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世界に負ける日本型リーダー

半藤一利(2012)『日本型リーダーはなぜ失敗するのか』文藝春秋

ともあれ、この西南戦争の勝利が明治政府と帝国陸海軍のリーダーシップに関する考え方を決定づけることになったのです。すなわち日本型リーダーシップの成立です。それはひと言でいって「参謀が大事だ」という考えです。総大将は戦いに疎くても参謀さえしっかりしていれば大丈夫、戦さには勝てる。

本書 p.47

組織にはあまりにも斬新な合理的に過ぎる正論は邪魔でしょうがないのです。せっかくみんながその気になっているときに、いきなり冷水をぶっかけて、それが採用されることはまず皆無です。それ以前にきちんと頭を下げて根回しをして、という手続きが必要なところなんです。(中略)それこそが日本型リーダーシップの残滓というものではないでしょうか。あるいは日本型たこつぼ社会における小集団主義といいかえていい。

本書 p.239

歴史探偵として昭和史を調べつくした作家の半藤一利が書いたリーダー論です。歴史探偵にとっては「余技」といったものでしょうか。口語体で書かれてあり、するすると読めます。当時齢82、おそらく口述筆記でしょう。

リーダーシップというのはもともと軍事用語(本書 p.16)であることから、どんなリーダーがいて、どのリーダーを範とすべきかは旧日本軍を見るとよくわかります。

引用の通り、旧日本軍は戊辰戦争での勝利の影響から、リーダーには優秀な参謀、補佐役がいることが大事だということになりました。それが日本型リーダーシップです。著者はリーダーを以下のタイプに分けてみていきます。

  1. 権限発揮せず責任もとらない…ほとんどの指揮官
  2. 権限発揮せず責任だけとる…南雲忠一海軍中将(ミッドウェイ海戦)
  3. 権限発揮して責任取らず…牟田口廉也(インパール作戦)

戦後になってわたくしは、小岩に住んでいた牟田口に何べんも会っています。訪ねていっても、どういうわけかうちには入れてくれません。いつも江戸川の堤までいって土手にすわって話すことになりました。話していると、かならず最後は「なぜオレがこんなに悪者にされなければならんのだッ」と激昂するのです。

本書 p.78

いかにも責任を取らないリーダーの典型、と言えます。でも一部には南雲中将のような名将もいました。

  1. 最大の仕事は決断にあり
  2. 明確な目標を示せ
  3. 焦点に位置せよ
  4. 情報は確実に捉えよ
  5. 規格化された理論にすがるな
  6. 部下には最大限の任務の遂行を求めよ

読めばわかりますが言うは易く行うは難し。決断はできても責任を取らなかった戦前の参謀みたいなリーダーも多いでしょう。私たちの身の回りを見て、ついそういうことを感じる人も多いのではないでしょうか。

世界に目を向ければプーチン、習近平、金正恩といったリーダーは決断はできますし部下に最大限の任務の遂行を求めています。しかし責任を取るかどうかはわかりません。ああいった国々では責任を取らされる前に命を取られる場合が往々にして多いですから…。

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地獄の人生も天国にできる

佐藤優・田原総一朗(2022)『人生は天国か、それとも地獄か』白秋社

田原 振り返ってみれば、米寿を迎えた私が私語尾を現役で続けていられるのも、不器用であり、決してエリートではなかったことが、逆に功を奏したのかもしれません。特に不器用だからこそ、唯一の趣味たる「人と会うこと」を大事にしてきました。

本書 p.23

田原 ついに私は、「実は、外務省は有本恵子さんや横田めぐみさんらが生きていないことを知っているはずだ」と畳見かけてしまいました。(中略)私は非常に心が痛み、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。私は、この発言について、有本さん、そして横田さんたちに対し、何度も謝罪しました。

本書 p.119

佐藤 また透析を始めたのを機に、公演やラジオ出演は控えるようにしました。これまでの仕事全体を見たときに、私はやはり文章を書くことを優先すべきだと考えたからです。

本書 p.153

佐藤 何がいいだろうかと迷っている人には、私は「地元の歴史や文化を調べる」ことを勧めています。日本全国、それぞれの地方や地域には、独自の歴史や文化があるからです。

