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現代社会を前近代的思考で攻めるバチカン

佐藤優(2014)『佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 新帝国主義編』講談社

ラッツィンガー(枢機卿)が唱える「対話」路線は、相手を対等の立場であると認めて、新たな真理を追求するために行う真実の対話ではない。最終的に、カトリック教会の普遍性のなかにすべての人類を包摂するという目的を達成するための戦略的対話だ。(本書 p.123)

佐藤優の10分で読む未来 キーワードで即理解 新帝国主義編

ラジオ番組「くにまるジャパン」とメールマガジン「インテリジェンスの教室」で披露している内容をまとめたものだ。

話題は著者が専門の日露関係沖縄分離独立から総合知なき知識人まで、広範に渡る。

読み応えがあるのは佐藤の専門である日露関係とキリスト教の話だ。

特にキリスト教については一般の読者にその戦略を分かりやすく教えてくれる人が日本にはほとんどいない。佐藤のように自身もクリスチャンで教会史に詳しく、世界情勢と絡めて分析できる人は稀有な存在だ。

ローマ教皇が600年ぶりに生前退位をしたのは、カトリック教会にとって現代は600年前と同じぐらいの危機的状況だと見なしている。バチカンの枢機卿はローマ教皇とほぼ同じ保守派の人たちで占められている。だからラッツィンガー枢機卿が訴えかける「対話」はカトリック教会がこの危機的状況を乗り切るための戦略だと佐藤は分析する。引用でも書いたとおり、イスラム過激派や中国など、バチカンと相容れない巨大勢力の中に対話できる人を探し、彼らの中で分裂を起こす。そしてこちらになびいた側をカトリック教会側に引き入れて生き残りをかけようとしているのだ。

カトリック教会はプレモダン(前近代)的な考え方をする集団だからこそ、モダンやポストモダンの考えに縛られずに危機を突破する方法を考えることができる。限界にぶちあたっているモダンやポストモダンの考え方で対応しがちな近代国家の人々よりもその点、強い。歴史の蓄積とはこういうことをいうのだろう。

その他、外交官の裏話として森喜朗元首相とプーチン大統領が仲良くなった経緯も紹介されている。おもしろい。九州・沖縄サミットの前に北朝鮮に寄って遅れてきたプーチンの顔を立て、プーチンの国際デビューを助けたのが森喜朗だったという裏話が紹介されている。だから森は、いまでも首相特使として行っただけでクレムリンまで案内され、国家元首並みの時間をとって会談できるぐらいのパイプをもっているのだ。

いざというときに重要なのは、やはり人と人とのつながり、信頼であることを示すエピソードだ。

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オートポイエーシスの入門はこれで決まり

山下和也(2010)『オートポイエーシス論入門』ミネルヴァ書房

オートポイエーシス・システムとは自分の環境の一部を加工して、自分の構成素として産出するシステムに他ならない。(本書 p.33)

オートポイエーシスではシステムの状態が一定に保たれるとは限らず、不可逆な変化が起きることもありうる。たとえば、成長するオタマジャクシとカエルや、芋虫とさなぎと蝶の同一性を示すのがこの理論である。(本書 p.38)

一時期もてはやされたオートポイエーシスが分かりやすく解説されている。ルーマン、マトゥラーナ、河本の3氏の主張を整理し、それぞれの利点と欠点、論理的な齟齬を明らかにして、オートポイエーシスを確実に理解できるよう書かれている。

結局、オートポイエーシスとは何かというと

  • 環境を構成素に変える仕組み
  • 自分の状態を自律的に決める
  • 環境に影響されない(=閉じた領域にある)
  • 直接は観察できない
  • 止めたら再起動できない

といったもので、具体的には生物、意識システムおよび社会システムが想定されている。

 生物は引用にもある通り、オタマジャクシがカエルになっても、息をしてものを食べて個体を維持していることには変わりはない。その個体維持のシステムをオートポイエーシスという。社会も同様で、構成員が変わっても社会とは個々人の関わりとその集合だから、全体としては維持される。意識は生体内のシステムだから少し難しいが、光の束という環境からりんごや文字といった構成素を見出すのは、そこに認識システムがあるからだ。

