上げているのが宮崎県です。漁協と県で許可制にし、密漁を減らすことに成功しました。しかし近年でも宮崎県が年間360kgのシラス漁を許可したのに対し、県内の養鰻業者が買ったシラスは3.6トンでした。すべてが密漁ではないにしろ、多くが密漁だと伺えます。そして密漁のシラスの値段は県が設定した値段の倍が相場です。闇相場を表の相場が決める皮肉な結果になっています。

海外から入ってくるシラスは大半が台湾産です。台湾の南部に行くと養鰻池が多く見られます。冒頭の「漁師は最高」と言ったのは台湾のシラス漁師です。かなり良いお金になるらしく、シラス御殿もあるそうです。しかし台湾では政府がシラスの輸出を禁止しています。現在、日本のシラスの大半は香港から入ってきています。香港には台湾産のシラスのほか、絶滅危惧種とされているヨーロッパウナギの稚魚も入ってきています。ウナギ密輸の拠点となっています。本書はその輸出元にも直撃取材をしています。

本書で扱われるのは以下の魚介類です。おそらくこれも氷山の一角でしょう。

  • 三陸のアワビ
  • 築地
  • 北海道のナマコ
  • 銚子
  • 北海道の鮭、マス
  • 九州、台湾、香港のウナギ

銚子では昭和のヤクザと漁業の関わりを、北海道の鮭、マスのメインは90年代前半まで行われていた根室の漁師とソ連の沿岸警備隊の共存関係の話です。当時の根室では密漁船を一度捕まえて取り調べをし、帰国の条件として日本の特に自衛隊の機密を持ってくるよう依頼されていた漁船も多くあったそうです。本書は当時を知る関係者に話が聞けたという点で、とても貴重な記録になっています。また、冒頭の引用にあるカタギより真面目だったヤクザも根室の話です。ひたいに汗をかかず儲けるかを考えるヤクザがカタギより真面目に働いていたのは、いい金になったからでしょう。

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ソ連の雪山で男女9人が不可解な死を遂げた事件の原因は…

ドニー・アイカー(著) 安原和見(訳)(2018)『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』河出書房新社

澄んだ青灰色の目をひたと私に向けて、彼は言った。「あなたの国には、未解決の謎はひとつもないのですか」。(本書 p.102)

その日、私服姿の数人の男が、葬儀ではなく参列者を注意深く観察していたのを見たと彼は言っている。「まちがいなくKGBだった。あの日の葬儀を監視するために配置冴えていたんだよ」。(本書 p.234)

  • ソ連の冬山で
  • 氷点下30度の中
  • 大学生男女9人のトレッキングチーム全員が死亡
  • 一部は裸足、一部は薄着
  • 争った形跡無し
  • ソ連当局は「未知の附加香料」が原因と結論

これだけ条件が揃えば、いろいろと詮索したくなるのは仕方ありません。西側の人間にとって、ソ連は未だにロマンの詰まった国です。雪崩、殺人、脱獄囚の襲撃、熊、隕石による大爆発。さまざまな推測が出たものの、真相は闇の中…。

著者はアメリカ人ドキュメンタリー映像作家です。2010年ごろ、たまたま別の仕事をしていて耳にした話が、このディアトロフ峠事件でした。それ以来、彼はこの事件が気になって仕方なくなりました。オンラインで読める資料はあらかた読み尽くし、真相を知りたいという欲望が芽生えます。

調べたところ、ディアトロフ財団という組織に行き当たりました。この事件を風化させないための組織です。早速連絡を取り、理事長と話をします。

「この事件の真相を知りたいなら、ロシアにいらっしゃらなくてはならないでしょう」

そのメールを受けて、彼はロシアに行くことになります。ロシア語はほぼできません。簡単な会話集だけを携えて、彼は単身ロシアに向かいます。現地で資料を読み込み、トレッキングチームのリーダーであったディアトロフの妹や、途中でトレッキングから抜けたユーリ・ユーディン(2013年没)など、事件の関係者にインタビューをしてディアトロフたち9人の足取りを明らかにしていきます。本書に掲載されたトレッキングチームの写真を見るにつけ、彼らがどこにでもいそうな明るい大学生であり、まさかこの数日後に全員死亡という悲劇に見舞われるとは思えません。おそらく家族にとっては、「不可抗力」という原因も含めて、とてもつらかったことでしょう。

