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英領事館襲撃計画を立てた日本軍の秘密工作員

香港工作における経費は最初支給されなかった。当時で十万円、今日の金額では何千万円に相当する金額を工面しなくてはならない。そこで青幣、法幣の連中と連絡した結果、上海、香港地区の重慶側の軍需物資を押さえる、という方法をとってみた。

本書 p.156

ノモンハン事件の時、関東軍の情報隊の謀略別班がソ連軍の後方を攪乱するため、もう個人に変装して平原奥深く潜入した。(中略)一人の老人がふと顔を上げた。一瞬老人の顔は不思議そうな表情に曇っていたが、次の瞬間晴々と輝いた表情となり、情報隊員に懐かしそうに日本語で話しかけてきた。
「私もハルビン特務機関員です」

本書 p.251

本書は戦前の日本陸軍特殊工作員養成機関であった中野学校の設立の経緯、教育カリキュラム、そして出身者の活躍を追った貴重な本です。ルバング島で発見された小野田寛郎の出身校としても有名です。

筆者はメディア論を専門とする早稲田大学名誉教授であり、資料を読み込んだ丹念な記述で貫かれています。資料もアジア歴史資料センターや古本屋で手に入れたほか、インテリジェンス資料を集めていた民間人から提供してもらったもの、中野学校関係者からコピー提供を受けた「中野校友会々誌」に加え、2016年11月に101歳で亡くなった卒業生、牧澤義夫氏のインタビューも行っているなど、おそらく現代の日本で可能な限りの資料を盛り込んだ集大成といえます。

陸軍中野学校はシベリア出兵後に現地の軍事機関との連絡調整や植民地の宣撫工作などの必要性が認識され、「軍人らしくない」工作員を養成するために設立されました。結果、東京帝大や早稲田、法政、拓殖といった大学や東京外事(後の東京外大)等の民間の高等教育を受けた者を中心に集められました。カリキュラムでは英語や中国語、ロシア語といった語学のほか、置き引きの仕方や忍術まで色々教わったようですが、教科書は授業後に回収されたため、詳しい内容は不明です。一方、学生たちはノートを取ったり暗記したり、必死で勉強したそうです。

設立7年後に終戦を迎えたため、卒業生は大きく活躍できるほど出世しませんでした。また、戦局の悪化に伴い、工作員養成からゲリラのリーダー養成へと性質が変わっていき、教育期間もだんだん短くなっていきました。

しかし7年しかなかったにも関わらず、満州からモンゴル、ロシアにかけては史上最大規模の工作網を構築し、情報収集や攪乱を行いました。足りない資金は引用で書いたような幣(マフィアグループ)と関係をして稼ぐなど、幅広い活躍をしていたようです。

その脅威を知ってか、終戦直後、創設者の秋草俊を始めとする中野学校関係者はソ連に連行され、厳しい取り調べを受けました。関心を示さなかった英米とは大きな違いです。ソ連は当時の日本のインテリジェンス工作の詳細を調べ、今も調査結果は公開されていません。

一方、日本では中野学校の実績が顧みられた形跡はありません。関連文書も終戦とともに焼かれてしまいました。敗戦により日本から情報が消え、ソ連に情報が渡り、今もロシアが極秘扱いにしているとは、歴史の皮肉を感じます。

表題にあげた英国領事館襲撃事件は、伊藤佐又少佐が教え子を巻き込んで神戸の英国総領事館への襲撃事件を企てたところ、途中で計画が発覚し、憲兵隊に逮捕された事件です。伊藤は総領事を脅迫し、英国の反日活動の証拠を掴み、反英世論を促すことが目的でした。しかし憲兵がエリート軍人を追及するのは至難の業、結局伊藤は予備役に編入され、勲章と退職金をもらいました。しかしこの事件の報は昭和天皇の耳に入り、畑俊六陸軍大臣を叱責し、中野学校の設立当初の自由さは徐々に失われ、「誠」を説く精神教育が増えていくことになりました。

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理不尽な世の中を生きる最強の働き方

だから多少嫌味をいわれようが嫌だろうが、会社を辞めてはいけない。問題は構造的で、個人の自助努力によって解決できる域を超えている。

本書 pp.185-186

勤務評定が厳しくなる時代において、自分自身だけで問題を抱えていると、メンタル面でやられてしまう。そうしないようにするために、一番重要なのは、話ができる友だち、できればななめ上のところで、信頼できる友だちを持っていることだ。