 言語も同じくオートポイエーシスと言えて「言語とは意味コードに対する記号体系」(本書 p.231)と定義することで二項対立や言語の変化なども説明できる。一方、エンジンなどは一度止めても再起動できること、操縦されない限りは自分の状態を決められないことから、オートポイエーシスではなくアロポイエーシスと言われる。逆に言うと、生物が関わっているものこそがオートポイエーシスといえるのかもしれない。

 環境に対する見方がアフォーダンスとは逆になってて、アフォーダンスを見つける仕組みがオートポイエーシスなのだという。アフォーダンスもオートポイエーシスも、応用範囲がとても広くてつかみ所のない理論だ。実際に使うときはピンポイントに限るのが現実的なようだ。

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商人から幕臣になった26歳

鹿島茂(2013)『渋沢栄一 上 算盤篇』文藝春秋

埼玉の農民の小倅が、代官に面罵されたのがきっかけで討幕運動に加わり、いったんは、高崎城を襲って横浜の居留地を焼き討ちにしようと試みたが、ひょんなきっかけで一橋家に仕える身となり、そこで出世して、兵制改革から財政改革までを手掛け、次の時代の到来に備えようとしていた矢先、突然、主君が徳川十五代将軍として就任したため、自らも幕府の役人となってしまう。(本書 p.131)

渋沢栄一 上 算盤篇 (文春文庫)

江戸末期に生まれて明治から大正、昭和にかけて活躍した経済人、渋沢栄一の自伝だ。鹿島茂による連載をまとめたものなので一回ずつ読み切りにしてある上に、文章も読みやすい。渋沢の足跡を学ぶには最適の本だろう。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、東急電鉄など、渋沢栄一が設立に関わった会社は500以上にもなると言われている。なぜそれほどできたのか?

渋沢は当時において資本主義の本質を理解していた、稀有な存在だったからだ。だから幕府も明治政府も渋沢を重用した。逆に渋沢がいなかったら今の日本の経済界は全く違っていたはずだ。

もともと、茨城県の豪農の家に生まれた渋沢は、若い頃から才覚があり、藍葉の仕入れや藍玉の販売で成功を収めた。ただ、商売一辺倒ではなく、幼少時より父から読書も授けられていたため、知識人ともいえる経済人だった。

江戸末期、尊王攘夷活動に失敗し、江戸遊学で知り合った一橋家に仕える。歴史の偶然から一橋慶喜が将軍になったため、渋沢もまた幕臣となる。当時、商人から武士への身分変更は全くできないわけではなかった。しかし誰もができたわけではない。渋沢は大出世した。

いよいよ開国も間近、パリ万国博覧会が開かれた。日本も招待されたため、幕府からは慶喜の弟である民部公子が留学も兼ねて行くことになった。民部公子の世話をしていた水戸藩の家来も何人か行くことになったが、旧来より保守的な土地、固陋な連中しかいないことを心配した将軍、慶喜の命で渋沢もパリ行きを命ぜられる。

パリで渋沢が見たのは、官と民が平等に交流している姿だった。当時の日本では渋沢家の当主であっても若い代官に偉そうにされ、商人は武士に頭を下げるのが常であった。官と民との関係はこうではならない。渋沢はパリでその思いを強くした。また、パリ万国博覧会でのサン=シモン主義(「パリ万博の壮観を再体験」を参照)にも感銘を受けた。産業発展は民衆への啓蒙も兼ねている。そうして利益を得るのみならず、産業を通して社会全体を良くしていかねばならないと開眼したのだった。

それがのちの日本での活躍につながる。

本書は渋沢の大活躍をあまり述べてはいない。むしろ大活躍の素地が形作られた背景を明らかにしている。渋沢の思想のバックグラウンドを知って、後編に続く。

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年間11日、55時間しか働かないヒキガエル

奥野良之助(2006)『金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる』平凡社

ストーブを囲んで雑談していた時、「先生、ヒキガエルを掘りにいきませんか」と言い出した学生がいた。(中略)学生どもは、私の指示を待たず、といって指示を待たれたら私のほうが困ったところだったが、本丸中に散会して雪を掘り始め、つぎつぎと越冬中のヒキガエルを掘り当てていった。私は、学生に呼ばれるままに走り回り、掘り出されたヒキガエルの計測や個体番号の確認に追われただけであった。このまま放っておくと学生どもは本丸十を掘り返してしまうにちがいない。適当なところで私は、教官の権限を発動して、発掘の中止を宣言した。(本書 p.82)