ロシアで調べた結果、資料からも証言からもディアトロフたちは熟練したトレッキングチームであったこと、装備も十分であったことから、技術的な問題は見受けられませんでした。それなのに、明らかに命の危険があることはわかっていながら、なぜ全員が薄着で、あるものは裸足でテントからマイナス30度の雪山に出て行ったのか。誰かが彼らを銃で脅しながら外に出したという説もあります。しかし、熟練したトレッキングチームが挑む山にそんな犯罪者がいる確率も低く、また、テントの中からナイフで切り裂かれた痕があることも説明が付きません。

最後に著者は一つの仮説を導きます。おそらく、現段階ではもっとも説得力のあると思われる仮説です。確かに説得力があり、まさに「不可抗力」ともいえます。ただ、その仮説を実証してはいません。おそらく実証するには被験者が必要で、おそらくまた被害が出るでしょう。おそらくは最も可能性が高いと思いつつも、現段階では実証できない仮説を提示したままです。本事件はいまも読者に謎を投げかけ続けています。

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アメリカ政府から日本政府にクレームが入ったインテリジェンス報道

朝日新聞取材班(2014)『非情世界 恐るべき情報戦争の裏側』朝日新聞出版

米国は様々な情報機関の職員が複数のパスポートを持ち、観光客などの身分でしばしば訪朝して情報を集めている。いわゆるスパイで、諜報活動は映画の中だけの出来事ではない。日本のインテリジェンス関係者は「我々にはまねのできない芸当だ」と語る。(本書 p.80)

自衛隊関係者によれば、米軍も同時に数百キロ離れた海域から潜水艦の位置を把握、日本に情報を提供した。関係者は「海自の場合、近距離から数多くのソナーを使ったから発見できた。しかし、米軍のように離れた場所から潜水艦を見つける技術は今も日本にはない」と語る。(本書 p.187)

朝日新聞の牧野愛博、冨名腰隆、渡辺丘の記者3名の各国のインテリジェンスについての取材をまとめた書籍です。アメリカ、北朝鮮、中国、台湾、日本がそれぞれシリアや太平洋で行っているインテリジェンス活動を取り上げました。シリアのアサド政権が持っていると思われた生物兵器の査察について、オバマ大統領に取引を持ちかけたプーチン大統領はやはりインテリジェンスオフィサー出身だけあって、アメリカの重要さを理解した上で話を持ちかけています。

本書を読む限り、インテリジェンスの世界ではアメリカが圧勝、北朝鮮では防諜ではかなり強いことが分かります。

数百キロ離れた海域の潜水艦を探し当てるほどのソナーとエンジン音データベースを駆使する海軍、同盟国に対しても秘密にしたままの蒸気カタパルトやF-22のステルス技術を有する空軍、あえて電話をかけて声紋分析をして暗殺者を特定するCIAなど、アメリカのインテリジェンス能力は群を抜いています。日本は特定機密の保持ができないため、アメリカが分析した結果をもらうのみで生の情報はほとんど共有してもらえません。数少ない生情報は偵察衛星の写真です。しかし、こちらもアメリカ側が転送を自動設定をしているものの、設定を変えられたら情報が入ってこなくなります。だからといって特定機密保持法案が成立すれば情報共有をしてもらえるのかといえば、そうではありません。外交の世界はギブアンドテイクです。日本が情報を提供できないとアメリカはおそらく態度を変えません。インテリジェンスの世界はまさに情のない、非情世界なのです。

