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習近平にクーデター計画を教えたバイデン

柴田哲雄(2021)『諜報・謀略の中国現代史 国家安全省の指導者にみる権力闘争』朝日新聞出版

周(著者註:永康)ら「新四人組」のクーデター計画の概要は次のお様なものである。2012年の第18回党大会で、薄熙来を政治局常務委員に昇格させるとともに、周永康の後釜として中央政法委員会トップにも就任させる。薄熙来は中央政法委員会トップの権限を用いて、総書記の習近平の汚職を摘発する。そして14年に開催される中央委員会全体会議において投票により習近平を罷免し、代わって薄熙来を新総書記に選出する、その際の票のとりまとめ役には、中央委員会で過半数を占める胡錦涛派を動かし得る令計画が当たりというものだった。

本書 p.182

国家副主席だった習近平は訪米して副大統領のバイデンと会談した。朝日新聞によれば、その際、バイデンは「これは友人としてのアドバイスだ」と前置きしたうえで、王立軍が米国側にもたらしたくでたー計画の概要を、習近平に伝えたというのである。

本書 p.183

本書は中国の国内外のスパイ活動を取り仕切る公安省(中国語名称は公安部)の歴史と歴代大臣の経歴を掲載し、今後の動向まで見据えて書かれた本です。中国公安省について公開資料に基づいて書かれた本の一つの到達点ともいえるでしょう。

本書では中国共産党黎明期から現在に至るまで、公安活動に従事した幹部の経歴とその活動について詳細に書かれています。黎明期の活動のほうが詳しく書かれてあるのは公開資料が多いためでしょう。

本書では中国共産党や元公安省幹部たちが出した回想録を根拠んにしているほか、日本や海外のマスメディアの記事、そして法輪功や香港のメディアの記事を引用して書かれています。特に法輪功や香港のメディアの記事は玉石混淆であるため、どこまで信用していいかは分かりませんが、引用であげた周永康は生きた法輪功信者の臓器を摘出したなど、非人道的なことが書かれています。

ほかにも天安門事件での軍事制圧に賛成したか否かで政治生命が変わった例(賈春旺)、チベットやウイグルでの弾圧活動が評価されて中央で出世した例(陳全国)など、人の命を出世のワンステップぐらいにしかとらえていない例が多く、中国共産党官僚たちの感覚の恐ろしさを感じます。

耿恵昌(2007~16年公安大臣)などはたたき上げの公安大臣ですが、1951年生であり河北省出身であること、大学卒であること以外のプロフィールは伏せられました。これまでどういうことをしてきたかなぞの人物が大臣になったのです。そんな彼も周永康との不即不離の関係が問題視されたのか、習近平政権では退任を余儀なくされました。

中国の党官僚として出世するには能力はもちろんのこと、誰と仲良くするか(派閥)と仲良くしていた人の風向きが悪くなった時にどう対応するか(すぐに乗り換えるか否か)が大事なのだということがひしひしと伝わります。命までかかってくるのだから、高級官僚は必死になるはずです。

本書の著者はなぜか本書では書かれていませんが、おそらく愛知学院大学の研究者です。次に中国に行ったときは無事に済むのでしょうか。ここまで赤裸々に書いた本を出版したら、身の上を案じてしまいます。

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世界を生き抜くための知識

佐藤優、岡部伸(2021)『賢慮の世界史 国民の知力が国を守る』PHP研究所

岡部 (中略)ルームサービスでボルシチを食べていたら、いつの間にか靴と服を着たまま寝てしまった。翌朝、目覚めてから驚き、パスポートは残っているのに、財布を調べるとドル札だけが抜かれている。ドアにはチェーンロックをかけていたはずで、何が起きたのかと思い、佐藤さんがモスクワに来られた折に相談しました。

本書 p.16

佐藤 (中略)あの人たちも仕事ですから、無駄なことはしない。物取りを装うわかりやすいかたちで警告を与えたのは、おそらく「会ってはいけない人間に会っている」「とってはいけない情報を入手した」「立ち入り禁止の場所に入った」という三つのいずれかに抵触したからでしょう。

本書 p.15

本書は作家で元外交官の佐藤優と産経新聞のモスクワとロンドンの支局長を務めた岡部伸の対談風共著です。対談風と書いたのは決して対談ではなく、直前の論考を受け継ぐ形でもう一方が論考をつなげているからです。

