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商人から幕臣になった26歳

鹿島茂(2013)『渋沢栄一 上 算盤篇』文藝春秋

埼玉の農民の小倅が、代官に面罵されたのがきっかけで討幕運動に加わり、いったんは、高崎城を襲って横浜の居留地を焼き討ちにしようと試みたが、ひょんなきっかけで一橋家に仕える身となり、そこで出世して、兵制改革から財政改革までを手掛け、次の時代の到来に備えようとしていた矢先、突然、主君が徳川十五代将軍として就任したため、自らも幕府の役人となってしまう。(本書 p.131)

渋沢栄一 上 算盤篇 (文春文庫)

江戸末期に生まれて明治から大正、昭和にかけて活躍した経済人、渋沢栄一の自伝だ。鹿島茂による連載をまとめたものなので一回ずつ読み切りにしてある上に、文章も読みやすい。渋沢の足跡を学ぶには最適の本だろう。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙、東急電鉄など、渋沢栄一が設立に関わった会社は500以上にもなると言われている。なぜそれほどできたのか?

渋沢は当時において資本主義の本質を理解していた、稀有な存在だったからだ。だから幕府も明治政府も渋沢を重用した。逆に渋沢がいなかったら今の日本の経済界は全く違っていたはずだ。

もともと、茨城県の豪農の家に生まれた渋沢は、若い頃から才覚があり、藍葉の仕入れや藍玉の販売で成功を収めた。ただ、商売一辺倒ではなく、幼少時より父から読書も授けられていたため、知識人ともいえる経済人だった。

江戸末期、尊王攘夷活動に失敗し、江戸遊学で知り合った一橋家に仕える。歴史の偶然から一橋慶喜が将軍になったため、渋沢もまた幕臣となる。当時、商人から武士への身分変更は全くできないわけではなかった。しかし誰もができたわけではない。渋沢は大出世した。

いよいよ開国も間近、パリ万国博覧会が開かれた。日本も招待されたため、幕府からは慶喜の弟である民部公子が留学も兼ねて行くことになった。民部公子の世話をしていた水戸藩の家来も何人か行くことになったが、旧来より保守的な土地、固陋な連中しかいないことを心配した将軍、慶喜の命で渋沢もパリ行きを命ぜられる。

パリで渋沢が見たのは、官と民が平等に交流している姿だった。当時の日本では渋沢家の当主であっても若い代官に偉そうにされ、商人は武士に頭を下げるのが常であった。官と民との関係はこうではならない。渋沢はパリでその思いを強くした。また、パリ万国博覧会でのサン=シモン主義(「パリ万博の壮観を再体験」を参照)にも感銘を受けた。産業発展は民衆への啓蒙も兼ねている。そうして利益を得るのみならず、産業を通して社会全体を良くしていかねばならないと開眼したのだった。

それがのちの日本での活躍につながる。

本書は渋沢の大活躍をあまり述べてはいない。むしろ大活躍の素地が形作られた背景を明らかにしている。渋沢の思想のバックグラウンドを知って、後編に続く。

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孫正義に感じるいかがわしさの根源

佐野眞一(2012)『あんぽん 孫正義伝』小学館

外車が並ぶバラック小屋で「トラジ」を歌い、父親は息子に「お前は天才だ」と言い続ける。こんな環境で育った男は孫正義しかいない。

本書 p.112

豚の糞尿と密造酒の臭いが充満した佐賀県鳥栖市の朝鮮部落に生まれ、石を投げられて差別された在日の少年は、いまや日本の命運を握る存在にまでなった。

本書 p.393

孫正義の血と骨に迫った伝記である。

ソフトバンクの創始者で日本有数の大富豪でもある孫正義は1957年佐賀県鳥栖市の生まれ。鳥栖駅周辺にあった朝鮮部落に生まれている。雨が降ると水がたまり、豚の糞尿とまざる。その奥には密造酒。異臭を放つバラック小屋で生まれた。

教師になりたかったが韓国席だったために諦めて渡米し、以来、通名の安本を捨てて本名の孫を名乗った。帰国後、ソフトバンクを立ち上げて、数々の批判や紆余曲折がありながらも大富豪にのし上がった立志伝中の人物だ。

ここまでが世間に流布しているイメージだ。しかし同時に疑問を感じる。なぜそんな貧しい暮らしをしていた孫が米国の大学に行けたのか。どのように事業を始めたのか。そしてなぜ今も「塀の中」に落ちずに第一線で活躍できているのか。

孫正義の成功の影には父親・三憲の影響がある。密造酒を売ってお金を稼ぎ、朝鮮部落を脱出した。その後、焼肉屋やパチンコ屋、金融業と事業を手がけ、パチンコ屋に至っては九州市のチェーンを作った。だからこそ米国の大学に行き、仕送りを受けて学業に専念できる経済的余裕があったのだ。そんな事業に成功した父、三憲の相談相手が正義だった。

何から何まで違うのだ。どん底の家に生まれ、金持ちの家で育ち、幼い頃から成功した事業化である父の相談を受けた。さらに親戚は「怖い人」もいれば嘘をつき、事業を潰そうとし、流血沙汰の喧嘩を起こすような人たちもいる。切った張ったの世界を間近で見てきた孫正義は、実業家としての英才教育を受けてきたと言える。

いっけん普通の人に見えながらも、平均的な日本人とは全く違う浮沈の激しい環境で生きてきた孫正義。我々が彼に感じるいかがわしさは、うちに秘めた親譲りのエネルギーを嗅ぎとるからではないだろうか。