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世界の書店

東南アジアの書店事情

タイの書店

タイ

タイの書店はあまり見かけません。ときどき洋書(欧米系言語の本)を扱う本屋がありますが、タイ語の本を扱う本屋はほとんどありません。というのも、 タイで大衆小説や子供向けの本以外の文学作品の出版物は個人や寺が持っているそうです。そのため、手に入れるには一工夫がいると『道は、ひらける―タイ研究の五〇年』に書いてありました。

重要な文献は、書店で買うことができなかった。なぜなら、それはお葬式の際に参会者に配るための出版だったからである。

石井米雄(2003) 『道は、ひらける―タイ研究の五〇年』 めこん、p.116

ミャンマー

DPZでの西村さんのレポートでもあるように、ミャンマーでは古本を補修して読むスタイルが定着しています。そのため本屋さんも割と見つかるので街歩きも楽しいです。何が書いてあるかわからないけど、丸いビルマ文字を眺めるのは楽しいです。

ラオス

ラオスも社会主義国だけあって、書店は割とあります。出版物の中にはラオ語の本のほか、フランス語の党機関紙もあったりします。さすが旧仏領と思います。ただ、本は需要がないからかかなり高いです。驚きます。

マレーシア

ほとんど本屋を見かけません。私はいつも空港で買います。

シンガポール

こちらは日系の紀伊国屋ばかり行くので、地元の書店はあまり知りません。空港には割とあります。

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中国の書店事情

中国の書店

中国の書店といえば国営新華書店です。大規模だし品数も多いです。おそらく最大のものは北京の西単にある大書城でしょう。2010年代前半に行ったときは店内に耳の聞こえない人たちのための募金を集める人たちがいましたが、いまはそういう寄付金詐欺まがいの人たちはいなくなりました。

中国は経済大国になったとはいえ、日本と比べると物価は安いです。しかも印刷物は版を作るのが高く、刷るのは安いので大量印刷するほうが1冊あたりの単価が安上がりになります。物価安な上に大量に印刷する中国では必然的に本はかなり安くなります。

古典や辞書のたぐいはたくさん出ているし安価で買えます。ただほぼ全て簡体字なので、慣れないと違和感があります。そもそも漢文を簡体字で読む必要性も感じられませんし…。

新華書店は国営の書店だけあって、党大会のあとは報告書が平積みされる一方でほんとうの意味で面白い本は出回っていません。ちゃんと在庫管理がされています。

新華書店の他にも独立系の書店もあります。北京だと万聖書園や三聯韜奮が有名です。近年は当局の締付けが厳しく、いつまで生き残れるかわかりません。ただ、これらのお店には新華書店とは違った品揃えの本が置いてあって興味深いです。

独立系書店の一つ、PAGEONE。おしゃれ系本屋

その他、中国では大学等が出版部門を持っているため、北京語言大学には語学書が、中国社会科学院には社会科学関連書が揃った書店が、民族出版社の書店には各民族の言語で書かれた本まであります。また、古本屋といえば中国書店が有名チェーンです。北京市中心部にはあまりないですが、少し郊外に行くとあります。

民族出版社

ただ、本に限ったことではありませんが、中国では国土が広大で移動が大変なこともあり、ネットショッピングがものすごい勢いで広まっています。おそらく国営の新華書店や研究機関、出版社付属書店は大丈夫かと思いますが、それら以外の民間の書店が経営的にいつまで生き残れるのかは不透明です。

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台湾の書店事情

台湾の書店といえば、誠品書店が有名です。esliteというブランドでステーショナリーなども扱っています。旗艦店は台北101近くにある信義店です。その近くの南敦店も雰囲気のあるお店です。

台湾の出版事情は人口2300万人の国家の限界かあまり良くなさそうです。本の値段は日本で同等のものを買う場合の8割ほどです。しかし大卒初任給が日本の半分程度と考えると割高です。原因の一つは翻訳物の多さがあるかもしれません。

日本の小説も多くありますが、網羅的とは言えません。例えば森見登美彦の作品は『夜は短し歩けよ乙女』『夜行』が翻訳されている程度ですし、小川糸も『ツバキ文具店』ぐらいしかありませんでした。そのため、日本でのように谷崎潤一郎三島由紀夫の『文章読本』を読んでから斎藤美奈子の『文章読本さん江』を読む、といったような楽しい読み方ができません。

