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物語についての物語についての物語…

森見登美彦(2018)『熱帯』文藝春秋

「あなたは何もご存じない」

彼女は指を立てて静かに言った。

「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」

本書 p.37

「世界の中心には謎がある」

本書 p.455

ふしぎな本です。読めば読むほど謎が深まります。読み終えたあとも謎は残ります。

話は作家・森見登美彦氏が学生時代に読んだ本を思い出すことから始まります。それは佐山尚一『熱帯』という本です。古書店で買い、読み進めたものの、ある日忽然と姿を消しました。読了しないまま、今まで来ています。

登美彦氏はある日、縁あって勧められた沈黙読書会という名の読書会に参加します。参加者は各自持ち寄った本の謎について語らいます。その場に一人の女性がいます。彼女が手にしているのは、登美彦氏の部屋から消えたあの本、『熱帯』でした。

『熱帯』は冒頭の引用にある通り、読み終えた人がいません。皆、途中で断念してしまっているのです。読んだことのある人たちがストーリーを再現すべく、結社を作ります。彼女もメンバーになっています。これまで、結社内ではあるところからストーリーが進みませんでした。しかし彼女の一言で物語はぐっと進みます…

本書のベースになっているのは『千夜一夜物語』です。さまざまな物語が語られることで、一つの物語を形作っています。本書も同様に、物語についての物語であり、語られる物語がさらなる物語を語り始め…と入れ子型の構造になっています。まるでA story which was talked by a person who received a story which was talked by a person…と、延々と続く関係代名詞のような物語です。

ふしぎな読後感を伴う小説です。この読後感を味わえただけでも、十分に価値ある読書体験でした。

森見登美彦『熱帯』 忽然と消えた一冊の本をめぐる冒険譚

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京都では狸も天狗も駆け引き中

森見登美彦(2015)『有頂天家族 二代目の帰朝』幻冬舎

「ぱおんぱおん、どうしたことか?」
 私は長い鼻をあげて西の空を見た。
 滑るように春の空から舞い降りてきたのは、ひとりの英国紳士であった。(本書 p.24)

有頂天家族 二代目の帰朝

前作『有頂天家族 (幻冬舎文庫)』は超好評を得てアニメ化までされた。だがしかし待って欲しい、アニメよりも小説の方が数倍面白い。

前作では天狗たちを巻き込んだ狸たちの毛深くも阿呆な縄張り争いを描いたが、本書はそれの続きである。

続きのキモとなるのが、どことなく頼りない下鴨家の長男、矢一郎が次期「偽右衛門」選挙に勝つかどうか。そこに落ちぶれた天狗の赤玉先生と赤玉先生が惚れている弁天、さらに帰朝した赤玉先生のご子息である二代目が関わってくるから話は面倒だ。面倒事でも楽しむのが狸の血である。阿呆の血のしからしむるところ、である。

偽右衛門になるため京都の街を駆け巡る矢一郎、遠くの狸たちとの絆を温める旅に出た矢二郎、天狗と人間と狸の間で獅子奮迅の活躍をしながらも阿呆の血は忘れない矢三郎、生真面目だからこそ阿呆だがあくどい偽電気ブラン工場オーナーの息子たち金閣銀閣にいいようにしてやられる矢四郎たちが、阿呆なりに弱くても頼りなくてもがんばって狸のため天狗のため、そして何より兄のために奮闘する。

心温まる兄弟愛の話とすれば、よくある話。本書を魅力的にしているのは、本当に起こりえそうな京都という土地のちからも十分にある。今日も京都では、毛玉たちが阿呆な活躍を繰り広げているはずだ。

ちなみに初めて明かされたが、有頂天家族は三部作らしいので、あと一作出るんだそう。楽しみ。

本書のカバーにも章ごとの区切りにも、どこかの鳥瞰図がある。どこだろう、とまじまじ見る。そして気づいた。これこそが、天狗たちが常日頃見ている、そして年に一度空を飛ぶ狸たちも見ることが許される上空からの景色なのだろう。

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京都をぐるぐる、案内もぐるぐる

森見登美彦(2014)『森見登美彦の京都ぐるぐる案内』新潮社

登美彦氏は煙草を吸いながら、「進々堂で構想を練っているのだぞ」という顔をした。顔のことばかり気にかかって、考えはまとまらなかった。(本書 p.60)

森見登美彦の京都ぐるぐる案内 (新潮文庫)

聖なる怠け者の冒険』で第二回京都本大賞を受賞した森見登美彦が、自身の小説の舞台を案内する京都案内本。小さなエピソードが散りばめられていて、なぜこの場所が小説に登場したのか、といった裏話も読める。

特に『聖なる怠け者の冒険』は「なぜこんなところを?」と思うぐらい何の変哲もない、小さな通りや喫茶店が出てくる。スマート珈琲店も柳小路も実在するので、暑い夏場にどうしてここが選ばれたのかを考えながら歩くのも一興。帰りに四条烏丸に行くと、祇園祭の喧騒の中で不思議な体験ができるかもしれない。

本書を読んでいると森見氏と一緒に京都をぐるぐる歩いているような、森見氏の小説の中にぐるぐる迷いこんでしまいそうな、ふしぎな陶酔に包まれる。

手頃な値段な上に、いっぱいの使い道がある。素晴らしい文庫本だ。

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竹林に行くと美女がいる?

