輪島裕介(2010)『創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史』光文社
小柳ルミ子や春日八郎においては、五木が「公認されざる”差別された”現実」の権利回復として提示した「演歌」は、「公認された」国民的な文化財として扱われているように見えます。(本書 p.300)
繰り返しますが、それゆえに「演歌」は「日本的・伝統的」な音楽ではない、と主張することは私の本意ではありません。本書で強調してきたのは、「演歌」とは、「過去のレコード歌謡」を一定の仕方で選択的に包摂するための言説装置、つまり「日本的・伝統的な大衆音楽」というものを作り出すための「語り方」であり「仕掛け」であった、ということです。(本書 p318)
あくまでも強調したいのは、現在の「歌謡曲」なるものが、それが「現役」であった時とは全く異なる文化的な位置に置かれ、全く別のステータスを獲得しつつある、ということです。(本書 pp.339-340)
演歌とは日本の心を歌っているジャンルで、古くからある歌を指す。
そう思っていた時期が私にもありました(本書を読むまで)。
本書は演歌の概念がどのように作られていったかを明らかにすべく、多くの資料を縦横無尽に使って戦後の音楽シーンを丁寧に明らかにしていきます。
たとえば、美空ひばりなんて今では歌の神様のごとく扱われていますが、デビュー当時はあんな幼い子なのに大人の歌を歌うなんてやりすぎだ、と白眼視されていました。世間とは勝手なものです。
演歌も同じです。今では日本の心を歌い上げる伝統的な歌、といった位置づけがされていますが、その歴史はたかだか戦後数十年のことに過ぎません。現に春日八郎や北島三郎はデビュー当時、自らが「演歌歌手」だとは思ってもいませんでした。流行かを歌う歌手として活躍していました。
ではなぜ演歌が誕生したのか。もともとは演説の歌の略として使われ、社会批判の言説を生み出していたものが、演歌でした。しかし戦後、レコード産業やラジオ、テレビ、それにオリコンチャートといった様々なメディアが流行を作っていく過程で、次第に演歌の枠組みも作り上げられていきました。当初は男女のあれこれや生きる辛さ、暮らしの大変さ、アウトローの生き方などを歌っていた演歌は俗悪な文化だと知識人から批判されました。しかし安保闘争の前後で空気は一変します。
知的・文化的エリートが「遅れた」大衆の啓蒙を通じて文化的な「上昇」、つまり目標への接近を目指す、という行き方は根本的に転覆され、その逆に、既成左翼エリートが「克服」することを目指した「草の根的」「土着的」「情念的」な方向へ深く沈潜し、いわば「下降」することによって、真正な民衆の文化を獲得しよう、という行き方が、六〇年代安保以降の大衆文化に関する知的な語りの枠組みとなっていくのです。(本書pp.202-203)
ここで真正な民衆の文化を歌い上げているものこそ、演歌だと位置づけられました。本書は演歌をめぐる位置づけの過程を様々な資料を読み込んだ上で縦横無尽に使い、鮮やかに描出していきます。
現代の「歌謡曲」というジャンルもJ-POPとは違うものの位置づけがなされているため、似たような過程を経てまたある特定の位置づけをなされる可能性を指摘しています。その中で社会学者の鈴木謙介の言葉を引用し、加藤ミリヤや西野カナといった「ハッピーさから遠ざかるベクトル」を持つ楽曲を「ギャル演歌」と形容している、と紹介しています。なるほど、演歌は現代でも不滅です。