ただ、中国(大陸)や台湾の小説はやっぱり貴重で、買いに行く価値はあります。簡体字の本は神田で手に入りますが、繁体字の本は日本国内で手に入れるのが難しいからです。辞書も繁体字のものは日本ではほとんど手に入らないので、私は台湾で中日・日中辞書を買い求めました。店内には映画やテレビドラマのDVD、店舗によっては音楽のCD・DVDも置いてあるので、毎回チェックしますし、結構買ってしまいます。

その他、台北駅南側から西門町あたりには数多くの書店が集まっていて台湾随一の書店街の様相を呈していますので、見ているだけでも楽しいです。

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世界の書店

中東の書店事情

イランの書店員

イスラム教、ヘブライ教の国が多い中東では聖典を読む機会が多いからか、本屋さんが多くあります。ほとんどがアラビア語、ペルシャ語、ヘブライ語の出版物なので相当勉強した人でないと読めません。旅行者には不便ですが、これだけの出版文化がまだ維持されているのはさすが四大文明の生まれたところと感じます。

イスラエル

イスラエルではエルサレムの新市街、路面電車の走っているメインストリート沿いに本屋を見かけます。ほとんどヘブライ語っぽかったのであまり調べてはいませんが、本に困れば英語、ドイツ語であれば手に入れることはできそうです。

イラン

イランではまだそこまで西洋化が進んでいないからか、それともコーランをよく読むお国柄だからか、書店は割と見かけます。諸外国ではあまり見かけなくなった絵葉書も多くあります。特にテヘランではテヘラン大学周辺に教科書や参考書を売る書店のほか、古本を売る屋台もあります。ほとんどペルシャ語なのはご愛嬌。

古本の露天 真ん中にはヒトラーの『わが闘争』
本がぎっしりイランの書店

ヨルダン

ヨルダンではアンマンの市街地や市場で本をよく見かけます。本を売っているおじさんたちは英語で話してくれると思います。売っている本は大半がアラビア語です。

ヨルダンの書店
ヨルダンの書店
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物語についての物語についての物語…

森見登美彦(2018)『熱帯』文藝春秋

「あなたは何もご存じない」

彼女は指を立てて静かに言った。

「この本を最後まで読んだ人間はいないんです」

本書 p.37

「世界の中心には謎がある」

本書 p.455

ふしぎな本です。読めば読むほど謎が深まります。読み終えたあとも謎は残ります。

話は作家・森見登美彦氏が学生時代に読んだ本を思い出すことから始まります。それは佐山尚一『熱帯』という本です。古書店で買い、読み進めたものの、ある日忽然と姿を消しました。読了しないまま、今まで来ています。

登美彦氏はある日、縁あって勧められた沈黙読書会という名の読書会に参加します。参加者は各自持ち寄った本の謎について語らいます。その場に一人の女性がいます。彼女が手にしているのは、登美彦氏の部屋から消えたあの本、『熱帯』でした。

『熱帯』は冒頭の引用にある通り、読み終えた人がいません。皆、途中で断念してしまっているのです。読んだことのある人たちがストーリーを再現すべく、結社を作ります。彼女もメンバーになっています。これまで、結社内ではあるところからストーリーが進みませんでした。しかし彼女の一言で物語はぐっと進みます…

本書のベースになっているのは『千夜一夜物語』です。さまざまな物語が語られることで、一つの物語を形作っています。本書も同様に、物語についての物語であり、語られる物語がさらなる物語を語り始め…と入れ子型の構造になっています。まるでA story which was talked by a person who received a story which was talked by a person…と、延々と続く関係代名詞のような物語です。

ふしぎな読後感を伴う小説です。この読後感を味わえただけでも、十分に価値ある読書体験でした。

森見登美彦『熱帯』 忽然と消えた一冊の本をめぐる冒険譚

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ナマコの半分 ウナギの3割は密漁品

鈴木智彦(2018)『サカナとヤクザ 暴力団の巨大資金源「密漁ビジネス」を追う』小学館

ヤクザたちのほうが真面目だった。漁師に漁場を聞きながら最終的にはカタギより水揚げした

本書 p.232

「漁師は最高。ずっとこの仕事をしたい」
 先進国の中、たった一国だけ衰退を続ける日本の漁業関係者からは聞けない台詞だ。

本書 p.301

日本で流通する海産物の密漁の実態を追った本です。筆者は裏社会を中心に雑誌で取材をしてきたジャーナリストです。福島第一原子力発電所に作業員として潜り込み、『ヤクザと原発 福島第一潜入記』を書いた人でもあります。それだけに裏社会への取材方法をわかった上でアプローチしており、読み応えがあります。