本書 p.146

元外務官僚で作家の佐藤優が現代日本での働き方を伝授します。派遣切りや外国人労働者の受け入れなど、日本人にとっては展望が見えづらい、給料は上がらないのに税金は上がる、年金はあてにできないし将来の貯蓄も必要…と、生きづらい世の中になってきました。こんな世の中を生き抜く方法を佐藤優が教えます。

本書の根底にあるのは、マルクスの『資本論』で展開された考え方です。マルクス経済学なんて、今や経済学部でも教えなくなった古臭い理論、と思われがちですが、そうではありません。社会の真理を捉えた本なので、資本主義が続く限り、現代でもその考え方は有効です。元に、本書を読むと腑に落ちるところが多いにあります。

マルクスが述べたことは以下のとおりです。

  1. サラリーパーソンが大金持ちになることはない
  2. 給料は提供した労働力以下しかもらえない
  3. 給料は労働に対しても余暇に対しても払われる

右肩下がりになり、勤務環境が厳しくなることが予想されるこれからの日本では、サラリーパーソンはまず大金持ちになれません。それどころか非正規雇用や介護離職の増加などで安定した収入が得られる人が減っていきます。そんな世の中で生き抜くためには以下のことが必要だと説きます。

  • 会社は辞めない
  • 周りの人をたいせつにする
  • 仕事以外の楽しみも見つける

今の世の中、正社員を辞めてしまうと再就職は簡単ではありません。引用にあるように、多少嫌味を言われてもしがみついたほうが得策です。非正規の人には伴侶を見つけることを勧めます。また、働き続けるには心身の健康が重要になります。自分ひとりで抱え込んでいたらメンタルを病むので、直属の上司や部下以外のつながりを持っておくことが重要になります。仕事もいつか定年が来ます。孤独な老後を迎えないために、仕事以外の場で楽しみを見つけるのも重要になります。

いずれもある程度の努力が必要です。仕事に打ち込みすぎても億万長者にはなれません。ましてや、経済状況はますます悪くなります。これからは仕事はそこそこしつつ、自分の人生を充実させることに軸足を移したほうがいい時代なのかもしれません。

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高校生に教える本物の知恵

琉球語はビッグデータがないから、琉球語の電子翻訳はできない。そういう意味において、機械が自分で考えることはできないんです。

本書 p.91

でもお金持ちになるのは、そう簡単ではありません。他方で、自分の名誉と尊厳を持って、きちんと生活していけるだけのお金を稼ぐことは、実はそれほど難しくない。

本書 p.106

本書は佐藤優が2018年6月2~3日にかけて沖縄県の久米島高校で行った講演録です。佐藤は母の母校である久米島高校の生徒たちに、これからの世の中を生き抜いていく方法を教えます。

佐藤の母は自らの戦争体験から自分で考える力の重要性を知っていました。だから息子にもちゃんとした教育を受けさせました。戦時中、佐藤の母は沖縄本島で軍属として日本軍の身の回りの世話をしていました。そのとき会った軍人には「(アメリカ軍は)女と子どもは殺さない」「戦争に負けても日本が滅びることはない」と国際法や世界情勢から見た自分の考えを伝えてくれる人がいました。偏差値教育ではない、「自分の頭で考える」教育はこういうところで真の力を発揮します。

これからの日本では経済成長はあまり見込めず、非正規雇用の増加などで不安定な立場の人たちも増えていきます。そういう社会を生き抜いていくには、偏差値教育ではなく、相手の立場を考えられる力が重要だと説きます。幸いにも久米島高校には離島留学の生徒がいて、いろんな立場の子どもたちが交流できる環境にあります。その点はとても羨ましく思いました。

高校生向けだからか語り口はとてもわかり易く、しかし中身はしっかりしています。大人でも十分勉強になる本です。

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中国のネット社会に希望はあるか?

