鉄道に隠された政治的意図を読みほどく


柿崎一郎(2010)『王国の鉄路 -タイ鉄道の歴史』京都大学学術出版会

彼(サリット)は高規格道路を「開発」の象徴と絶賛したのに対し、鉄道に対しては非常に冷淡な態度を取り、バンコク市内の鉄道を軒並み撤去しようと画策したのですが、なぜかこのスパンブリー線については完成にこだわりを見せたのです。(本書 p.254)

ホープウェル計画は、正確にはバンコク高速道路・鉄道建設計画という名称で、香港のホープウェル社がバンコク市内の国鉄の在来線を高架化し、合わせて高速道路と都市鉄道を建設するという壮大な計画をBOT方式で行いたいとタイ側に打診してきたのが起源でした。この計画では、在来線の鉄道用地を使用して、三線化した在来線と都市鉄道を中層、高速道路を上層とする二重の高架線を建設し、高架下は商店や一般道路に活用する予定でした。(中略)北線と東線沿いに高架橋の橋脚が並び始めたものの建設は大幅に遅れ、更に1997年の経済危機によって、計画は完全に頓挫してしまいました。政府は1998年12月のアジア大会までの完成をデッドラインとしたものの、この時点でも完工率はわずか19%だったことから、1997年9月に免許を取り消しました。残った橋脚は「バンコクのストーンヘンジ」と揶揄されることとなり、今日でも北線沿いにその残骸を晒しています。(本書 pp.317-319)

タイの鉄道の歴史的変遷を周辺の東南アジア諸国と比べつつ追っている本書では、タイだけではなく、東南アジアの鉄道事情を俯瞰することができる。この夏休み、ぼくはバンコクに行ったのだけども、その時に初めて鉄道を大いに利用して抱いた謎が解けた。

バンコクのスワンナブーム空港についてエアポートリンクに乗ると、国鉄東線と合流するあたりで眼下に大きな鉄道工場が広がる。ここにはJR西日本から送られたと思しき12系と見られる客車も留置されているものの、熱帯の旺盛な生命力には勝てないようで、蔦に覆われ、放置されたままとなっている。何も動いている風はなかったので、単なる留置線なのかと思っていたら、これは国鉄マッカサン工場らしい。全く関係ないが、帰りにホテルからエアポートリンクのマッカサン駅に行こうとタクシーに乗って、下手なタイ語で「マッカサン駅まで」と伝えたら国鉄東線のマッカサンまで連れて行かれ、「違う違う、ペッチャブリー駅(地下鉄)に近いマッカサン」と伝えたのに、なぜかラッチャプラロップ駅に連れて行かれたのも、今となってはいい思い出である。地元の人にとってのマッカサンはやっぱり国鉄らしい。

夏にはフアランポーン駅からノーンカイ経由でラオスのタナレン駅まで乗ったのだけど、その際に気になっていたバンコクから北に少し行ったところにある橋脚も、新線計画かと思ったら、上記のとおりホープウェル計画の残骸だと知った。著者は、あとがきで書いている通り、鉄道好きなこともあって、かゆい所に手が届く。いまでは2両のディーゼルカーの運転となっているタナレンまでの国際鉄道も、かつてはノーンカイ行きの客車列車の一部が行っていたなんて、知らなかった。それを写真付きで掲載してあるんだから、著者の鉄道好きのホンモノさを感じる。

また、タイの鉄道史についても丁寧に追ってあり、とくに戦時中の国際鉄道網の発展などは興味深い。現在タイの国際鉄道網は南のマレーシアと北のラオスとしかつながっていない。しかもラオスは東北線の終着駅、ノーンカイから10kmほど伸びただけで、10分ほどでタナレンに着く。しかし戦前、軍用列車を運行する必要があった際には、日本軍の尽力により、ビルマまでの鉄道網も持っており、あと少しでプノンペンまでも伸びるところだった。今よりも国際鉄道網という点については、充実していたのだ。その後、ビルマの軍事独裁、ラオスの社会主義化、カンボジアはポルポトの恐怖政治等、地域の情勢もあって、国際鉄道網は分断されてしまった。そして今頃また、国際鉄道網への機運が高まっている。歴史は繰り返すのだ。

黎明期には北部の平定や発展促進を目指し、政治的意味合いを持って建設された鉄道も、次第に貨物や人の輸送といった経済的側面が考慮されるようになる。そしていま、また国際鉄道網に見られるような政治要素がまた出てきた。中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ビルマと鉄道網はつながるのだろうか。中国の出方がかぎを握る。

また、かつては米や豚を中心としていた貨物輸送も、道路網の整備によって車にとって代わり、今では専用車で量がはける石油やセメントが中心になった。また、行商をする短距離客よりも長距離客中心にシフトしていったという変遷から、時間軸に沿ってタイの人たちの暮らしの移り変わりを垣間見ることができる。場所こそ違うが、北河大次郎の『近代都市パリの誕生 ―― 鉄道・メトロ時代の熱狂』も一緒に読むと、鉄道をめぐる人々のかけひきそのものの面白さに、つい魅了されてしまう。

今後の課題としては、渋滞がひどいバンコクにどのような都市鉄道網が整備されるのか、そして遅延が常態化している上にきわめて安い運賃水準となっている国鉄が赤字体質からどうやって抜け出すのか。その点にかかっている。

本書でのもう一つの驚きは、鉄道の撮影が禁止されているビルマの鉄道の写真があること(許可があれば撮影可らしい)。こうした分野の先行研究はあまりないものの、それをまとめてしかも博士論文にした筆者の苦労が、見事に結実している。