金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる (平凡社ライブラリー (564))

ヒキガエルの生態に迫った名著である。本書の主張は著者の9年間、399回にものぼる調査に裏打ちされている。

人は生物を見ると厳しい生存競争の中、強者だけが生き延びると考えがちだ。ヒキガエルを見ているとその発想は根底から覆される。

およそ10年ほど生きる彼らは両生類だから冬眠する。暖かくなったら土から出てご飯を食べ、子孫を残す。そして夏になると暑さを避けるように冬眠ならぬ夏眠に入る。秋に少し起きて、また寒くなると冬眠するのだ。冬眠の仕方も雑で、溝の石の隙間にちゃんと入ればいいものを、奥まで入らず適当に入ったところで冬眠してしまう。なんて力の抜けた生き物だろう。

当初、魚を専門にしていた著者は保険(論文を書く)ために、勤務先の金沢大学が当時位置していた金沢城でヒキガエルを調査し始めた。すると次第にヒキガエルの姿に心惹かれる。だが虫嫌いだから決して解剖はしない。前足に4本、後ろ足に5本ある指を解剖ばさみでパチンパチンと切って標識にし、都合1526匹の行動を調べた。そして分かった。彼らは年間11日、55時間しか働かない。これは繁殖も食事も含めた時間だ。

オスよりメスの方が少ないため、自らの子孫を残せる可能性は低い。にもかかわらず、毎日繁殖に参加するオスは極めて少ない。なんてゆるい生き物なんだ。そんな「ゆるさ」があるからこそ、著者が見つけた3本足のハンディキャップヒキガエルも繁殖に成功したから、悪いことではない。

面白い研究成果を出すには時間がかかる。昨今の短期的な成果を求める風潮ではこんな研究を再び望むことは難しいだろう。確かになにの役にも立たないし、特許などのお金に結びつくことはないかも知れない。だけど読んだ人を勇気づけ、何よりも競争社会が適用されない生物が身近にいて、そんな彼らも立派に生き延びていることを知るだけで、今あくせく働き生き急いでいる人の生き方を振り返らせてくれる。これぞ研究の真骨頂だ。

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200ページでウィトゲンシュタインの歩みをつかむ

永井均(1995)『ウィトゲンシュタイン入門』筑摩書房

私は、私自身が読者とウィトゲンシュタインをつなぐ梯子となることを願ったのである。もちろんその梯子は、昇りきった後は投げ捨てられるべき梯子にすぎない。(本書 p.8)

ウィトゲンシュタインの難解な哲学を理解するための第一歩に適した書。主な業績である『論理哲学論考』や『哲学探究』のみならず、『青色本』、『数学の基礎」、『確実性の問題』など、その他の業績にも配慮して、それぞれの本の特徴や思考の足跡などを明らかにしている。できるだけ簡明に書かれてあり、理解しやすい。

『論考』ではかの有名な言葉、「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」(Wovon man nicht sprechen kann, darüber muss man schweigen)の通り、言語の限界、すなわち世界の限界を示したとされている。その中で世界は現実に表現されているところのものであり、夢や希望、嘘などのナンセンス(現実に現れていない言語表現、例えば「ピンクの象」や「猛然と眠る色のない緑」など)は対象となっていなかった。

では、ウィトゲンシュタインはそれらの分析を諦めたのか? 20世紀最大の哲学者である彼だから、もちろんこの問題に気づいていた。だからこそ、彼はまずは『青本』で、そしてさらに『探求』で発展させた形で言語ゲームという概念を持ちだし、すべての言語表現とそのルールについての分析を試みた。すなわち、ルールは違っても、我々はその適用方法に縛られているということだ。

たとえば、ある民族で「出会っても挨拶をしない」というルールがあるとする。そのルールは欧米や日本のルールとはもちろん違う。しかし西洋や日本の人々も彼らのどういうルールに従っているか理解できるし、彼らのルールに(ある程度は)従うことも可能だ。我々が多言語の文法に従うことが可能なように。

結局、人間である以上、その「ルールの適用方法」は同じになる。ルールは違っても、その従い方は同じだというメタルールの存在に気づいたところが、彼の天才たるゆえんだろう。

