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レビュー

クリスチャンから仏僧へのメッセージ

佐藤優(2014)『サバイバル宗教論』文藝春秋

我々は仏教に勝つことができない、近未来においても勝てないでしょう。(本書 p.122)

自由と、平等あるいは民主というのは逆のベクトルを向いているんです。(本書 p.270)

本書は佐藤優が相国寺で行った4回の講演会を基にしている。基本的に講演を引き受けない佐藤にしては珍しい。しかも講演をお願いしたのが仏教の相国寺というのだから興味深い。講演会であえて敷地が隣接する同志社出身のバリバリのクリスチャンである佐藤を呼ぼうという発想がでるのもすごいし、それを通してしまう寺の人たちの懐の深さに驚く。仏教の強さをここに見る。

佐藤はまず聴衆である禅僧にも分かるようにキリスト教の考え方を解きほぐす。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった一神教の考え方を伝えて、宗教の強みは慣習化するところにあると伝える。宗教儀式と意識しないところに宗教が入り込んでいる。そこまでの伝統を持った宗教は強い。だから葬式仏教と揶揄されながらも葬式に選ばれる仏教はやはり強い、と述べる。

佐藤は最後に(おそらく一番重要なこととして)「中間団体」としての宗教の強さを強調する。宗教の本当の強みは、人々の救済のよりどころになる点だ。人類史において定住とともに宗教は発生した。身の回りで死が存在するようになったからだ。だから人々が定住する限り、宗教は必要なのだ。

そこから国家が誕生するには、産業化という発展段階が必要になる。すなわち、定住する人の集団では宗教は必要だけども国家は必要とはいえない。

国家に運命を翻弄された佐藤は、国家が本気を出したら個人の人権なんてのは吹き飛んでしまうのを皮膚感覚で知っている。だからこそ、宗教団体が必要だという。国家が全力で個人の人権を侵害しようとしたとき、全力で国家に抵抗し人々を救済する「中間団体」としての宗教がこれからの帝国主義的な世界においては大事になってくる、と。

国家と個人、迫害と救済を考える人たちにとっては、宗教の枠を超えて参考になる。