老人がスローガンを書いた黒板の横で腰掛けている写真もある。黒板には白いチョークで次のような文句が書かれている。
美医保 没社保 心中要有钓鱼岛
(医療保険も社会保険もない でも心には釣魚島)就算政府不养老 也要收复钓鱼岛
(たとえ政府が老人を養わなくても 釣魚島を取り戻す)没物权 没人权 钓鱼岛上争主权
(財産権も人権もない だが釣魚島では主権を争う)买不起房 修不起愤 寸土不让日本人
本書 p.200
(家も買えず 墓も直せない でも寸土も日本人に譲らない)
「祖国万歳! 共和国万歳! 日本帝国主義打倒! ドイツファシズム打倒! でも家電はやっぱり日本製とドイツ製が良い(後略)」
本書 p.255
中国のネット社会の現状(2016年段階)について書かれた本です。中国では官製ネット規制(金盾、グレートファイアウォール)の実情に迫るのかと思ったらそうではなく、中国のSNSやブログで起きている流れを紹介しています。著者は1966年生の共同通信社記者、97年から対外経済貿易大学に語学留学し、その後共同通信社の中国語版ニュースサイト「共同網」を企画、運営していました。
私は中国の通信規制に興味があったので本書を手に取りましたが、そうではなく、中国の言論規制とそれをかいくぐるネット民の話でした。中国ではネット回線の管理をしている工業情報化省のほか、三つの通信会社、各自治体が通信制限をしており、地域や時期で状況が変わります。また、中国中央電視台はYouTubeに公式チャンネルを持っていたり、軍部はアメリカの通信サーバにアタックを仕掛けるなど、規制を「公式に」かいくぐる党機関(どちらも国家というより党の組織)もあるなど、複雑です。そのあたりはベールに包まれており、おそらくは多くの人員が投入されていると思いますが、実情は闇の中です。
本書ではまず中国のネットの趨勢がブログ、マイクロブログを経てSNS、チャットアプリに移行したこと、現在もっとも大きな影響力のある言論空間はSNSに移ったことが紹介されます。ネット民はときには党や政府の対応を批判、暴露します。たとえば2013年5月13日、中国のある学者が共産党から通知された「危険な西洋の価値観」をミニブログで書きました(七不講(中国語))。
- 普遍的な価値
- 報道の自由
- 公民の社会
- 公民の権利
- 中国共産党の歴史上の誤り
- 資産階級
- 司法の独立
こうした敏感な言動を言ったり発言する人たちに対抗するため、党や政府も手を打ちます。
- 当該アカウントの削除、敏感な単語の検索を禁止する
- 影響力があり敏感な発言をするブロガーを「買春」などの容疑で逮捕、中国中央電視台のニュースで謝罪の様子を報道する
- 五毛党(御用ネット工作員)や自干五(自ら進んで五毛党になる者)の養成する
しかし、ネット民たちも負けてはいません。たとえば、引用であげたような、政府の対応を賛美するように見えて、実は現状を批判するなど、「高級黒」(高度なブラックジョーク)と呼ばれる遠回しな批判を行います。また、党や政府が抗日戦争を称えると「あなたの党とは無関係だ」(主に活躍したのは国民党である)という批判はしているようです。
そうした潮流で日本はどう中国の人々と向き合うか、が本書後半のテーマです。私達も中国の現状を知りませんし、また中国の多くの人たちも日本を知りません。まずはそうした相互理解を深めることが大事であると、本書のインタビューに応じたブロガーや研究者は異口同音に述べます。
個人的には現在の中国でネット民が社会体制を変える力を持つのは難しいように思っています。中国よりいくらか通信の自由が約束されている香港でもネットを用いた社会変革は成功しているとまでは言えません。また、中国は現在も年間6%程度の経済成長をしており、現状でも今後数年は豊かな未来が約束されているからです。しかし、長い目で見ると変革が起きるかもしれません。中国で何が起きているか、私達には何ができるか。そのために相互理解が必要です。