老人がスローガンを書いた黒板の横で腰掛けている写真もある。黒板には白いチョークで次のような文句が書かれている。

美医保 没社保 心中要有钓鱼岛
(医療保険も社会保険もない でも心には釣魚島)

就算政府不养老 也要收复钓鱼岛
(たとえ政府が老人を養わなくても 釣魚島を取り戻す)

没物权 没人权 钓鱼岛上争主权
(財産権も人権もない だが釣魚島では主権を争う)

买不起房 修不起愤 寸土不让日本人
(家も買えず 墓も直せない でも寸土も日本人に譲らない)

本書 p.200

「祖国万歳! 共和国万歳! 日本帝国主義打倒! ドイツファシズム打倒! でも家電はやっぱり日本製とドイツ製が良い(後略)」

本書 p.255

中国のネット社会の現状(2016年段階)について書かれた本です。中国では官製ネット規制(金盾、グレートファイアウォール)の実情に迫るのかと思ったらそうではなく、中国のSNSやブログで起きている流れを紹介しています。著者は1966年生の共同通信社記者、97年から対外経済貿易大学に語学留学し、その後共同通信社の中国語版ニュースサイト「共同網」を企画、運営していました。

私は中国の通信規制に興味があったので本書を手に取りましたが、そうではなく、中国の言論規制とそれをかいくぐるネット民の話でした。中国ではネット回線の管理をしている工業情報化省のほか、三つの通信会社、各自治体が通信制限をしており、地域や時期で状況が変わります。また、中国中央電視台はYouTubeに公式チャンネルを持っていたり、軍部はアメリカの通信サーバにアタックを仕掛けるなど、規制を「公式に」かいくぐる党機関(どちらも国家というより党の組織)もあるなど、複雑です。そのあたりはベールに包まれており、おそらくは多くの人員が投入されていると思いますが、実情は闇の中です。

本書ではまず中国のネットの趨勢がブログ、マイクロブログを経てSNS、チャットアプリに移行したこと、現在もっとも大きな影響力のある言論空間はSNSに移ったことが紹介されます。ネット民はときには党や政府の対応を批判、暴露します。たとえば2013年5月13日、中国のある学者が共産党から通知された「危険な西洋の価値観」をミニブログで書きました(七不講(中国語))。

  1. 普遍的な価値
  2. 報道の自由
  3. 公民の社会
  4. 公民の権利
  5. 中国共産党の歴史上の誤り
  6. 資産階級
  7. 司法の独立

こうした敏感な言動を言ったり発言する人たちに対抗するため、党や政府も手を打ちます。

  • 当該アカウントの削除、敏感な単語の検索を禁止する
  • 影響力があり敏感な発言をするブロガーを「買春」などの容疑で逮捕、中国中央電視台のニュースで謝罪の様子を報道する
  • 五毛党(御用ネット工作員)や自干五(自ら進んで五毛党になる者)の養成する

しかし、ネット民たちも負けてはいません。たとえば、引用であげたような、政府の対応を賛美するように見えて、実は現状を批判するなど、「高級黒」(高度なブラックジョーク)と呼ばれる遠回しな批判を行います。また、党や政府が抗日戦争を称えると「あなたの党とは無関係だ」(主に活躍したのは国民党である)という批判はしているようです。

そうした潮流で日本はどう中国の人々と向き合うか、が本書後半のテーマです。私達も中国の現状を知りませんし、また中国の多くの人たちも日本を知りません。まずはそうした相互理解を深めることが大事であると、本書のインタビューに応じたブロガーや研究者は異口同音に述べます。

個人的には現在の中国でネット民が社会体制を変える力を持つのは難しいように思っています。中国よりいくらか通信の自由が約束されている香港でもネットを用いた社会変革は成功しているとまでは言えません。また、中国は現在も年間6%程度の経済成長をしており、現状でも今後数年は豊かな未来が約束されているからです。しかし、長い目で見ると変革が起きるかもしれません。中国で何が起きているか、私達には何ができるか。そのために相互理解が必要です。

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北朝鮮大使館ナンバー2の給料は月1000ドル以下

金正日から姜錫柱副相にどんな指示があったのか、数時間もしないうちに局長は再びスウェーデン臨時大使を呼び寄せた。局長が臨時大使に告げた内容だ。
「ノルウェーで拘束されている人物は張成沢に間違いない。(後略)」

(本書 p.84)

私が選定した観光名所の写真と説明文を三階書記室に送ると、今度はイギリスの有名なレストランを推薦してくれという指示が下った。月給が1000ドルにも満たない私が、そんな場所を知るわけがない。

(本書 p.340)

2016年に北朝鮮の駐イギリス公使をつとめていた著者が自らの半生をまとめた本です。北朝鮮から亡命した外交官としては最高位の幹部の亡命は当初から話題を呼びました。英米の情報機関が動いたとされ、ドイツにある米軍基地を経由して韓国に亡命しました。

