本書は36歳から中国語を始めて40歳で通訳案内士になった長澤信子さんの自伝的語学学習記と、プロのガイドとしての体験談をまとめた書です。
『台所から北京が見える』というタイトルから、てっきり北京に赴任した駐在妻が中国語を始めたのか、それなら現地で学ぶし時間もあるから上達も早いよな、と思ったら大間違いでした。
著者の長澤さんは自らの子どもが親の手を離れる年齢を親の定年として、その後の人生をどう生きるか考えます。読売新聞の投書欄で相談したところ(たぶんいまの「人生案内」のようなもの)、語学学習を勧められます。時代は日中国交正常化前、夫に相談すると中国は大事な国だから中国語がいいのではないかとアドバイスをもらい、中国語を始めます。当時こんな意見を出せた夫は慧眼の持ち主です。
インターネットも普及する前、中国語の聞き取りはラジオや教室の先生に読んでもらったものしかなく、テープレコーダーを家じゅうに4台置いてどこでも聞ける態勢を整えます。努力の甲斐あって見事40歳で通訳案内士の試験に合格します。
また、同時に自分の勉強代ぐらいは自分で稼ごうと准看護師の資格を取ったり、中退した大学を入りなおそうと和光大学に入ったりと、かなりバイタリティーにあふれる生き方をされた方です。
しかし、少し意地の悪い見方をすると、共働きが前提とされている今の時代と比べると、専業主婦で時間と体力を家事と好きなことに使えたのは正直、うらやましいと映ります。また、後半の旅行ガイドの苦心譚も、ほとんどが開放都市となった今の時代では苦労が伝わりづらいかもしれません。だけど莫高窟や陽関の壮大さはいまも見るべきものなのだろうな、と思います。
次、中国に訪れるのは2008年の北京オリンピックと決めていた著者ですが、その前年に亡くなりました。北京オリンピックで何を感じたか、聞いてみたかった気もします。