柴田武(1969)『言語地理学の方法』筑摩書房
わたしは、民衆語原こそ、なにかを生み出す”生きた”語原で会って、それに対する”科学的”な”学者語原”は、民衆にとって何も生み出すことのない、”死んだ”語原だと考えている。
本書 p.48
方言はいうに及ばず、民族語も地域によって分裂し独立した言語にほかならない。こうして言語に地域差が生ずれば、その地域差は秩序ある分布を示すはずであり、それによって、言語史を構成することが可能になる。その言語史構成が言語地理学の仕事である。
本書 p.195
本書は言語学、日本語学の泰斗である柴田武が若かりし頃、糸魚川に方言調査に行ったときの経験をもとに、言語地理学について思うところをまとめた本です。もちろん、海外の言語地図の動静を意識しながら書かれています。
本書で驚かされるのはその方言の多様性です。「おたまじゃくし」や『肩車」「しもやけ」「霜柱」といった語が糸魚川という地域の中でもかなりの多様性を持って分布しています。調査が行われたのは1958年なので、テレビがまだ普及していない時期(ラジオはおそらく普及済み)の貴重な資料とも言えます。
本書の白眉は「モンペ」の記述です。モンペには様々な方言があてられており、どうも通常の言語変化では考えられないような分布をしていました。よく調べたら、「ふつうのモンペ」とももひきとモンペの間のような「合いの子モンペ」の二種類があり、それぞれの導入とともに別々の呼び方をされたり、タイミングによっては同じ呼び方があっり、呼び方のうち一方だけ残ったりした結果、複雑な分布をしているのでした。
その他、「しもやけ」には古典に出てくる例をひいて京都では「ゆきやけ」あるいは「ゆきくち」と呼ばれていたことを示し、文献と方言調査の結果を照らし合わせていきます。
本書は日本語で読める言語地理学のうちトップクラスの専門書です。言語調査の大変さと分析の大変さがひしひしと伝わります。
そうした経験に裏打ちされた本だからこそ、「音韻法則に例外なし」とした青年文法学派とは違い、例外にこそ言語変化の芽(サピアのいうドリフト)があるという著者の言葉には納得させられました。