森見登美彦(2010)『美女と竹林』光文社

登美彦氏は腕組みをして考えていたが、「何でもいいから書いてみろ。この世にあるもので、やみくもに好きなものを書いてみろ」と自分に言い聞かせた。そして、まるで書き初めをするかのように背を伸ばし、厳粛にボールペンを握って、手帳に大きく書いてみた。

「美女と竹林」
(本書 pp.11-12)

こうして無理から始まった連載は、やみくもに始まっただけあって迷走する。

たまたま職場の同僚の鍵屋さんが持っていた竹林は手付かずで、手入れされるのを待っている。そこに竹林を美女と同じぐらい愛してやまない登美彦氏が現れる。

登美彦氏の夢は遠大だ。竹林から切り出した竹で門松や竹とんぼを売り、たけのこで稼ぐ。将来は竹林が再注目される時代がやってきて、登美彦氏の竹林事業は大成功。弁護士を目指す友人の明石氏に顧問となってもらい、MBC(森見バンブーカンパニー)を設立する。

まずは手始めに手付かずの竹林の手入れから、となるのだが、そこにも困難が立ちはだかる。登美彦氏は勤め人である。土日しか休みがない。加えて作家である。土日は執筆でつぶれる。すべての仕事が計画通りに終われば竹林の手入れも出来るのだが、計画は往々にして遅れる。さらに天気や体力といった副次的要素にも左右される。

本書を読んでいると、登美彦氏の周りにはすばらしい友人がいる。「竹林の手入れをしよう」とメールして「ええよ」とすぐ返信する弁護士を目指している友人の明石氏、竹林を貸してくれた鍵屋さん、連載と竹林への興味のためにやってくる出版社の人々。みんな、力みすぎない登美彦氏のふしぎな魅力に絡めとられて巻き込まれる。つい読み進めてしまう読者もご他聞にもれず。

果たして登美彦氏の野望は達成できるのか。それ以前に本書の結末はうまく結べるのか。二つの意味でハラハラさせられる、少しゆるい作品。疲れた日にはこれを読もう。元気が出たら竹林に行こう。そこには美女がいるかもしれない。美女と竹林、このタイトルの謎は本書で明らかにされる。すると竹林に美女がいるかも、と思えてくる。

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冒険上手な怠け者

森見登美彦(2013)『聖なる怠け者の冒険』朝日新聞出版

 記者は「あなたを何と呼べばよろしいですか?」と訊ねた。
怪人は胸を張ってこたえた。
「『ぽんぽこ仮面』と呼ばれることを希望する」
(本書 p.16)

2014年本屋大賞ノミネート作で、森見登美彦3年ぶりの長篇小説だ。舞台はやっぱり京都。怠け者が昼寝をしながら解決していく大冒険のお話だ。

ある日、京都の町に人助け専門の怪人が現れた。迷子の子供を助け、老人の荷物を持ってあげる、等身大の心優しさがある四畳半的怪人だ。その名を八兵衛明神の使い、ぽんぽこ仮面という。

ぽんぽこ仮面が突如、後継者として白羽の矢を立てたのが「人間である前に怠け者である」と堂々宣言し、土日は寝て過ごすことに忙しい小和田君だ。継げと迫るぽんぽこ仮面、面倒だと逃げる小和田君。

二人がたまたま入った無間蕎麦。一心不乱に蕎麦をすする客がぽんぽこ仮面を歓待してくれた。と思ったのもつかの間、店主が彼を捕まえにかかる。組み伏せて聞くと店主は命じられたのだという。命じたのは下鴨幽水荘というアパートを本拠地とする秘密結社だった。一人で彼らに敢然と立ち向かうぽんぽこ仮面、正義の味方よろしく組み伏せて聞くには「俺たちも命じられたのだ」。命令を発した閨房調査団、京都の商店街の人々みんながいっせいにぽんぽこ仮面を捕まえにかかる。「俺たちもこんなことしたくない」「命じられたから仕方ない」と口々にいいながら。指揮命令系統は複雑で何重にも絡み合い、重なりあう。本当の命令者は誰なのか。いったい何のために正義の味方ぽんぽこ仮面を狙うのか。窮地を見た小和田君は、内なる怠け者と折り合いをつけながらのっそりと立ち上がる…

本書は宵山の土曜日の一日の出来事を書いている。『有頂天家族』や『宵山万華鏡』と登場人物が重なり合う。神様と人間がともに暮らしている京都で、神様と人間の距離が一番近くなる祇園祭。人間らしい人間に神のような人間、人間のような神、そして人間以前に怠け者である小和田君。カオスな登場人物たちが混濁した世界を織り成していく。それを見た世界一怠け者の探偵である浦本探偵は「潮が充ちた」と評する。言いえて妙である。

筋金入りの怠け者と筋金入りの正義の味方。人から神に近づくと、ふしぎな世界が見えてくるのかもしれない。