彼は自身を謙遜して「平凡この上ない」人生と言っているものの、内実は北朝鮮のエリート街道の歩みそのものです。1962年平壌市で平壌建築建材大学教員の父、中学教員の母の間に生まれました。父方の祖父は貧農の出で、農地改革で土地をもらうなど、共産党側についたため、革命に熱心な家庭とみなされました。

母の勧めもあって中学校を出てからは平壌外国語学院に進学します。平壌外国語学院に在籍していた当時、国から海外留学の機会を与えられ、英語を学ぶために北京に派遣されました。一緒に行った留学生には金永南(前最高人民会議常任委員会委員長)の息子キムドンホ(現駐中国北朝鮮大使館参事官)、金日成の責任秘書だった崔英林の娘、崔善姫(現北朝鮮外務省アメリカ局長)などもいました。当時は文化大革命の末期、激動の中国を目撃します。

その後、平壌国際関係大学と進み、政府により外務省への勤務を命じられました。お見合いで金日成政治軍事大学総長の娘と結婚したことにより、革命パルチザン時代に金日成の戦友で政府幹部だった人、軍総参謀長などと姻族になりました。外務省ではデンマーク語担当になり、駐デンマーク北朝鮮大使館、駐スウェーデン北朝鮮大使館の勤務を経て、駐英北朝鮮大使館のナンバー2になると同時に党員としても活躍します。

そんな彼の素行の良さが目に読まったのか、ある日「三階書記室」から特別な指令を誰にも言わずに任務を遂行してほしいと依頼されます。三階書記室は金正恩専用秘書室のようなもので、各政府機関が判断を仰ぐ際に仲介をするところです。内容を上げる判断をするため、絶大な権力を持っているとされています。なお、現在のトップは金英哲が務めています。著者が受けた依頼はエリッククラプトンのロンドン公演のチケットの購入と、それに伴う出張者のホテル、レストランの手配でした。そう、ほかでもない金正日の息子、金正哲の旅行手配です。そのやり取りはパスワードつきのワードファイルで行われていたこと、そして極秘事項であるにもかかわらずイギリス側がビザ申請の段階で訪問者の素性を知ったことなどが明らかにされています。

本手記にはこれまでベールに包まれていた三階書記室の話のほか、死刑にされた張成沢が娘に会いに行き、偽造旅券所持の疑いでノルウェーで拘束されたこと、大使館は運営費を自ら稼ぐように言われていることなど、北朝鮮の厳しい様子がうかがえます。いっぽうで監視社会であるものの、お互い助け合って生きていること、自由市場閉鎖の際には市民が抗議活動をしたことから社会に変化が出ていることなどを明らかにしています。北朝鮮社会の内実を知るのにはいい本です。

なお、最初の方に出てくる黄長ヨプ書記の亡命事件の話で「卑怯者よ、去るならば去れ、私たちは赤旗を守る」とあるのは北朝鮮で歌われている赤旗の歌の一節です。

朝鮮労働党本部庁舎は以下のところです。

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現代までの哲学の流れを見渡す

哲学の歴史の概略を学ぶための入門書です。本書では大学の講義のように1章につき一人の哲学者の代表的著作と思想を紹介し、15章からなっています。

  • 第1講 アリストテレス『ニコマコス倫理学』
  • 第2講 デカルト『方法序説』
  • 第3講 ロック『人間知性論』
  • 第4講 ルソー『社会契約論』
  • 第5講 カント『純粋理性批判』
  • 第6講 キルケゴール『死に至る病』
  • 第7講 マルクス『経済学・哲学草稿』
  • 第8講 サルトル『実存主義とは何か』
  • 第9講 レヴィナス『全体性と無限』
  • 第10講 メルロ=ポンティ『知覚の現象学』
  • 第11講 フーコー『監獄の誕生』
  • 第12講 アーレント『人間の条件』
  • 第13講 ロールズ『正義論』
  • 第14講 ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
  • 第15講 サンデル『リベラリズムと正義の限界』

ご覧の通り、古代ギリシャのアリストテレスから始まり、英米独仏とバランスよく哲学者が紹介されています。文章も会話形式になっており、先生が女子高生、サラリーマン、定年後の男性の3人の生徒に教えていく形で紹介されて行きます。これから哲学を学んでいこうとする人が挫折しない程度の分量、難易度になっています。