二人の話はまずは世界情勢の生々しさを伝えるところから始まります。上記の岡部のエピソードなどはまさにその典型例で、佐藤優もあまり詳細には書いていませんが、身体がしびれる薬を飲まされた経験があるようです。外交官や新聞記者といった情報戦の真っただ中にいる精鋭には常に身の危険が伴います。

また、岡部がロンドンに駐在していたことから、英国のEU脱退や諜報活動についても話が及びます。岡部は以下のように述べます。

大陸では事前に広範囲に規制をかけるのが原則であり、英米では原則を共有したうえで規制を限りなく少なくする。両者は水と油で、いずれイギリスはEUから抜け出す運命にあると以前から見ていました。

本書 p.101

あとからでは何とでもいえますが、それでも岡部の見方は慧眼です。そして団結を示すはずのEUがコロナ禍で見せたのは、いずれの国も自国ファーストであるという生々しい現実でした。医療崩壊が起きていたイタリアを救ったのは、一帯一路で良好な関係にある中国でした。

中国、ロシアといった帝国主義的な国家が大きな存在感を示す一方、トランプ政権の誕生で混乱をきたしてしまったアメリカの存在感は相対的に小さくなりました。日本は日米同盟がある以上、アメリカとの関係を強化するのが与件です。

将来的にこれからも日本が世界の中で生き抜いていくためには、現在の教育レベルを維持し、底上げしていくしかありません。岡部は自らの息子が通っていた英国のパブリックスクールを礼賛しますが、それが成り立つのは階級社会であるからだと佐藤は指摘します。そしてぱぷりっくスクールをまねた日本の中高一貫校に入るのも、比較的裕福な家の子息たちであることも指摘します。日本は階級社会ではありませんが、徐々に階級の固定化が進んでいるのは、残念でもあります。

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英MI6も一目置く- 金正男の密入国情報を事前に入手した公安調査庁

手嶋 日本の当局は、その男(筆者註:金正男)がシンガポールから日航機で成田に到着することを事前に知らされていたのです。この極秘情報は、警備・公安警察でも、外務省でもなく、公安調査庁が握っていた。

本書 p.30

佐藤 公安調査官は、「イスラム国」支配地域への渡航経験がある人物をマークしているうち、この古書店にA氏が頻繁に出入りしており、ここが何らかの形でコンタクト・ポイントになっていると考えたのでしょう。業界用語では「マル対」、観察対象の人物を根気よく追いかけていた成果だと思います。

本書 p.162

公安調査庁-情報コミュニティーの新たな地殻変動

本書ではこれまであまり顧みられてこなかった「最弱にして最小の情報機関」、公安調査庁に焦点を当てています。

公安調査庁は警察の5%の人員と予算しかあてられていません。その活動が注目されたのが2001年5月の「金正男密入国事件」でした。

職員数予算
公安調査庁1,660人150億円
警察300,000人2,600億円
公安調査庁と警察の規模比較

当時、北朝鮮のリーダーだった金正日総書記の長男、金正男氏がシンガポールから偽造パスポートを使って家族とともに成田空港に到着、日本への密入国を試みました。入国管理の段階で偽造パスポートであることが発覚し拘留され、4日後には田中真紀子 外務大臣(当時)らの判断と本人たちの希望により、中国に強制送還されました。強制送還時は全日空のジャンボ機の2階席を借り上げて金正男ファミリー専用スペースにし、マスコミに撮影されないよう細心の注意が払われました。

この事件は入国管理局の手柄ではありません。公安調査庁が金正男の密入国前にシンガポールを出国したとい情報を入手し、入管側に提供した結果でした。本来なら日本国内で「泳がせ」て出国時に取り調べればよかったものの、入管側の不手際もあり、入国時に拘束されました。

公安調査庁は一体どこから情報を入手したのでしょう? 手嶋龍一は本書で情報は出国地のシンガポールから情報がもたらされたと言っています。シンガポールの情報機関は麻薬や経済犯罪には強いけれど、金正男出国情報を把握することは難しく、また中華系が多いので日本に通報することもないはずです。当時シンガポールに拠点を置いていた情報機関はイスラエルのモサドと英国のMI6、マスコミが第一報を流した時に当時外務省にいた佐藤優にモサドの東京ステーション長から照会があったことから、モサドの可能性は薄い。となると残るは英国MI6です。MI6の目的も本書で推察されています。

