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ロシアとウクライナの戦争で儲けるアメリカの軍需産業

佐藤 でも日本の現状を見ていると、プラモデルが好きで軍事評論家になったひと、アゼルバイジャンの地域研究者で、ロシアやウクライナを専門としない学者、極秘の公電に接触できない防衛研究所の研究者の論評が大半で、後世の評価に耐えるものは極めて少ないですね。

本書 p.138

手嶋 (前略)”ウクライナ戦争はアメリカが管理する戦争である”-この佐藤さんの見立てに僕も同意しますが、アメリカは初めから、そうした絵図を思い描いて臨んだわけではありません。結果として、始まった戦争に追随して、戦局を管理しているにすぎないと思います。

本書 p.193

2022年に始まって以来、1年以上も続いているロシアとウクライナの戦争について、インテリジェンスの専門家である佐藤優と手嶋龍一が自身のインテリジェンスルートを通じた情報をもとに対談をします。

二人の意見は一致して、今すぐ停戦交渉を行うべき、というものです。その経歴から、ロシア一辺倒と見える佐藤優も決して思い入れがあるからそう言っているわけではありません。ロシアのやったことは国際法違反の侵略行為です。ですが、国際社会に与える影響、ソ連時代から考えた場合の現在のウクライナの領土の正当性などを考えて、双方とも冷静になって停戦交渉をすることを呼びかけます。

ロシアが占領した原発を、自国兵士を危険にさらしてまで破壊するメリットはない、といった合理的で納得のいく分析もしています。

また、本書ではアメリカがウクライナに元軍人を送って訓練し、さらに大量の武器を提供して軍需産業が潤っている、自国民の血を流すことなくロシアを疲弊させ、目の上のたんこぶだったドイツ経済が麻痺していくことにも満足感を味わっている、と指摘されています。

戦争中の国々の情勢の読み方は非常に難しい、と二人とも口をそろえます。それはロシアとウクライナがお互いにプロパガンダ合戦をしていることに加え、アメリカではネオコンの影響下にある戦争研究所、なぜかプロパガンダが増えてきた英国のMI6の発表など、決して「中立的」な立場の発表はないからです。テレビに出ている専門家(東京大学のK講師など)のことも冷めた目で見ています。

私たちにできることは、世界各国のメディアなどからできるだけ多角的に情報を取り入れ、状況を注視し、一日も早い停戦が実現することを祈るのみです。

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KGBスパイの秘密は地道な記憶術にあった!

このトレーニングは毎日でも行うことができる。誰かの作業机を見てから、背を向けて机の上にあった物の位置をイメージするのだ。バスや電車なら向かいに座っている人を見て、目を閉じた状態でその絵をイメージすればよい。本棚を見てから、目をそらして本の順序を思い出すようにしても構わない。

本書 p.63

諜報部員の訓練には必ず外国語の勉強がある。諜報部員に選ばれるのは知能が優れているからこそであり、テクニックさえ習得すれば、どんな言語でも訛りなく流ちょうに話せるようになるのだ。

本書 p.159

本書ではあたかもフィクションの事件が起きた形をとってエージェントを勧誘し、そのエージェントの日記を読んで話が少しずつ進んでいきます。その中で一定のペースで様々な記憶テストが行われていきます。

例えばマッチ棒を投げてその散らばった形を覚えたり、さいころを振って出た目と方向を覚えたり、クロスワードパズルの塗ってあるマスを覚えたり…何の役にも立たないと思うかもしれませんが、単純な記憶術の繰り返しで記憶力は着実に身についていきます。

また、ストーリー記憶とイメージ記憶を用いて、出てきた単語を長く覚えるようにするなど、設定は古いですが、だからこそデジタルではなく、アナログな、人間の生(なま)の力に頼った記憶術を伝授してくれます。

人名を覚えるのはロシア人の名前なので難しいですが、それ以外は着実にこなしていけます。単純な方法だけど慣れるまでが難しい記憶術、身につけておくといつの日か何かの役に立つかもしれません。

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中国語を36歳から始めて4年で通訳になった名ガイド

本書は36歳から中国語を始めて40歳で通訳案内士になった長澤信子さんの自伝的語学学習記と、プロのガイドとしての体験談をまとめた書です。

台所から北京が見える』というタイトルから、てっきり北京に赴任した駐在妻が中国語を始めたのか、それなら現地で学ぶし時間もあるから上達も早いよな、と思ったら大間違いでした。

著者の長澤さんは自らの子どもが親の手を離れる年齢を親の定年として、その後の人生をどう生きるか考えます。読売新聞の投書欄で相談したところ(たぶんいまの「人生案内」のようなもの)、語学学習を勧められます。時代は日中国交正常化前、夫に相談すると中国は大事な国だから中国語がいいのではないかとアドバイスをもらい、中国語を始めます。当時こんな意見を出せた夫は慧眼の持ち主です。

インターネットも普及する前、中国語の聞き取りはラジオや教室の先生に読んでもらったものしかなく、テープレコーダーを家じゅうに4台置いてどこでも聞ける態勢を整えます。努力の甲斐あって見事40歳で通訳案内士の試験に合格します。

また、同時に自分の勉強代ぐらいは自分で稼ごうと准看護師の資格を取ったり、中退した大学を入りなおそうと和光大学に入ったりと、かなりバイタリティーにあふれる生き方をされた方です。

しかし、少し意地の悪い見方をすると、共働きが前提とされている今の時代と比べると、専業主婦で時間と体力を家事と好きなことに使えたのは正直、うらやましいと映ります。また、後半の旅行ガイドの苦心譚も、ほとんどが開放都市となった今の時代では苦労が伝わりづらいかもしれません。だけど莫高窟や陽関の壮大さはいまも見るべきものなのだろうな、と思います。

次、中国に訪れるのは2008年の北京オリンピックと決めていた著者ですが、その前年に亡くなりました。北京オリンピックで何を感じたか、聞いてみたかった気もします。