最も読み応えがあったのはウナギの話です。本書で出てきた密漁のうち、ウナギだけが正規ルートより裏ルートの方が高い単価で取引されます。ウナギが特別であることが伺えます。 ウナギは完全養殖が確立していないので、稚魚(シラス)を捕まえて育てる必要があります。日本でのシラス漁はほとんど何の規制もない状態で行われています。そのため、密漁が跋扈しています。

シラス流通の透明化にいち早く動き、成果を上げているのが宮崎県です。漁協と県で許可制にし、密漁を減らすことに成功しました。しかし近年でも宮崎県が年間360kgのシラス漁を許可したのに対し、県内の養鰻業者が買ったシラスは3.6トンでした。すべてが密漁ではないにしろ、多くが密漁だと伺えます。そして密漁のシラスの値段は県が設定した値段の倍が相場です。闇相場を表の相場が決める皮肉な結果になっています。

海外から入ってくるシラスは大半が台湾産です。台湾の南部に行くと養鰻池が多く見られます。冒頭の「漁師は最高」と言ったのは台湾のシラス漁師です。かなり良いお金になるらしく、シラス御殿もあるそうです。しかし台湾では政府がシラスの輸出を禁止しています。現在、日本のシラスの大半は香港から入ってきています。香港には台湾産のシラスのほか、絶滅危惧種とされているヨーロッパウナギの稚魚も入ってきています。ウナギ密輸の拠点となっています。本書はその輸出元にも直撃取材をしています。

本書で扱われるのは以下の魚介類です。おそらくこれも氷山の一角でしょう。

  • 三陸のアワビ
  • 築地
  • 北海道のナマコ
  • 銚子
  • 北海道の鮭、マス
  • 九州、台湾、香港のウナギ

銚子では昭和のヤクザと漁業の関わりを、北海道の鮭、マスのメインは90年代前半まで行われていた根室の漁師とソ連の沿岸警備隊の共存関係の話です。当時の根室では密漁船を一度捕まえて取り調べをし、帰国の条件として日本の特に自衛隊の機密を持ってくるよう依頼されていた漁船も多くあったそうです。本書は当時を知る関係者に話が聞けたという点で、とても貴重な記録になっています。また、冒頭の引用にあるカタギより真面目だったヤクザも根室の話です。ひたいに汗をかかず儲けるかを考えるヤクザがカタギより真面目に働いていたのは、いい金になったからでしょう。

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ソ連の雪山で男女9人が不可解な死を遂げた事件の原因は…

ドニー・アイカー(著) 安原和見(訳)(2018)『死に山: 世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相』河出書房新社

澄んだ青灰色の目をひたと私に向けて、彼は言った。「あなたの国には、未解決の謎はひとつもないのですか」。(本書 p.102)

その日、私服姿の数人の男が、葬儀ではなく参列者を注意深く観察していたのを見たと彼は言っている。「まちがいなくKGBだった。あの日の葬儀を監視するために配置冴えていたんだよ」。(本書 p.234)

  • ソ連の冬山で
  • 氷点下30度の中
  • 大学生男女9人のトレッキングチーム全員が死亡
  • 一部は裸足、一部は薄着
  • 争った形跡無し
  • ソ連当局は「未知の附加香料」が原因と結論

これだけ条件が揃えば、いろいろと詮索したくなるのは仕方ありません。西側の人間にとって、ソ連は未だにロマンの詰まった国です。雪崩、殺人、脱獄囚の襲撃、熊、隕石による大爆発。さまざまな推測が出たものの、真相は闇の中…。

著者はアメリカ人ドキュメンタリー映像作家です。2010年ごろ、たまたま別の仕事をしていて耳にした話が、このディアトロフ峠事件でした。それ以来、彼はこの事件が気になって仕方なくなりました。オンラインで読める資料はあらかた読み尽くし、真相を知りたいという欲望が芽生えます。

