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知の巨人・レヴィ=ストロースが見た日本

クロード・レヴィ=ストロース 著、川田順造 訳(2014)『月の裏側 日本文化への視角』中央公論新社

日本は自然の富は乏しく、反対に人間性において非常に豊かです。(中略)人々がつねに役に立とうとしている感じを与える、その人達の社会的地位がどれほど慎ましいものであっても、社会全体が必要としている役割を充たそうとする、それでいてまったく寛いだ感じでそれを行うという人間性なのです。

本書 p.136

私が人類学者として賞賛してきたのは、日本がその最も近代的な表現においても、最も遠い過去との連帯を内に秘めていることです。

本書 pp.142-143

知の巨人、レヴィ=ストロースが日本について語った本です。

フランスの人類学者で世界的にも有名だったクロード・レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』などの著書で日本でもよく知られています。意外なことに、彼は幼少期から日本に親しみを覚えていました。印象派の画家だった彼の父は、クロードがいいことをするとご褒美として日本の版画をくれました。彼はおもちゃ箱の底に版画を貼って部屋に吊るし、寝ながら版画が眺められるようにしました。それから日本製の家具や人形などを少しずつ買い集めて行きました。そんな彼が戦後、ようやく日本を訪れます。

日本で一番仲良くしていたのは、人類学者の川田順造です。過去に(少なくとも)6回日本を訪れ、彼の招きで東京の下町である佃島や高山、それに九州・沖縄など日本のあちこちに行きました。

日本のあちこちを巡り歩いて得た感想や着想を講演会で述べたものとNHKの収録のために行った川田順造との対話が収められた本書で、レヴィ=ストロースが持っていた日本への眼差しを知ることができます。

エジプト神話と日本の神話との共通点、大陸とは違った日本人の自然への働きかけの独自性など、まさに西洋を月の表側とすると、月の裏側とでもいえるような、違ったルールで動いている世界を、彼は発見します。

一部、誤解やしっくりこない点、今や古い見方になっているところなどがありますが、それでも20世紀最大級の知の巨人の日本観が分かるのは貴重です。

レヴィ=ストロースは晩年まで、日本の炊飯器で炊いたご飯と焼き海苔で朝食を食べていたなど、日本を愛するエピソードもたくさん出てきて、読み応えがあります。

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大変な時代だからこそ知の力で生きる

佐藤優(2015)『危機を克服する教養 知の実戦講義「歴史とは何か」』角川書店

アベノミクスも瑞穂の国資本主義も、私は念力主義の現代版だと思っています。現実的にはどう考えても、明らかに圧倒的大多数の国民生活の水準を下げていきます。そうすると子どもに高等教育を与えることが難しくなってくる。その結果、日本全体の知力は、世代交代によって低下するでしょう。社会の力も明らかに落ちていきます。そうしたところに向かっていると思うのです。(本書 p.231)

危機を克服する教養 知の実戦講義「歴史とは何か」

本書は佐藤優が朝日カルチャーセンターで行った連続講義に大幅な加筆を行って上梓したものである。

現代は危機の時代である。これを前提に、危機の時代をどう把握し、どう生きていくかを考える。

アベノミクスによる物価や株価の上昇はぱっと見るといい傾向に思える。だけど株式は所詮擬制資本。単なるデータであり実態ではない。物価上昇も目標は2%となっているが、一方で賃金は2%も上昇しない。名目上の賃金は上がっても、それ以上に物価が上がるのだから可処分所得は減っていき、圧倒的大多数の暮らしはどんどん貧しくなる。

少し考えたら簡単に分かるアベノミクスの限界。だけどそれに気づかないのか気づかないフリをしているのか、政権支持率は高い。そこに佐藤は反知性主義があるという。

反知性主義を「ふわっとした民意」と言い換えて上手に乗ったのが橋下徹だ。今の日本ではそうした傾向があちこちに見られる。

この傾向を推し進めると、日本は貧しくなり知力も下がり、戦争しやすい国、仕掛けられやすい国になっていく。明らかに我々のためにならない政策を行っている政権を我々は支持している。

生きづらい時代だからこそ耐えて知力をつけていくしかない、というのは、悲しいけども唯一の希望だ。

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欧米を植民地化しなかった中国

ジャレド・ダイアモンド(2012)『銃・病原菌・鉄(下)1万3000年にわたる人類史の謎』草思社

なぜ中国人は、バスコ・ダ・ガマの三隻の船が喜望峰を東にまわって東南アジアを植民地化し始める前に、ヨーロッパを植民地化しなかったのだろうか。なぜ中国人は、太平洋を渡って、アメリカ西海岸を植民地化しなかったのだろうか。言い換えれば、なぜ中国は、自分たちより遅れていたヨーロッパにリードを奪われてしまったのだろうか。(本書 p.379)

文庫 銃・病原菌・鉄 (下) 1万3000年にわたる人類史の謎 (草思社文庫)