  • アリストテレス:いかにして人は幸せになるか? -熟慮すべし
  • デカルト:思うことこそ自分の本質 -心身二元論
  • ロック:悟性が単純観念を複雑観念にしていく ーすべては経験から生まれる
  • ルソー:一般意志としてみんなの意見をまとめる ー国民の代表たる政府は国民のもの
  • カント:対象は感性を通して直観になり、直観は悟性に思惟され概念に ー認識の取扱説明書
  • キルケゴール:自己自身から抜け出せないからこそ絶望する -死に至る病
  • マルクス:資本に振り回される労働者を解放し、働きに応じて分配する社会主義、必要に応じて分配を受ける共産主義へ ースミスを乗り越えたマルクス
  • サルトル:実存は本質に先立つ。個人の選択は全人類に対して責任を持つ。 ー一世を風靡した哲学者
  • レヴィナス:他者のおかげでこそ、私は存在する。 ー他者と私の不公平な関係
  • メルロ=ポンティ:身体こそが世界を知覚する。 -デカルトを越えて
  • フーコー:身体的刑罰から精神的刑罰へ ー権力とは何か
  • アーレント:他者を自由な存在として公的空間に迎え入れる ー言論と説得による政治を
  • ロールズ:自由、機会の均等、格差の解消 ー功利主義(最大多数の最大幸福)に代わる正義論
  • ノージック:治安・防衛・司法のみの最小国家を提唱 ーリバタリアンの始祖
  • サンデル:負荷なき自己(ロールズ)から他者の網の目の中にいる自己へ ー市民的共和主義の伝統の掘り起こし

古代ギリシャから現役の哲学者まで、幅広くフォローしているので学びやすいです。一方、哲学者と言って思い浮かべるヘーゲルに対する言及がない、近年のフランス現代思想やドイツ観念論等についての体系的な学習に対するフォローがないなど、これから哲学の様々な流れを理解する方法について言及がなく、その点は惜しく思いました。

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琉球を探検した西洋人

この人々の態度はきわめて温和で、ひかえめであった。注意ぶかく、好奇心がないわけではないが、われわれがくり返してすすめたあとでなければ、決して近づいて見ようとはしなかった。好奇心にかられて我を忘れるような行動ははしたないことだ、という上品な自己抑制を身に着けているためと思われる。

(本書 p.109)

とはいえ、琉球は貿易船の航路とは外れた位置にあり、その物産には何の価値もない。(中略)近い将来にこの島をふたたび訪れる者があろうとは思えないのだが。

(本書 p.287)

1816年にアルセスト号、ライラ号という2隻の船で琉球を訪れたイギリス人航海士たちの記録です。西欧に琉球の具体的な姿を初めて伝えた記録といえます(本書解説より)。シルクロードや朝貢貿易がありながら、琉球と西欧の直接的な接触は19世紀までなかったのが驚きです。

マクスウェル艦長たちは北京で皇帝に謁見をしようとしましたができずに終わり、広東から中国人通訳を一人連れて、朝鮮半島と琉球を経て、マラッカ海峡からヨーロッパに帰ります。結局、現在のインドネシアあたりで船は沈没し、別の船に助けられて帰ることになりました。その際に琉球で採った貴重な標本等も失われてしまいました。この航海記が残ったのは僥倖と言えます。

朝鮮半島では現地の人から冷たい対応を受けますが、琉球では一転、心のこもった扱いを受けて、一同は感激します。釣り糸を垂らすと先に魚を結わえてくれる漁民たち、船に乗り込むも、礼節を持って対応する人々、様々な階層の人たちとの交流がリアルに描かれています。

当初はなぜ琉球に来たのか、何をしに来たのか、と訝しがられますが、船の修理と補給のためと言って納得させ、地図や海図の作成を行うあたりは、さすが船乗りと思います。現代人の感覚からするとあまりにもズケズケと入って行きます。しかし琉球も外交上手で、丁寧に献上品を持って扱うし、病人には医者をよこしたりします。

疫病やトラブル防止のためか、頑なに上陸を認めない琉球側と病人のために上陸して休息を取りたい、願わくば王に謁見したいと要請するイギリス側の駆け引き、同時に深まっていく友好関係が見どころです。

