佐野眞一(2012)『あんぽん 孫正義伝』小学館
外車が並ぶバラック小屋で「トラジ」を歌い、父親は息子に「お前は天才だ」と言い続ける。こんな環境で育った男は孫正義しかいない。
本書 p.112
豚の糞尿と密造酒の臭いが充満した佐賀県鳥栖市の朝鮮部落に生まれ、石を投げられて差別された在日の少年は、いまや日本の命運を握る存在にまでなった。
本書 p.393
孫正義の血と骨に迫った伝記である。
ソフトバンクの創始者で日本有数の大富豪でもある孫正義は1957年佐賀県鳥栖市の生まれ。鳥栖駅周辺にあった朝鮮部落に生まれている。雨が降ると水がたまり、豚の糞尿とまざる。その奥には密造酒。異臭を放つバラック小屋で生まれた。
教師になりたかったが韓国席だったために諦めて渡米し、以来、通名の安本を捨てて本名の孫を名乗った。帰国後、ソフトバンクを立ち上げて、数々の批判や紆余曲折がありながらも大富豪にのし上がった立志伝中の人物だ。
ここまでが世間に流布しているイメージだ。しかし同時に疑問を感じる。なぜそんな貧しい暮らしをしていた孫が米国の大学に行けたのか。どのように事業を始めたのか。そしてなぜ今も「塀の中」に落ちずに第一線で活躍できているのか。
孫正義の成功の影には父親・三憲の影響がある。密造酒を売ってお金を稼ぎ、朝鮮部落を脱出した。その後、焼肉屋やパチンコ屋、金融業と事業を手がけ、パチンコ屋に至っては九州市のチェーンを作った。だからこそ米国の大学に行き、仕送りを受けて学業に専念できる経済的余裕があったのだ。そんな事業に成功した父、三憲の相談相手が正義だった。
何から何まで違うのだ。どん底の家に生まれ、金持ちの家で育ち、幼い頃から成功した事業化である父の相談を受けた。さらに親戚は「怖い人」もいれば嘘をつき、事業を潰そうとし、流血沙汰の喧嘩を起こすような人たちもいる。切った張ったの世界を間近で見てきた孫正義は、実業家としての英才教育を受けてきたと言える。
いっけん普通の人に見えながらも、平均的な日本人とは全く違う浮沈の激しい環境で生きてきた孫正義。我々が彼に感じるいかがわしさは、うちに秘めた親譲りのエネルギーを嗅ぎとるからではないだろうか。