日本がアメリカに比べて多くの情報をとることができる数少ない国が北朝鮮です。しかし、2013年に処刑された張成沢の失脚の情報入手では韓国の情報機関に紙一重の差で負けてしまいます。北朝鮮は封鎖国家です。主要な施設や基地の間では無線をほとんど使わず、専用の光ファイバー回線で連絡しています。入国や国内移動も厳しく監視されているうえ、地下にも数千といわれる工場や基地などの施設があることから、人工衛星や電波、サイバー空間による情報入手には限界があります。しかし、たとえば金正日総書記死去のニュースは公式発表前に約30人の朝鮮労働党中央委員には連絡されました。そこに人脈があれば事前に情報はつかめました。しかし、日米韓のいずれも情報を入手できませんでした。人脈が大事なのですが、日本の場合、経済制裁以降、往来が途絶えてしまい、人脈は消えました。そのため、外務省ですらミスターXという政府の代表者とやり取りをしますが、空振りで終わってしまっています。

スパイ映画よりもヒリヒリとしたやり取りが行われるインテリジェンスの世界、その一部に光を当てた取材であり、公にしたという点で非常に価値のある本です。

本取材の結果、各国のインテリジェンス機関から記者はマークされることになります。「米国NSCの動きを報道されたことに激怒したホワイトハウスは、国務省を通じて日本外務省に厳重に抗議した。記事にはオバマ大統領とプーチン・ロシア大統領との秘密の会話など、日本政府が知りえない事実も含まれていた。」(本書 p.250)と、アメリカの不興を買ったことに始まり、韓国政府からは尾行され、北朝鮮政府では内部で敵対勢力の代表者として名指しされて入国ができなくなっています。また、記事が出てから何人かの情報源と連絡が取れなくなりました。それだけ本書の内容が真実に迫っているということでしょう。


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特高警察以来の伝統技術でロシアのスパイを尾行する

竹内明(2009)『ドキュメント秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの344日』講談社

完全秘匿による徒歩追尾を命じられたスパイハンターたちは、対象の前方に「先行要員」を配置して、同方向に歩かせる。この先行要員はまったく振り向くことなく、対象の呼吸や足音、摩擦音で進行方向を予測して前方を歩き続けなくてはならない。(本書 p.154)

昨日まで身分を秘して闇に溶け込んでスパイを追いかけていた人間が、腰に拳銃をぶら下げて自転車で管内を駆けずり回るのである。当直勤務になると自転車泥棒の職質検挙で署の成績向上のために奮闘することにもなる。(本書 p.280)

2000年9月7日、東京都港区浜松町のダイニングバーで幹部自衛官、森島祐一(仮名)がロシアの情報機関であるロシア連邦軍参謀本部情報部(GRU)のボガチョンコフに書類袋を手渡した直後、15名ほどの合同捜査本部員が二人の身柄を拘束しました。森島はその場で逮捕、ボガチョンコフは外交特権で逮捕されず、任意同行を拒否して2日後にアエロフロート便で成田からモスクワに緊急帰国しました。

本書では警察庁、警視庁と神奈川県警の連係プレーによるロシアのスパイ捜査を取材に基づいて細かく描いています。森島は息子が白血病になり、地上勤務を希望します。治療費と新興宗教へのお布施代、それに実家の自己破産もあって、生活には余裕がありません。食事は2日に1回、千円食べ放題のランチでおなかを満たす日々でした。業務面では防衛大学校で修士課程に在籍し、ロシアの専門家として訓練を積んでいきます。その際に、どうしてもロシア軍に関する資料がほしい。たまたま安全保障関連のフォーラムで知り合ったロシア大使館の駐在武官に、資料の提供を依頼します。一方、ロシア側からは自衛隊の内部資料を依頼されます。結果、森島は内部資料を渡してしまいますが、ロシア側から提供されたのは日本でも手に入る雑誌でした。

本書では裁判で明らかになったもののほかに、森島は実は多くの機密書類を渡していたこと、ロシア側のスパイとの接触、現金の受け渡し方法のほか、それをオモテ(堂々と)とウラ(ばれないように)の2班に分かれて追う警察側の姿も描き出しています。鮮やかな筆致でサスペンス映画のように実際の事件を生々しく描いており、ぐいぐいと引き込まれていきます。