交流が深まるに連れて、琉球側の役人がブロークンな英語を覚え、イギリス側もうちなーぐちを覚えたため、英琉間の通訳が行われています。当たり前といえば当たり前ですが、その様子に新鮮さを覚えました。

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宮古島の漁師の獲り方、売り方

佐良浜では、魚は漁師と仲買いの固定された取引関係のなかで売買されるため、どの仲買いがどの魚をいくらで買い、小売りにいくらで売ったかという情報は、その日のうちに漁師たちの耳に入る。

本書 p.197

この漁師の語りによると、アナ(筆者註:漁を避ける日)にあたるこの日、漁をしていると大きいコウイカを見つけた。格闘した末に漁獲し、トンヅクと呼ばれる竿に刺した瞬間、目の前からそのコウイカは消えたという。

本書 p.217

前回の『漂流』でも取り上げられた、沖縄県宮古島市の佐良浜に生きる漁師たちの暮らしを人類学的な観点から描いた本です。漁撈(魚のとり方)とそれに伴う民俗知識が地元の社会経済活動とどのような関わりを持つか、主に社会経済活動が漁撈にどのような影響を与えているか、という問題意識をもとに書かれています。

佐良浜の漁師たちは長年の経験から、地形を熟知しています。また、風の変化などから天候を予測し、さらに潮の流れなどを見て、魚やイカなどのいる場所を推定し、魚をとります。彼らの漁の目的は売ることなので、その時の売買価格の高いものを狙うなど、マーケットの動向を見ながら漁をする様子が明らかにされています。

特に佐良浜ではウキジュ関係といった漁師と仲買人の関係があり、漁師は魚をすべて仲買人に独占的に売り、仲買人はどんな魚でもすべて買い上げるという方式を採っている人たちがいます。彼らの関係は平等で、何十年と続いている関係もありますが、信頼関係が損なわれたらどちらからでも関係を断ちます。そうした需給関係の中で、漁が行われます。

また、引用でも示したとおり、漁の禁忌や禁忌を破った場合に起きる不吉なことの具体例も聞き取りをされており、大変興味深いです。本書では資源保護などの観点から解釈がされています。民俗知識と漁撈活動、社会経済活動の関わりを15年以上の歳月をかけて描き出しており、貴重な資料と言えます。

ただ、いくつかの惜しい点もあります。例えばp.66には「一九七八年に宮古空港にジェット機が就航すると、水産物の空輸が可能となった。 一九八三年には滑走路が2000メートルに拡張され、大型ジャンボ機が就航する。 」と、 同様にp.159にも宮古空港にジャンボ機が就航したと書かれています。しかしジャンボ機はボーイング747シリーズを指し、2000メートルの滑走路では十分な離着陸距離とは言えません。現に宮古空港にはボーイング737、767、787シリーズが就航したのみです。その他の箇所で書かれている「ジェット機」という表記で統一すべきかと思います。

またp.97図2-2は「松井(1991)を参考に作成。」と書かれており、おそらく松井健の名著『認識人類学論攷』を指していると思いますが、巻末の参考文献一覧には書かれていません。 『認識人類学論攷』 でも当該図の箇所はBerlin et Keyの“Basic Color Terms: Their Universality and Evolution”をもとにしたものかと思います。本書は博士論文に大幅な加筆を加えたものとのことですから、少なくとも原典にあたるほか、以下の神戸大学のサイトにあるような説明はほしいところです。

そうした不備や理論的な整理に不十分さはあるものの、認識人類学的な調査の行い方や調査結果の図や表への表し方、海洋生物の名称や民俗分類などはしっかりと記述されており、実践的な勉強になります。

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人事を知って組織で生き抜く

実は、人事は組織において最も危険な仕事なのです。

(本書 p.47)

職場を息しやすい環境にする裏技として、自分が属しているラインではなく、斜め上の立場の上司で、信頼できる人を作っておくこともお奨めできます。

(本書 p.233)

鈴木宗男事件で外務省を追われた作家、佐藤優が自身の経験と日本の文学作品を通して組織で生きていく方法を指南する本です。ここでの重点は「どうやったら組織の中で生き延びれるか」です。潰れた人は「逆境を生き抜く方法」を読みましょう。

