瀧本哲史(2011)『武器としての決断思考』星海社
私が外資系企業のマッキンゼーに在籍していた時代によく言われたのが、「エキスパートではなくプロフェッショナルにならなくてはダメだ」ということです。(本書 p.30)
何が言いたいのかというと、要は「専門バカになるな」ということです。(本書 p.35)
巷で評判の瀧本哲史の第2作だ。処女作『僕は君たちに武器を配りたい』ではコモディティになるな、スペシャリストになれと説いた彼は、今度は一風変わったあおりをする。すなわち「エキスパートになるな、プロフェッショナルになれ」と。
彼のいうエキスパートとプロフェッショナルは世間一般の定義と少し違う。エキスパートは了見の狭い職人のようなもので、「このやり方以外はダメなんだ」と言い切る者、一方のプロフェッショナルは相手(顧客やカウンターパート)の要望に応じていくつかの選択肢を論理的に示すことができる、すなわち判断の材料を提供できる者のことだ。
では、プロフェッショナルになるためには何が必要か。彼はディベートを挙げる。論理的思考能力と反論にさらされても通用する強靭な論理を作り出す力をつけるためだ。
結局それからはディベートの技術論に入っていく。何だと拍子抜けする向きもあるかもしれないが、彼は結局若者たちに選択する技術を教えている。就職を控えた若者はどの業界に行くか、または進学するかなどさまざまな選択肢を目の前に悩みがちだ。そうした大きな問題はえてしてさまざまな要素が複合的に絡まりあったものなので、小さな問題に崩していって、それらを解決していったらいい。その解決方法を分かりやすく手短に与えるのが本書だ。
ある程度の年と経験を重ねてから読むと、ディベートが大事なのはごもっともなのだけど、それで通用しない相手もいるよね、と冷めた目で見てしまうのも事実。結局ディベートとは同じルールを守っている者の間で成り立つゲームであり、同じルールにを守ってない相手や圧倒的な力関係のある相手(元請と下請など)の間では成り立たない。
就職活動も業界を選ぶ段階では内なる自分とのディベートを通じて自分に合った業界に行けばいいけれど、その後となると圧倒的な力関係(採用する側とされる側)の中では神通力も薄れるのが事実だ。本書で書かれたディベート第一主義を徹底すると2つの結果が期待できる。
- ほかの学生との差別化(脱コモディティ)
- ディベートの論理を理解してない企業からは採用されない
結局、人と人は合うか合わないか。ディベートのルールを共有できる者はそうした者同士で、できない者はまたできない者同士でコミュニティを形成していく。ディベートはあくまでも一つの手段として俯瞰的に捉えるとも重要だ。