英語はブレッド、オランダ語はブロート。なぜ日本語では「パン」という?


舟田詠子(2013)『パンの文化史』講談社学術文庫

「パンは神が作り、パン屋は悪魔が作った」という言い回しがドイツにはある。悪魔がつくった職業とみなせるほど、パン屋はきつい仕事だと解釈するのがパン屋。悪魔がつくったと見なせるほど、パン屋は悪いやつらだと解釈するのが消費者である。(本書 pp.209-210)

著者が「もとより通史ではない」(本書 p.7)、「パンを焼いた人間を軸に展開させた」(ibidem)と書いているとおり、人々がどのようにどのようなパンを食べて来たかをフィールドワークを含めて丹念に書いている。

著者の出発点はシンプルだ。日本では戦後、パン食が急速に普及した。しかしそれは人々の暮らしに根付いたパン食ではない。ただパン屋やメーカーが焼いたパンを買い、出来合いのものを家で少しのアレンジをして食べているにすぎない。欧米のように、または日本のコメのように日ごとに家で作って食べることもなければ、いろんなパンを食べているわけでもない。日本全国どこでもたいてい白い生地で外側が茶色く焼けた、あのパンを食べている。

しかしパン発祥の地である「肥沃な三日月地帯」や欧米では事情が違う。地域や、かつては村ごとに取れる麦の種類や製法の違いから、違うパンを作って食べていた。ナンやピタ、トルティーヤ、フォカッチャ、クレープなど、家や村単位でパン窯を持って焼いて食べていた。人々の暮らしに根付いたパンがあった。そして今でもほそぼそと続いている。

施しのパンという習慣も根強い。修道院はかつて宿屋を兼ねていたから、裕福な人が来たら多くの宿泊費を払ってもらい、そのお金でパンを焼き、周辺の貧しい人たちに配っていた。それとは別に、万霊節(米国で言うハロウィン)に盛大にパンを焼いて死者への追悼を行い、そのパンは貧しい人たちに配られた。欧米の寄附文化の根底にはパンがあったのだ。著者は長年のフィールドワークで得た実例を示し、奥深いパンの世界を一つ一つ開陳していく。パンの持つ、味わい以上の深みを思い知る。

さて冒頭の回答。ザビエルと一緒にやってきたポルトガル語の「パン」が日本語に取り入れられた。しかしそれはキリスト教と一緒に入ってきたものの宿命、鎖国やキリシタン弾圧の下でパンも日本から姿を消した。元に18世紀の蘭学者の文書にはパンというものがオランダ語でブロフトと呼ばれ、小麦で作っているらしいことが書かれてある。しかし実際どんなものかは分かっていなかった。長崎のごく一部の人以外は言葉は知っていてもモノを知らなかったのだ。逆に言うとそんな状況下でも数百年、「パン」という語は生き延びで現代でも使われている。音の強さを感じるエピソードだ。