上巻に続く下巻である。本書は2000年代にベストセラーとなり、有名どころでは松岡正剛の千夜千冊でも紹介されている。

人類の歴史を振り返ったとき、誰が覇権を握っていたか。それは食料を握っていた人たちだ。栽培可能な穀物のある土地で、野生種を栽培種に変えていき、農業生産を行う。すると単位面積当たりの人口が増え、余裕ができて、学問や軍事に費やせる。組織的に行動する事が可能となった人々は、よその土地に進出する。

この繰り返しである。

必要条件はいくつかある。重い荷物や高速な移動が可能になる大型哺乳動物、知識の蓄積が可能になる文字などだ。だけど、文字があったからといって、大型哺乳動物がいたからといって、必ずしも進出に成功するとは限らない。

例えば南米では大型哺乳動物であるラマがいたし、文字も発明されていた。だけど家畜も農業生産が可能な植物も少なかったためあまり技術が発達せず、そうこうしているうちにスペインに攻め入られた。

欧米は文字を持ち、家畜も植物も数種類持ち、さらに人口密度が高かったため病原菌に対する免疫をも持っていた。だからあちこちの土地に進出し得た。

では冒頭の質問。なぜ中国は進出し得なかったのか。その理由は、巨大な官僚国家だったからだ。だから一度海禁(鎖国政策)を決めると、全土がそれに従ってしまう。一方、ヨーロッパには多くの国があった。そのためコロンブスの航海の申し出に対し、一国が断ってもコロンブスはまた別の国に話を持って行ったらよかった。現に、スペインは彼の話に乗って援助をしている。

どの時代でも多様性こそが可能性を結実させる。多様な条件の組み合わせで、新たな世界が切り開ける。

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京都では狸も天狗も駆け引き中

森見登美彦(2015)『有頂天家族 二代目の帰朝』幻冬舎

「ぱおんぱおん、どうしたことか?」
 私は長い鼻をあげて西の空を見た。
 滑るように春の空から舞い降りてきたのは、ひとりの英国紳士であった。(本書 p.24)

有頂天家族 二代目の帰朝

前作『有頂天家族 (幻冬舎文庫)』は超好評を得てアニメ化までされた。だがしかし待って欲しい、アニメよりも小説の方が数倍面白い。

前作では天狗たちを巻き込んだ狸たちの毛深くも阿呆な縄張り争いを描いたが、本書はそれの続きである。

続きのキモとなるのが、どことなく頼りない下鴨家の長男、矢一郎が次期「偽右衛門」選挙に勝つかどうか。そこに落ちぶれた天狗の赤玉先生と赤玉先生が惚れている弁天、さらに帰朝した赤玉先生のご子息である二代目が関わってくるから話は面倒だ。面倒事でも楽しむのが狸の血である。阿呆の血のしからしむるところ、である。

偽右衛門になるため京都の街を駆け巡る矢一郎、遠くの狸たちとの絆を温める旅に出た矢二郎、天狗と人間と狸の間で獅子奮迅の活躍をしながらも阿呆の血は忘れない矢三郎、生真面目だからこそ阿呆だがあくどい偽電気ブラン工場オーナーの息子たち金閣銀閣にいいようにしてやられる矢四郎たちが、阿呆なりに弱くても頼りなくてもがんばって狸のため天狗のため、そして何より兄のために奮闘する。

心温まる兄弟愛の話とすれば、よくある話。本書を魅力的にしているのは、本当に起こりえそうな京都という土地のちからも十分にある。今日も京都では、毛玉たちが阿呆な活躍を繰り広げているはずだ。

ちなみに初めて明かされたが、有頂天家族は三部作らしいので、あと一作出るんだそう。楽しみ。

本書のカバーにも章ごとの区切りにも、どこかの鳥瞰図がある。どこだろう、とまじまじ見る。そして気づいた。これこそが、天狗たちが常日頃見ている、そして年に一度空を飛ぶ狸たちも見ることが許される上空からの景色なのだろう。

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京都をぐるぐる、案内もぐるぐる

森見登美彦(2014)『森見登美彦の京都ぐるぐる案内』新潮社

登美彦氏は煙草を吸いながら、「進々堂で構想を練っているのだぞ」という顔をした。顔のことばかり気にかかって、考えはまとまらなかった。(本書 p.60)

森見登美彦の京都ぐるぐる案内 (新潮文庫)

聖なる怠け者の冒険』で第二回京都本大賞を受賞した森見登美彦が、自身の小説の舞台を案内する京都案内本。小さなエピソードが散りばめられていて、なぜこの場所が小説に登場したのか、といった裏話も読める。

特に『聖なる怠け者の冒険』は「なぜこんなところを?」と思うぐらい何の変哲もない、小さな通りや喫茶店が出てくる。スマート珈琲店も柳小路も実在するので、暑い夏場にどうしてここが選ばれたのかを考えながら歩くのも一興。帰りに四条烏丸に行くと、祇園祭の喧騒の中で不思議な体験ができるかもしれない。

本書を読んでいると森見氏と一緒に京都をぐるぐる歩いているような、森見氏の小説の中にぐるぐる迷いこんでしまいそうな、ふしぎな陶酔に包まれる。

手頃な値段な上に、いっぱいの使い道がある。素晴らしい文庫本だ。