現場では職人技でスパイを尾行するものの、そこはお役所、人事異動もあれば省庁間の利害の対立もあります。職人技を引き継ぐよりはジェネラリストの育成を目指す人事異動、逮捕しようと思っても、日露首脳会談の前にはしこりを作るのを嫌がって待ったをかける警察庁、外務省。どこからか捜査情報が漏れて記者が嗅ぎ回ったり、逮捕前にスパイに帰国される。様々な困難を乗り越えて、特高警察以来の技術に磨きをかけ、秘匿操作は行われます。

警察庁に待ったをかけた外務省については、以下のような記述もありました。

まもなく、視線の先には秘匿追尾対象の外務省職員が出てくるだろう。外務省の建物から巨体を左右に揺らしながら出てくる男の姿は得体の知れぬ迫力がある。(中略)森島祐一の判決尾翌日、スパイハンターたちは、スミルノフと鈴木宗男、そしてこの巨体の外務省職員が、港区内の高級しゃぶしゃぶ料理店に入っていくのを確認した。(本書 p.282)

外務省職員は追尾されることもあるようで、以下のように書いている人もいます。

佐藤 ときどき、失敗して、尻尾を見せる公安の人たちもいます。寄ってきた公安の人に、「追尾発覚、現場離脱ですね」と私は耳元で囁いたことがあります。(副島隆彦、佐藤優(2017)『世界政治 裏側の真実』日本文芸社 p.170



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ハニートラップから透視、盗聴まで、各国の諜報を垣間見る

植田樹(2015)『諜報の現代史 政治行動としての情報戦争』彩流社

警視庁公安部はこの男はKGBとSVRの諜報部員であり、三〇年以上にわたって日本人になりすましてスパイ活動を続けていたと推定しているが、本名も詳しい素性も分からずじまいだった。(中略)また、名前を騙られた黒羽一郎さんの消息不明の事情や彼とスパイとの接点なども分からなかった。(本書 p.258)

東西冷戦下で核戦争の悪夢に苛まれる米ソの首脳の間で、彼(筆者注:赤いユダヤ人商人ことアーマンド・ハマー)は相手の真意を非公式に伝えることで互いの疑心暗鬼を払うホットラインのような役割を演じていたとも言える。(本書 p.298)

主にロシアの諜報活動に焦点を当てた本です。筆者は1940年生、東京外大ロシア科を出てNHK入局、モスクワ、ニューデリー、ワルシャワ、テヘラン特派員として勤務しました。モスクワでは「ソ連の遠隔透視の研究情報を入手しようとした」(本書 p.274)として追放された「ロスアンゼルス・タイムズ」特派員と同じアパートに住んでいました。そのため、ロシアの諜報活動の話が多いです。

ロシアのスパイといえばアメリカで逮捕されたあと「美人すぎるスパイ」として有名になり、ロシアに送還されたアンナ・チャップマンが有名です。彼女は美人すぎるというほどではありませんでした。スパイにとっては目立ちすぎると活動に支障をきたすからです。

ロシアがソ連時代からアメリカを始めとする西側諸国で軍事、科学技術情報を盗んでばかりいるという印象を持っていましたが、それに負けないぐらい西側諸国もソ連時代から東側で活動していました。中にはド・ゴール大統領の友人でも会った在ロシアフランス大使館のデジャン大使がハニートラップに引っかかり、大統領に親ロシア的な政策を助言するなど、現実世界にも大きな影響を及ぼしました。結局、このハニートラップ作戦に関わったKGB幹部、ユーリー・コロトコフがイギリスの情報機関に寝返って本件を暴露するまで、フランス側は気づきませんでした。

