知の格闘技としての名画


高階秀爾(1986)『名画を見る眼』岩波書店

このような新古典主義の「理想美」の美学に対し、ロマン派は、はっきりと人間ひとりひとりの感受性を重んじた「個性美」の世界を対置させた。「美」とは、万人に共通な唯一絶対のものではなく、人によってさまざまに変化し得るものだという考え方である。(中略)万人に共通するものではなく、逆に万人にはなくて自己にのみ秘められているものを追求し、発掘することが、芸術の目的となったのである。(本書 pp.144-145)

従来の絵画表現をすっかり変えてしまう近代絵画の革命は、マネによって幕を開けられることとなるので、クールベは、思想的には急進派であったが、画家としては、ルネッサンス以来の絵画の表現技法を集大成してそれを徹底的に応用した伝統派閥であった。(本書 p.172)

芸術は難しい。芸術家に「どのように見ればいいのですか?」と聞いたところで「皆さんがお好きなよう見ればいいんですよ、フフンッ」と返されて、はあそうですかというしかなくモヤモヤ。そんな感じで取り付く島もない芸術を分かりやすく解説してくれる。

解説の裏側には美術史と当時の風俗、それに画家たちの伝記まで読み込んだ知識がさらりと織り込まれている。一級の解説をポケットに入れて持ち運べる喜び。まさに開眼させてくれる書だ。

たとえばラファエロの「小椅子の聖母」。サーチエンジンで調べればいくつでも画像が出てくる有名な作品だ。何も知らずに見ると普通の写実的な絵画だ。しかし著者の目を通すと奥行きが出てくる。まずは衣装の色。キリスト教の図像学では聖母は聖母愛を象徴する赤と真実を象徴する青をまとって描かれる。だからその絵でも赤い上衣と青いマントが描かれる。さらにひざの上のイエスの服を黄色にすることで、赤青黄の色の三原色を配置し安定感を出している。加えて妙に不安定な聖母の姿勢。低い右ひざにイエスをのせて左ひざをあげる不安定な姿勢をしている。この不安定な姿勢こそ、聖母からイエスの顔、左ひざという視線の流れと聖母の肩から右腕、イエスの体といったそれぞれの形を組み合わせて安定感を出すために必要なのだ。その不安定な左ひざを隠すために、あえて右奥にヨハネを配置し、不自然さを打ち消している。

名画とは画家の鑑賞者に対する挑戦であり、鑑賞者の画家に対する挑戦である。絵画は数百年のときを経ても繰り広げられる知の格闘技であり、カンヴァスはその場を提供してくれる舞台なのだ。