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科挙はカンニング・贈収賄・幽霊まで勢ぞろい

宮崎市定(1963)『科挙 中国の試験地獄』中央公論新社

「年は幾つだ」
「名簿には三十歳と書いてあるはずですが、本当は五十四歳になります」
「何回試験を受けたか」
「二十歳の時に受けはじめて今度で二十何回になります」
「どうしてそんなに長く合格できなかったか」
「どうも文章がまずいのでいつも落第ばかりしていました」
(本書 p.94)

「亡霊なら出てこい」
というと、
「出て行ってもいいが、決して私の姿に驚きなさるな」
とよくよく念をおしてから、この亡霊が目に前に姿を現わした。それは青い顔から血がしたたる、見るもすさまじい形相である。
(本書 p.111)

中国の科挙はとてつもなく難しい試験で、一生かけても無理な人が続出した。私たちはそう思い込んでいます。

確かにシビアだったようで、根を詰めすぎて精神に変調をきたし、夜通し続く試験で幽霊と遭遇した人たちの話も多くあります。逆に善行をして恩返しをしてもらった人もいます。カンニング、試験場内での答案代筆業、贈収賄、神や幽霊など、何でもありの試験でした。

しかし、1300年続いた科挙の初めのころは、貴族の力をそぐために王は多くの官僚を必要としました。そのため、科挙の試験も比較的緩かったそうです。もっとも、時代が下ってくるとやっぱり競争率が上がります。しかしよく考えると、30代で受かると若い方、などと言われる試験の浪人を養えるだけの財力がある一家です。もともと、選ばれた人たちのための試験だったようです。

現に田舎の試験を受けた後、都会に出て試験を受けなくてはいけません。受かるたびに謝礼や振る舞いをしなくてはならず、その出費は多大なものに及びます。最終的に官僚になればいいとしても、なれなかったら大損です。だけどそこは中国、何度もある試験の途中まで受かった人は官僚の秘書をやったり、塾講師をやったりして生きていく方法もあります。ただ、そもそも財力のある人たちばかりなので、そんな心配はあまりしていないようですが。

結局、この熾烈な競争は、現在の中国にも受け継がれているように見えます。中国の高考(大学入試)はまさに地方から都市まで試験を受けに行く、科挙そのものです。トップの受験生は科挙のトップの人と同じく状元と呼ばれ、公表されます。そして李克強は状元でした。まだ試験エリートが統治する国です。試験エリートではない人が統治する日本と、どちらがいいかは考えものですが。


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北京の永田町・中南海にある秘密の地下鉄

朝日新聞中国総局(2013)『紅の党 完全版』朝日新聞出版

薄熙来事件が中国の権力構造を解明する千載一遇の好機だという確信は、あった。ただ、これほど「第五世代」の人事がもつれ、指導部の混乱が表面化する未曽有の事態を招くとは、想像を超えていた。
(本書 p.11)

中国の政策決定にも関わる党関係者の一人は、今から約40年前の経験を明かす。
「中南海から人民大会堂まで、地下鉄に乗った」
(本書 pp.295-296)

薄熙来の失脚という切り口から中国の政治に切り込んだ本です。あの親中的な朝日新聞をしてもここまでしか無理だったかと思わせる箇所も多いです。

一般的には親中的なことで知られている朝日新聞ですが、やはり中国の政治の内部に切り込もうとすると厚いベールに阻まれます。たとえば共産党青年団への取材は、団員とのインタビューには成功したものの、彼らが具体的にどのような活動をしているかまでは踏み込めませんでした。

ただ、さすがは中国。公開されていない情報も人づてに聞いていくと意外な出口に突き当たることもあります。党幹部の親せきが経営している企業への突撃取材や労働教化所の写真、中南海と人民大会堂を結ぶ地下鉄の噂など、中国の新聞などでは語られない話も出てきて興味深く読めました。

最終的には取材団の目指した香港の新聞への引用までなされました。今後も、朝日新聞の中国報道には期待したいです。


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中国人は快楽に向かう?

竹内実(2009)『中国という世界-人・風土・近代』岩波書店

-チュウゴクはどうなるのですか。
たしかに、興味のある問題である。
ひとから質問されるまでもない。自分でもすぐには答えが見つからない大きな疑問で、自縄自縛になる。問題を設定するもの難しい。
(本書 p.3)

初代のイギリス領事、バルフォアは、「条約」が締結されると、とり急ぎ上海に赴いたが、ホテルなどあるはずはない。県城内に家を借りて住むうち、知らない他人が入りこみ、好寄の眼をかがやかせて、自分の一挙一動を見守るのに気が付いた。
家主の姚(タオ)という広東人が、入場料をとって見せ物にしていたのだった。
(本書 p.162)

中国を知るための入門書です。比較的薄くて読みやすいですが、これまで中国を全く知らなかった人も、中国を何度か行ったことがある人も、学ぶところのある本になっています。

著者は本書の中で中国の向かう先は「快楽」であると述べています。集団で旅行してポーズを決めて写真を撮る、爆買いをする、といった中国人の一側面を考えても、集団で楽しく過ごすという側面から考えたら彼らの思考様式が理解できるかもしれません。それが、周りにとっていいかどうかはさておいて。