佐藤は職場で働いている人を以下の4つに分類します。

  • 仕事好き・生産力高=ハイパー
  • 仕事嫌い・生産力高=ワーカホリック
  • 仕事好き・生産力低=マイペース
  • 仕事嫌い・生産力低=バーンアウト

組織はまずバーンアウトを切り始め、続いて余裕がなくなるとマイペースを切り出します。釣りバカ日誌のハマちゃんがマイペースに該当しますが、彼は気難しい鈴木建設の社長と昵懇の仲なので、彼の人間力を持ってすれば組織の中で生きていけるでしょう。

組織の中で生きていくにはどうすればいいのか? 佐藤はまず、組織はトラブルを起こすものであること、その際のリスクマネジメントとクライシスマネジメントを考えることを強調します。リスクマネジメントは想定できる危機、クライシスマネジメントは想定外の危機に備えることです。実際の動きを自らの経験と山崎豊子『不毛地帯』を例に上げて述べていきます。

『不毛地帯』の主人公、壹岐正は陸軍中佐で大本営参謀を務めてからソ連との折衝にあたり、戦後シベリアで抑留されたあとに帰国、商社に採用されて会長になります。フィクションではあるものの、実際に同じ経歴をたどった陸軍中佐、瀬島龍三をモデルにしていると言われます。壹岐は商社で次期戦闘機選定争いの際に不正に自衛隊の情報を得たのではないかと疑われます。その際、ソ連での取り調べを思い出して自らの責任が追求される危機を乗り越え、結局は別の社員が責任を問われることになりました。

自らの人生がかかったときには何を優先し、どのように振る舞えばいいかを『不毛地帯』から学ぶことができます。

その他、赤穂浪士に組織での忠誠心のあり方を、戦時中の内務班の様子を描いた『真空地帯』では組織における仲間との連帯について具体的に見ていきます。

組織の中で生き延びる術のエッセンスを詰め込んだ一冊です。

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沖縄のヤンキー本がクラウドファンディングで出版

社長にとって自らの会社を守ることは、家族だけでなく、地元の後輩たちの生活を守ることでもあった。そのために彼は、米軍基地との共存も選択肢の一つとしてあげ、地元の人間の生活を軽視する基地反対派、そしてその象徴としての公務員を批判した。

(本書 p.76)

現在の沖縄の下層の若者の場合、キセツ(出稼ぎ)に行っても、技術を身につける機会も、人脈を培う機会も、ほとんど得られなかった。

(本書 p.237)

クラウドファンディングで出版された社会学の専門書です。沖縄の国道58号線に夜な夜な繰り出していた暴走族と彼らを見物しに来た若者(ヤンキー)たちに取材を重ね、彼ら彼女らの暮らしを描き出した労作です。暴走族の調査の名著『暴走族のエスノグラフィ』を思い出しました。

暴走族のようなヤンキーの集団には厳しい上下関係と掟があります。そして暴走するにもバイクの改造費や罰金など、お金が要ります。本書に出てくる沖縄のヤンキーたちは中学を出るとしーじゃ(先輩)のつてを頼りに建設会社で働きます。

辛い肉体労働に加え、マニュアルもなく、ただ先輩の見様見真似で仕事を学んでいきます。先輩も自らの意を汲んで動いてくれるうっとぅ(後輩)を重宝します。そうしたしーじゃとうっとぅ(先輩と後輩)の関係が、職場だけではなく休日まで続き、一緒にビーチパーティーに行ったりキャバクラに行ったりするなど、関わり合いは何十年も続きます。先輩は後輩を便利に使い、後輩は先輩に守られる。お互い持ちつ持たれつで地元から離れられなくなる様子を描き出します。

一方、そんな地元が嫌になって飛び出る若者もいます。ある者はキャバクラ店を開き、ある者は内地にキセツ(出稼ぎ)に行きます。キャバクラも地元の同業者と警察のガサ入れや覆面パトカーのナンバー、クスリに手を出した女の子の情報までも共有して経営を続けます。内地に行った若者も山奥の工場の前にあるスロット屋でお金を使い果たすなど、経済的に厳しい状況からはなかなか抜け出せません。

建設現場の日給が6~8千円、キャバクラの店長も月収が20~30万円と知り、厳しい世界だと改めて思いました。

そうした彼らの中に入り、建設現場で働き、時にはハンマーや桟木で殴られ、使いっぱしりをしながら話を聞き、共感を示し続けた著者の研究にかける情熱には舌を巻きます。反戦反基地ではない、私達の知らない沖縄の側面が見えてきます。