本書はそんなウィトゲンシュタインの思考の足跡のみならず、彼の人生のエピソードを踏まえて、どんな背景でそのような思考が生み出されたのかを語っている。200ページ強で20世紀最大の哲学者の思考と人生の概略がつかめる。大変お得な書といえる。

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ソ連の崩壊を見た後輩とナチスの崩壊を見た先輩の対談

佐藤優(2014)『私が最も尊敬する外交官 ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六』講談社

沖縄密約問題の本質は、外務官僚が職業的良心に基づいて「やむをえない」と考え、行った確信犯的行為であるというところにある。従って、密約を結んだが、「そのようなものはない」と当時国民に対して嘘をついたことについて、外務官僚に良心の呵責はないのである。
 しかし、問題はその後だ。吉野は、密約を結んだということがわかる書類を公文書の形で、後世、吉野を含む外務官僚が、国民に対して嘘をついたことがわかるように残した。小賢しい外務官僚ならば、嘘をついた痕跡を消すことができる。しかし、吉野はそれをしなかった。(本書 p.277)

佐藤優による吉野文六氏(外務省アメリカ局長)への聞き取りで構成されたオーラルヒストリーだ。

本書のうち、多くは佐藤の文章と書籍からの引用になり、ピンポイントで吉野のオーラルヒストリーが入る。少ないながらもその口ぶりからは、偉ぶらない、真面目、正直といったエリート官僚とは思えない(?)吉野の人柄が伝わってくる。それは自らの実力に裏打ちされた自信があるからこそ持てる態度だ。

御年94歳の吉野の若い時の経験は、まさに近代史を地で行く。松本高校から東京帝国大学に入り、法律を学ぶ。その時、ノモンハンから帰ってきた友人から戦場の悲惨さを聞き、戦争には行きたくないと思う。だから高等文官試験(いまの国家公務員試験総合職)に受かってから、採用試験にも受かった裁判官、大蔵省、外務省のうち、3年間の兵役免除を受けながら語学が学べる外務省を選んだ。

しかし、それが運命の数奇なところ。日本から戦争をしているドイツに行くには、米国経由しかなかった。だから海路ハワイ経由でサンフランシスコに行き、アメリカ大陸を横断してワシントン、リスボンについてからドイツ領を避けるようにスイスからベルリンに入った。ドイツで3年間勉強してから大使館勤務になったが、その頃には戦況は悪化、ベルリンの日本大使館勤務の時にヒトラーは自殺し、リッペントロップ外相は逃亡、大島大使もドイツ南方の温泉地に疎開してしまった。

そんな中、ベルリンの大空襲で大使館も爆撃される。防空壕で一命を取り留めた大使館員たちは、直後にやってきたソ連兵に軟禁されながらも、日ソ中立条約があったために丁重に扱われ、劣悪な環境ながらも列車でモスクワ経由、シベリア鉄道で満州まで送り届けられた。

読んでるだけでもそのスケールの大きさに酔いしれる。当時、満州で室の高い諜報活動を行っていた領事や敵前逃亡のようなことをした大島大使など、本当の危機の時にその人の人間性がよく現れている。

当時、日本とドイツは手紙も届かず、電話も最後は通じなくなった。そんな環境下でつらかったはずなのに、そうしたことは言わないところにもまた、吉野の強さを感じる。

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人生で得をするため、楽に生きるための1300円

佐藤優(2014)『いま生きる「資本論」』新潮社

この講座では、人生で得をするために、あるいは人生を楽にするために『資本論』を読みます。(本書 p.72)

この講座で『資本論』を読んでいくことでわれわれが具体的に何を学ぼうとしているかというと、もうお気づきの方はいるでしょうが、今の価値観からの脱出です。(本書 p.187)

佐藤優が行った資本論に関する講義を書籍化したもの。素人向けの講義なので分かりやすい上に、本になっているから更に分かりやすい。

著者の資本論読みは独特だ。学者が一般的に貨幣の仕組みとか経済活動の本質などを探るために資本論を読んでいるが、佐藤はもっと実用的な読み方へ一般の人を誘っている。

我々はどう生きるか、という問題に対する導きの書としているのだ。

『資本論』は確かに古い。江戸時代に書かれた書物だ。だけどみんな名前は知っている。100年以上生き延びて、今後もさらに100年以上生き延びるだろう本なので、普遍的な魅力と力がある。現にこの薄い本で、著者はアベノミクスからビットコイン、佐村河内問題まで分析している。どんな経済の流れも、『資本論』さえ知っていれば冷静に見つめられる。

