藤原辰史(2012)『ナチスのキッチン-「食べること」の環境史』水声社
しばしば食文化研究者は、レシピを実際の食生活を反映する史料として用いるが、これは危険な作業といわざるをえない。むしろ、人びとの未来の食生活の理想を表わしている、といえるからである。(本書 p.262)
健康的な兵士と、それを生む母を量産するためには、食を通じて国民の健康を管理しなくてはならない。(本書 p.292)
しかも、身体によい食事をとるのは、自分の長寿のためではなく、皮肉なことに、兵士として戦場に短い命をささげるためである。(本書 p.304)
第1回河合隼雄学芸賞を受賞した本書は第一次大戦後から第二次大戦にいたるドイツの台所の歴史を扱った労作だ。
カバーにはヒトラーの写真を前に横一列に並ぶ軍人と「ベルリンは今日、アイントプフの日(Berlin isst heute sein Eintopfgericht)」と書かれた横断幕の前でスープをすする人々が写っている。
この写真はいったい何なのか?
これはナチスが奨励した、みんなでアイントプフ(ごった煮)を食べる会の風景だ。
ナチスは「正しい食事」を設定し、ドイツ国民の食事を型にはめた。引用したとおり、健康的な兵士をつくり、それを生む母を量産するために、食べることを統制した。
19世紀までは各家庭が暖房兼調理場のかまどで料理を作っていたが、まずは調理の効率化のため、暖房と調理を切り離した。キッチンの誕生だ。さらにキッチンの効率化を図った。できるだけ小さく、できるだけ効率よく使えるようにコンパクトなサイズで収納も多く取った。だが、これは決して家庭労働を楽にしなかった。できることが増えるとすることも増えるのだ。おりしもドイツでは使用人が解放され、一般家庭の主婦にかかる労働負荷が増えた。
そこでレシピが誕生した。レシピを通しておいしくて効率のいい料理方法を教え始めた。当時広がったラジオも活用し、全土にレシピを広めた。
そこで冒頭の写真のような場面が出てくる。政府の推奨する料理(アイントプフというごった煮)をみんなで食べる。安価で栄養価の高い料理をみんなで食べて、浮いたお金は募金に回し、社会福祉へと役立てる。
これは階級をなくし、全国民を「民族共同体」としてつなぎとめる効果があった。まさにナチスの政策の極地だ。
恐ろしい話のように聞こえるが、決して他人事ではない。ナチスが広めた「健康的な料理」の系譜は、回りまわって現代を生きる我々にも引き継がれている。糖質ダイエット、低カロリーの食事など、現代を生きる我々もまだ、栄養成分やカロリーといった栄養学の呪縛から解放されていない。
ただ、筆者は台所をめぐる暗い歴史に二つの希望を見出す。すなわち、現代では「意識的に」無視されている残飯と、食堂だ。残飯を「食べる場」へつなげることで循環型社会を作り出すこと、それと大勢で食事を取る場を設けて「作る側」と「食べる側」の垣根を取っ払い、新たな人と人との係わり合いを生成する可能性を開くこと。この二つに、明るい未来が宿るのではないか、と提言する。その可能性に期待したい。