本書 p.174

作家の佐藤優とジャーナリストの田原総一朗がお互いの人生について「対談」している本です。対談と言っても、お互いが短い言葉を語り合う対談本ではありません。時には数ページにわたって片方の話(エッセイ?)が載り、そのあとに片方の話(エッセイ?)が載る、といった形をとっている、一風変わった対談本です。

田原総一朗は42歳で原子力の賛成派と反対派に関する連載を書き、電通から圧力をかけられて東京12チャンネルを退職後、フリーになります。その後フリーになり、文字が読めなくなってチームの仲間に口述筆記を頼んで原稿を書いたり、2人の妻に先立たれ、娘の子育てをするなど苦労を経験しています。それでも人と会うことが好きな田原は、娘にご飯を食べさせている横で宮澤喜一や堤真一などの政財界の大御所にインタビューをして、仕事をし続けました。そして現在も、滑舌が悪くなり記憶力も衰えたことを自覚しつつ、「朝まで生テレビ」に出演しています。

佐藤優も42歳で鈴木宗男事件に巻き込まれ、外務省からパージされた後、作家として花開いて現在まで仕事をし続けていますが、腎機能が低下して人工透析をしているほか、前立腺がんも発覚し、自身の仕事に優先順位をつけて作家業と後進の育成に軸足を置くようになりました。

二人は人生が地獄に思えるぐらいの試練を受けています。田原は妻に2回も先立たれ、絶望の淵に追いやられたものの、今では同窓会で出会った彼女と仲良くしているそうです。佐藤はこのまま腎臓の透析をし続けても平均余命は8年、妻からの腎臓移植を決意したそうですが、それまでには多数のハードルがあるようです。

二人に共通しているのは、どんな境遇においても自分を見つめなおし、やりたいこと見つけ、自分の活躍できる範囲で活躍していることです。私たちの多くは彼ら二人ほどのバイタリティはないかもしれません。ですがやりたいことの全くない人もいなければ、できることの全くない人もいないはずです。自分のできる範囲で、できることをして余生をいじけず生きる指南書に、本書はなっています。

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批評はまずストーキングから

北村紗衣(2021)『批評の教室 ――チョウのように読み、ハチのように書く』筑摩書房

お気に入りの訳者が出ている上演を見るときは自分が性欲に欺されていないか、訳者の魅力に圧倒さrているだけではないのか、ということを注意して見るようになりました。

本書 p.45

また、私は自分が男性同士の親密な関係に何らかのエロティシズムを感じるスラッシャー(日本語では「腐女子」と言うことも多いですが、ネガティヴな感じがするので私は英語圏で使う「スラッシャー」のほうが好きです)だということを明らかにして批評をしていますが、そう自覚してからは批評がむしろやりやすくなりました。

本書 p.48

本書はさえぼう(saebou)先生としてTwitterの一部界隈では有名な北村紗衣 武蔵大学准教授の書いた書評入門書です。本書の冒頭では以下のような(ほかにもありますが)書評を書くための条件が示されます。

  • 精読する
  • 作者には死んでもらう
  • 嘘を見抜けるようになる

こうしたことは、初心者にとって言うは簡単ですが、行うは難しいことです。

精読するには作者の意図などを気にせずに(作品は書かれた時点で読者のものです)文章の一言一句にまで気を使って読み、ストーリーテラーが必ずしも正直ではない、あるいはすべてを語っているわけではないことを踏まえつつ読んでいかねばなりません。

そのあとに分析が始まります。どこがおもしろくてどこがつまらなかったのか。それを分析するには物語を要素に分解してほかの何の物語と似ているかを見ていきます。昔話のタイプインデックスというものがあり、一通りの昔話はカテゴライズされているようです。

それらを踏まえた実践編として著者による『ごんぎつね』の書評、著者と教え子による『あの夜、マイアミで』と『華麗なるギャッツビー』の映画評が実演されます。

自らが行っていることをここまで簡単に説明できるのは著者の実力がなせる業だと思います。しかし一方で、斎藤美奈子や米原万里など、短いけども読ませる書評も多くあります。それらとここで書かれている書評との違いは何なのだろう、と考えさせられました。

そういった点から、本書も必ずしも絶対唯一の批評方法を述べているのではなく、書評や映画評などで数ある批評の方法の一つを学ぶ本だと言えるでしょう。