そのほか、ウィリー・ブラント西ベルリン市長にも、KGBは手を伸ばしました。第二次大戦中に自分をかくまってくれた老医師が東ベルリンから電話をかけ、「自分の息子を助けてほしい」と頼んできました。ブラントは息子と名乗る男と妻を助け、自らが所属するドイツ社会民主党の党員として仕事を斡旋しました。彼らは有能な活動家として頭角を現し、ブラントが西ドイツの首相に就任するとすべての機密書類を見る権限を持ちました。そうした書類はマイクロフィルムに写され、タバコに入れて西ベルリン市内のタバコ屋の親父(KGBの連絡部員)からロシアに渡っていました。この事件では西ドイツのみならず、同盟国の欧米各国の対ソ連政策が筒抜けになりました。東ドイツの別の諜報部員が捕まって、芋づる式に検挙されたものの、最高機密まですべて筒抜けだったのは西側の失態でした。

現代においてはこれほどわかりやすい諜報は少なく、インターネットや電波傍受などを中心とする情報戦になってきています。しかし筆者は「どこの国や組織でも、極めて重要な機密はコンピューターや電話、無線、Eメールなどでは記録あるいは伝達しない。当事者が口頭か、メモだけで直接、伝達する守秘の伝統は残っている」(本書 p.381)と改めて警告します。


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レビュー

雑炊の時代、平成を振り返る。

佐藤優、片山杜秀(2018)『平成史』小学館

片山 不況のなかで育った若者たちは騙されていたと気づいたんでしょうね。自由だ、自由だ、と言われて、実は捨てられているのだと。(本書 p.30)

佐藤 (中略)政治でもメディアでも情報は皇居を中心にして半径5キロ以内に集中している。『そこまで言って委員会』はそこから外れて独立している面白い存在です。(本書 p.176)

本書はタイトルで半藤一利『昭和史』を思い出させます。バブル崩壊で始まり、何度かの自然災害とテロとの戦いを経て憲政史上初の天皇生前退位で幕を閉じる(予定の)平成について語り尽くした対談です。内政、外交から東京タラレバ娘シン・ゴジラに至るまで、硬軟合わせた話題で対話が進んでいきます。

平成は何が起きるかわからない雑炊のような時代、あるいはポストモダン的なパッチワークの時代です。特に政治では世界的に独裁的な傾向が強くなりました。日本も例外ではありません。「戦後レジームからの脱却」を掲げた安倍政権は、文面通りに読めば「脱アメリカ」なのかと思いきやトランプ政権とは蜜月の関係にあります。小泉政権以降、こうしたその場の勢いでふわっと乗り切る傾向が強まりました。それは反知性主義の拡大であり、裏返していうと橋下大阪府知事やなんとかチルドレンと呼ばれる大した哲学のない、やりたいことのない政治家が増えたことにも繋がります。

二人がたびたび指摘しているのは、中間団体の消滅です。かつては労働組合などが力を持っていて、国家と個人を取り結ぶ中間団体に働きかけることで民意を選挙結果に反映させることができました。しかし公社の解体などを経て、いまや国政に影響を与える中間団体は創価学会だけになりました。そのため、マスコミや世間の空気で選挙結果が大きく左右されることになりました。そうした空気をくみとってか、手続きのかかる民主主義から劇場型政治へと変わっていきました。

二人は、平成は昭和の遺産を食いつぶし、豊かだったが幸せかどうかはわからない時代だったと結論づけます。食いつぶすことしかしなかった時代の、次の時代は何かを生み出さねば右肩下がりになります。困難な時代だからこそ、冷静に、時間をある程度かけて今後の練らねばいけません。個人レベルでは、そうした次代を見据えて生き抜く方法を考えないといけません。

本書で語られていないもう一つの大きなできごとは2度あった全日空機ハイジャック事件とネオ麦茶こと西鉄バスジャック事件でしょう。前者で警察にSAT(特殊急襲部隊)があること、後者ではバスの窓の幅にちょうど合うはしごが準備されたことから、バスジャックを想定した訓練を行っていることが明らかになりました。その後、通信傍受法などができて、日本の警察のテロ対策も着々と進みます。結果、中核派や日本赤軍の大物を検挙するに至りましたが、同時に息苦しい社会となっていきました。これもオウム真理教や911、イスラム国などとの文脈で語られていい事件だったと思います。



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