調べたところ、ディアトロフ財団という組織に行き当たりました。この事件を風化させないための組織です。早速連絡を取り、理事長と話をします。

「この事件の真相を知りたいなら、ロシアにいらっしゃらなくてはならないでしょう」

そのメールを受けて、彼はロシアに行くことになります。ロシア語はほぼできません。簡単な会話集だけを携えて、彼は単身ロシアに向かいます。現地で資料を読み込み、トレッキングチームのリーダーであったディアトロフの妹や、途中でトレッキングから抜けたユーリ・ユーディン(2013年没)など、事件の関係者にインタビューをしてディアトロフたち9人の足取りを明らかにしていきます。本書に掲載されたトレッキングチームの写真を見るにつけ、彼らがどこにでもいそうな明るい大学生であり、まさかこの数日後に全員死亡という悲劇に見舞われるとは思えません。おそらく家族にとっては、「不可抗力」という原因も含めて、とてもつらかったことでしょう。

ロシアで調べた結果、資料からも証言からもディアトロフたちは熟練したトレッキングチームであったこと、装備も十分であったことから、技術的な問題は見受けられませんでした。それなのに、明らかに命の危険があることはわかっていながら、なぜ全員が薄着で、あるものは裸足でテントからマイナス30度の雪山に出て行ったのか。誰かが彼らを銃で脅しながら外に出したという説もあります。しかし、熟練したトレッキングチームが挑む山にそんな犯罪者がいる確率も低く、また、テントの中からナイフで切り裂かれた痕があることも説明が付きません。

最後に著者は一つの仮説を導きます。おそらく、現段階ではもっとも説得力のあると思われる仮説です。確かに説得力があり、まさに「不可抗力」ともいえます。ただ、その仮説を実証してはいません。おそらく実証するには被験者が必要で、おそらくまた被害が出るでしょう。おそらくは最も可能性が高いと思いつつも、現段階では実証できない仮説を提示したままです。本事件はいまも読者に謎を投げかけ続けています。

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アメリカ政府から日本政府にクレームが入ったインテリジェンス報道

朝日新聞取材班(2014)『非情世界 恐るべき情報戦争の裏側』朝日新聞出版

米国は様々な情報機関の職員が複数のパスポートを持ち、観光客などの身分でしばしば訪朝して情報を集めている。いわゆるスパイで、諜報活動は映画の中だけの出来事ではない。日本のインテリジェンス関係者は「我々にはまねのできない芸当だ」と語る。(本書 p.80)

自衛隊関係者によれば、米軍も同時に数百キロ離れた海域から潜水艦の位置を把握、日本に情報を提供した。関係者は「海自の場合、近距離から数多くのソナーを使ったから発見できた。しかし、米軍のように離れた場所から潜水艦を見つける技術は今も日本にはない」と語る。(本書 p.187)

朝日新聞の牧野愛博、冨名腰隆、渡辺丘の記者3名の各国のインテリジェンスについての取材をまとめた書籍です。アメリカ、北朝鮮、中国、台湾、日本がそれぞれシリアや太平洋で行っているインテリジェンス活動を取り上げました。シリアのアサド政権が持っていると思われた生物兵器の査察について、オバマ大統領に取引を持ちかけたプーチン大統領はやはりインテリジェンスオフィサー出身だけあって、アメリカの重要さを理解した上で話を持ちかけています。

本書を読む限り、インテリジェンスの世界ではアメリカが圧勝、北朝鮮では防諜ではかなり強いことが分かります。

数百キロ離れた海域の潜水艦を探し当てるほどのソナーとエンジン音データベースを駆使する海軍、同盟国に対しても秘密にしたままの蒸気カタパルトやF-22のステルス技術を有する空軍、あえて電話をかけて声紋分析をして暗殺者を特定するCIAなど、アメリカのインテリジェンス能力は群を抜いています。日本は特定機密の保持ができないため、アメリカが分析した結果をもらうのみで生の情報はほとんど共有してもらえません。数少ない生情報は偵察衛星の写真です。しかし、こちらもアメリカ側が転送を自動設定をしているものの、設定を変えられたら情報が入ってこなくなります。だからといって特定機密保持法案が成立すれば情報共有をしてもらえるのかといえば、そうではありません。外交の世界はギブアンドテイクです。日本が情報を提供できないとアメリカはおそらく態度を変えません。インテリジェンスの世界はまさに情のない、非情世界なのです。

