青木晴夫(1998)『滅びゆくことばを追って -インディアン文化への挽歌』岩波書店
一度、リズおばさんの義弟に、キイチゴを取りに行こうと誘われたことがある。彼のジープに乗ったところが、そのあとが勇ましかった。(中略)七十いくつのおじいさんとは思えない猪突ぶりである。わたしは身体髪膚これを父母に受けたけれども、きょうのイチゴ取りが終わって帰り着くまでは、相当毀傷したようだ。(本書 p.131)
涼しい高原のティーピーで一週間を楽しく過ごした経験のあるわたしには、この暑い谷間に移住をしいられ、異文化のかたまりのような文化住宅で窒息しているおばあさんの姿がこの上なくみじめに見えた。(本書 p.199)
名著である。千野栄一が『ことばの樹海』(レビューはこちら)で絶賛していた消滅の危機に瀕する言語を記録する言語学者のエッセイだ。
文章からにじみ出てくるおもしろみは、著者の個性が出ている。冒頭に引用した箇所なんて孝経の「身体髪膚これを父母に受くあえて毀傷せざるは孝の始めなり」のパロディがさらりと出ている。
カリフォルニア大学の言語学教室で研究をしていたある日、主任教授から「ネズパース語を調査する気はないか」と持ちかけられたことから著者の話は始まる。車を借りて2泊3日、現地調査の始まりだ。まずはモーテルを決め、紹介してもらった人やたまたま知り合った人のおばさんなどをあたってインフォーマント(調査協力者)を決めていく。午前にインタビューを行い、午後はノートの整理。そうして少しずつ言語を記述していく。記述言語学の王道ともいえるべきやり方だ。カードゲーム用の机の上にはノートなど軽いものしか載せられないから、レコーダーは床に置いた、などと書いてあって隔世の感がある。著者の時代は電源式(コンセントにつなぐ!)テープレコーダーを使っていた。
著者のメインの仕事は言語の記述だが、本書の面白みはそれに附随する調査協力者との交流だ。一緒にタルマクスという一週間、遠い山に行って行うお祭り(だけど当時はもう宗教キャンプに成り果てていた)に参加してネズパースの人たちの暮らし方を体験したり、リズおばさんとキャマス(野草の根っこ)を取りに行ったり昔話を教えてもらったり。言語の調査はその言語を使う人々の暮らし全体を理解してこそなしえることがよく分かる。
インディアンの人たちは面で暮らしているから道なき道を進むけど、白人たちは線で暮らしているから道路から少しそれた集落のことは全然知らない。だから同じ土地に住んでいても、インディアンと白人の交流は意外と少ない。その間を著者が取り持つようになったのは、先住民と学界をつなぐ記述言語学者としての役割をも持つ著者だからこそなしえたのだろう。少し足りないぐらいで終わっている分量も、余韻があってまたいい。