本書の目的は、人生でより得をするために、より楽な人生を送るためのエッセンスを伝えることだ。それは『資本論』を通じて経済を知り、お金持ちになるということではない。資本主義経済の本質と限界を知り、自分たちの置かれた状況を一歩引いて見ることで、労働、貨幣、資本主義とは何かを知り、それらと関わらざるをえない人生をより良くしていく力をつけることだ。

確かに今の世の中は生きづらい。頑張っても大金持ちになれるわけでもないのに、頑張らないと暮らしていくことすら大変だ。『資本論』で培った人生を楽に生きる方法は、『資本論』と同様に100年前でも、現在でも、そしておそらく100年後も通じる知恵と言える。そんな本書の1300円を安いと感じるのも、また、資本主義の価値観に籠絡されている。

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豊かになるにはハッカーになれ

Paul Graham 著/川合史朗 監訳(2005)『ハッカーと画家 コンピュータ時代の創造者たち』オーム社

封建領主がやったように私有財産を盗むにせよ、いくつかの近代の政府がやったように税金でそれを奪うにせよ、収入の格差を抑えれば、結果はいつも同じだ。社会は全体として貧しくなる。(本書 p.126)

次のマイクロソフトを探すベンチャーキャピタルは間違っているんだ。あるベンチャーが次のマイクロソフトになるためには、ちょうどいい時期に沈んで、次のIBMになってくれる会社が不可欠だからだ。(本書 p.234)

ユーザーがインターネットストアを作ることができるサイト、viawebの創始者であるポール・グレアムが書いたエッセイを邦訳してまとめたものだ。松岡正剛の千夜千冊では1534夜に紹介されている。

自らの経験をもとに、お金持ちになる方法からハッカーの好み、デザインの考え方までを書き綴っている。

ハッカーを効率的に働かせるには、理解の無い上司が数年単位でコロコロ変わるような大きな組織ではなく、規模の小さなベンチャーが一番だ、そうすることによって社会はいい方向に変わっていく。

ベンチャーはマイクロソフトを目指してはいけない、彼らはたまたま勃興期にIBMの没落が重なって、業界の覇権的地位を奪えた幸運があった。

目指すのはライバルへの徹底的な調査と、自分たちがやろうとしていることの市場ニーズの確認だ。大企業は大失敗を恐れるから大きなリスクのある事業に手出しをしない。ベンチャーが勝てる場所はそこにある。だけど戦うなら同じ土俵に持ち込まないといけない。城の中にいる相手とは戦えないのだ。Wordより優れたエディタを開発することはできるだろうが、それはWindowsというお城の中にいて勝負はほぼ確定している。城の外で戦える市場ニーズを捜し出せたら、あとはライバルを調べればいい。ライバルがどのレベルで何をしようとしているかは、求人広告で分かる。

米国人が書いた本なので、米国の事情に依っているから日本とは違うことに留意しないといけない。社会的な偏差がないととがったもの(工業製品にしてもサービスにしても)が生まれないのは日本でも真理だと思うが、労働者の流動性が低いから求人広告の量は少ないし、ハッカー文化が根付いているとも言い切れない。また、「豊かになる」ことが人間の基本的な本性だと言っているけど、日本では暮らしそこそこ仕事まったりという価値観を持った者も増えてきている。ヨーロッパのように市場の主導権を握るために各国が争ったというより、国内の人たちに自慢したいという欲求があったから、日本刀などは極限まで技術を高められたという『ドーダの近代史』も日本の実情を表していると思う。いま市場ニーズがあるのは『日本版ハッカーと画家』だろう。

本書の大部分は無料で読める。ネットで読むのもいいし、枕頭において寝る前に読むのもいい。辞書的な使い方のできるエッセイ集なので空いた時間に読み返したい。

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孫正義に感じるいかがわしさの根源

佐野眞一(2012)『あんぽん 孫正義伝』小学館

外車が並ぶバラック小屋で「トラジ」を歌い、父親は息子に「お前は天才だ」と言い続ける。こんな環境で育った男は孫正義しかいない。

本書 p.112

豚の糞尿と密造酒の臭いが充満した佐賀県鳥栖市の朝鮮部落に生まれ、石を投げられて差別された在日の少年は、いまや日本の命運を握る存在にまでなった。

本書 p.393

孫正義の血と骨に迫った伝記である。

ソフトバンクの創始者で日本有数の大富豪でもある孫正義は1957年佐賀県鳥栖市の生まれ。鳥栖駅周辺にあった朝鮮部落に生まれている。雨が降ると水がたまり、豚の糞尿とまざる。その奥には密造酒。異臭を放つバラック小屋で生まれた。