日本がアメリカに比べて多くの情報をとることができる数少ない国が北朝鮮です。しかし、2013年に処刑された張成沢の失脚の情報入手では韓国の情報機関に紙一重の差で負けてしまいます。北朝鮮は封鎖国家です。主要な施設や基地の間では無線をほとんど使わず、専用の光ファイバー回線で連絡しています。入国や国内移動も厳しく監視されているうえ、地下にも数千といわれる工場や基地などの施設があることから、人工衛星や電波、サイバー空間による情報入手には限界があります。しかし、たとえば金正日総書記死去のニュースは公式発表前に約30人の朝鮮労働党中央委員には連絡されました。そこに人脈があれば事前に情報はつかめました。しかし、日米韓のいずれも情報を入手できませんでした。人脈が大事なのですが、日本の場合、経済制裁以降、往来が途絶えてしまい、人脈は消えました。そのため、外務省ですらミスターXという政府の代表者とやり取りをしますが、空振りで終わってしまっています。

スパイ映画よりもヒリヒリとしたやり取りが行われるインテリジェンスの世界、その一部に光を当てた取材であり、公にしたという点で非常に価値のある本です。

本取材の結果、各国のインテリジェンス機関から記者はマークされることになります。「米国NSCの動きを報道されたことに激怒したホワイトハウスは、国務省を通じて日本外務省に厳重に抗議した。記事にはオバマ大統領とプーチン・ロシア大統領との秘密の会話など、日本政府が知りえない事実も含まれていた。」(本書 p.250)と、アメリカの不興を買ったことに始まり、韓国政府からは尾行され、北朝鮮政府では内部で敵対勢力の代表者として名指しされて入国ができなくなっています。また、記事が出てから何人かの情報源と連絡が取れなくなりました。それだけ本書の内容が真実に迫っているということでしょう。


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特高警察以来の伝統技術でロシアのスパイを尾行する

竹内明(2009)『ドキュメント秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの344日』講談社

完全秘匿による徒歩追尾を命じられたスパイハンターたちは、対象の前方に「先行要員」を配置して、同方向に歩かせる。この先行要員はまったく振り向くことなく、対象の呼吸や足音、摩擦音で進行方向を予測して前方を歩き続けなくてはならない。(本書 p.154)

昨日まで身分を秘して闇に溶け込んでスパイを追いかけていた人間が、腰に拳銃をぶら下げて自転車で管内を駆けずり回るのである。当直勤務になると自転車泥棒の職質検挙で署の成績向上のために奮闘することにもなる。(本書 p.280)

2000年9月7日、東京都港区浜松町のダイニングバーで幹部自衛官、森島祐一(仮名)がロシアの情報機関であるロシア連邦軍参謀本部情報部(GRU)のボガチョンコフに書類袋を手渡した直後、15名ほどの合同捜査本部員が二人の身柄を拘束しました。森島はその場で逮捕、ボガチョンコフは外交特権で逮捕されず、任意同行を拒否して2日後にアエロフロート便で成田からモスクワに緊急帰国しました。

本書では警察庁、警視庁と神奈川県警の連係プレーによるロシアのスパイ捜査を取材に基づいて細かく描いています。森島は息子が白血病になり、地上勤務を希望します。治療費と新興宗教へのお布施代、それに実家の自己破産もあって、生活には余裕がありません。食事は2日に1回、千円食べ放題のランチでおなかを満たす日々でした。業務面では防衛大学校で修士課程に在籍し、ロシアの専門家として訓練を積んでいきます。その際に、どうしてもロシア軍に関する資料がほしい。たまたま安全保障関連のフォーラムで知り合ったロシア大使館の駐在武官に、資料の提供を依頼します。一方、ロシア側からは自衛隊の内部資料を依頼されます。結果、森島は内部資料を渡してしまいますが、ロシア側から提供されたのは日本でも手に入る雑誌でした。

本書では裁判で明らかになったもののほかに、森島は実は多くの機密書類を渡していたこと、ロシア側のスパイとの接触、現金の受け渡し方法のほか、それをオモテ(堂々と)とウラ(ばれないように)の2班に分かれて追う警察側の姿も描き出しています。鮮やかな筆致でサスペンス映画のように実際の事件を生々しく描いており、ぐいぐいと引き込まれていきます。

現場では職人技でスパイを尾行するものの、そこはお役所、人事異動もあれば省庁間の利害の対立もあります。職人技を引き継ぐよりはジェネラリストの育成を目指す人事異動、逮捕しようと思っても、日露首脳会談の前にはしこりを作るのを嫌がって待ったをかける警察庁、外務省。どこからか捜査情報が漏れて記者が嗅ぎ回ったり、逮捕前にスパイに帰国される。様々な困難を乗り越えて、特高警察以来の技術に磨きをかけ、秘匿操作は行われます。