このエピソードは公安調査庁が常日頃から良質な情報を入手し、海外の情報機関と交流していた実績を窺わせます。

本書ではそのほかにも自殺志願をしていた北大生が「イスラム国」に行ってテロリストになることを未然に防いだ例などが紹介されています。小規模でも過激派やオウム真理教の監視で培ったノウハウを生かし、大事な活動をしています。

手嶋、佐藤とも公安調査庁が出している『回顧と展望』を読めば、ビジネスパーソンに必要な国内外の情勢がわかると絶賛しています。

本書は公安調査庁をメインに扱った初めての本という触れ込みですが、調べてみたら以下のような書籍がすでに出版されていました。

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英領事館襲撃計画を立てた日本軍の秘密工作員

香港工作における経費は最初支給されなかった。当時で十万円、今日の金額では何千万円に相当する金額を工面しなくてはならない。そこで青幣、法幣の連中と連絡した結果、上海、香港地区の重慶側の軍需物資を押さえる、という方法をとってみた。

本書 p.156

ノモンハン事件の時、関東軍の情報隊の謀略別班がソ連軍の後方を攪乱するため、もう個人に変装して平原奥深く潜入した。(中略)一人の老人がふと顔を上げた。一瞬老人の顔は不思議そうな表情に曇っていたが、次の瞬間晴々と輝いた表情となり、情報隊員に懐かしそうに日本語で話しかけてきた。
「私もハルビン特務機関員です」

本書 p.251

本書は戦前の日本陸軍特殊工作員養成機関であった中野学校の設立の経緯、教育カリキュラム、そして出身者の活躍を追った貴重な本です。ルバング島で発見された小野田寛郎の出身校としても有名です。

筆者はメディア論を専門とする早稲田大学名誉教授であり、資料を読み込んだ丹念な記述で貫かれています。資料もアジア歴史資料センターや古本屋で手に入れたほか、インテリジェンス資料を集めていた民間人から提供してもらったもの、中野学校関係者からコピー提供を受けた「中野校友会々誌」に加え、2016年11月に101歳で亡くなった卒業生、牧澤義夫氏のインタビューも行っているなど、おそらく現代の日本で可能な限りの資料を盛り込んだ集大成といえます。

陸軍中野学校はシベリア出兵後に現地の軍事機関との連絡調整や植民地の宣撫工作などの必要性が認識され、「軍人らしくない」工作員を養成するために設立されました。結果、東京帝大や早稲田、法政、拓殖といった大学や東京外事(後の東京外大)等の民間の高等教育を受けた者を中心に集められました。カリキュラムでは英語や中国語、ロシア語といった語学のほか、置き引きの仕方や忍術まで色々教わったようですが、教科書は授業後に回収されたため、詳しい内容は不明です。一方、学生たちはノートを取ったり暗記したり、必死で勉強したそうです。

設立7年後に終戦を迎えたため、卒業生は大きく活躍できるほど出世しませんでした。また、戦局の悪化に伴い、工作員養成からゲリラのリーダー養成へと性質が変わっていき、教育期間もだんだん短くなっていきました。

しかし7年しかなかったにも関わらず、満州からモンゴル、ロシアにかけては史上最大規模の工作網を構築し、情報収集や攪乱を行いました。足りない資金は引用で書いたような幣(マフィアグループ)と関係をして稼ぐなど、幅広い活躍をしていたようです。

その脅威を知ってか、終戦直後、創設者の秋草俊を始めとする中野学校関係者はソ連に連行され、厳しい取り調べを受けました。関心を示さなかった英米とは大きな違いです。ソ連は当時の日本のインテリジェンス工作の詳細を調べ、今も調査結果は公開されていません。

一方、日本では中野学校の実績が顧みられた形跡はありません。関連文書も終戦とともに焼かれてしまいました。敗戦により日本から情報が消え、ソ連に情報が渡り、今もロシアが極秘扱いにしているとは、歴史の皮肉を感じます。

表題にあげた英国領事館襲撃事件は、伊藤佐又少佐が教え子を巻き込んで神戸の英国総領事館への襲撃事件を企てたところ、途中で計画が発覚し、憲兵隊に逮捕された事件です。伊藤は総領事を脅迫し、英国の反日活動の証拠を掴み、反英世論を促すことが目的でした。しかし憲兵がエリート軍人を追及するのは至難の業、結局伊藤は予備役に編入され、勲章と退職金をもらいました。しかしこの事件の報は昭和天皇の耳に入り、畑俊六陸軍大臣を叱責し、中野学校の設立当初の自由さは徐々に失われ、「誠」を説く精神教育が増えていくことになりました。