趙明哲 著/ 李愛俐娥 編訳(2012)『さらば愛しのピョンヤン 北朝鮮エリート亡命者の回想』平凡社
南山学校の生徒が軍を訪問すると、現地の司令官や将軍、軍人たちが出迎えてくれます。空軍司令部に行ったときは、有名な空軍司令官でのちに人民軍総参謀長になり、国防委員会副委員長にもなった呉克烈が出てきて、百名ほどの生徒一人ひとり握手してくれました。食事にも招待され、私の正面に金英日、その隣に呉克烈が座って、さあ食べようとしたときです。担任の先生が飛んできて、別に用意していたスプーンと箸を英日に差し出しました。彼らの健康や衛生にそれほど神経を使っていたのです。(本書 pp.33-34)
いつだったか、最高人民会議代議員の資格で地方を訪れたとき、住民たちから「せめてパンツだけでも配給してください」と懇願されたと言って、父は私たち家族の前で泣き崩れました。(本書 p.199)
著者は北朝鮮のエリート階層に属していた。父は政務院建設部部長(大臣級)、母は人民経済大学教授で自身も北朝鮮最高峰の大学である金日成総合大学の教授をしていた。そんな彼が中国留学を機に韓国に亡命し、日本や米国を見たあとに、日本にいる研究者に半生を語った。その語り書きが本書のベースになっている。
まず出身の南山学校という幹部の子弟専門の学校の特殊な環境に驚く。幹部以外の人たちとは一切隔離され、最高の設備、教員で揃えられた学校だ。上記引用で出てきた同級生の金英日は金正恩の異母兄弟で、金日成の孫、金正日の息子にあたる。彼らが外車に乗って護衛付きで通学していたなど、いかにも独裁者の子弟というエピソードが出てくる一方、プレッシャーもあって彼らはよく勉強し、いい成績を取っていたらしい。
ここまでは他の国でもあるかもしれない。北朝鮮のすごいところはもう一つある。大半の同級生とは卒業できないことだ。著者の同級生60名中、一緒に卒業できたのは十数名しかいない。他の子たちは親の粛清に伴い、良くて地方か収容所、悪くて悲しい結末になったのだろう。こんな、我々には過酷で無慈悲に見える環境も外部から隔絶された北朝鮮の人たちにとっては普通なのだ。「相手を知る」ことの難しさを知る。
その他にも就職や海外留学の際は四~十親等の職場や思想、過去など入念な調査がされたり、情勢によっては金英日など「傍流」になった人と関係者を責める集会が開かれる。日常的にも思想点検や生活学習が行われるし、職場の人同士で悪い点をあげつらったりもする。生きづらい社会だと思わせられる。一方で冒頭の通り大臣でも庶民の直訴に泣き崩れたり、家族のために沿岸部の宴席で出たカニを持って帰ったり(全部ダメになってしまった)、情の深さを感じるエピソードもある。
北朝鮮という閉鎖国家。厚いベールの下にも多様な人々の暮らしが息づいている。