英領事館襲撃計画を立てた日本軍の秘密工作員


香港工作における経費は最初支給されなかった。当時で十万円、今日の金額では何千万円に相当する金額を工面しなくてはならない。そこで青幣、法幣の連中と連絡した結果、上海、香港地区の重慶側の軍需物資を押さえる、という方法をとってみた。

本書 p.156

ノモンハン事件の時、関東軍の情報隊の謀略別班がソ連軍の後方を攪乱するため、もう個人に変装して平原奥深く潜入した。(中略)一人の老人がふと顔を上げた。一瞬老人の顔は不思議そうな表情に曇っていたが、次の瞬間晴々と輝いた表情となり、情報隊員に懐かしそうに日本語で話しかけてきた。
「私もハルビン特務機関員です」

本書 p.251

本書は戦前の日本陸軍特殊工作員養成機関であった中野学校の設立の経緯、教育カリキュラム、そして出身者の活躍を追った貴重な本です。ルバング島で発見された小野田寛郎の出身校としても有名です。

筆者はメディア論を専門とする早稲田大学名誉教授であり、資料を読み込んだ丹念な記述で貫かれています。資料もアジア歴史資料センターや古本屋で手に入れたほか、インテリジェンス資料を集めていた民間人から提供してもらったもの、中野学校関係者からコピー提供を受けた「中野校友会々誌」に加え、2016年11月に101歳で亡くなった卒業生、牧澤義夫氏のインタビューも行っているなど、おそらく現代の日本で可能な限りの資料を盛り込んだ集大成といえます。

陸軍中野学校はシベリア出兵後に現地の軍事機関との連絡調整や植民地の宣撫工作などの必要性が認識され、「軍人らしくない」工作員を養成するために設立されました。結果、東京帝大や早稲田、法政、拓殖といった大学や東京外事(後の東京外大)等の民間の高等教育を受けた者を中心に集められました。カリキュラムでは英語や中国語、ロシア語といった語学のほか、置き引きの仕方や忍術まで色々教わったようですが、教科書は授業後に回収されたため、詳しい内容は不明です。一方、学生たちはノートを取ったり暗記したり、必死で勉強したそうです。

設立7年後に終戦を迎えたため、卒業生は大きく活躍できるほど出世しませんでした。また、戦局の悪化に伴い、工作員養成からゲリラのリーダー養成へと性質が変わっていき、教育期間もだんだん短くなっていきました。

しかし7年しかなかったにも関わらず、満州からモンゴル、ロシアにかけては史上最大規模の工作網を構築し、情報収集や攪乱を行いました。足りない資金は引用で書いたような幣(マフィアグループ)と関係をして稼ぐなど、幅広い活躍をしていたようです。

その脅威を知ってか、終戦直後、創設者の秋草俊を始めとする中野学校関係者はソ連に連行され、厳しい取り調べを受けました。関心を示さなかった英米とは大きな違いです。ソ連は当時の日本のインテリジェンス工作の詳細を調べ、今も調査結果は公開されていません。

一方、日本では中野学校の実績が顧みられた形跡はありません。関連文書も終戦とともに焼かれてしまいました。敗戦により日本から情報が消え、ソ連に情報が渡り、今もロシアが極秘扱いにしているとは、歴史の皮肉を感じます。

表題にあげた英国領事館襲撃事件は、伊藤佐又少佐が教え子を巻き込んで神戸の英国総領事館への襲撃事件を企てたところ、途中で計画が発覚し、憲兵隊に逮捕された事件です。伊藤は総領事を脅迫し、英国の反日活動の証拠を掴み、反英世論を促すことが目的でした。しかし憲兵がエリート軍人を追及するのは至難の業、結局伊藤は予備役に編入され、勲章と退職金をもらいました。しかしこの事件の報は昭和天皇の耳に入り、畑俊六陸軍大臣を叱責し、中野学校の設立当初の自由さは徐々に失われ、「誠」を説く精神教育が増えていくことになりました。