教師になりたかったが韓国席だったために諦めて渡米し、以来、通名の安本を捨てて本名の孫を名乗った。帰国後、ソフトバンクを立ち上げて、数々の批判や紆余曲折がありながらも大富豪にのし上がった立志伝中の人物だ。

ここまでが世間に流布しているイメージだ。しかし同時に疑問を感じる。なぜそんな貧しい暮らしをしていた孫が米国の大学に行けたのか。どのように事業を始めたのか。そしてなぜ今も「塀の中」に落ちずに第一線で活躍できているのか。

孫正義の成功の影には父親・三憲の影響がある。密造酒を売ってお金を稼ぎ、朝鮮部落を脱出した。その後、焼肉屋やパチンコ屋、金融業と事業を手がけ、パチンコ屋に至っては九州市のチェーンを作った。だからこそ米国の大学に行き、仕送りを受けて学業に専念できる経済的余裕があったのだ。そんな事業に成功した父、三憲の相談相手が正義だった。

何から何まで違うのだ。どん底の家に生まれ、金持ちの家で育ち、幼い頃から成功した事業化である父の相談を受けた。さらに親戚は「怖い人」もいれば嘘をつき、事業を潰そうとし、流血沙汰の喧嘩を起こすような人たちもいる。切った張ったの世界を間近で見てきた孫正義は、実業家としての英才教育を受けてきたと言える。

いっけん普通の人に見えながらも、平均的な日本人とは全く違う浮沈の激しい環境で生きてきた孫正義。我々が彼に感じるいかがわしさは、うちに秘めた親譲りのエネルギーを嗅ぎとるからではないだろうか。

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真の教養は紙の本でこそ身につく

佐藤優(2014)『「知」の読書術』集英社

つまり、教養とは「知識に裏打ちされた知恵」なのです。(本書 p.117)

「電子書籍の外側」にある紙の本が、まだしばらくは基礎教養を身につけるベーシックな手段であり続けるのです。(本書 p.133)

これまでの濃い読書術とは打って変わって、軽めの読書術の指南本だ。

佐藤優のこれまでの読書術は導きの書をいくつか紹介していく『功利主義者の読書術 (新潮文庫)』、知の巨人同士の対談である『世界と闘う「読書術」 思想を鍛える一〇〇〇冊 (集英社新書)』(佐高信)、『ぼくらの頭脳の鍛え方 (文春新書)』(立花隆)などがあるが、本書は断然初心者向きだ。

前半の危機の時代に生き残る方法を書いているのはこれまでもあった。本書の白眉は教養を身に付けるための電子書籍の使い方を伝授している点にある。

インターネットから出た電子書籍派と旧来の紙の本派は折り合いが悪い。両者を橋渡しする階層が日本にはいないからだ。電子書籍派は本をコンテンツとみなすいっぽう、紙の本派は本への愛がある。この温度差はいかんともしがたい。じゃあ紙の本派が愛をこめて電子化すればいいと思うのだが、佐野眞一『だれが「本」を殺すのか』で明らかな通り、日本の出版社が行った電子書籍化計画はいまいちパッとしない。

著者も紙の本派だから電子書籍に重きを置かない。基礎教養は紙の本でしか身につかないと断言する。しかし電子書籍にも利点がある。それは一度に数百冊でも持ち歩けること、電子版限定の良いコンテンツもあることだ。だから紙の本の補完的なデバイスとして電子書籍の利用を薦めている。

これまでの著者はどんな本でも役に立たせられる、という立場からさほど注目されてない本でもその有用性を紹介してきた。電子書籍を薦めるのも、そのスタンスの延長だ。さほど広まっていない電子書籍でも、上手に使えば教養が身につけられる。紙の本派から電子書籍の有用性を冷静に言語化した端緒といえる。