小塚昌彦(2013)『ぼくのつくった書体の話』グラフィック社
最終面接で将来の希望を聞かれた際に、私が迷わず「新聞記者になりたい」と言ったところ、面接官であった工務局長が「君にとって工務局は腰かけのつもりか?」。それに対して躊躇もなく「ハイ」と答えたものです。(本書 p.15)
世界の中で少し立ち後れていた国々と、タイプフェイスをつくりづらい構造の文字を持つ国々がほぼ一致していたことは、示唆深い現象だといえるかもしれません。(本書 p.144)
Illustratorでテキストを書くときデフォルトで選択される日本語フォント、小塚ゴシック。その開発者の自伝だ。淡々と自分の生い立ちから仕事のことを語っていく中で、徐々にその中で気づいたことが思想となってフォントへと反映されていく過程が描かれる。
単なるはやりのグラフィックデザイナーかと思ったらそうではない。毎日新聞に活版印刷時代から在籍し、金属で活字を作っていた職人だ。金属の活字から写植、タイポグラフィと変遷の激しい印刷技術の第一線で活躍していた人なのだ。しかも入社のきっかけが父が亡くなって大黒柱として働かなくてはいけなかったからだ。進学校の中でただ一人就職した負い目を感じながらの上京だった。
毎日新聞の工務局に配属され、活字を作る仕事をし始めてから、面白さに気づいて没頭する。戦時中の資材に制限のあった頃のまま引き継がれていた小さい活字を読みやすい大きなものに変えたり、従前の毛筆時代の活字から硬筆(鉛筆、ボールペン)の時代に合うような活字を作る。Illustratorなどに入っている小塚ゴシック、小塚明朝は横書き時代に合ったフォントだ。ただ受け継いだ伝統を守っていくのではなく、時代にそぐう字を開発し、提供する柔軟な姿勢には頭がさがる。職人気質の世界で育ったのに、どうしてそんな柔軟性が備わったのだろう。
本書を読んでいると活字づくりの様々な試みをしていて、毎日新聞も余裕があったのだと感じられる。朝毎読と呼ばれるだけあったのだ。Adobeに移ってからは四半期ごとの決算なのでフォントづくりのような長期のプロジェクトは危ない橋をわたっていると感じることもあったという。活字やフォントを作るには時間とお金がかかるのだ。
実はこれまで小塚ゴシックとは違うフォントを選んでいた。新ゴが好きだったから。だけどその新ゴも小塚さんが作ったと聞いて、結局ぼくは巨人の手のひらの上で踊っていただけであることを悟った。フォントの海は果てしなく広い。