大きな国々の隙間を生きる小さな国の人々


佐藤優(2015)『プラハの憂鬱』新潮社

その夜は将校宿舎の自室に戻ってからも、なかなか寝付くことができなかった。いま、ベーコンズフィールドの陸軍語学学校でロシア語を勉強している自分が、なにか大きな過ちを犯しているような気がしてきた。(本書 p.161)

しかし外務省での将来について、今から考えても意味がない。とりあえず、与えられた環境を活用して、英語とロシア語を修得することに全力を尽くす。(本書 p.247)

プラハの憂鬱

佐藤優の自伝のうち、英国での後半を描いたもので、『紳士協定―私のイギリス物語』の続き、『自壊する帝国』の前にあたります。

英国でのホームステイを終えて陸軍語学学校でロシア語の語学研修を受けながら、自らの専門であるチェコ神学研究への足がかりを築いていくお話です。

当時はまだまだ冷戦のさなか。だから現代の私達の皮膚感覚では分からないことも多く書かれています。たとえば、モスクワで勤務する外交官は社会主義体制にとって有害な人物ではないからチェコにも入りやすいとか、モスクワに送る荷物には禁書があってもばれないだろうといった話が出てきます。社会主義陣営と民主主義陣営の対立の隙間をぬって、佐藤氏は研究を進めていきます。

佐藤氏の先生となるのはチェコ人の古書店主です。ロンドンに留学に来たら革命が起きて帰れなくなった店主は、そのままBBCの仕事をし始め、ケンブリッジ大学でチェコ語を教える女性と夫婦になります。英国の体制側に関わった彼らは、もうチェコの土地を踏めないばかりか、迷惑がかかるからと親戚との連絡すら取りません。

そんな中できることは、チェコの思想を西側に伝えることです。チェコでは外貨獲得のためと宗教の自由をアピールするために、ある程度の宗教書が出版されていました。それをチェコ人の古書店主を介して大英博物館や米国の議会図書館に入れ、その代わりに西側の科学技術書や辞書をチェコに提供していました。

ふらりと現れた佐藤氏に、店主はチェコの思想、チェコ人の考え方、今後の見通しについてレクチャーをします。小さな国で生きているから、国家としての生き残りを考えるために長いものに巻かれることもある。そんな小さな国のことを知るためには、不愉快だけども大きな国から見た歴史を知らなければならない。一つ一つの教えを佐藤氏は虚心坦懐に聞いていきます。後の彼の著作を読むと、この頃に得た知識が大きな影響を与えていることが読み取れます。

「(前略)どの国でも知識人は自分の居場所を見つけることが難しい。特にチェコスロバキアのような小国の知識人は、この世界で生きていくことに二重の困難があります」
「二重の困難?」
「そうです。知識人であることからもたらされる困難と小国の国民であることから生じる困難です」。(本書 pp.95-96)

困難があるからこそ、チェコには傑出した知性が生まれたのでしょう。

将来について悩む佐藤氏の姿には、今も当時も若者の生きづらさは変わらないのだと実感できます。それを克服していく過程で、宗教や思想、そして何より人との出会いが重要であるということが、本書を通じで理解できます。



真っ赤な嘘でも真実だ


米原万里(2010)[2004]『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川学芸出版

「牛乳の生産でアメリカに追いつき、追い越そうな!」

走り方が雌牛みたいだと言われたアーニャにこういう声のかけ方をする友情というかセンスはいいな、と思った。

こちらはノンフィクション。一般市民が普通に文通を続けることもままならなかった時代の、遠い国同士の友情の物語。

三十数年ぶりに旧友に会いに行く話が面白くないわけないのだけれど、それがまた国家や世界史に運命を翻弄された方々の話だけに余計に面白い。まさに事実は小説よりも奇なり。

個人的には一本筋を通して自分を崩さないリッツァや、一歩引いたクールな立場のヤスミンカには好感を持てたが、肝心のアーニャには、自分の都合のいいようないいわけで現状を受け入れている感じがあって、いまいち感情移入できなかった。巻末で斉藤美奈子が指摘しているとおり、これがあの国のあの時代の生き方だったのかもしれない。

面白さや感動とともに、いろいろと考えさせられる本だった。

ただ、佐藤優が『国家の罠』で書いているとおり、信念を曲げない生き方が一番幸せだというのは、一理も二理もあると改めて思った。


時間を短く感じるには持ってこいだね


米原万里(2009)[2005]『オリガ・モリソヴナの反語法』集英社

おもしろい!

スターリン時代を挟んだソ連を中心とする共産主義陣営の中で翻弄されたダンサーの物語。著者の体験を糸口として始まるフィクションであるため、よく作りこまれている。共産主義の暗さを感じさせない登場人物の明るさ、感動とすがすがしさ。一気呵成に読み下した。

巻末にある著者と池澤夏樹の対談で、共産主義陣営にあったチェコの学校の方が、資本主義陣営にあった日本の学校より自由があった、という指摘は大変興味深かった。


適切さと美しさの間の悩み


米原万里(2010)[1998]『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社

通訳や言語の話を書いたエッセイ集。語学を生業にする人にとっては、とても面白く読める本。

著者の周りが特別なのかもしれないが、下ネタやダジャレがちりばめてあって楽しく読める。

通訳とは一言一句をすべて訳すのではなく、文意を伝えられればいいのだという点には目からうろこだった。日本の大学・大学院では一言一句もらさずに読むよう訓練されるので、驚きだった。もっとも、欧米ではもっとおおざっぱな読み方をするらしいことが、鈴木孝夫・田中克彦(2008)『対論 言語学が輝いていた時代』に書かれてある。

数年前のこと、耳を疑うような発言をした女性人気アナウンサーがいた。(中略)

「私たちは子供を国際人にしたいから、家では一切日本語をしゃべらないことにします。家ではすべて英語で話すようにする」

と自信満々に云いきったのだった。(中略)

自分の国を持たないで、自分の言語を持たないで、国際などあり得るのか。
(pp.279-280)

自身も帰国子女である著者のこの指摘は、大変興味深かった。