警察庁に待ったをかけた外務省については、以下のような記述もありました。

まもなく、視線の先には秘匿追尾対象の外務省職員が出てくるだろう。外務省の建物から巨体を左右に揺らしながら出てくる男の姿は得体の知れぬ迫力がある。(中略)森島祐一の判決尾翌日、スパイハンターたちは、スミルノフと鈴木宗男、そしてこの巨体の外務省職員が、港区内の高級しゃぶしゃぶ料理店に入っていくのを確認した。(本書 p.282)

外務省職員は追尾されることもあるようで、以下のように書いている人もいます。

佐藤 ときどき、失敗して、尻尾を見せる公安の人たちもいます。寄ってきた公安の人に、「追尾発覚、現場離脱ですね」と私は耳元で囁いたことがあります。(副島隆彦、佐藤優(2017)『世界政治 裏側の真実』日本文芸社 p.170



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ハニートラップから透視、盗聴まで、各国の諜報を垣間見る

植田樹(2015)『諜報の現代史 政治行動としての情報戦争』彩流社

警視庁公安部はこの男はKGBとSVRの諜報部員であり、三〇年以上にわたって日本人になりすましてスパイ活動を続けていたと推定しているが、本名も詳しい素性も分からずじまいだった。(中略)また、名前を騙られた黒羽一郎さんの消息不明の事情や彼とスパイとの接点なども分からなかった。(本書 p.258)

東西冷戦下で核戦争の悪夢に苛まれる米ソの首脳の間で、彼(筆者注:赤いユダヤ人商人ことアーマンド・ハマー)は相手の真意を非公式に伝えることで互いの疑心暗鬼を払うホットラインのような役割を演じていたとも言える。(本書 p.298)

主にロシアの諜報活動に焦点を当てた本です。筆者は1940年生、東京外大ロシア科を出てNHK入局、モスクワ、ニューデリー、ワルシャワ、テヘラン特派員として勤務しました。モスクワでは「ソ連の遠隔透視の研究情報を入手しようとした」(本書 p.274)として追放された「ロスアンゼルス・タイムズ」特派員と同じアパートに住んでいました。そのため、ロシアの諜報活動の話が多いです。

ロシアのスパイといえばアメリカで逮捕されたあと「美人すぎるスパイ」として有名になり、ロシアに送還されたアンナ・チャップマンが有名です。彼女は美人すぎるというほどではありませんでした。スパイにとっては目立ちすぎると活動に支障をきたすからです。

ロシアがソ連時代からアメリカを始めとする西側諸国で軍事、科学技術情報を盗んでばかりいるという印象を持っていましたが、それに負けないぐらい西側諸国もソ連時代から東側で活動していました。中にはド・ゴール大統領の友人でも会った在ロシアフランス大使館のデジャン大使がハニートラップに引っかかり、大統領に親ロシア的な政策を助言するなど、現実世界にも大きな影響を及ぼしました。結局、このハニートラップ作戦に関わったKGB幹部、ユーリー・コロトコフがイギリスの情報機関に寝返って本件を暴露するまで、フランス側は気づきませんでした。

そのほか、ウィリー・ブラント西ベルリン市長にも、KGBは手を伸ばしました。第二次大戦中に自分をかくまってくれた老医師が東ベルリンから電話をかけ、「自分の息子を助けてほしい」と頼んできました。ブラントは息子と名乗る男と妻を助け、自らが所属するドイツ社会民主党の党員として仕事を斡旋しました。彼らは有能な活動家として頭角を現し、ブラントが西ドイツの首相に就任するとすべての機密書類を見る権限を持ちました。そうした書類はマイクロフィルムに写され、タバコに入れて西ベルリン市内のタバコ屋の親父(KGBの連絡部員)からロシアに渡っていました。この事件では西ドイツのみならず、同盟国の欧米各国の対ソ連政策が筒抜けになりました。東ドイツの別の諜報部員が捕まって、芋づる式に検挙されたものの、最高機密まですべて筒抜けだったのは西側の失態でした。

現代においてはこれほどわかりやすい諜報は少なく、インターネットや電波傍受などを中心とする情報戦になってきています。しかし筆者は「どこの国や組織でも、極めて重要な機密はコンピューターや電話、無線、Eメールなどでは記録あるいは伝達しない。当事者が口頭か、メモだけで直接、伝達する守秘の伝統は残っている」(本書 p.381)と改めて警告します。