翻ると日本はどうでしょうか。団体旅行も減りました。みんなで騒ぐことも、中国と比べて少ないように感じます。もう一つの対立軸として、「快適」が見いだせるかもしれません。

日本は「快適」な国です。ネットも自由だし、高速の自動改札やテレビゲーム、ウォシュレットが開発されたのも日本です。宅配サービスも早いし、アニメや漫画などのサブカルもすそ野が広いです。いずれもみんなで楽しさを共有するものというより、個々人のストレスを軽減する、一人で楽しむものです。大勢で快楽を共有するとともに、個人の快適を追及する方向に行っているのではないでしょうか。

中国は快楽に向かう、という考え方は確かに一つの見方だと思いました。

私も中国に赴任するときに買いました。


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考えも反省もない日本陸軍のエリートたち

半藤一利(1998)『ノモンハンの夏』文藝春秋

服部や辻が敵の戦力を判定するのに大きな努力をした形跡は全くない。ともかく、ソ蒙軍の後方基地からは七五〇キロメートル余も離れている。不毛の砂漠地帯をこえて長大な兵站を維持するのは不可能である、と自分たちの兵站常識だけで甘く考えている。
(本書 p.140)

すでに関東軍司令部の問責は六月の越境爆撃のさいの天皇の言葉により既定の方針であるが、しかし関東軍の面目を考慮してのびのびにしてきている。親ごころというものである。それを関東軍の頭に血をのぼらせた連中はまるで理解しようともしない。
(本書 p.233)

誰もが名前だけは聞いたことがあるノモンハンの戦いを、証言や資料に基づいて描いた本です。ノモンハンの戦いは、村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』でも重要な出来事になりますね。のちに村上はその現場にも訪れています。

それほど有名なノモンハンの戦いですが、私たちの多くは場所すら知らないのではないでしょうか。当時の満州国とモンゴルの国境、何の地下資源もない草原です。川を勝手に国境線と決めていた満州国と、川の数キロ満州国側まで自国領だと思っていたモンゴル側の認識の違いから起こった小競り合いが、大きな戦に発展しました。

形の上は満州とモンゴルの戦いですが、実質は日本とソ連の代理戦争でした。日本軍の戦力逐次投入戦略に比べ、ギリギリまで待って戦力をため込んだソ連・蒙古軍。この違いが雌雄を決しました。

日本側の資料によったため、日本側への言及が多くなるのは仕方ないですが、当時、関東軍で指揮を担当した辻や服部といった参謀たちの、先見性や現状把握力のなさには驚きます。まさに資料もなく、思い込みや希望的観測で行き当たりばったりの作戦を組み立てていきます。それに振り回され、草原に散っていった兵隊たちやその家族の気持ちを考えるとやり切れません。

天皇も努力をしますが、内閣で決まったことには反対しないという慣例があったため、限界がありました。それをいいことに、陸軍は戦を進めます。

しかしグラスノスチの後、ソ連軍にも大打撃を与えていたことがわかりました。外国人記者をして「地下資源があるのか」と言わしめた戦は、結局お互いのメンツの張り合いで終わりました。戦争のむなしさを伝える一冊です。





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稼いでも稼いでも楽にならない現状を変えるには

河上肇、佐藤優(2016)『貧乏物語 現代語訳』講談社

一九八〇年代前半、「オレたちひょうきん族」(フジテレビ系)では明石家さんまらが「貧乏」をネタにすることができた。しかし、いま、テレビで「あなた貧乏人?」と突っ込むのは禁句に近い。
(本書 p.9)

機械が最も盛んに利用されている西洋の先進諸国において、-この物語のはじめでお話ししたように-貧乏人が非常にたくさんいるというのは、いかにも不思議なことです。
(本書 p.111)

第一次世界大戦のころに書かれた本のリメイク版です。前後に佐藤優による解説がついています。しかし内容は今の時代に読んでも古さを感じません。

河上はイギリスの例を挙げ、なぜあれほどの先進国で貧乏人が多くいるのかと疑問を投げかけます。貧乏人は一日に必要なカロリーを得ることすらできない、「貧乏線」以下の状況で暮らしています。

河上は金持ちが無駄遣いをやめ、余ったお金で社会の人に役立つお金の使い方をすれば貧乏人は減るといいます。嗜好品を求めるから嗜好品工場ばかり増えるけど、それを減らして生活必需品の工場が増えるようなお金の使い方をしなさいと述べます。ひとえに、金持ちの人間性を頼りにした性善説です。

しかし、現実はそうはうまくいきません。金持ちは貧乏人のためにお金を使うことはほとんどありません。そのため、再分配はやはり国家や自治体などの役割になってきます。100年たっても経済格差も格差の解決が難しいことも、時と場所を超えた真理として響いてきます。

状況が良くなったのは、革命の危険があるから貧乏をなくそうとしていた冷戦時代という特別な時期だけでした。「稼ぐに追いつく貧乏なし」が通じたのは、その時代でした。しかし、今は稼いでも稼いでも我が暮らし楽にならざり、の時代が再来しています。性善説で金持ちの人間性に任せるか、性悪説で政府の再分配機能を強化するか。もはや座視できません。私たちの選択が迫られています。